長い必然の寄り道を経て、遂に私達は一つに。
”てっぺん”の景色を見てしまった後の物語がたどり着くべき場所へ、ようやくLiella!がたどり着く、スパスタ三期第8話である。
まぁ、既に結果が見えた茶番である。
それはマルガレーテちゃんを学園内部に招き入れ、澁谷家でひとつ屋根の下共に暮らしながら、Liella!に勝つことにこだわる”外部”を担当してもらう、極めて不自然な…しかしそれしか取り得ない物語の進め方からして、定められた必然だ。
これまでの”ラブライブ!”がゴールと定めてきた、全国優勝を果たし一年の物語を走り切る決着を、Liella!は自分たちの結末として選ばなかった。
あるいは様々な事情により選べなかったけども、今更乗り越えたはずの”外部”を新たに設定して勝負論で話を盛り上げていくことも、ラブライブに勝利して正しさを証明したはずのLiella! を揺るがすことも、三期は選ばなかった。
スクールアイドル活動を通じて絆を育み、人生で大切な答えを手に入れ、青春を駆け抜けて一番自分たちらしい自分たちを見つける。
自己発見、自己肯定、自己実現を物語の中核に据え、そこにピッタリと物語のスケールを合わせることで生まれる、欠けたもののない圧倒的な充実感。
「世界の全てが今目の前にあるのだ」という、怪物的な幸福感。
そんな美しいユーフォリアを、ラブライブらしさを、
三期は改めて問いただし、書き直す手段として、結ヶ丘の”外部”へと筆を伸ばすのではなく、二期においては徹頭徹尾高くて遠い”外部”に置かれたウィーン・マルガレーテを、自分たちの”内部”に取り込んで、必要なだけ反抗的で、必要なだけチョロくて可愛い、手懐けられた”外部”として運用してきた。
三期始まって以来…というか二期のあの最悪なクリフハンガーから、マルグレーテちゃんが囚われた勝負論の地平から自分を解き放ち、Liella!≒ラブライブ的な「一つになる悦楽」に己を投げ込むことは、既に決まっていた。
それは物語の議事進行に必要な、冷たいプロトコルであると同時に、一人の少女の生きた必然でもある。
三期はとにかくマルガレーテちゃんをチョロく可愛く、凄まじい勢いでナァナァな方向に丸められていく物語に一人抗い、作品が背筋をなんとか伸ばすために必要な全部を背負ってくれる存在として、大事に扱ってきた。
時にかのんに噛みつき、時に生活圏を同じくして可愛いトコロを見せ、どんどん生意気な後輩が好きになっていく物語の中で、二期では見えなかった強がりの源や、その奥にある柔らかな魂も感じ取れるようになってきた。
姉へのコンプレックス、両腕組んでベジータ立ちしなきゃ守れないプライド、湧き上がってきた未知の感情へのトキメキ。
色んな屈折がウィーン・マルガレーテの中にあって、
それは心のまま自由に、真実自分らしく(つまりは極めて”ラブライブ!”的に)開放される瞬間を待っていると、僕らにも思えた。
いい加減デレた方が、マルグレーテちゃん楽だろ…。
観客のそういう気持ちを最高潮まで引っ張るために、前回どっしり腰を落として、彼女の”今”を書いたんだと思う。
そんな”妹”を、ずっと立派に先輩らしく見守ってきた澁谷かのんが、先週指摘したように、心は解き放たれるときを待っている。
そのためにはぶつかるしかなく、しかしLiella!11人の…あるいは彼女たちを見守る結ヶ丘の少女たちの気持ちは、既に答えを出している。
見えている答えにたどり着くための、必然の回り道。
それがここまで紡がれた物語の全てであり、前人未到たる”てっぺん”の先の景色を描く三期は、こういう形でしか己を語り得なかったのだろうと、今は思う。
この回り道は二期で描き得なかった、あるいは描きそこねた様々なものを回収し、新たに削り出していく歩みでもある。
あまりにも澁谷かのんに物語の決定権を集めさせ過ぎ、彼女を完璧過ぎる神様に押し上げかけた時より、三期のかのんちゃんは情けなく人間らしく、等身大に立派に見えた。
四季や夏美、クゥクゥは描かれたりなかった葛藤や苦しみ、自分を縛る過去を改めて描かれ、見えなかった内面へ深い共感を寄せられる、魅力的なキャラクターへと脱皮した。
そして既に勝利を成し遂げ答えを得た三年生は、どっしり構えて未来を託す落ち着きに支えられて、改めて描かれる二年生の結束を見守っていた。
あの四人が楽しく笑い合い、かのんちゃん達がいなくなった後もLiella! を続けていくだけの力を示す物語を、僕はずっと見たかったし、それを見せなければこれまで”ラブライブ!”が描かなかった物語へ踏み込んでいく、これからのスパスタにも瑕疵が残るだろう。
第6話でクゥクゥが示した、高校生という聖域が終わってなお、スクールアイドル的に生き続ける物語。
あるいは今回次世代に勝負の新曲を託し、どっしり構えて離別の未来を待つ三年生に感じられる、終わって続く可能性。
μ’sがある種の聖断として、あの美しい海で自分たちの”おしまい”を定めて以来10年、”ラブライブ!”にのしかかり(劇場版サンシャインで少し緩まり、なお続く)、「一瞬の輝き」という呪詛を解体するための、いくつかの試み。
それがどう結実して”ラブライブ! スーパースター!!”が終わるかを、僕はとても楽しみにしているわけだが、”てっぺん”を取って自分たちを終わりにしなかったLiella! が描くべき、新たな物語に必要とされるものを、三期は丁寧に、明るく楽しく”ラブライブ!”的に、積み上げてきた。
必然の決着へと11人を連れて行く今回のエピソードも、そんな試みの一つなのだと思う。
同時に第4話以来、扉の向こう側へなかなか踏み出せない姉と、自分の内側へ愛するものを招き入れられない妹の決着を望んでいた僕らの気持ちを…なにより鬼塚姉妹自身の願いを、良くすくい上げてくれるエピソードでもある。
僕は一期3話で”Tiny Stars”を目にしたちぃちゃんが、なんともいえないややブサ顔しているのが本当に好きなんだけども、あの時と同じくらい感情が溢れ出した表情を、夏美が己に許したのがとても良かったな、と思う。
意識高い系気取った、無様な道化。
何を望んでスクールアイドルに魅入られたか良く解らない、芯が見えないキャラクター。
三期第4話においてその薄暗い過去、何者にもなり得なかった痛みを切実にえぐり出され、人間としての体温がグッと身近になった鬼塚夏美が、ようやく何も飾らず自分の気持ちを、妹への愛を、叩きつけ子どもに戻る瞬間は、やはり強く心に響いた。
姉者の思いに押し倒され、夏美のためにクールで大人びていなければいけないと自分を青い領域に閉じ込めていた冬毬も、ようやくあの雨中のステージに、眩い上海の夜に感じたトキメキを解き放ち、自分が誰をどれだけ愛しているのか、涙とともに見せることが出来た。
束縛や思い込みから解き放たれ、真実の自分である。
僕が”ラブライブ!”らしさだと感じるものを、エピソードの真ん中にしっかり入れた話数だと感じた。
ここで夏美のためらいを真実の愛へと押し出す仕事を、四季にさせるための三期第3話での主演だったと思うし、三期で補強された二年生の仲良し描写だと感じる。
ここまでの歩みにしっかり刻み込まれた、四季を支え真の自分へと押し出してくれた仲間との絆があればこそ、クールな彼女が思いの外情熱的に、夏美への愛を堂々語り、勝負の場所へと手を引く様子もビシッとハマる。
あの3話の仕上がりを受けて、ここで夏美に恩返しをしてくれる四季の律義さ、正しさには、あるべきものが確かに描かれた満足感と、ありがたさを感じることが出来た。
かのんちゃんやちぃちゃんもそうだけど、Liella!は”仁義”があるから好きよ。
学園祭での楽しい祝祭感、弾けた明るさなんかもしっかり盛り込みつつ、バチバチのバトルモードから青と赤が混ざり合う紫紺の11人へ、既に出ていながらそこにたどり着くためには結構な回り道をしなければいけなかった答えへ、Liella!を導いていくステージも素晴らしい。
つーか久々のグソクムシを、今までのクゥすみ仲良く喧嘩しなモードの小道具から一歩進めて、もはや素直に愛を言葉にできるようになった三年生達の成長を照らす鏡として活用してきたの、素直にビビった。
上海でもクーカーが、むっちゃダイレクトにお互いへの思いを言葉にしてて「この子ら、本当に”育った”な…」て気持ちになったけども。
二期第9話と三期第6話を経て、ようやっと借り物の夢を自分の真実として抱きしめられた結構根暗な元優等生が、自分とかけがえない青春を駆け抜けてくれた少女をどう思っているのか、サラッと告げていたのがとにかく良かった。
少女たちの関係性を、オタクウケの良い記号に閉じ込めて窒息させてしまう悪癖が”ラブライブ!”には間違いなくあるが、三期はそこら辺も自己批判的に解体再構築し、変わればこそ成長を見せれる素材として、愛しく活用している感じがあるんだよなぁ…。
そして頼むからこの筆を、葉月恋に伸ばしてやってくれ!
一話全部使わなくても、今の物語力なら少ない手数でキメれっから間違いなくッ!!!




というわけで、アバンでは持ち前の優秀さゆえに姉者と歩調を合わせられず一人で走っていた冬毬が、お互いの心を通わせた後ようやく同じ道を進めるようになるエピソードである。
あるいは青と赤の二色に塗り分けられたバチバチの対立構造(ウィーン・マルガレーテ的構図)から、同じ紫紺に自分たちを染め上げた11人の”one”になるエピソードである。
こういうダイレクトかつ印象的なヴィジュアルでもって、シーンやエピソードの意味合いを可視化していく手際は、やはり京極監督の才気と言うべきだろう。
鬼塚姉妹のわだかまりが溶解していく勢いを借りて、8人のLiella!と3人のトマカノーテが11人になっていく物語を、あるべき決着へと引っ張り上げていく。
そういうエピソードは、白紙の状態からLiella!をスタートし、伝説を打ち立てた三年生が去った後でもスクールアイドルを続けていく、二年生への試練という要素も孕む。
実は色々なことが盛り込まれている話なのだが、ここまでの物語に分散して描いてきた要素でもあるので、描くべき必然と心地よい連続性がしっかりあって、見ていて気持ちの良い回だなと感じた。
やっぱここら辺の、話数あるいはシリーズ全体を通したcontinuous、三期の特徴で強みだな。




パッと見で何を描きたいのか、素直に這入ってくるヴィジュアルの強さは、なかなか上手く気持ちがつながっていかない抑圧的な前半においても、大きな仕事をしている。
物陰に隠れて妹の真意を境内に探る時。
先輩に言われて代表者二名、顔を突き合わせて打ち合わせをする時。
それが破綻し、ため息混じりに善後策を考える時。
カメラは圧迫感のある静物に押されて、何処か息苦しい気配を美麗な画面構成の中に宿している。
この重苦しい圧迫感は、そのままキャラクターが感じ取っている心理、あるいは相互の関係性へと敷衍されている。
息苦しいままならなさを可視化するオブジェクトが、どこか夢のような美麗さを失うことなく、華やかな色合いを保ち続けているのが、凄くラブライブ!的で、スーパースター的な表現だなぁ、と思う。
僕は(主に都市を反射板として描かれる)現代のおとぎ話としてのスパスタが凄く好きなんだけども、それを成立させているのは物言わぬ物体を死物としてではなく、なにか特別な物語を秘めた美しいものとして描き続ける、美術の力が大きいと感じる。
夏美たちを捉え前に進めない、青春の障壁たる心のすれ違いを描く時でも、世界は夢のように美しいままで、それがこの重苦しい季節を越えて夢が花咲く未来を、穏やかに信じさせてもくれる。




この圧迫感を打ち払い、薄暗く息苦しい場所に光をもたらす仕事を、三期3話を経た四季がやるのは、意外であり必然でもあろう。
「牛久に行く…夏美と冬毬を救う!」と宣言した時、椅子の背垂れに確かに宿る希望の光。
ガラリと扉を開け、夏美の(そして冬毬の)私的領域へあえて踏み込む時、固く握られた拳の頼もしさ。
意外なほど柔らかく、しかし確かにあの時”Special Color”のセンターに眩しく開花した、優しい笑顔。
鬼塚姉妹独力ではほどけない、絡まった糸を断ち切るゴルディアスの剣を握るのは、今回若菜四季なのだ。
序盤の抑圧されてすれ違う印象を見事に形作ったからこそ、それを切り開いていく四季の決意が頼もしい。
3話で色々めんどくせー部分を掘り下げていたからこそ、ダチのため後輩のために積極的に前に出て、思いを言葉で伝えれるようになった成長も、眩しく映る。
3話での葛藤と飛翔なしでこの活躍だったら、「四季そういうキャラじゃねーだろ! また展開のために”人間”がネジ曲がってる!!」とか吠えてたと思うけども、あの物語を見た後だとこの”らしくなさ”は、むしろ四季本来の”らしさ”の発露として、無茶苦茶頼もしく、ありがたく、心地よく受け止められるんだよな…。
鬼塚姉妹の私的事情へ、あえて前のめりに踏み込んでいく四季の気概は、第3話で…あるいはそれ以前に共にLiella! として仲良く楽しく、一緒に過ごしてくれた友達への恩返しでもある。
俺は愛と仁義の物語としてスパスタを楽しんでいる部分が強いので、こういうふうに義理堅く、自分が受け取った愛に報いるべく余計なおせっかいをしてくれる場面があると、とても嬉しい気持ちになるのだ。
誰かの苦境を前に、見て見ぬふりをしない。
そういう在り方って、Liella!の物語を始めた澁谷かのんの(うっかり忘れかけた)生き様でもあるので、そういうのが継承されてるの見るのも、澁谷かのんのファンとしては嬉しい。




かくして共に背中を押され、これまで幾度も踏み込もうとしてためらってきた青の領域へと、鬼塚夏美は飛び込む!
先程も書きましたが、クシャクシャに歪んで全てをむき出しにした夏美の顔が最高にブッサイクで最高に美しく、ようやっとマネーだの効率だのに呪われていない、素顔の彼女を見せてくれた感じがあった。
一生腕組み自己防衛、頑なな姿勢を繕うことでなんとか”外部”たり得てきたマルグレーテちゃん、ブツクサ文句言いつつ牛久くんだりまでキテる時点で、お前の魂も変革の瞬間を待ち望んでおるのだよ…。




アバン、少しコミカルながら鮮烈に描かれた、鬼塚姉妹の能力と資質の残酷な差。
姉の涙をこれ以上見たくないから、持ち前の優秀さを怜悧に尖らせて効率的に、オニナッツが望んだ以上にオニナッツ的に生きれてしまう冬毬の優秀さに、お姉ちゃんはいつでも置いていかれてきた。
ここでも感情を子どものように爆発させ、泣きじゃくることしか出来ない夏美を大人びて抱きしめるのは冬毬の仕事であるが、その冷たい成熟を夏美は自分と同じ地平へと引きずり込み、共に叫び共に泣く。
何を叫ぶのか。
もちろん愛である。
三期、Love Liveが根源的に愛の物語であることを思い出させてくれる場面が多くて大変ありがたいが、挫折に満ちた年月にネジ曲がってしまった鬼塚姉妹の歩みが、ようやく幼き日を取り戻すこの瞬間も、怒涛のような愛の嵐に満ちていて素晴らしい。
ここで夏美が見せた愛のガムシャラは、世評に動かされてマニーを求め、動画配信者なんぞやってた時の軽さとは真逆の、不器用な熱に満ちている。
多分こっちが彼女の”素”であり、冬毬が世界で一番好きな姉者の顔なんだと思う。
これを真っ向叩きつける勇気を、夏美はいつしか見失っていたわけだが、思いの外真っ直ぐLoveぶつけてきた四季に助けられて、ようやく自分を取り戻していく。
これは第4話で既に言及されているように、あのラブライブ決勝で見つけたどり着いた輝きの中、一度も勝てなかった女の子がようやく”てっぺん”を見て、既に取り戻していたものでもある。
それを閉ざされた扉の向こう側、踏み込んでぶつけて良いものか解らない不器用は、発展途上な二年生だからこその切実さがあって、Liella!の継承者達を改めて描き直す三期の筆に、良く見合った書き方だと思う。
ここら辺、いざという時のフォローを考えつつ、後輩だけで人生の一大事を乗り越えていく強さを見届けてクールに去る、かのん”先輩”の成熟と面白い対比であろう。




かくして姉妹の絆、それを見届け涙出来るお互いの心を確かめて、運命で結ばれた少女たちは新たな曲を作っていく。
”Dazzling Game”がここまでの物語を見事に総括する、メッセージ性の強い楽曲に仕上がったことで、クリエーターとしてのLiella!後輩Sの実力が裏打ちされる形になっているのは、なかなかに面白い。
劇中実際に流れる楽曲の強さ、パフォーマンスの良さで、ドラマの背骨を支えていく作りは、やっぱ本家ラブライブ的だなぁと思ったりする。
「こんだけの曲が奏でられるのなら、奇跡くらいは起こるだろう」という納得。
あとクライマックス直前最後の息抜きとして、主に三年の可愛い様子がたっぷり描かれたのも、大変ありがたい。
ゆいがおー本当に可愛いので、もっと早く沢山アニメで見たかったよ…。
魔女っ子恋ちゃんがあざとかったり、ここぞとばかりにクゥすみ関係性の完成形を叩きつけられたり、細かい描写にファンサービスと情報量が多い、三期らしいシーンだったと思いまっす。
少ない手数で確実にオタクの脳を揺さぶる、可愛い仲良し描写の差し込みの巧さ、間違いなく三期特有の満足感に寄与していると思うね。
やっぱねぇ…なんだかんだ、こういう味の餌を食べたい種族なんですよ俺は…。




一度はスクールアイドル原理派に否定された、対立路線バリバリなハードロックチューン”Dazzling Game”は、鬼塚姉妹のドラマを潤滑油にたどり着くべき結末を曲中に内包し、「8+3=11」という方程式を、観客のジャッジに先んじて導き出す。
この楽曲をウィーン・マルガレーテが受け入れ形にしたということが、彼女がしがみつき縛られてきた勝負論への決別を、何よりも表しているかなぁと個人的には思う。
あの子はいつだって、”歌”に嘘をつけない子なので。
学校の始まりから三年、”てっぺん”を奪った自校の誇りとして、誰よりもまばゆく輝く青春のフロントランナーとして、Liella!を応援し続けた結ヶ丘の生徒たち。
彼女たちの気持ちに立ち戻ってみると、Liella!とトマカノーテがガチってどっちかしか先に進めないという状況は、相当に耐え難かったと思う。
「11人のLiella!」という結論は、作品の外側に居る僕らにとっては約束された必然であり、そこに至る道程はある種の茶番にも見えるが、舞台に上がる当人にとっては真剣に挑まなきゃ乗り越えられない壁であり、だからこそ耐え難い分断でもあるのだ。
やっぱこの決着に至ってみると、マルグレーテちゃんがベジータ系女子としてツンツンプリプリ、作品唯一の”外部”としてLiella!に突っかかり、勝負の形をなんとか維持してくれたことの意味は大きかったと思う。
ここで唐突に、結ケ丘の外に乗り越えるべき壁を用意しても、既に”てっぺん”へ至ってしまったこの物語にとっては、あまり手応えのないものにしかならかっただろうと、僕は考える。
あの子がかのんちゃんとひとつ屋根の下、日常と舞台を共にしゆっくり絆されながらも、頑なに勝負に拘る”自分らしさ”を手放せず、しかし段々とLiella!に心を許してくれた日々。
それがあればこそ、最初から結末が見えていたこの長い回り道は、描くべきものを描くために必要な旅程であり、その途中で色々なものが形になった、意義ある歩みになったのだ。
そんな彼女の本心が何処にあるかは、先週ゆったりとした詩情に満ちて、明言されぬまま明瞭なメッセージとして既に描かれていて、しかしそこに飛び込むためには、Liella!と本気で勝負し、”歌”を作る必要があった。
鬼塚姉妹にフォーカスを絞った今回、マルグレーテちゃんがこの結末を飲み込むに至った道のりはこのエピソードだけでなく、ここまであのツンデレ不器用女が見せてきた全ての表情と仕草に、分散され瞬いているように、僕は思う。
三期は三年生がここまでの物語を糧に至った成熟と、二年一年の未熟を対比しながら、支え合い響き合わせながら描いていると思う。
かのんちゃんに強引に手を引かれ、あるいは情けなくもたれかかれられながら、ウィーン・マルガレーテの中で結晶化していった”答え”を、幼く頑なな彼女はなかなか認められない。
その全部に身を預けて、共に勝ったり負けたりやりきってくれようとしたかのんちゃんの仁義と優しさに助けられて、一年生たちは自分たちの中にある答えに踏み込む勇気を、ようやく形にした。
しかしそれを飲み込むには、どうしても必要な”勝負”がある。
愛を素直に言葉にできるようになった三年生達の姿が、愛おしく頼もしく眩しいほどに、そういう儀式を経なきゃ自分にすら素直になれない後輩たちの未熟は、燦然と眩しい。
思い返せば、五人のLiella!だってクッソめんどくさく未熟で、ワーワー騒ぎながら青春の凸凹道を駆け抜けて、自分たちが歩いてきた道を大事な後輩たちへと、整えて渡せるほどに育った。
ガムシャラな愚かしさや、答えが見えているのに飛び込めない不器用すら、愛しく思える場所に3年生達はもう立ってしまっている。
そんな五人が用意した、新たな妹たちが一番自分たちらしく、”ラブライブ!”らしく、自分でいるための…そして、私達に為るための舞台。
それが、今回のステージなんだと思う。
ここら辺の、時が行き過ぎて自分たちを高い場所に押し上げ、全てを愛おしく振り返る瞬間の美しい寂しさは、無印映画で無人の秋葉原を高坂穂乃果が踊るようにかけていくシーンに漂っていたものでもあるだろう。
既に己の物語を終えた…あるいは二話使って過去に遡り未来へ踏み出し、ようやく終わることが出来た三年生が、夢を追いかけ終わったその先になお夢を続けるための、静かな努力。
今回はそれもしっかり描かれていて、やっぱ三期はここまでの”ラブライブ!”で描かれた一瞬の光芒に、どっしり腰を据えて新たに挑むシリーズなんだな、とも感じた。
やっぱ”ラブライブ!”を一度、ここで終わらせようという気概が三期にはあると思う。
なぜならばそうしなければ、新たに続けることも始めることも出来ないからだ。




そして何かが終わればこそ、新たに始まることが出来るものが必ずある。
マルガレーテの手を引くのがすみれなの、なんか凄く良いんですよね…「あ、平安名さんもマジ”先輩”になったんスね…」って味がある。
話の真ん中にいた鬼塚姉妹は当然として、やっぱりLiella!はこの二人、オレンジ色のカリスマと無敵の部長が瞳で通じ合い、万色入り交じる虹色の光の中へ進み出して、物語は次回へ続く。
約束された結末、不必要にも思える回り道。
そう揶揄もされるだろうけど、ここまで8話ガップリ組み合ってきた俺には、やっぱり眩しく見える光だ。
ぶっちゃけこの後、Liella!が勝つか負けるかは作品をさせる柱として成立しておらず、だからこそマルガレーテに”外部”頑張ってもらって八話まで来た。
11人になったLiella! をどう描き、八話もかかって真実の自分へとたどり着けた一年坊主共を、どんだけ自由に羽ばたかせるかが、個人的な今後の見どころである。
あと恋ときな子にガツッと、芯をえぐった話を用意してやってくれりゃ、なんも文句はねぇッ!!
三期の筆マジ強いんで、ホント頼みます…。
たどり着いてみると、始まった時よりずっとLiella! が好きになれたいい回り道であり、最初から約束されていた結末だったなと、僕は思います。
次回も、とっても楽しみです。