祝福の夜は、本当な大事な人たちと。
奇跡が生まれた日に、あまりに近くに在る奇跡の意味を知る、ぷにるアニメ第11話である。
前回ギトついた性欲との付き合い方が分かんねーまま、みんなにチヤホヤされるクリスマスを求めていたコタローであるが、めちゃモテなぷにるに軽く嫉妬などしつつ、あの子が本当に欲しいものをしっかり差し出し、自分たちの”今”に何も嘘のない夜を、共に過ごす。
性愛、情愛、純愛、家族愛、隣人愛。
様々な”愛”を”可(べ)し”と丸ごと不定形で飲み込める「可愛い」を、自分の存在の核に選んだぷにるの無邪気さから、少し離れた所に育ったコタローであるけど、ちょっと迷って一緒に進んで、帰ってくることが出来る。
目の前にいるぷにるが、かけがえないトモダチであり心底”可愛い”存在であり、世の中の連中が押し付けてくる分かりやすいラベルよりも、もっと不定形で温かな”愛”に溢れ、受け止めてくれる存在であること
中学二年生のトゲトゲな自我が、普段なかなか認められない奇跡と真実に、ちょっと素直になれたのは聖夜の奇跡か、二人の絆か。
正統派コロコロギャグらしい、騒がしい面白さもしっかり駆動させつつ、ぷにるなり、コタローなり、この作品なりの”かわいい”に、ちゃんと答えを出す最終回一個前であった。
こういう話がラス前にくると、1クールアニメとしての収まりがダンチなので大変嬉しい。
前回から連続したエピソードとなったわけだが、「クリスマスは恋人と過ごすもの」「男女の形にわけられた二人は、セックスをするもの」という、有形無形の常識を勝手に受信し、受け止めめきれず身悶えしてたコタローが、今の自分とぷにるに相応しい形を、自然と選び取るまでの連作だったかなぁ、とも思う。
幼少期自分を深く傷つけた、「男は可愛いものを愛する”べき”ではない」というトゲは未だコタローから抜けず、「オメーは可愛くねぇ!」というラブコメ仕草が実は、ジャンルの定型をなぞる以上の生々しい心の傷を、どうにか塞いで二人でいるための魔法であることも、今回見えてくる。
ここら辺、そんな定型のまさに源流たる”らんま1/2”がリバイバルされ同一クールに放送している、奇妙な共鳴を面白く感じたりもするけど。
紛れもなく男であり、しかし可愛いものを愛して、否定され傷ついたコタローが自分の世界からぷにるを弾き出さないために選んだ魔法であり呪いが、ぷにるが可愛いことを認めさせない。
性別にも常識にも切り分けられない、”べき”に縛られない不定形のスライムは、誰にも否定されることなく”可愛い”が好きな自分でいたいという、コタローの祈りを受けて生まれてきた以上、他の誰でもないコタローにこそ、世界で一番可愛いと言ってほしい。
ここのねじれは、性徴に伴う性対象への興味、コタローが”女”という形に惹かれる引力と響き合いつつも、個別の分断と対話をトモダチ二人に持ち込み、場をこじらせていく。
もう子どもじゃないからこそ、自分の”好き”を素直に告げることが出来なくなってしまった…それが柔らかな自分を守るための鎧でもある少年と、育ち変化していく生物の定めから無縁な、永遠に幼く純粋な人造生命が、男の子と女の子の形になってしまって生まれた、奇妙なラブコメディ。
それがたどり着くべき答えは、必ずしも「セックスを伴う異性の恋愛」という、ポピュラーな形でなくとも良い…かもしれない。
そういう自由な可能性へと、意地っ張りで素直じゃない主人公をしっかり迷わせ、連れて来る回だったなぁと思う。
それはきらら先輩が正しく見抜いたように、世間の声や肥大化した自意識に歪まされていない、生来のコタローらしさそのものを、彼が取り戻すことでもある。
男(の形をしたもの)と女(の形をしたもの)ならそういうコトになるらしい、性によって結びつく関係性にあんなに捕らわれていたコタローは、結局まだぷにるがペンギンだったときと同じ距離感に立ち戻って、一緒に遊びはしゃぎ、共に眠る。
コタローの屈折した思春期にいまだ残る無垢を見届けた父母が、二人に告げる言葉は「可愛い」だ。
それは魅力的な性対象に、所有と性交の願望を交えて投げかける「可愛い」と同じで、全く違う言葉だ。
色んな「可愛い」が世界には満ち溢れていて、勝手にその間に境目を作って囚われ、自分の気持ちに嘘をついて遠ざける己の愚かしさを自覚しつつ、コタローはぷにるに「可愛くない」と嘘を付く。
そうする自分を選べばこそ、性にも形にも囚われなくて良かった黄金の季節へと、自分たちを立ち戻らせることが出来る素敵さと不自由さが、思春期ど真ん中って感じで大変良かった。
コタローはどこまで言っても、拗れた自意識と冴えない非才を抱え込んだ、等身大の中学二年生だ。
ぷにる抜きで人は集まらないし、なかなか素直になれない。
だからこそそういう自分の歪みや愚かさ、永遠に変わらず純粋で居続けるぷにるの特別さや善さに、改めて目を向けて何が大事なのか、静かに選んで抱きしめることが出来る。
間違いなく超かわいい、雪の装いのぷにるに 「可愛い」と言わないことで、男であり男になり男にされていく自分がなお、かわいいぷにると一緒にいれる、捻じくれて凸凹な道へと、コタローは進んでいく。
それは正しくない嘘かもしれないけど、とても優しく強いと思う。
ちっぽけで情けない一人の少年が自分で選んだ、ぷにるとコタローへの特別なプレゼントだ。
そんな彼らの現在地をちゃんと書いてて、本当に素晴らしいエピソードでした。




というわけで前半はコロコロテンションをゴリっと跳ね上げ、色んな連中が騒がしくぷにるの難題に挑む感じで話が進む。
寿司職人だのガチガチ砂糖細工だの、ぶっ飛んだネタが飛び交うトンチキな場面だが、突っ立ってるだけで衆目を集めるぷにるの特別さと、そういう存在になれなかったコタローのひがみが、喧騒の中にしっかりあるのは面白い。
南波くんが見せたような造形の才能も、フラットに偏見なく世界中の「かわいい」を見れるぷにるの視線も、コタローは持っていない。
主役になれないからスネて、ぷいっと仲違いして…ちゃんとぷにるの手を取って夕日に駆け出せる、だれよりもぷにるをよく知る、ずーっと一緒にいた最高のトモダチとしての資質しか持っていないのだ。
この人間・河合井コタローの美質を、彼が慕うきらら先輩が見て取ってしまっているのは残酷でもあって、男女より先に”人間”として相手を見てしまえる、彼女の成熟がコタローの淡い気持ちを受け取ってくれない現実が、そこには滲んでもいる。
コタローが独りよがりな幻想の先に、きらら先輩との恋を見ている様子はここまで幾度も描かれたが、夏の喫茶店で印象的に描かれたように、きらら先輩はコタローにいかなる幻想も抱かず、等身大で情けない部分もひっくるめて、彼を正統に…コタロー以上に良く見ている。
その成熟とのバランスを取り、ハイテンション・ギャグの起爆剤となるためにも、彼女はやり過ぎ感あふれる母性の怪物にならにゃならんわけだが、眼の前の人間を極めてフラットに人間として評価できてしまえる視線は、彼女を恋から遠ざけ、つまりはコタローの憧れが望むまま叶わない未来に繋がってもいる。
しかしここで、ぷにるの手を取って二人きり駆け出さない、自分らしさを遠ざけたコタローのままだったら、人間の本質を見抜視力を持ったきらら先輩は、静かに彼を蔑するだろう。
幼さ、純粋さ、未熟さを心から愛でる嗜癖と、絡み合いながらもちょっと別の場所から、きらら先輩はコタローの真っ直ぐな幼さを愛してくいるのだ。
こうして走り出した先で二人は、奇跡の夜にふさわしい自分たちだけのプレゼントを掴み取るわけだが、その前段階でぷにるが自分にふさわしいケーキを欲しがり、そこに込められた愛にぶちぶち言ってNOを告げているのが、なかなか面白かった。
変幻自在なぷにるが「かわいい」をどう定義しているのか、なかなか見えづらい部分もあったわけだが、最終的にぷにるが口にし満足したケーキがどういうものだったかを見届けると、そこにピタッとハマる答えが浮かんでくる。
ぷにるの満足するケーキには、おざなりじゃなくぷにるをしっかり見た”愛”が必要で、しかも誰でも彼でも愛してくれればいいというわけでもない。
ここまで11話、ぷにるはずーっとコタローにこそ可愛いと言ってほしいのだと、何度もダイレクトに告げていて、コタローはそれを拒み続けてきた。
表層だけなぞればいかにもラブコメっぽい、グイグイ女子とツンツン男子の関係性に見えるけども、ぷにるはスライムだし、コタローの可愛い拒絶症は、思春期特有の照れで片付けるには根が深い。
そんな二人がたどり着き、帰還するべき場所がどこにあって、どんな色をしているのか。
美しい夕焼けに駆け出した二人が、正しい場所へとたどり着けることをきらら先輩は信じているし、知っている。
確かに、そこに愛はあるからだ。




青く美しい聖夜に進みだした二人に、後半のカメラはグーッとクローズアップし、繊細にその関係を切り取る。
相変わらず素直になってくれないコタローにぷにるはプンプン怒りつつ、あるいはコタローも自分の「好き」に目を曇らされてキュティちゃんケーキなど買いつつも、めちゃくちゃラブリーなクリスマスを二人は過ごしていく。
自分の願いを叶えてくれた奇跡であり、大事な弟分であり、特別なトモダチでもあるぷにるが、困っていたからコタローは助けた。
少しくらい気持ちがすれ違おうが、望んだぷにるケーキとは違っていようが、そんな愛の核は確かに響き合っている。
ここで「予約していた、ぷにるのためのケーキ」を受け取りに行ける時点で、コタローは他の誰もくれなかった答えに唯一たどり着いているし、それを形にするための行動にも踏み出している。
お前の、俺達のための可愛いケーキで、一緒にクリスマスを祝う。
それがどれだけ自分たちに大事なのか、自己顕示欲に暴走してみたり、ぷにるの爆モテに嫉妬してみたり、キュティちゃんLOVEにピントを外してみたり、色々ズッコけるところはありながらも、コタローは一番大事なものを、自分の形而上核がどこにあるかを、しっかり把握している。
あるいは愛にまっすぐに生きるダサさこそカッコいいのだと、文化祭あたりで学んだ成果か。




ぷにるとコタローが自分たちの愛へとたどり着けた瞬間、カメラが凄く横幅広く、色んな人たちが聖夜に瞬かせる愛を切り取るのが、僕は凄く好きだ。
イかれてるように見える真戸博士にも家族がいて、良き夫良き父親としてクリスマスを過ごしている。
モンスーラというホビーへの愛で繋がった、年の離れた仲間たちの中で、南波くんは気の良い兄貴分として、なかなか素直になれない北風くんを人の和の中へ導いている。
色んな愛がクリスマスを彩っていて、恋人同士が性愛前提で隣り合うだけが、聖夜の過ごし方じゃない。
そういう横幅の広い愛の風景にちいコココンビの青春と、教室に取り残されたルンルが挟み込まれてるの、なかなか迫力あるなぁ…と思う。
ケーキを上げる彼ピの存在にショックを受けていたココアが、温かな肉まんを分け合いながらちいちゃんに感じる思いには、多分ラベルがない。
ぷにるが体現しているのとはまた違う不定形な絆と思いを、明言することなく感じさせるコンビニ前のワンカットと、プログラムされたまま静止するルンルに漂う、静物的な美。
一間愛されていないから放置されているようでいて、じゃあホビーにとっての愛ってどういう形をしているのかと考えさせられる、奥行きのある絵だなぁと感じた。




数多の愛が瞬く夜を、祝福するように輝くクリスマスツリーの前で、コタローは目の前にいる存在がとても純粋で眩しくて、自分を強くしてくれる”かわいさ”に満ちていることを見つめる。
その輝きは、誰かの”べき”を逆手に握りしめて、自分の”好き”を無自覚に殺してくる影から、かつて自分を守ってくれた。
男の子の隣りにいてもいい、「可愛くない」ペンギンスライムが隣りにいてくれたからこそ、自分と大事なトモダチを守り、自分を殺しに来る影を打ち払えた、大事な光。
その眩さを、コタローは忘れられないし見落とせないし、見捨てられないし裏切られない。
前回描かれた幼稚園でのトラウマから、少し背丈が伸びてなおコタローに追いすがる、世界中のどこにでもあるだろう”べき”による”好き”の殺人。
殺している側は全く自覚なく、常識と当たり前を叩きつけているつもりでいて、コタローの心はその衝撃に捻じくれたまま、自分の物語の主役に為るための素直さも、勇気も遠い所に置いてしまった。
そういう残酷さで世の中満ち溢れていて、でもそれで殺されきれない奇跡も確かにあって。
奇跡に愛されなかった少年はそれでも、「コイツは可愛くない」という嘘に必死にしがみつくことで、本当に大事なモノ達が殺されないですむ未来へ、拳を握って進みだした。
「借り物の”べき”で、他人の”好き”を、魂を殺すな」
「世の中がどうであっても、俺はかわいいモノが好きだ」
そう正しく言えたなら、コタローも自意識肥大させたモブではなく、あるべき己の物語の主役を堂々張っているだろう。
でも、彼のように当たり前に傷つき、屈折し、間違え迷う人々がそうであるように、そんなに強くも正しくも生きられない。
それでもなおあの時、拳を握って迫る影を打ち払ったから。
ぷにると一緒にいても良い自分を、戦って勝ち取ったからこそ、そういう自分がまだ生きているからこそ、コタローはこのクリスマス、ぷにるが本当に欲しかったものを手渡し、自分に一番大事なものを受け取る。
ぷにるが隣りにいることだけが特別な、冴えない普通の中学生が何に傷つき、何と戦い、何を守ってきたのか、静かに鮮明に描くエピソードが、美しい夕焼けと青い夜に彼らを祝福し続けているのが、僕はとても好きだ。
それが寿ぎに値しないなら、世界に祈りなんて存在しないわけで、ぷにるとコタローが進み出し、たどり着いた場所はとびきり美しくなければいけない。
そういう話、そういう場面で、ちゃんとロマンチックに…しかし異性恋愛という規範に二人の関係を押し込めない描き方で、二人の”今”を照れずに描き切る。
そういうアニメで、凄く良かったなぁと俺は思ったのだ。

というわけで、ぷにるとコタローのクリスマスでした。
大変良かったです。
話の総まとめになる二人の寝顔は、ペンギン時代と何も変わらない停滞に見えて、進んで迷ってなお戻ってきた、コタローの小さな決断が掴み取ったもので。
そうさせてくれるのはいつでも、自分が取り落としてしまいそうな幼い”好き”に命を吹き込んでくれる、ぷにるの存在あってのことだ。
そんな二人の在り方全てを「可愛い」といえる物語だからこそ、このお話はタイトルに”かわいい”を取り込んでいることが、良く分かる回でした。
作品の根底に流れる精神を、毎回楽しく美しくアニメにしてくれた素晴らしいアニメ化も、残り一回。
名残惜しさも寂しさも在るけど、なによりこんなに素敵なものを作り上げてくれてありがとうという気持ちで、ひとたびの別れを待つ。
次回も楽しみ!