イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士Gundam GQuuuuuuX:第4話『魔女の戦争』感想ツイートまとめ

 恵まれた倦怠の重力を、振りちぎるだけのスピードで。
 地獄に向けて、真っ逆さまさ。

 

 先行劇場版の引力圏を遂に脱し、人類未踏領域へと踏み込んでいくジークアクス第4話は、令和の速度感にふさわしい圧縮率とスピードで、一気に突っ走っていった。
 ここまで見えにくかったシュウジの深奥が、魔女の血を生贄にして良く見えたし、一年戦争時の血生臭さを置き去りに青春の脱出装置とも思えたMSが、相変わらず人殺しの道具であるえげつなさも鮮烈だ。

 塾と進路が最大の関心事な、当たり前で恵まれたの不幸せに飽き果てているマチュが、体ごと突っ込んでいく場所。
 そこが、どんな奈落なのか。
 悍ましくも心地良い、地獄の釜が開く回だった。

 

 尋常な進行だったら二話は必要な要素を、超高圧縮で濃厚に煮込んで一気に加速し、新たな展望をぶち開ける。
 情報密度と速度感を背負わなければ、バズの最前線では戦えない加速時代のエンターテインメント…その本分を全身で味わうようなエピソードともなった。
 今回の速さと充実感を成立させているのは、シイコ・スガイというキャラクターの異様な存在感と、それを一話で使い切る燃焼速度であろう。
 涼やかな朗らかさがある竹デザインで、戦争に呪われた魔女であり優しき母でもある彼女を複雑に照らして、ガンダム妖精さんがたった一つの願いのためなら人も殺せる、凶悪なレッドキャップである真実を抉っていた。

 その残酷さはクランバトルそれ自体への認識も新たにさせていて、新たな一歩を前向きに進みだそうとする戦後世界から、弾き出された元兵士と難民が、命を投げ捨てて何かを掴もうとする、宇宙世紀コロッセオな素顔が良く見えた。
 マチュが唾棄するマトモな世界が、どれだけ苦労して守られているか解っているエグザべくんが、「ゲームで死ぬこたぁ無いだろ…」とドン引きする中、ポメラニアンズが人死に当然な態度で行く末を見守っていたのが印象的だ。
 前回は現役軍人特有の視力で、マチュの技量を見抜いていた目は、戦後社会に置き去りにされたクズ共の荒くれた世界観を、共有はしない。

 

 むしろシャアの思い出とともに戦場に取り残されたシャリアのほうが、生き延び家族も得てなおクランバトルに挑み、ガンダムに殺されたシイコの想いに近づいていた感じがあった。
 ここら辺の視線はアンキー姐さんからも色濃く放出されていて、第3話まで感じられた「シビアな軍とノンキなジャンク屋」という構図が、終わらない戦争に呪われた生存者たちの視線によって解体され、融合され、再構築されるような回だったと思う。
 勝者たるジオンにも内紛の兆しがあり、不在なるシャアの威圧感がそれを抑え込み、そんな不穏さと無縁な幸福の中で、少女は日常を疎んでいる。
 進みだした先、見つけたキラキラに追いつこうとすれば、殺しすら辞さないニュータイプの速さへと、自分を追い込み加速させなければいけない。

 …本当にそうか、考える余裕があるなら子どもは子どもじゃないわけで、シュウジガンダムに魅入られてしまったマチュの浅はかな危うさ、そうせざるを得ない無分別な切実さが、じんわりと臓腑を焼く不快さで気持ちよかった。
 こうなってみると、OPの”Plazma”が青い痛みと切望を遠い場所から振り返る曲で、EDの”もうどうなってもいいや”が堕ちていく悦楽と諦観…その速度で生まれる新しい何かへの期待と恐怖を歌っているのは、凄く示唆的な感じもしてきたなぁ…。
 ”最後はどうなっても Happy Ending”か…。

 

 先行上映から四ヶ月、異様な迫力を有する作品に脳髄えぐられ、アタマン中発酵しきったジークアクス汁でパンパンにしたファンをぶん殴って、新しい場所に連れて行く衝撃を、これ以上無いほど宿したエピソードだったのはとても良かった。
 そうやって何かをかち割りこじ開けるための弾頭として、シイコの遺骸は良い強度を持っていた…つうことなのだろう。
 もうちょい生きてる姿を見たいと思える、魅力的なキャラクターじゃなければ、死んだ所で有象無象、マチュも俺達も明日に進み出すために必要な、強いショックは受けないからなぁ…。
 母、戦士、魔女。
 三辻に立つヘカテのように、複数の顔を持っていたのがコクあって良かったね…。

 進路に悩み未来が見えず、母の小言に小さな反発を飼う。
 ごくごく普通な思春期に包囲されている、マチュのフツーの顔がよく見える回だったからこそ、母の顔を持つシイコにマチュが引き寄せられる思いも、それを裏切るように敵対し戦場に加速する成り行きも、追いつけないシュウジとシイコがニュータイプ領域にぶっ飛んでって置き去りにされる展開も、ついていけない速度感とついていきたい欲望を両立させてくる。
 血と愛、未来と過去、兵器と人間が混じり合うキラキラな混濁に、気圧されつつ惹きつけられる思いはマチュと同じで、視聴者とキャラクターのシンクロ率が高いお話しになってきた感じがある。

 

 第1話の軍警、第3話の対戦相手を描くときには、あえて死角に隠されていた死人を鮮明に描いたことで、第2話でシャアが見せつけたMSの本懐、戦争のはらわたが、マチュを逃がしてくれないことも良く分かった。
 結局戦争の残響は長く戦後に響いているし、上流階級として(例えばニャアンが囚われてる)下層の引力を無視して恵まれていく生き方を選ぶのなら、無縁に出来る死と理不尽がそこら中を埋め尽くしている。
 ニャアンと改札でぶつかって巻き込まれた世界で、出会ってしまったキラキラと不思議な男の子を追いかけて、突き進む先にあるのは、フツーじゃない特別を掴まえられる、不思議の国なんかじゃない。

 新たなガンダムもまた、血みどろのジュブナイルとして加速していく手応えを力強く受け止められて、いい具合に最悪である。
 常理を超えたスティグマ戦術の加速感が、それについていけるシュウジの特別と残酷、置いてけぼりにされるマチュの未熟と正気を上手く照らしていて、MSアクションがドラマと噛み合っていたのも良かった。(この宇宙立体機動を、”進撃の巨人”の荒木哲郎が描いたのも面白い座組だけども)
 執着の糸でたった一人、MAVを引き裂いて骸の山を築いてきた、魔女の戦争。
 それを超える速度で、シュウジは何を求めるのか。
 怪物の素顔は未だ不明だが、素顔があること自体が解ったのは大収穫である。

 「もしかしたら次のガンダム、平和な青春ラブコメかも~ッ!」と一瞬思わされる、不思議でノンキな魅力を持った少年が、加速する戦場で見せた血みどろの臭気。
 それは期待を裏切られたというより、むしろ叶えられた感慨を込めて、死せる母の顔を見つめるより早くそれに追いつこうとするマチュの焦燥に、僕らの視線を重ねていく。
 人生を書き換えるほど巨大な輝きに、出会ってしまって追いつけない数多の犠牲者の列に、シュウジを追ってマチュも並ぶ。
 現在進行系の墜落が、天地生死をひっくり返しうるほどの加速度を果たして生み出すのか…全く油断はできない状況になってきて、大変よろしい。
 さぁ、まだまだ地獄めぐりは続く。

 

 

 

 

 

画像は”機動戦士Gundam GQuuuuuuX”第4話より引用

 というわけで物語を追いかける前に、引き続き頻発する水と無重量のモチーフについて、少し書いておきたい。
 フツーなママへの反発を追いかけ、フツーじゃないシュウジへの憧憬を語る時、マチュとニャアンの背後を駆けていく舟は、水路の上に浮かんでいる。

 そんな母の面影を宿して、危険な香りで己の先を行くシイコとの語らいは、黄金色の水辺で進行していく。
 心を潤し、あるいは運命を溺れさせていく、複雑な色をした水。
 それはコロニーの中では贅沢品でもあり、マチュはそれを蕩尽できる立場から、望んで滑り落ちて行く。
 そんな彼女が進路調査に”クラゲ”と描いたのは、流され漂う不定形の水生生物こそ、自分の今と未来に相応しいと考えてのこと……なのだろう。
 漂流しているだけでに見えて、致死性の毒持ってる種もいるしなぁクラゲッ!

 

 クランバトルは無重量の自在さと危うさでもって、水の中を泳ぐように展開していき、シイコがプロパガンダと否定するニュータイプ領域も、キラキラ眩しい海の色彩を宿している。
 重力に縛られ当たり前に歩くしかない人間を、重さのない領域に解き放ちつつ、その代償に窒息性の死を要求もする、不可思議な異界。
 その手触りが第1話以来ずっと作品を離れないのは、死者の国に流れる川のせせらぎを遠くに聴いているようで、中々に面白い。

 あるいは今だ母の影響下に置かれ、そこからの出産を望むマチュを包囲している、羊水の手触りでもあろうか。
 どちらにしても、登場人物とその延長された身体たるMSは、水と宇宙を良く泳ぐ。

 

 

 

 

画像は”機動戦士Gundam GQuuuuuuX”第4話より引用

 溺れるか、踊り切るか。
 シュウジガンダムに惹かれてマトモで平和な日常からはみ出しかけているマチュは、水と恋がもつ危うさに翻弄され、その深みを未だ知らない。
 第3話では自分を新しい可能性へと連れ出してくれるアートだったニュータイプの世界が、感応してなお分かり合えないどん詰まり…そこに暴かれる切望と孤独に塗り直される今回、マチュは極めて浅はかにガキっぽく、地獄に向かってアクセルをベタ踏みする。

 人殺しの道具を魔法の馬車に、未だ不明なる最終目標地点に向けて、何もかも振り捨てて加速していく、岸向こうの戦士たち。
 シュウジの真実を尋ねる言葉は眠りに阻まれて、真摯に向き合って答えを探す態度とはならない。
 それでも不思議に噛み合って、夢に目がくらんだ女の子を地獄に誘うには十分なヒントを差し出すのが、ニュータイプの不思議、青春の奇跡…ってもんかねぇ。

 

 ニャアンとの出会いとは真逆に、改札を超えてシイコのいる領域へと踏み出せなかったマチュの歩みは、そんなニャアンを橋の上、遠い鉄塔の向こう側へと置き去りにもする。
 シュウジが望む地球行きへの願いを、健気に自分に引き受けて闇バイト増やそうとするニャアンの思いと不安を、加速する主人公であるマチュはしっかり受け止められない。
 というか自分がどれだけ恵まれ守られて、退屈でしょうがない平和に身を置いているかも、全然見えてはいない。
 まぁガキなんてそんなもんだとは思うが、マチュが投げ捨てようとしているものは新しく出来た友達が、どんだけ望んでも掴み取れない貴重な宝だという事実は、青春の中残酷に尖る。

 クラスメイトのお嬢様たちが、オンラインカジノでどーこー吠えている間に、マチュの青春は一戦で大金を稼ぎ、生きるか死ぬかの瀬戸際に身を投げる領域まで進み出してしまった。
 フツーに幸せな人たち向けの刺激剤じゃあ、とても満足できないキラキラを知ってしまったマチュは、その源泉たるシュウジを追いかけ、知ろうとして追い抜かれていく。
 穏やかな顔の奥、己の思念を先回りして真実に近づく”速さ”をまとった、シイコのほうがシュウジに近いとすら思える。
 実母に欠けている(と、たっぷり愛されてる当人が思い込んでいる)優しさに満ちた理想の母であり、焦がれた男により近い恋敵であり、戦場の深奥を知る魔女でもある女。

 

 

 

 

 

画像は”機動戦士Gundam GQuuuuuuX”第4話より引用

 ここら辺の複雑な色合いは、性別入れ替えた上でアムロにとってのランバ・ラルを、1話にぎゅっと濃縮した感じもあり、大変興味深い。
 シイコとの激突によってマチュは、決定的にシュウジに追いつけていない己の”遅さ”を認識するわけだが、そうして加速した先にあるのは闘争と死だ。
 それを忌避する感覚の無さが、戦後に青春を得たイマドキガールの感性なのか、マチュ個人のぶっ壊れ方なのか、判別つかないのも面白いけど。
 まぁ兎にも角にも、シイコは即席MAVも置いてきぼりにする加速度で、戦場へと帰還し過去へ立ち戻り、未来へと突撃していく。

 ニュータイプ・コンプレックスに呪われた地味顔人妻未亡人修羅という、あまりに過積載な要素を全部燃やしきって得た、異様な存在感とエロティシズム。
 このシイコという炉心があってこそ、アホみたいな圧縮率でぶっ飛んでいく展開も成立している。
 自分の特別になってくれるかもしれなかったMAVを奪われ、行き場をなくした感情を戦後世界にくすぶらしているシイコは、シャリア・ブルの鏡でもあろう。
 それだけの存在質量をニュータイプは、この宇宙世紀でももっていて、それが人間の業全てを払ってなどくれない…むしろ濃縮し加速させる呪詛になっているのも、正史と同じようである。

 

 

 

 

画像は”機動戦士Gundam GQuuuuuuX”第4話より引用

 聖痕を敵に刻みつつも、自分自身が消えない傷跡に引き寄せられ、行かなくても良い死地に身を投げる。
 ニュータイプに焦がれ、ニュータイプに奪われ、ニュータイプを否定し、自身がニュータイプであると知ったときには、もはや死ぬしかない。
 MAVを失われた一匹狼だからこそ、聖痕を打ち込んで至近距離でかき乱し、首を掻っ切るスティグマ戦術に活路を見出した彼女は、とても皮肉な存在だ。

 このどうしようもない矛盾が、たった一話で彼女を忘れられない僕らのスティグマに、強く刻み込んだ感じもある。
 良き母であることも、平穏な日常を営めたことも嘘ではない。
 だが、それは彼女を生に繋ぎ止める鎖となってはくれなかった

 

 マチュを遠くに置き去りに、シュウジとシイコが展開するニュータイプ空間において、謎めいた少年は人を殺してでも掴み取りたいたった一つの願いの存在を示唆する。
 それが何なのかは解らずとも、そんな歪みと熱が彼にあることは解る。
 全て解ってしまう異様な共感の中でも、戦い殺し合う定めは振りちぎれず、矛盾だらけの旅の果て、シイコは自分のたった一つの願いが我が子との平穏にあったことに、今更ながら気づく。
 それは遅すぎた啓示であり、死にぞこないの畢竟であり、どうしようもなくここに流れ着くしかなかった、漂着物の終わりだ。

 スティグマ戦術を少し離れたところから見ると、自在に相手を翻弄しているように見えるゲルググが、糸に縛られ絡め捕らえられている姿が見えるだろう。
 コックピットという子宮から出ない/出れないシイコは、そんな自分を客観視出来ないし、シュウジの視界はたった一つの願いに塞がれていて、人類の革新へと繋がるかもしれない感応の中でも、哀れな女と目を合わせない。
 スティグマの糸は殺す相手だけでなく、糸を繰る自分自身も縛り付けている。

 そしてそんな二人の血みどろのダンスに、並び立つには速度も感度も足りていない自分を、マチュはイヤってほど思い知らされる。
 一足先に彼と踊ったシイコは、探していた答えにたどり着き、対価として命を支払う。
 シュウジと堕ちる旅は、そういう危うさを秘めてるのだ。

 

 

 

 

画像は”機動戦士Gundam GQuuuuuuX”第4話より引用

 俺等と同様にシュウジのこと何も解ってないマチュから見て、シイコは殺し合いというコミュニケーションにおいて自分より先んじて、焦がれた相手と踊れる盗人だ。
 自分がそこにいたいのに、追いつけず死に至る絶頂を見守るしかない、世知辛い立ち位置。
 しかしその恋に似た感情も、そのために振り捨てて傷つけていく痛みも、少し離れた場所からフツーに見れば、もちろん狂いきってる。
 エグザべくんドン引きの血みどろを、戦争から置き去りにされた残留物共は別の視線で睨んでいて、そこには不思議な共感と諦観が、大人の色合いで滲む。

 まぁ、そういう死に方しか出来ないところに俺等全員置いてけぼりだよね。
 シイコのフツーじゃない死に様を睨む輩とは、また違った色合いでマチュにも聖痕が刻まれる。
 命を吸って宇宙に咲く火球が、眼球に突き刺さって抜けなくなる描写がシイコの過去と重なっているの、呪詛の連鎖って感じで最高に最悪なんだけども、マチュもシイコと同じように、純粋に死そのものに呪われた訳では無い。
 命が消えていく、シンプルに悲しむべき悲劇の奥に、求めて届かないなにか特別な輝きへの切望と、それが消えていってなお残る未練の残響が入り混じって、己に刻みつけられる。
 Stigmaとは、全く上手く言ったもんだ。

 

 不在なるシャアがジオンの聖痕となって、ザビ家内紛をせき止めていたり。
 マチュがシイコの死/シュウジによる殺人を目の当たりにして、喪われる命の意味ではなく、その領域に追いつけていない遠さを胸に刻んだり。
 色んな聖痕が、歪んだ歴史の中に焼きつけられてんだなぁ…と思うかいでした。
 スティグマを刻む魔女であるはずのシイコが、余りに複雑な傷に縛り付けられて、自分が操るはずだった糸に絡め取られて死んでいく皮肉は、ニュータイプ特有の感応で幕を閉じて、彼女にいちばん大事なものを教えた。
 そういう死を薪に燃える特別な飛躍すら、人と人をわかり合わせはしない。
 …あるいは、分かり合っても殺し合う。

 莫大なガンダム文脈、ニュータイプ幻想を超速度で駆け抜けて、改めて殺し過ぎな殺戮の道具としてのニュータイプを睨みつける物語は、ここからどこへ進み出していくのか。
 一寸先は闇…というか、もはや道は踏み外してる感じ満載な目眩の中で、「クランバトルに遅刻遅刻~」な次回予告ぶっ込んでくるの、ホント最悪で最高だなと思う。
 あの悪趣味な戯れは、僕らが四ヶ月頭の中でパンパンにさせてきた都合の良い夢であり、EDに踊るマチュとニャアンの…多分存在しない未来だ。
 眼の前を切り裂く余りに眩しい光に、呪われて取り残された残留物がこんなにいるのに、なんてことない幸せが静かに流れていくなんて、あり得るはずもない。 それでもなお、シュウジに惹かれて堕ちていく重力井戸の底ではなくて、キラキラを見れないニャアンと紡ぐ当たり前の幸せにこそ、ありふれた少女の欠落を埋めるものがあるのだと、僕は信じたい。
 そういう引力が、マチュニャンには確かにあんだよ~~~~~~。(百合厨の断末魔)

 

 

 

 戦いの道具でしかないものを、魂の片割れを奪われた痛みを癒す魔法だと思い込んだ先の地獄は、シイコが色濃く刻んでくれた。
 ニュータイプもMSも、鏖殺のリアリズムに塗りたくられて幻想を拒絶する世界で、鋼鉄の子宮に居場所を見出してしまった少女が、飛び出していく先にあるのは、闇か光か…それらが入り混じった青春か。

 『別にこの世界でも、MSは悩める思春期の自己実現装置なんかじゃない、人間が住む場所を直接焼き尽くす殺しの道具だよ』と告げてくる、思ってたよりゴミみてーな話になってきて、大変良い感じだと思います。
 次回も楽しみ!!