九龍ジェネリックロマンス 第4話を見る。
物語も1/3を過ぎ、幻の九龍城とその住人の謎がだんだん解っていくようで、深まっていくようで、大変に面白い。
既に”現実”においては第二九龍が取り壊されているっぽいとか、鯨井Bの死それ自体とか、大きめな謎に目鼻がついてきてるようでいて、工藤衝撃の「俺が殺した…」だからな…。
それが実際に手を下しているのか、殺したも同然という罪悪感に縛られているのか、判然としないまま”現実”の人間が幻の九龍に足を踏み入れるとジェネリック存在が消えるという、新たなルールも判明した。
いやー全然解んねぇけど、だからこそ先を見たくなる、いい塩梅だ…。
今令子たちが存在している九龍が、90年代に解体されたオリジナルをはるか未来にコピーした、そのまたコピーであるらしい…という状況が見えてきた。
フェイク、コピー、シュミラクラ、クローン。
複製を名指す言葉もたくさんあり、それぞれ意味合いに差異もあるが、やはりこの物語が後発品を意味する”ジェネリック”を選んでいることが、不鮮明で不安定な物語を見届ける、一つの支えと感じている。
鯨井Bを死に至らしめたかもしれない、思い記憶を背負わない令子は純朴に、工藤に恋したまま”本当の自分”になると力強く宣言する。
自分がどんな存在であっても、我恋す故に我在り、である。
自覚も選択もないまま、鯨井Bの顔貌と立場を乗っ取るような形で後発した令子だが、否応なく背負わわされた先発品の影を、呪ったり恨んだりはしない。
むしろ不在なる鯨井Bに凄く敬意と弔慰を抱いて、自分なり彼女を大事にしようとする姿勢を、それを評価してくれるだろう工藤の目がないところでこそ、真っ直ぐ貫いている。
令子が何も無い白紙の存在だからこそ、凄く純粋に力強い生き方をしている女の子であることが、この混迷に透明感を与え、作品の風通しを良くしている印象だ。
(「32歳で女の子?」と言われるかもしれないが、少女性とは肌のハリではなく魂に宿るものなので、32歳で”女の子”である)
あとグエンくんとみゆきちゃんのイチャイチャ九龍探検を見ていると、彼らもまた純情エンジン全開のピュアピュア人間っぽく、おどろおどろしい幽霊街の物語に、不思議な爽やかさを与えてくれている。
複雑怪奇な事情に絡め取られ、ドス黒い思いを抱えたみゆきちゃんの気持ちがどんなもんかは未だミステリだが、自分の影に嫉妬するグエンくんの愛を見てると、まぁ悪いもんじゃないんだろうな…と油断してしまう。
危なっかしいからこそ、愛する人を支えたいと一生懸命なのかもしれないけどね、グエンくん…。
特別なコピーである令子に執着する理由、彼女を利用して何したいかが見えてくると、また一つ解ってくる感じだなぁ…。
楊明があんまりにも令子にピッタリな友達過ぎて、勝手に裏の事情を疑ったりもしたのだが、少なくともその友情は本物で、鯨井Bの影でしかない境遇を本人以上に心配し、工藤との恋を気にかけてくれてる様子も見えた。
俺は実質赤ちゃんな令子を既に全力応援体勢なので、彼女に優しくしてくれる楊明の存在はありがたい。
同時にコピー/フェイク/シュミラクラでしかない己を、何がどうなっても本物なのだと力強く宣言する令子の在り方に、なにかから逃げるように全身整形を果たし、九龍という蜃気楼に逃げ込んだ自分を重ねて、強い影響を受けている感じもある。
お互い様ないいバランスで、見ていて好きになれる友情だ。
楊明を鏡にすることで、令子の真実がどんなものであろうとも、彼女の存在が世界にポジティブな影響を与えている様子が良く見える。
そういう”いい奴”が報われて欲しいと、自分含めた大概の人は思うわけで、工藤との恋含めてなんか良い感じの決着へ、優しくたどり着いて欲しい。
つーか工藤自身、この狂った九龍城に囚われ、愛した女の死をちゃんと受け止めて涙を流すところにたどり着けてない印象なので、令子と向き合う中で救われて欲しい。
グエンくんの記憶にある”現実”の第二九龍との差異が、どういうミスコピーなのか次第で真相も変わってくるけど、工藤が第二九龍の核だとすると、工藤が知らないものは再現されない…のか?
執着と業に満ちたこの蜃気楼が、工藤が胸の中閉じ込めたいと願ったノスタルジーの棺であるのは間違いない。
身を引き裂くほどの後悔と、消えてくれない愛の思い出がこの街と二人目の令子を生んだのならば、工藤が鯨井Bに…それと同じ顔、同じ立場、違う生き方をした令子に抱く愛憎を乗り越えなければ、彼らは九龍の外へと進み出せないだろう。
そんな負の繰り返しに囚われつつも、まっさらに別の存在として生まれた令子がなお、工藤を強く愛しているリフレインが、僕には一つの救いとも感じられる。
永遠に夏を繰り返す呪いの中で、愛もまた不滅なのだ。
ロマンティックど真ん中だなぁ…好きだ。
令子が工藤への慕情もあって鯨井Bの真実を知ろうとするほど、工藤も自分の抱えた真実を令子に預けたくなり、あるいは彼女を守るために遠ざけるように、露悪な嘘で自分を覆う。
何が本当で、何が幻なのか何も分からないこの状況で、何も知らない令子が一番強く、”本当の自分”を見つめているのは頼もしい。
この視線が揺るがなければ、不可思議な九龍ミステリも、揺れる想いの行方も、不確かな未来も、収まるべき場所へとしっかり収まるだろう。
一番不安定になりそうな立場のあの子が、一番真っ直ぐ未来と自分を見ていることで、作品の安定感が増しているのは素晴らしい。
好きになれる主人公、物語内部で適切に仕事をする主役は、やっぱ良いもんだ
というわけで、一見明るく楽しい九龍城砦の日常に潜む不安を、しっかり刻みつけながら物語は進む。
岩崎監督に続き、宮崎なぎさも凄く冴えたコンテを切ってくれてて、自分がアニヲタとしてヨチヨチ歩きの頃、オタク哺乳瓶咥えさせてくれたクリエーターが未だ健在な手触りを、喜ばしく味わっている。
この物語は令子と工藤(そして鯨井B)、グエンとみゆきという二組のカップルを軸に展開していると思うが、彼らを象徴する番は鳥でも蝶でもなく、蛾として描かれる。
暗い闇の中、誘蛾灯に誘われての危うい飛翔。
少し毒々しい生き物は、この九龍に相応しいトーテムだ。
(ここら辺、実在の九龍にあったドス黒い犯罪の色をあえて遠ざけ、ノスタルジー・テーマパークとして描いている筆致の奥に、街の暗い場面を忘れず睨みつけているという作品からの示唆かもな、と思ったりもする。
今描かれている九龍は、胸の中に閉じ込めるに足りる愛しく可愛らしい郷愁そのものだが、そういう消毒された心地よさだけが、確かに人が生き死んでいった場所にあったわけではない。
秩序のエアポケットになだれ込んだ人間性の汚濁は確かに九龍にあって、蛾の毒々しい鱗粉が工藤と令子/グエンとみゆきのトーテムとして描かれるこのカットは、そういう場の毒気にいつか切り込んでいく予言としても、僕には感じられた。
あるいはエキゾチックに消費できるテーマパークではなく、清濁同居する人間の居場所として、九龍を描いて欲しいという僕の願望がそう見せているのかもしれないけど)
昼の明るく楽しい喧騒を一皮めくれば、ノスタルジーに食われてどこにも行けない暗い闇がそこかしこにあって、立ち上る紫煙は荼毘の煙でもあることが、ひっそり月明かりに鮮明にもなっていく。
鯨井Bの骸を、思い出ごと焼かなければ令子も工藤もどこにもいけないのに、二人は前時代的な喫煙習慣を断ち切ることが出来ない。
幾度もタバコに日をともし、自分の胸に突き刺さった思い出を焼こうとしても、煙は天に届かず、弔いは果たせない。
果たさないために、何かの光を反射して輝く二つの月に呪われて、コピーのコピーのコピー…を繰り返しているのかもしれない。
だがそんな模倣品にも独自の意思が…ダイヤモンドの光が宿る。
令子が己の道を、楊明との友情に支えられて見出しかける隣で、工藤はひどく懐かしい”さよなら人類”を口ずさみながら、鯨井Bの思い出を探し続けている。
それが見つからないことは囁く詩にも明白なのに、探さずにはいられない呪いを切り取る時、いかにもサイバーパンク・レトロなオレンジと青が見事に冴えて、旧い思い出に囚われ抜け出せない、男の惨めさと美麗を照らす。
ここの演出は杉田智和の好演もあって、あんだけ剽軽を装っている男がどんだけズタズタで、どんだけ愛を捨てられないのかクッキリと見える、とても良いシーンだった。
戯けて強がって、弱さを見せようとしない所がセクシーなんだよな、工藤発…。
そんな彼も生まれた時から余裕と影を滲ませる”先輩”だったわけではなく、むしろ鯨井Bの影を自分に引き寄せ、喪わないように抱きしめてるが故に、今の工藤になった。
隙だらけの唇を不意打ちに奪われ、恋という呪いを胸に突き刺された、路地裏の思い出。
それが何もかも消えてしまわないように、思い出の中の鯨井Bのような振る舞いを、祈るように繰り返して令子に向けてる感じが、痛ましくて愛しい。
今は自分の唇を奪った女と、同じ顔をした乙女を翻弄する側だが、工藤の根本には気になる先輩に翻弄されていた、純粋な少年が眠り続けている。
この”工藤B”が、令子と同じピュア属性で鯨井Bに翻弄されている過去、立場を変えて同じ戯れを愛しく繰り返す、宿命のリフレインとして冴えてて好きなんだよな…。
多重の鏡写しはみゆきちゃん達にも元気で、クローンには複写されないはずのホクロを写し取った、特別な後発品にほくそ笑む陰謀と、超イチャイチャラブラブしている純情が重なり合っている。
”現実”から爺さん連れてきて、重ね合わせと消失を観測する実験で何を確認したいのか…みゆきちゃんの野望もなかなか底が見えないけど、やっぱそこにはすごくピュアなものがある予感がしてる。
それは”期待”と言い換えてもいいもんで、「この悪辣な蛇野郎が、スーパー純情だったら超俺好み!」て色眼鏡で見つけた願いではあるのだが、どうもただ令子を利用してエゴを満たすだけで終わらない、小さな宝石がある気がすんだよなぁ…。
いかにも主役たちのロマンスを邪魔する悪いやつな第一印象を、上手くひっくり返して追いかけたくなる魅力的な人物に育ってきて、みゆきちゃんの魅せ方と使い方は巧いなぁ、と感じるね。
そして純情で真っ直ぐな魂の輝きが、ジェネリックな令子に確かにあると、ジルコニアで示すシーンも凄く良かった。
本当の自分がどんな存在か、自信がないからこそ楊明も令子の生き方に惹かれてるんだと思う。
だから彼女が差し出した輝きは、何も分からない闇の中令子を導く友情の光であり、令子自身の魂から発せられた燈火なのだろう。
そうやって、誰かが意味を見出してくれるからこそ生まれてくる価値というものは、結構多い気がする。
オリジナルはオリジナルであるが故にオリジナルな価値を持つという、堂々巡りのトートロジーにしがみつくよりも、確かにそこにある変化と意味をしっかり見つめて、抱きしめて前へ進むほうが、実り多く幸せには見える。
亡霊に縛られて過去から抜け出せないより、本当の自分を抱きしめて明日へ一歩踏み出すほうが、生者の生き方ってやつでしょ!
…んだけども、それで愛の亡霊引きちぎって前に進めるんなら、こんなに楽なこともないわけでねぇ!
夏空の下隣り合って、親しく同じ景色を見ているようで、お互い扉の向こう側、伸ばした手が届かない、もどかしい距離。
工藤がなぜ、令子が待つ”向こう側”へ進み出せないのか…黒い顔の亡霊が紫煙をくゆらす絵が、ひどく雄弁に語ってもいた。
鯨井Bという亡霊の顔が描かれないのは、工藤や令子が彼女がどんな存在であったか、掴み取れていないからなんだろうなぁ、と思う。
無貌の悪霊が放つおどろおどろしさも、そこから抜け出せない強い束縛も、死せる鯨井Bというより、現世に取り残された連中の課題なのだ。
彼女が本当はどんな顔で笑っていたのか、思い出せるのは工藤発…お前だけなんだぞ!
知らないまんま幸せな夢に微睡み、「からかわれる後輩と意地悪な先輩」という心地よい距離感を続けられそうなのに、令子は工藤への恋心に突き動かされ、それを嘘にしないためにどんどん踏み込む。
そこには工藤への慕情だけでなく、自分に運命を押し付けたオリジナルをそれでも尊重する、凄く真っ直ぐで強い心がある。
俺は令子が鯨井Bに遠慮せず、かといってその尊厳を蹂躙もせず、もう果たせない工藤への愛を引き継ぐかのように、凄く適切な距離感で死者と付き合っている姿が、とても好きだ。
そういう清廉な敬意がないと、幽霊譚というのは何かを畏れ、遠ざけるだけで終わってしまうだろう。
鯨井Bのこと、彼女と繋がった自分のことを知ることで、令子は不鮮明な亡霊の顔をより真っ直ぐ見れる。
思い出の鎖がない令子はそういう正しい道に進めるけど、工藤の胸に突き刺さった罪悪感と愛の思い出は、鯨井Bの顔が本当はどんなだったか、そこに反射した自分はどんな風に笑っていたのか、工藤に思い出させない。
胸の中に閉じ込めてしまった愛しさは、その傷の形に歪みはめ込まれてしまって、確かめ直そうとしても出てきてはくれないのだ。
このノスタルジーの厄介さ、痛みとともに抱きしめたくなる愛おしさに、極めて自覚的な作品であることが、このお話の品であり強みだなぁと感じている。
しかし令子のアプローチは、工藤を確かに揺るがし、永遠の停滞からはみ出させる。
令子が鯨井Bをどう思っているか、物陰で聞き届けたことで、工藤は更に半歩彼女に近づき、殺人者の目で見つめる。
その真っ直ぐな眼差しは、鯨井Bではなく令子という存在を確かに見ていて、ようやく工藤発の素顔が見え始める。
衝撃の殺人告白は、だから良いことだったんじゃないかなと、僕は思った。
いや解んねぇけどさぁ、鯨井令子殺人事件/死亡事故の真相はさぁ…。
工藤さんいい人なんで、グエンくんがいうように”なにかの間違い”だったとは思いたい。
ここまで令子から見る工藤さんが、どんな顔をしていたかは意図して省略され、想像に任されてきた。
鯨井Bの死に触れた時、自分の心の中に入ってこようとした時、どんな顔を作って令子を遠ざけようとしていたかは、僕らには見えないものだったのだ。
しかし今回、令子は”本当の自分”を追い求める決意をしっかり示し、その導きとなる鯨井Bへの敬意も顕にした。
うわっついた興味や軽薄な恋心で踏み込んではいけない、人間の業と痛みに踏み込むに足りる資格を、ちゃんと持っているのだと明かしたのだ。
この心の強さが、ずっと闇の中にあった工藤の顔を僕らに…そして工藤自身に、鮮明にする変化を生み出したと感じた。
令子という鏡が曇りのない正しさを持っていなければ、鯨井Bの死に自分がどれだけ傷つき、どれだけ彼女を愛していたのか、工藤発の真実を照らすことは出来ない。
そしてそうして誰かに照らされることでしか、痛みも喪失も思い出したくない工藤は自分の顔を、見ることは出来ないのだ。
そうやって痛みだけが残ると思っていた傷の奥、凄く温かで柔らかなものが確かにあることを確かめなければ、誰よりも強く愛した存在がが終わってしまってなお、思い出と愛しさが残るのだと信じることは、余りに難しいだろう。
そんな愛と再生の奇跡を手繰り寄せるために必要な、曇りのない強さが確かに、令子にはあると、今回ちゃんと書けててとても良かった。
あるいは鯨井Bを死に追いやった(かもしれない)重荷がないからこそ、鯨井Bの愛と死という抱えきれない重荷を、ヘラヘラ笑って誰にも預けられない工藤を、令子は救えるのかもしれない。
そこには無邪気でいられた時代の終わりと、立場を変えて新たに始まる可能性が乱反射していて、不思議なきらめきを放っている。
どれだけ愛おしいものも死の影に飲み込まれ、消えていってしまう世知辛さがノスタルジーをより強く輝かせるわけだが、そうして抱きしめても時が元に巻き戻り、死人が蘇るわけではない。
それでも諦めきれないからこそ、亡霊は生きているヒトの間を歩き続ける。
それは、死人を現世に縛る行為でもある。
だとすれば終わらない夏の中、三度目の再生を演じさせられているこの九龍城砦は、既に終わってしまっているものが/ものから旅立つのを許さない、重たい墓標だ。
工藤と鯨井B、無垢なる令子を絡め取る鎖の重たさは輪郭が見えてきたが、もう一つ何か囚われてる気配がプンプン香るみゆきちゃんサイドが、どういう業と因縁抱え込んでるか…だなぁ。
おそらくは蛇沼の家と、謎めいたジェネリック・テラに関わる真実が関わっているとは思うが、読み解くにはちと材料が足らない。
工藤の友人だったグエンを仲立ちにして、人間関係が絡み合い解きほぐされる中で、ここらへんも見えてくると嬉しいかな?
というわけで、謎が明るみに出つつ更に深まる、心地よい翻弄に浸る回でした。
一見工藤の鯨井B殺害宣言はショッキングなんだが、同時に今まで見えなかった顔が見える大事な一歩でもあり、明るい兆しなのかなとも感じた。
そういう人間剥き出しの視線を、受け止めるに足りる弔慰と強さを令子が持っていると解ってきたのも、大変いい。
自分が何者であるか、不確かに揺らぐ立場にありつつ、友情とレモンチキンに支えられて、どうにかあるべき自分を掴み取ろうと頑張り続けている令子のことが、俺は好きだ。
あの子の真っ直ぐな生き方が、旧懐に呪われた色んな人を解き放ってくれると、とても嬉しい。
次回も楽しみだ。