終局の気配をまといながら、青年たちの夏が踊る。
瓜野くんの短い天下と、小鳩くんの終わってる彼氏っぷりを抉り出す、ダメージ大きめの小市民シリーズ第14話である。
いやー…見ててマジキツイっす!
堂島くんのどっしり構えて仲間を見守る、分厚い部長っぷりを丁寧に描いた分、特別な何者かになれる予感に浮かれて踊る、瓜野くんの空回りは大変に見てて辛い。
しかしまぁ大概の高校二年生があんなもんであって、堂島くんの貫禄と視野の広さが異常だって話ではある。
しかし瓜野くんが彼女に選んでしまった女は、そういう男すら頭から丸呑みしかねない猛獣であり、もちろん彼はその牙に気づかぬまま炎の中に突っ走る。
”とらたぬ”が「取らぬ狸の皮算用」であり、空論で都合のいい結果だけ見てる友達を皮肉っている事実が、ピンと突き刺さらない鈍さ。
自分がどういう火遊びに首突っ込んでるのか、それにどう後輩を巻き込んでいるのか気づかぬまま、瓜野くんは降って湧いた強権に夢中になり、不確かな根拠で特別の証を掴み取ろうとする。
それが上手くはいかないのは、小市民探偵の冷静で冷酷な推理が既に裏打ちしているが、調子こいたらただ間違えるだけで終わらないのが、このお話のルールでもある。
飛んで火に入る夏の虫に、色んな奴らが餌をまく。
どれを食べても毒入りケーキ、瓜野くんの命運は風前の灯、知らぬは部長だけなりき、だ。
そういう凡人の空回りを横目で睨みつつ、久々壮大な推理をぶん回せる悦楽に小鳩くんもご満悦だが、彼自身の思春期も完璧とはいい難い。
頭を働かせて何かを推測するだけで、目の前にいる人間の体温がわからない、根本的に何かがぶっ壊れたニンゲンモドキ。
笑顔と優しさを擬して取り繕った”いい彼氏”が、自分に前のめりな本気を見せてくれないかと仲丸さんは釘を刺すが、小鳩くんはそれに引っかからず、ずっと微笑んでいる。
それは優しいからじゃない。
一応恋人ってことになっている、大事に真心を伝えなきゃいけないはずの相手にだって、全然関心が持てないだけなのだ。
まぁ三股女も大概最悪なので、害獣同士が喉笛狙い合ってるどっちもどっちであるが、小佐内さんと正面衝突してから一年、小鳩くんは己の冷感をけして治せない。
ねじれ試され利用される、極めて人間的で思春期的でもある仲丸さんの身勝手を前に、人としてどう振る舞うべきか。
卓越した知性で当たり障りがない(と計算した)微笑みを手渡しても、嘘くささも冷たさも消えてはなくならず、小鳩くんが興奮できるほど知的じゃないけど、他人の顔が見れないほどバカでもない女の子は、その最悪に疲れ果てている。
なぜ、自分だったのか。
仲丸さんが一年探し求めたミステリの答えは、そもそもにおいて虚無なのだ。
小鳩くんは仲丸さんという人間ではなく、トマトを巡る小さな”日常の謎”を口に含んで、勝手に飲み干す。
語らずとも答えがわかってしまう自分を演出し、堪能し、そのための飾りとして人間ひとりを利用することを、悪いことだと思えない。
根本的にそういう人間で、でも小市民に収まりたかったのも嘘ではなく、そういう連中がするらしい気軽な恋愛ってのを演じてみたくて、彼なり必死に恋人してきた。
でもまぁ、土台火星人に地球人の真似事は難しい。
獣は結局、自分の敏さとロクでもなさで響きあえる似たものな獣としか、向き合えないし付き合えないのだ。
…てのを結論にするには、堂島健吾という例外が余りにデカ過ぎるけどさ。
瓜野くんの裸の王様っぷり、小鳩くんの微笑みの火星人っぷりが描かれるほどに、奇跡のようなバランスで知性と人情両方を大事に、目の前にいる人間をしっかり見て驕らぬ生き方ができている彼の、特別さが際立つ。
そういう彼だから、小鳩くんとも細くて切れない縁で繋がり続けているわけだが、世界中のみんなが堂島健吾というわけではない。
彼なら一緒に見てくれる、加速した知性の光景を、仲丸さんは共有してはくれないのだ。
わざと瓜野くんを忘れたふりをして、五日市くんを会話に引きずり込むようなコスい計算ぶっ放して、「嫌われたくない」つう甘えを預けて怒らないのは、特別人徳に篤い人間だけなのだ。
そして仲丸さんは、そういう宇宙人の擬態に気づいてしまってなお、彼氏彼女のフリを続けられるほど強くもない。
大概の人間が、まぁそうなのだろう。
だから吉口さんとの接触を当てこするし、それで怒って許さないと自分に執着して欲しがるし、小鳩くんが大事にしたい”日常の謎”は「変なタイミングで、変なこと言う」奇癖で終わってしまう。
特製甘味のようにスイートな謎を、一緒に分け合えるミステリめいた関係性は、愚かで未熟な青春にはめったに存在しない。
そしてそれが可能なのは、復讐の甘さを忘れられない狼、あるいは理知の悦楽から離れられない狐だけなのだ。
そんな風に、獣は己の分を知る。
あるいは自分が燃え盛る獣の園に首突っ込んでる自覚もなく、そこに立つ特別さだけに踊るボンクラも、そろそろ己を思い知るだろう。
資格も能力もなく探偵を気取ることが、どれだけの深手を青春に刻むのか。
自分に都合のいい情報を真実と思い込んだ先に、冷厳に事実だけを見つめる推察の装置でいられなかった結果に、何が待っているのか。
狼と狐がかつて幾度も思い知らされた惨劇が、瓜野くんにもヒタヒタ迫っている。
一年前の夏、小佐内ゆきというミステリ(の一端)を見て、僕らはここが微笑ましき青春ミステリの現場などではなく、簡単に喉笛を噛みちぎられる荒野だと知った。
知ってしまったからには、瓜野くんの微笑ましい愚かしさがどれだけ、獣の尾を踏み怪物に利用されているのか、スケッチされる情景から目を背けることは出来ない。




能力も覚悟もなく、ただ自分が特別な誰かだと思えるチャンスにかじりついた、どこにでもいる男の子。
彼が狼の口の中、炎の渦に頭っから飛び込んでいく様子を、このアニメは極めて丁寧に、適切に積み重ねてきた。
今回Aパートに描かれる、瓜野くんの短い黄金期はその危うさと浅はかさを活写し、何も疑わない真っ直ぐな眼差しを抉る。
残酷で美麗で、極めてこのアニメらしい筆致だと思う。
原作から大胆に内面のモノローグも、何かがズレつつ楽しい恋人たちの日常も、すれ違う小さな謎解きもカットした、このアニメ化。
限られた尺でこのお話が描くことを選んだのは、少年たちが己の愚かしさや危うさに気づいていない、道化のような仕草の詳細だ。
薄っぺらい栄光を空手形に新入生を鼓舞し、一寸先は闇なことを自分だけ知らぬまま、深夜の徘徊に心躍らせる、高校二年生の姿は、語らぬからこそ良く伝わるイヤーな手触りで、その危うさを良く燃やす。
薄氷の上でペダルを漕いでいることを、瓜野くんだけが気づいていないような思い切りの良さで、自転車は真夜中を駆け抜けていく。
そらー走ってる彼自身は気持ちが良いだろうけど、その高揚自体が目を曇らせ、真実を見抜くための慎重さを奪っている。
奪われている事自体に、気づかぬから酔える。
瓜野くんが自分を特別にしてくれるパスポートとしてすがる、消防計画の区割り。
これが偶然の産物でしかない可能性に、一度も瓜野くんと顔を合わせない小鳩くんは気づいているし、その上で伝えない。
事件を解決する(そうして特別な自分を確認して気持ちよくなる)ための餌が、自分が踊っているだけだという事実に気づいてしまえば、狙った絵はかけない。
どっしり構えて一ヶ月、もう学生の探偵ごっこじゃ済まない燃え方をしてるヤベー事件を放置して、自分の策が真実を抉り出すのを、待てるか、待てないか。
そこに探偵気取りの小市民と、小市民を希った探偵の差がある。
小佐内さんの謎めいた電話を引き金に、瓜野くんの陶酔は水をぶっかけられ、彼の推理を裏切って幾度目かの炎が上がる。
犯人を掴まえお手柄と褒めそやされ、特別な足跡を白雪に刻めるはずの時間が終わる中、彼は自分を加速させてくれた自転車を、極めて乱雑に路上に投げ捨てる。
下級生への態度といい、サイレンが聞こえてようやく自分たちのやってることのヤバさに気づく遅さといい、事件に向き合うには色んなものがあんまりに足りなさ過ぎている粗雑さが、その仕草には良く現れていた。
そしてその粗雑さは、自分を絡め取る人たちの糸を引きちぎるだけの力も宿してはくれない。
ただ足りてないだけ、ただ荒っぽいだけだ。
小佐内さん、氷谷くん、そして小鳩くん。
様々な人が瓜野くんの周りで何かを企み、何も見えない愚かしさのまま突っ走る彼に糸繰りを仕掛けている。
自分はそんなものに操られず、思うがまま才能と知性のまま、真実を掴みうるのだという思い込みは、未だ破られていない。
そのまま終われるのならば幸せでもあろうが、この物語は死に至る青春の擦過傷に、けして麻酔をかけてはくれない。
「あ、死ぬな…」と、傍から見てて何度も思わされた瓜野くんの旅も、そろそろ終わる。
それがどんな場所か、フェンスの向こう手を触れぬまま燃え盛る炎は、良く語っていた。
三界の火宅、四衢の露地。
教訓としては良いんじゃない?
己が何者かを思い知らされる、地獄の火に自意識を焼かれてなお、死なずにいられれば……だけども。




玉座を退いても古巣を見守る堂島くんに、頼られる形で小鳩くんは瓜野くんが見えていないものを認識し、操作できていない糸を手繰る。
名探偵の思考速度と認識範囲に追いつける、特異な人間だけが共有する特別な景色は、一番近しいはずの恋人には見えていない。
そういう類の人間だから、凡人が見えない真実を俯瞰で見つめられるのか。
ミステリに適応した人間であることは、適切な体温で”人間を読む”能力を探偵から奪うのか。
取り繕ったつもりの微笑みの仮面が、ひび割れて冷たい無関心を吐き出している事実を、小鳩常悟朗がどう受け取っているのか。
未だ、解決編は遠い。
全ての因果も、他人の感情も計算ずく操りきれる、超人的頭脳の持ち主であったのなら、小鳩くんも誰かの反感を買って居心地の悪い思春期から飛び出し、凡俗を超越した名探偵として生きれただろう。
だが小鳩くんは、そこまで卓越して優秀ではない。
小市民の範疇に収まって慎ましやかに生きていくには、いかさま冴え過ぎる己の智慧に、首輪をつけ分をわきまえ人情を知っていく謙虚さも、身に付けられない業と我の強さ。
ここにきてはみ出してきた狐の牙は、一年前小佐内さんとの決別を決定づけた獣の性根と、嫌って程よく似ている。
そういう動物のくせに、面白くもない人間世界から逸脱しきれない、半人半獣の突き抜けられなさ。
堂島くんだけがついていける、川向うの遠い知性の領域に心地よく微笑みつつ、小鳩くんは人間らしく高校生らしく、年頃の男子のすなる恋なるものを、彼なり必死に擬した。
必死になってこれなんだから、まぁ救いようがない。
恋人がかなり露骨に「私に興味を持て、嫉妬し憎悪しろ」と最後通牒を突きつけても、その粘ついた人間味を飲み干して生き方を変えるより、パスタにまつわるミステリを解き、そこに反射する”謎を解ける自分”に酔う方に夢中だ。
なんてことはない、特別であることに決定的に失敗しながら、なお諦められない執着は、青春の道化たる瓜野くんと同じなのだ。
賢者も愚者も、みな何者かであることを望む季節。
青春なるものが宿す、不気味で破滅的な特別さへの引力は、誰も逃しはしないし、だからといって同じ形の歪さがハマりあうことも…まぁあんまない。
あるものは己を賢いと思いたがり、あるものは誰かを嘲笑って燃やす特権を有してると勘違いし、あるものは思うがまま尊厳を踏みつけてその生き血を啜る算段を練り、あるものは自分を特別愛してくれる誰かを求め弄ぶ。
極めて手前勝手で救いがない、キラキラ美しいはずの季節に遊ぶ、おぞましい獣達の夏。
ファミレスの逢瀬には、その臭気がたっぷりと満ちていて素晴らしかった。
まー皆さんもご承知の通り、ああなっちゃあもう、終わりですよ。
仲丸さんだけが感情的に前のめりで、小鳩くんはその熱量に引っ張られることもなく、クールで穏やかな自分を作る。
そもそも誰かに関心が持てる、人間らしい自分ってのが分かんないんだから、擬態がぎこちないのはしょうがない。
ここで同じ姿勢を取り、感情のミラーリングを通じて恋人らしい共感を、人間らしい思いの釣り合いを取れなければ、何かが決定的に終わるのだと、小鳩くんは知らないし学べない。
そういう終わりっぷりを間近に感じきって、仲丸さんは小鳩くんの取り繕った微笑みを最後に返す。
小鳩くんには出来ない、何かがちゃんと釣り合って公平であるフリが、人間的過ぎて三股ぶっこむクズ女には、しっかり可能なのだ。
盤上で踊らされていることにすら築かず、小さな王国の短い黄金期に酔っていた瓜野くんを、小鳩くんの知性と策略は遠く置き去りにする。
でもその賢さが、彼を幸せにすることはない。
智慧に動いて間違え傷つき、その痛み故に「ならなきゃ」と思い詰めた小市民には程遠い、傲慢と無関心と冷感は消えてなくならない。
自分が見ている世界に合わせてくれない、同じ景色を見るには知性が足りないバカな彼女は、そんな彼の獣臭をちゃんと嗅いでいる。
それを隠しきって平穏を演算できるほどの処理能力は、小鳩常悟朗にはない。
なくても、幸せにはなりたかった。
普通でいたくはなくて、特別でありたくて、諦めきれなかった。
そしてそんな願いで平和な日常を殺して、どこかへ逸脱し切ることもまた、小鳩常悟朗には出来ないのだ。
堕ちることも翔ぶことも出来ないまま、煉獄のように当たり前の青春を上手く泳ごうとして、智慧に溺れ化けの皮が剥がれた、人間もどきの小市民願望。
その結晶としての恋が、どんだけ無惨に終わるのか。
鮮烈な表現で何を描くべきか選び取ってきたこのアニメが、次回どういう絵を刻み込んでくるのか、僕はとても楽しみだ。
原作の全てを描けるわけじゃない状況で、それでも描くべきだと決意を込めて積み重ねてきたものは、美しく残酷で悍ましく、ずっと素晴らしかったから。




火災現場に残る獣の爪痕、怪しげに伸びる狼の影。
狐に踊らされた小市民の眼光と、何も知らぬまま嗤う愚者のドヤ顔。
5話にわたって続いたミステリを解体し、再構築するためのパーツもしっかり配置され、そろそろ一つの幕引きが近い。
あの春に日常の中巧妙に積み上げ、あの夏に暴いた獣の本性を、煙幕に使って一つの疑念を燃やさせた秋が、そろそろ終わる。
お互い離れて、別の誰かの手を取って、毒のない己に甘く染まろうとしたあがきが、どれだけ無駄だったかを思い知る瞬間がやってくるのだ。
瓜野くんは人を擬する獣達がどんだけしょうもなく、どんだけ凶悪な知性を誇り、凡人たちがどれだけそれに追いつけないのかを示す、歪な鏡だ。
とっくに解っていた結論を、改めて描くための尊厳無きカンバスともいえる。
そんな彼が、小さな新聞部ですら特別な王様になれない様子は、今回しっかり書かれた。
これを際立たせるために、堂島部長の深慮と頼りがいをたっぷり刻んでおいたのが、最高に性格悪くて頭いいなと思うけども。
まぁそういうボケを道化に使って、色んな連中が張り巡らせた糸が、絡まりもつれてどっかで次回、切れる。
それを、僕はずーっと待っていた。
小佐内さんの本性が、暴かれる時を希いながら、平和で幸せな日常ミステリを睨んでいた時のように。
瓜野くんの他愛のなさは、彼が翻弄される事件を包囲する小鳩くんの凄みを際立たせると同時に、おんなじような切望で特別になろうとして、眼の前の彼女ひとり真摯に大事にできないどうしようもなさを、改めて削り出す。
愚者も賢者も、どっちもどっちのロクデナシ。
事件解くより大事なことが世界にはいっぱいあって、それに自然と向き合えているお手本が目の前にいるのに、小鳩くんも瓜野くんも、堂島くんのようには生きれない。
高校生らしい手前勝手な恋愛…未満のなにかに、一年浸って相手色に染まれず、己の分を思い知る。
それが一度目の挫折か、幾度目かの敗残か、別に違いはない。
痛い目見ても、全然変われないんだから。
それでも、甘っちょろく苦みのないシロップに染まって、他人に嫌われない自分になってみたかった。
マロングラッセの夢に浸りたかったのは、小佐内さんだけではないのだ。
だが本気でそう変わっていくには、小鳩くんには優しさと愛が足りなすぎる。
獣と生まれついた己を、人に変えていく何かが、あまりにも欠けすぎている。
多分そんな、どうしようもない自分が小鳩常悟朗は、結構好きなのだ。
このグロテスクな自己肯定感を引きちぎれない、強さと弱さのねじれた同居は凄く青春的で、この生々しいどうしようもなさこそが、作品の(そして作家の)心臓なのだろうなと勝手に思っている。
あの決別の夏から、もう一年。
かつての小市民同盟はお互いに恋人を得て、愛の甘さで己を変えることを願った。
そんな大願に本気で挑むなら、持て余しつつも嫌いじゃない、智に走り情に馴染めない自分くらい捨てなきゃ始まらないのだが、獣たちにそれは叶わない。
誰かの愚かしさに隣り合うほど優しくもなれないし、全てから逸脱出来るほど賢くもない。
怪物に見えて、獣たちはあまりに思春期に呪われていて、それでも必死に身勝手に切実に、青春を生きている。
それ故のあがきが生み出した結末を噛み締めて、最後の冬へと進み出す直前の、うたがわしい夏。
正しい疑念を己に向けれないが故に、惨めに終わっていく道化と。
抱えた疑問で己を変えられないが故に、どうしようもなく一つの結論へと帰着していく、獣たちの季節が終わる。
次回も楽しみだ。