イマワノキワ

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LAZARUS ラザロ:第6話『Heaven is a Place on Earth』感想ツイートまとめ

 LAZARUS 第6話を見る。
 前回凄腕にまんまと出し抜かれて、幾度目かの”振り出しに戻る”を食らったラザロ。
 今回ヒントを探して潜り込むのは、あからさまに人民寺院とホルガ村の匂いがするAI信仰コミューンである。

 モロにビバップ第9話”ジャミング・ウィズ・エドワード”と第23話”ブレイン・スクラッチ”の匂いが濃く、このお話に元々漂っていた渡辺信一郎佐藤大の総決算感…あるいは過去作の焼き直しテイストが、改めて強く漂うエピソードではある。
 最初から狂うようプログラムされていたAIがどんな意義を持つか、オリジナルたるスキナーにたどり着かないと見えきらないのは、難しい手応えだ。

 

 最初はどこかよそよそしかったラザロも、スキナーを巡る聖杯探求に共に勤しむ中でなんとはなしに距離が縮み、職能以上の労りみたいなものがお互いを繋ぎ始めている。
 大企業を巻き込んでのすったもんだの挙げ句、ポップコンウィザードにいいようにカマされた前回の敗北が、逆にスタイリッシュに勝つ以外の在り方を彼らに許し、人間の柔らかい部分がじんわり共有されてきた感じもある。
 今回子ども組だけが現場に赴き、己の良心を持て余して無駄な動きする(そして事件解決には全く間に合わない)アクセルが置いてけぼりなのが、そういう変化を巧くスケッチもしていた。

 捨てた故郷に帰還して、母に抱かれる時のぎこちない態度と、それも無理ない不気味で明るいほほ笑み。
 そんな彼女を神様に盗られたエレイナを、クリスが受け入れるラストカットに、チームの変化はしっかり刻まれていたと思う。
 この(文字通り)疑似家族的な繋がりがなかなか出口が見えない聖杯探求に、どういう意味を持ってくるかが大事だとは思う。
 小さな徒労と発見を繰り返し、円環を迷いながら中核に近づく、宗教的迷路儀礼のような構造のお話しは、どうも話がどこに向かっているかの見取り図と、確かに一歩を踏み出している手応えにかけていて、それでも食わせる雰囲気の良さで、ギリギリ物語が保ってる感じは否定できない。

 

 一見無駄なところを歩かされているように思える遍歴が、実は真実神と己に出会うための必然だったと解るのは、常に巡礼の目的地についた後だ。
 スキナーをコピーして自己顕示欲と支配を追加したら、残酷な神になってしまったナーガの存在で、このお話が真意を測りかねる救世主の後を追う、探索の物語だという色合いは更に強まった。
 そこら辺のモチーフは解るんだが、イマイチ猛烈に見ているものを理解らせてくるパワーには欠けている感じで、それは今回エレイナのオリジンが理解った後でも、あまり変わりがない。
 …この生まれと育ちが、ハッカーという彼女の能力、あるいはスタイルとあんま響いてない感じがあるからだな。

 僕としては余人に告げにくい過去を暴くからには、それが現在を必然的に生み出し未来を規定するという、ガッチリとした確信があって欲しい。
 スタイリッシュで多彩な未来のヴィジュアル、スタイリッシュなアクションを贅沢に見せるのに忙しく、その内側にキャラクターがどんな人間なのか、その地層をチラ見せしてくれる巧さが足りてなかったことが、今回の微妙な肩透かし感にも繋がっていると思う。
 エレイナが何を求め何に耐えられず、どんな生き方をしているのか。
 ビズに滲ませて人間が見えていたら、よりグッとくる過去開示だった気がするのだ。
 今後他メンの過去も明らかになってくと思うが、そこではいい爆発が欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”LAZARUS ラザロ”第6話より引用

 リーランドが”古典的”と評する発煙筒が、牢獄にうずくまって本心を吐露した少女が世界にSOSを求める契機となり、ギリギリで介入が間に合う流れ自体は、結構好きだ。
 エレイナがカルトを飛び出し、自力で世界救済チームに選ばれるほどの実力を証明する中で学んだ、誰かにすがり頼る意味が、アクセルからリーランド、リーランドから少女へと、発煙筒が手渡される流れの中で可視化されてたと思う。

 アクセルたちは事件が起こってしまってから駆けつけるわけだが、人の命を救うのには間に合う。
 それぐらいの速度感でも、生身の苦しみを背負った人間には十分間に合うし、機械ならざる僕らには、そのくらいの速さしか出せない…ということかもしれない。

 

 初手から最悪ムードをムンムン匂わせるコミューンで、自分たちを導く人造神と崇められるナーガは、信者の前では一言も喋らず、全てが終わった瓦礫の中、アクセルの問いかけだけに言葉を返す。
 この無言が、神様という麻酔薬に全ての判断を委ね、殺人と集団自殺にノーブレーキで突っ込んでいく愚者たちの顔を、より強く照らしてもいた。
 無論この判断放棄とタナトスの加速には、人間のドス黒い側面を補強されたナーガの思惑が、当然絡んでいるのだけども。
 主導しているのはナーガを信奉した教祖という人間で、それに身を預けて死んでいくのも、あくまで人間だ。
 ここら辺、第4話のAI投資家たちにも重なる描写だろう。

 ナーガはスキナーをオリジナルにしつつ、自己顕示欲と支配を追加でぶち込まれ、結果人殺しの狂った神様になった。
 つまりスキナーには自己顕示も支配も必要なく、世界を人質に取った薬害黙示録は、極めて透明で非人間的ですらある善意でもって、投げかけられているのだろう。
 人間の欲望と弱さが色濃く反射された、狂った機械の神様は、その子どもとして選ばれたエレイナをなんも救わないが、そんな汚れから真実無縁(かもしれない)なスキナーは、彼なりの救済を与えうるのだろうか?
 それともやっぱり、己を疑い正す機能が壊れた、心なき神様機械でしかないのだろうか?

 

 まだまだスキナーの心臓を抉るには決着が遠いわけだが、救世主の条件たる純粋さを機械にすら背負わせられない、人の弱さと醜さがコミューンを燃やして、少しベールがめくれた感じもある。
 いつ死ぬか、誰を殺すか含めて神様が全部決めてくれるコミューンの醜悪は、ハプナが奪い去った痛みの意味を改めて問うが、そこで無思考の悦楽に逃げ込まざるを得ない業は、否定も消去も出来ない。
 技術が進み世界が加速しても、未だ古臭い生活の手触りを色んな形で残している、この物語の未来。
 そこにおいて、神様を演じるよう強要された機会にすら、最悪の形で人間臭さは否応なく残る。
 我々は、どこまでいっても人間を止めることが出来ない。

 ある意味最近流行りの加速主義に、真っ向から異論を唱えるアナクロニズムがより鮮明になったわけだが、ではエレイナを置き去りにした実母と、眠れぬ切なさを共寝に受け止めてもらったラザロの疑似家族性が、それを満たしていくのか。
 今後チームを襲うだろう苦難の中で、湿って特別な絆がどれだけ削り出されていくかで、そこら辺の意味合いも補足されていくとは思う。
 そういう意味では、軽妙に軽薄に地面に足をつけず飛び続けてきたアクセルが、今回問題解決にあんま寄与せず、自慢のアクロバットより地べたに足つけて子どもにSOSのツールを手渡す方が役立ったのは、けっこう大事かもしれない。

 

 同時に加速する技術が人間存在の在り方を変化させ、善悪の基準もまた捻じくれていく変容も扱えるのが、SFってジャンルではあろう。
 徹頭徹尾醜悪に、無責任に描かれたAI神学の末路だが、このまんま時代遅れなアナクロにぶっ飛ばされる悪役として扱い続けるのか、また別の側面を新たなエピソードで照らしていくかは、結構気になる。
 眼の前の箱で対話型AIに執筆補佐してもらうことも出来る時代に、曲りなりとも”未来”を描くならそらー触んなきゃいけない領域だろうし、既に起こった物語を引っ張り出してくる以上の、”今”活きた物語としてこのアニメを描くのならば、もう半歩踏み込んだ視線と描画が必要かとも思う。

 やっぱノスタルジーの有毒性…「昔は良かった」が孕む極めて現代的なヤバさに、あんまキャラとドラマが向き合ってない感じが気にかかる。
 今期はそこら辺にがっぷり四つ、作品の全霊で向かい合ってるアニメが多いので、かつて鮮烈な未来をスタイリッシュに描いた名手が”そこ”では、時代にキャッチアップしきれていない遅さだけが際立っても来るだろう。
 87Eleven Action Designが手弁当で参加を申し出てくるほどに、全世界に衝撃をもたらしたクリエーターの最新作が、自己模倣とどっかでみた”未来”をリピートするだけってんなら、それはあまりに寂しい。

 

 オピオイドで世界から痛みを奪った救世悪魔にしても、チームのより人間的な側面に踏み込んできたセカンドシーズン開幕に、子どもたちの掘り下げを選んだ構成にしても、新しい何かを描けるポテンシャルは確かにあると感じている。
 毎回浴びせられる鮮烈なヴィジュアルとアクションは、さんざん文句たれた立場ながらめっちゃシビレさせてもらってるしな…。

 だからこそ、各パーツがガッチリ噛み合い、骨の太い納得と手応えを感じて新たな物語を待つような、猛烈な体験が欲しくもある。
 正直、あんま作品がスウィングしてると現状感じられない…といったら、こんだけ音楽に凝ってるお話しに無礼なんかな…。
 ともあれ、次回も楽しみ。