唸れ鉄拳、迸れ不謹慎!
人間様が決めつけた死と生の形を、エイリアンとロボットが力強く飛び越えていく、アポカリプスホテル第9話である。
ここまでこのアニメらしく大暴れしたからこその傑作回で、大変良かった。
人類滅亡から数百年、時折狂いつつも長い永遠を待ち続けられる銀河楼の機械たちは、独自の死生を有している。
それは第一話、ゆったりと美しく流れる日々の中で温泉採掘ロボさんが斃れ、無期限休職という名前の死に飲み込まれた時点で、既に描かれた要素だ。
このままでは変化もなく静かに終わっていくだけだったホテルに、奇妙な客が来訪し、イースターエッグが開放され、酒を作りロケットを打ち上げ、単独での大気圏突入に五体をもがれ、背負った不自由に乱れた心が超高速機動戦を経て、新たな己を見つけ直したりしてきた。
時の流れの中、かつてのあり方と違っても変化に対応して生き延び、新たな世代に何かを刻み込んでいく物語は、この作品独自のワイドスクリーン・バロックな時間間隔でもって、着実に積み上がってきた。
ムジナおばあちゃんの死と、ポン子の結婚…生殖と新たな家族の形成が同時に寿がれるこのエピソードは、そういう作品独自の死生観がパワフルなトンチキとともに暴れまくる、作品の顔となりうる見事な話数だった。
我々短命の炭素生命体が、単独の生命の断絶と捉え遠くに押しのけようとする死の理不尽を、そういう本能や常識をどっかに置いてきたホテリエロボは、意に介さない。
終わればこそ始まり、続けばこそ死んでいく生命のあり方にきわめて素直に、婚礼と葬礼を横並びに大騒ぎし、哀しみと喜びが隣り合う人生の不思議を、見事にプロデュースしきる。
そこにはババァなり地獄を見てきたムジナの、最後の知恵がしっかりと生きていて、思いは時代に継がれていく。
それはポン子がパートナーを選び新たな家庭を作り上げていく歩みであると同時に、人間の文化を継承し独自に変化させるヤチヨの、霊長卒業試験でもあるように思えた。
クライアントの思いを汲み取り、手と心を尽くして最善のおもてなしを形にする。
これまでもマー色んな形、色んなクレイジーでヤチヨが成し遂げてきた、ホテリエとしての職務は、ムジナの想いを動画にすくい上げ、死を超えてメッセージを届ける…だけでは終わらず、メキシコの”死者の日”を思わせる陽気さで結婚と死別、二つの旅立ちを祝福するセレモニーを作り上げるミッションとして、今回結実する。
星を喪ったタヌキ星人には血縁がもはやいないが、袖すりあった異星の客が参列し、死を悼み婚姻を祝す。
そういう縁の宿り木として、今回銀河楼が機能していたのは、凄く素直に心を動かされた。
良かったなぁ…と、しみじみ感じた
前回鋼鉄の思春期を超えて新たな己を見つけたヤチヨは、ただでさえ規格外のクレイジーを搭載した荒くれ者だったのに、今回は殴るわ願いを聞き届けるわ、もはや感情と縁遠い機械知性とは程遠い、独自の霊長としての存在感をバリバリ放出していた。
それはオーナーのやってたことをただ踏襲するのではなく、エイリアンに満ち彼らを従業員にすらする、新たな銀河楼にどう、もはや亡き人類の思いと文化を継承するか、ヤチヨなりのアートを形作る資格も宿していく。
ホテルの仲間と作り上げた饗宴は、極めて独特で人間基準なら不謹慎ですらあるけど、生きることと死ぬことの本質をガッチリ射抜いて、不思議な楽しさと感動があった。
それは所詮人間の真似事、プログラムされた責務しか出来ないはずのロボットたちが、長い長い時を共に支え合いながら生き延び、自分たちなりの価値観を積み上げたからこそ、生まれた儀礼だと思う。
それは過去の不格好な模倣でも、静止して変化がない永遠でもなく、機械なり…あるいは異星人なりの敬意と希望を込めて、自分たちの手で捻り上げる、手作りのセレモニーだ。
長年踏襲して中身のない形だけになってしまった、我々人類の儀礼文化と比べりゃそらーハチャメチャだけども、凄く彼らなりの工夫と真心がぎっしりと詰まっていて、とてもいいお式だった。
「こういう弔いも祝福も、もちろんアリだよな」と素直に思えた。
愛する銀河楼で結婚式を上げたいと、ポン子の依頼を引き受けたヤチヨは、同時に孫娘に最後のメッセージを伝え、お祭り騒ぎで送ってほしいというムジナの願いも聞き届ける。
矛盾するはずの生と死はそこでは一続きで、ヤチヨ自身が長い時を生き、宇宙からの降下で死にかけ、不自由になってしまった体に居場所がないと思い込み、散々暴れた経験…そこから学び取った哲学が反映されている。
実際、人間が背負う滅びの定め、その理不尽に狂わされる運命は、大気圏突入すら生き延びたヤチヨにとって、非常に独特で特異な形をしているはずだ。
この奇妙な儀礼は、そんなヤチヨの実感にきわめて素直な、彼女だけのアートなのだ。
そういう美しさを独自に、背負った思いに相応しいだけの熱と狂気を込めて作り上げられるヤチヨは、もはや人間の従属物ではない。
人類の文化を継承し、時の流れに合わせた変化を生み出し、新たな価値と喜びを生み出しうる、独自の霊長である。
だから今回葬式され祝福されたのはムジナだけでなく、ヤチヨがとても大事にしてきた旧世代の思い出でもあるのだと思う。
どんちゃん騒ぎで明るく、ヤチヨは自分を生み出し縛り付けたものに卒業証書を叩きつけ、確かに大事なものを受け取り未来へ進み出す己を、ポン子の婚礼に重ねて祝福していく。
それが俺には、凄く眩く少しだけ切なく感じられた。
涙の代わりに熱湯を流し、恋の代わりに力強くバグる。
ヤチヨのあり方は我ら人類とは相当変わっていて、しかしその差異が彼女を我らの愛しい隣人から遠ざけはしない。
むしろトンチキだからこそヤチヨは可愛いわけで、こういう異質な面白さを元気なエピソードの中毎回暴れさせ、さんざん笑った後にふと、妙な思弁性で殴りつけてくるお話しは、やっぱり凄く好きだ。
ここまでマジ色んなことがあったからこそ、今回ヤチヨが作り上げた死と生の祝祭はとても美しくて、感慨深かった。
「あの子がここまで来たんだな」という、長い長い時が過ぎ去る物語だからこその感動が確かにあった。




まぁそういう感動を、反応不能のキャタピラマッハ突きでぶち壊しにするのがこのアニメなんですがねッ!
ポンスティン殴るのはまー、俺らの「誰に断ってポン子とデキてんだ!」つう気持ちへのケジメでもあったけど、親父にもぶち込むのはひたすらに”暴”でしかなく、勢い良くて素晴らしかった。
こういうブッコミ叩き込んでくるくせに、冒頭10秒、キコキコハンドになってしまった己の手にヤチヨが抱く複雑な感情だとか、新たな旅立ちに抱きしめ合う家族の肖像だとか、今は亡き故郷の詩だとか、メチャクチャエモーショナルな表現もボコスカ叩き込んでくるのが凄い。
失われた身体への寂寥を、たった十秒適切に差し込んでくる冴え…やっぱ金崎監督のコンテはすげぇわ。
前回大気圏からの臨死を体験し、新たに生まれ直して数百年越しの反抗期を迎えたヤチヨは、感情の赴くままに生きる己をせき止めない。
前回ポン子との激闘を経て、パッションを拳に乗っけて己を表現する自分らしさに、ヤバいブースター積んだ感じもあって、やり過ぎ暴力ヤチヨさんは(明らかやり過ぎだが)可愛かった。
ポン子→ヤチヨの巨大感情は前回の激闘とか、今回愛するヤチヨの銀河楼で式をあげたいと願う姿とかにメラメラ燃えているが、この音速パンチの”速さ”がヤチヨ→ポン子の感情の分厚さを改めて教えてくれて、大変良かった。
そしてポンスティンくんは唐突にぶん殴られて謝罪も一切なしなのに、根に持たず偉いと思う。




宿命は人の都合を待たないもので、ムジナ老衰の定めはよりにもよって婚礼の日に彼女の命を奪う。
しかしその哀しみだけに溺れ、生きて未来に命をつなぐ営為と、これまで必死に走ったからこそ死んでいく定めを切り離して過ごすことは、人類亡き後の地球を生きる新世代には、あまり相応しくない。
「ならテメーららしくセレモニーだろッ!」と、亡きムジナの想いを抱きしめて、ヤチヨと優しいロボットたちは誠心誠意、彼らなりの婚礼/葬礼会場を作り上げていく。
俺はみんなの努力が積み上がって何かが出来るモンタージュの演出が凄い好きなので、このアニメはそういう場面がめっちゃ多くてありがたい。
トンチキ大暴れさせてるから目立ちにくいが、凄く”みんな”のアニメであり続けているのは、ホテルという場を舞台に選んだ意味が分厚くあって良いなぁと思う。
ヤチヨと仲間たちが作り上げる儀礼はは生死の境を飛び越え、声が届かないはずの過去から未来へとメッセージを届ける儀礼であり、いま新たに何かを作り出すからこそ、遠い昔の思い出に命を吹き込み、形を変えればこそ魂を継ぐ、境界線を飛び越える行為でもある。
この越境が凄く軽やかに、心地よくこの話らしく成し遂げられてるのが凄く良くて、自分たちが何を作り上げてきたのか、作中のヤチヨに重ねて作者たちが見事に綴ったなぁ…と感じた。
自分が不在の間、ポン子が背負い彼女なりに変化させた銀河楼に、反発しつつ適応し、シャンプーハットを意地でも据えることを決めた今のヤチヨには、かつてオーナーが自分に刻んだ心意気が、染みるほどによく分かる。
プログラムされていなかった感情が、己の中にあることを認めたのだ。(結果、衝動のままタヌキも殴る)




かくして髑髏も踊る新世紀のDía de los Muertosが、ヤチヨプロデュースの元、賑やかに開催されていく。
死は哀しみ、生は喜ぶ。
そういう区分は実は存在しないのではないかという、極めて禅的な見解すら感じさせる悲喜こもごものカオスが暴れまくり、死んだはずのムジナが喋り、ヤチヨとともに踊る。
そらーオヤジもワケわかんねぇ感情に、終始泣きっぱなしである。
今回ブンブクがめっちゃ母ちゃん好きだった様子が取り乱しようから透けてて、「そらー波乱万丈の人生を一緒に生き延びてきたんだから、当然マザコンだよな…」と思った。
好きだ、オヤジ…。
これがムジナがポン子に願った、失われた”当たり前”なのかは解らない。
表層だけ見れば死と生の境目がぐちゃぐちゃになった、式を通じて想起させるべき感情を見失ったハチャメチャではある。
しかしロボットもエイリアンも、我ら人類とは命の形が当然違っていて、銀河楼がそれに応じたもてなしへと変化しつつ、未だその高潔な精神を極めて正しく成し遂げられているように、その死生観も儀礼も、我らの基準では測れない。
ならばそこに込められた思いをこそ受け取るべきで、誰かを慈しみ、去り際を惜しむ気持ちに溢れたこのカオスは、非常に”人間らしい”式だと言える。
婚礼を通じて新たな命を育んだり、葬礼を通じて耐え難い喪失を飲み干したり、人生の節目に行われる儀式は非日常の中、かけがえない想いを改めて受け取るために存在している。
そういう大きな気持を、母性を追い出されたタヌキたちは”当たり前”には飲み干すことを許されず、だからあんだけトラウマに急き立てられて、ポン子もかつて過剰防衛に狂ったんだと思うけど。
ようやっとたどり着いた安住の星で、かつての霊長の遺志を継いだ奇妙な機械に助けられて、人が死んだらみんなで哀しみ、旅立ちには元気に笑える”当たり前”を、彼らは取り戻したのだ。
それは…やっぱ良いことだなと思う。
功徳なことだよ、ヤチヨさん…。
オーナーから引き継いだホテル精神の発露としても、顧客が望んだ以上のサプライズで彼らの真実を照らし、ホテルという場があったからこそ他人じゃなくなった誰かとの縁を繋ぎ、歌い踊り飲んで食べて、楽しい時間に泣きながら笑う体験をみんなで作り出せたのは、本当に良かった。
極めてカオスでありながら、無秩序ではなく美しい祝祭になってたのは従業員が頑張ってくれたおかげだろうし、そういう精神を数百年無言の内に維持し、体現してきたロボットたちの健気が、改めて眩しい。
ほんとなー、ロボットみんな優しく可愛い奴らなのが良いアニメよ…。




かくしてお色直しを果たし、ホテリエ心尽くしのメッセージを受け取り、感動なのか哀悼なのか、それら全てが入り混じった人生味の新婦の涙を、ポンスティンはしっかり受け止める。
ポッとでのポッと野郎なのに、可愛い可愛いポン子を奪っていったポンスティンをどう受け止めるかってのは結構難しい問題だと思うが、グラグラ揺れてるが健気に式の主役を努めようとする、お嫁さんの肩をしっかり支えている姿に「まぁ良いよ…声も花江くんだし…」となった。
見知らぬ人だからこそ、血が混じり家が広がり新たな命が生まれる喜びが、強くもなるわけだしね。
ずーっとヤチタンクだと絵面がギャグになりすぎるからか、ヤチヨが人間形態を取り戻してもいたけど。
喪失を抱えつつも自分らしく、気高く生きてるヤチタンクが俺は結構好きだったので、まぁそのままでも良いかな…とは思う。
しかしまぁ、あの形態はキュラキュラオモシロなだけでなく、死んで赤ん坊として生まれ直し、いつの間にかポン子に精神の背丈を追い抜かれていた状況を可視化したもんだとも思うので、ヤチヨが今回のセレモニーでしっかりと成長の証を刻み、墜落前よりも力強い完全復活を遂げた今、ポン子と同じ背丈に戻るのも大事だろう。
やっぱ大人になっちゃったからこそ対等に抱き合える、ポンヤチの姿はキテるわ…。
というわけで、死と生の門出が同時に訪れる運命の激浪に、ヤチヨなりの答えをしっかりと刻みつける、見事なセレモニーでした。
「哀しみと喜びを切り分けるのではなく、混沌としたまま全てを笑って良いんだ」という、ムジナが紡ぎヤチヨとポン子が受け継いだ理念は、生と死、過去とと未来、生物と機械の狭間を飛び回るこのお話らしい、素晴らしい答えでした。
かなり作品の根本をえぐる回だったけど、ぜーんぜん説教臭くない、名状しがたいカオスにぶん殴られる手応えで、凄く良かったです。
コメディでありSFであり、時を超える大河ドラマでもあるこのお話らしい一つの式を超えて、まだまだ日々は続く。
次回も楽しみ。