イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

九龍ジェネリックロマンス:第13話感想ツイートまとめ

 九龍ジェネリックロマンス 第13話を見る。
 恋人を解りきれなかった男の後悔により生まれた蜃気楼の町は、永遠の夏の夢から醒め、男は己自身に一人で出会って久方泣きじゃくり、女は暗い死の引力を引きちぎって夢の向こう側に進み出た。
 大団円である。

 

 何しろ現在連載中の作品、アニメは手持ちの材料で出来うる限りのエンディングにたどり着いて、色んなモノを取りこぼしているのだろうなと思いもするけど。
 アニメになってくれたからこそ出会えた自分としては、見たいものをしっかり見届けられて、大変いい終わりだった。
 工藤くんがようやく泣けて、本当に良かったよ…。

 彼の手を離し旅立ち、信じて待つ令子の決断も、ずっと鯨井Bの影を刻まれつつも彼女自身でしかなかった、白紙だからこそ力強く人間の正しいあり方を描ける主人公に相応しい、独立し自立した決断だったと思う。

 

 なにしろ工藤くんは人生かけて相手と歩もうとしたプロポーズを、最悪の形で跳ね除けられた傷をヘラヘラ笑いで隠して、泣くべき時に泣けなかった男なわけで。
 何も無いからこそ絶対の自分を強く求めた…”主人公”であることを許されていた令子が手を差し伸べ、救ってあげなきゃいけない被害者である。
 しかし哀れみの高みから手を差し伸べる、高低差のある距離感を令子は拒否して、己と向き合う扉に一人で入れと、愛した人に背中を向ける。

 解りきれない他人との距離を、微笑みながら受け止め信じて待つ距離感は、終わらず続かない物語を求めていた鯨井Bが元来、自分の手で掴まなければいけなかった決断だったのかもしれない。
 鯨井Bの無念を背負った…というには、令子は鯨井Bがどんな存在であり、何を考えて自死をもって工藤くんとの関係を永遠の未完にしたのかは、深く解りきれない。
 過去を覗き込むだけでなく、未来をどこに運んでいきたいのか、今何を感じているのかを語り合えるのは、ジェネリックであろうとも生者の特権…という話なのかもしれない。

 

 原作だともうちょい濃く鯨井B(あと唐突に復讐が切断されたみゆきちゃん)が煮込まれているのかもしれないが、ジェネリック九龍の謎含め、全てがスッキリ解決しきらないアニメの朦朧とした書体は、結構好きだ。
 そうやって解らないものがどうやってもたくさん残る世界で、それでも唯一決定できる”絶対の自分”を、決意とともに魂の中に仮想し、実現していく。
 令子の健全な足取りは結局、死せる鯨井Bとの綱引きを生者の側に引っ張り上げたわけだが、それは後ろ向きなノスタルジーの完全否定ではないだろう。 
 令子は遺品を通じて死者の世界を見、潜り、解りきらないことを解った。
 そこにはオリジナルたる死者への弔意と敬意があって、そういうモノを蔑ろにしないからこそ、”絶対の自分”でいられる風通しを感じた。

 結局傍観者のまま、第二九龍の残骸に呆然と立ったユウロンもそうだけど、令子に対峙し彼女が運命を左右する強さを持っていると認めた時点で、工藤の物語はゴールに辿り着いていたんだと思う。
 眼の前で確かに生きている誰かが、自分の物語に入り込んで、勝手に結末を描いてしまう特権を許容し、成り行きを預けること。
 それはつまり、解りきれない他者への信頼なのだと思う。
 それを自分の命を賽子にしたギャンブルとして、自分の意志で掴めなかったのが鯨井Bの不幸であり、寂しさであり、抗えぬ業だった…のか。
 本当の所は分からないと、このアニメは誠実に白旗を上げる。
 その他者性への全面降伏は、僕は結構好きだ。

 

 工藤くんは鯨井Bの思い出に飲み込まれ、喪に服して蜃気楼の棺に囚われ続けてきた。
 永遠に夏が続く異常事態を、鯨井Bに届ききれなかった自分への罰として受け止めてもいたんだろうけど、同時に死人ではなく心を持つ工藤くんは、自分の妄念が再現しきれない令子が、確かに別人として生きていることを認めてもいた。
 この後悔の檻から自分を出してくれる、不明なる可能性として、期待もしていたのだと思う。
 そんな彼女が決意とともに街を進み、自分なりの真実にたどり着き、踏み込みきれない闇を前に引き返して自分の人生へ進み出すことで、工藤くんは”困っている”自分をようやく見つける。

 「それで良いんだ、それが報いだ」とどれだけ自分に言い聞かせても、自分を捉えた第二九龍の日々は異常で、しかし自力ではもう出れない。
 自分と向き合い、許してやるチャンス…死と他者という世界最大の理不尽を前に、何も出来なかった無力感と愛を失う痛みに思い切り哭く機会は、工藤発には開けないのだ。
 だからその扉の前まで、令子がいなきゃ進み出せない。
 だからその扉の奥には、令子はついてけない。
 己を憐れみ、痛みに泣きじゃくる尊厳は、人間が畢竟孤独だからこそ生まれるものだ。
 それは工藤くんを現世に置き去りに、死んでしまった鯨井Bの身勝手と、背中合わせ裏腹な自由でもあろうのだろう。

 

 時は巻き戻らず、過ぎ去った過去に出来ることはない。
 ずーっと鯨井Bのスタイルを模倣し、それを以て彼女への喪としてきた工藤は、終わりも続きもしない時間をその発見で殺す。
 もうとっくに解っていて、でもそれを答えに出来ないからこそ困っていた、永遠の停滞を抜け出していく。
 そうするためにはあそこで自分と出会い、思い切り哭く必要があって、つくづく杉田智和というのは凄い役者だなぁ…と思った。
 工藤の心象が作り上げた、蜃気楼の町を舞台とするこのお話。
 彼の多面的でシンプルなキャラクターはそのまま、作品がまとう色そのものだとも言えるわけだが、それを見事に演じきってくれた。

 何もかも解っているのに、解ってないふりでトボケて、傷ついていないフリで笑って。
 全ての始まりなのにどこにも行けず、誰より優しいからこそとても臆病で、永遠の夏に身を捧げているのに、その外側を夢見ている。
 まったく面倒くさく複雑なヒロインであったが、その根っこにあるのは徹底的に愛であり、だからこそ令子が変えていく物語の行く末を、「それもアリだな」と認めれた感じがある。
 鯨井Bが根本的に死に惹かれる女だったのに対し、工藤くんはどうあがいても生から目を塞げない男で、根本的に相性が悪かった感じはある。
 でもそこに在った愛は嘘じゃなくて、でも鯨井Bは死を選んでしまった。

 

 死に惹かれる心理のミステリと、九龍を故郷とする人たちの複雑な内面にあえてに踏み込まないことで、このアニメは13話でしっかり終わりきれたのだろう。
 終わってるはずの九龍を舞台にした、美麗なる幽霊譚に惹かれて見始めた話だったが、想定よりも遥かに主人公が魅力的だった。

 令子がちゃんと自分だけの未来へ進み出せると良いなと、思い続けて見てきたので、そういう場所に未だ続く原作をアニメなり、引っ張って終わってくれて、僕としては良かったです。
 根本的に内省的な話だったので、最終話まるまるマインドダイブだったのも、個人的な好みとしてはありがたかったな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 というわけで第二九龍を蜃気楼の崩壊≒真実の暴露が襲う中、令子は一瞬溺れかけ、思わぬ相手の導きを受ける。
 ここでまさか、サクセスが最後に飼い主の手を引くとは思っていなかったよ…。
 でもあの子はとても可愛い金魚で、思い出の中に閉じ込められた人たちの善きメタファーであったから、この局面で大きな仕事を果たすのはかなり納得している。
 不思議な蜃気楼の中でなら、死者が別の存在として新たに立ち上がったり、金魚が喋ったり、失われた思い出と向き合ってその外へ出ていくことも出来るだろう。
 そんな歩みは、深い影の中へ踏み込むことと同義だ。

 色んな人が消えていく中で、張さんが意を決して工藤の夢の中から出ていくのは、彼もまた三年前の後悔に惹かれ、囚われた迷い人だった…つう事なのだろう。
 みゆきちゃんのお母さんの面影を残す、優しい夜のダンサーとかもそうなんだが、「多分ここ、原作だともうちょい分厚いだろうな…」みたいな部分を、駆け足に終わらなきゃいけないのはちょっと勿体ないところだ。
 しかし自分にとってこのアニメは、舞台の描き方もテーマの削り出し方も良くて、描くべきものがハッキリしていたので、略されていたとしても通じるものはあると感じている。
 ここら辺、原作完結後に追っかけ確かめてみたいところではあるね。

 

 シャイな工藤は令子が自分の心の劇場に踏み込んでくるのを嫌うが、それは絶対必要なケアだったと思う。
 鯨井Bに先立たれ、理不尽に現世に置き去りにされた工藤は、この夏を永遠に保つためにはひとりで抱え込むしかなかった痛みを、誰かに観てもらわなきゃ、死に至るほどの苦しみは治らない。
 その資格が己にあると示すために、令子は別にそのまんまでも良い永遠の微睡みに甘んじず、ただ愛しさに突き動かされるだけの恋から距離を取り、工藤発に恋していなくても己を保てる鯨井令子を、必死に探してきた。
 その結果赤い真実にたどり着き、解りきれぬ他者として己のオリジンを見て、自分の原点に立ち返る。

 工藤が認識する通り、令子だけがこの蜃気楼の町のバグとして自由意志を保ち、永遠の夏を崩壊させた理由が、愛する人への「解れなさ」だったとして。
 その断絶だけが二人の真実だったのなら、令子は再生してなお工藤発に恋はしていなかったのかな、と思う。
 婚礼に終わって始まっていく生か、今まで通り始まりも終わりもしない死か。
 そこで自分の命を賽子に、意思ではなく偶然に未来を委ねることしか選べなかった女の中に、確かに愛がジルコニアのように瞬いたから、白紙の記憶の中に唯一つ、工藤への思いが残った。
 そう考えるのは、ちょっとロマンティックすぎるだろうか?

 

 令子は永遠に停滞し続ける工藤先輩を追い抜き、つまりは彼が模倣し生存させていた鯨井Bもまた追い抜いて、彼が覆い隠していた傷に踏み込む資格を得た。
 その生と未来に力強く突き進む志向が何処からやってきたのか、作品は確固たる答えを書かない。

 「偶然と運命が結びあって生まれた新しい命は、特に理由なくそのあり方を決める」でも良いし、「生き方が塗り替えられていく土壇場に死の魅惑を引きちぎれなかった鯨井Bの無念が、自分への愛に囚われている恋人を解き放つべく、今度は”生”の目が出る賽子を生んだ」でも良いかなぁ、と個人的には思う。
 ここに答えが出ないのは、可能性が豊かに残って結構好きなんだよな…。

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 工藤の嘆きに共鳴し、この世界を生み出したジェネテラを映写機に、心の劇場に暴かれていく運命の日。
 零子が次の日の朝死ぬなんて思っておらず、世界が残酷な理不尽に満ちていると知らなかった時代の彼は、酷く幼い顔をしている。

 こういうイノセントな表情を、黒い絶望と後悔に塗りつぶすことになるんだから、鯨井Bが向き合いきれなかった己の業の始末は、つくづく重たいなぁと思う。
 令子も良く、オリジナルの身勝手な結末の始末を自分事と引き受けて、殯の街に取り残されてしまった男を救う旅を走りきってくれたよ…。

 

 僕はこのアニメの演出において、工藤の顔が見える/見えないをとても重視して13話見続けた。
 それは大人ぶって永遠を保とうとする先輩の本心を、受け止めるだけの強さが令子にあるかを暴くリトマス試験紙であるし、希望と絶望を複雑に乱反射させてる工藤発の心に、僕らが迫れているかの確認でもある。
 そして自分が何を望み、どんな顔でいたかったかを工藤自身、認識しているかどうかの表現でもあったと思う。
 廃墟とかした九龍城に、鯨井Bの遺品を見つけた時、工藤は自分がどんな顔をしているのか…どんな顔をしていたいのか、痛みのあまり見失ってしまったんだなぁと思った。
 これまで幾度か描かれた無貌にも、納得の書き方だ。

 このアニメは令子の顔を誰かが一対一でしっかり見つめて、そこにある皺…あるいはないピアスの穴を確認し、ジェネリックな亡霊に確かに宿る意思と尊厳を見つめて、自分の道を変えていく作品でもあった。
 顔のない存在はそういう、他人の中にある目を開かされるような魂の輝きを、ちゃんと認める目も持っていない。
 自分が「これでいい、これだけが答えなんだ」と思い込む停滞の奥、本当に何があるのかは別の誰かの顔にしか反射しないのに、無貌の怪物はそれを認められない。
 あるいは工藤の大き過ぎる後悔が、死せる鯨井Bをそういう存在へと塗り替え、自分もまた同種の存在とすることで、彼女の喪失を遠ざけていた感じもある。

 

 もしくは工藤を見つめ続けるひまわり…死者の巨大な目に睨みつけられることで、どこにも行けない場所へと縛られていたか。
 どちらにしても、解りきれぬまま愛と別れ、理不尽への無力感に苛まれてきた工藤自体が、九龍に見え隠れする鯨井Bのあり方を決めていたのは、多分間違いない。

 十分に死者と向き合うチャンスがなかったからこそ、工藤は鯨井Bを九龍の地縛霊にしてしまっていた。
 ともすればそんな停滞への反作用として、令子は極めて肉体的で前向きで自由な、明るすぎる幽霊として物語を走っていった気もする。
 そういう異物が、出口のない永遠を壊していくことだってある。

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 全てが始まった時、終わったはずのものが蘇った時、工藤発がどんな愛しさで鯨井Bの遺品を触り、令子の新しい生を寿いだのか。
 心の映写機はもう何も隠してくれないし、何も隠さないで良いと思えたからこそ、工藤はここへの扉を開けたのだろう。
 やっぱ令子渾身問いかけを受けて「俺、困ってるんだ…」と気づいてしまった時に、大勢が決してた感じはある。

 愛と死の複雑な事情を知り、想い人に刻まれた痛みを知り、それでも踏み込み進み出すと決めた、ジェネリックな令子の決断を、工藤発は無視できない。
 それは確かに、眼の前で生きているのだから。

 

 己の全てをさらす映画館を出て、全てが始まった喫茶店に座る時、水槽の中の金魚は生に耐えきれず死んでいく。
 それは鯨井Bが選んだ結末を、滅びゆく九龍と一緒に繰り返したい工藤のタナトスに、僕は思えた。
 それは確かにこの街に刻まれていて、でもそれが全部じゃない。
 令子が自分を貫く「好き!」の一つとして、大事に育ててきたサクセスは彼女が溺れかけた時、手を差し伸べ工藤の下へたどり着く助けをしてくれた。
 それはサクセスという名前をくれた令子のことを、サクセスが「好き!」だったからこその恩返しだ。
 それは、この九龍の神である工藤の手から離れた、解りきれない可能性だ。

 檻から出れないまま死んでいく金魚にも、危うい外界に進み出していく金魚にも、なってみたい気持ちが工藤発の中に当たり前にあって。
 その療法が、鯨井令子の顔をした二人の女に、反射されて綱引きをする物語だったなぁと思う。
 結果として令子はオリジナルとの綱引きに勝ち、大きな水槽の外側…ひまわりが枯れればこそ新しい種を付ける場所へと、自分と工藤を引っ張り出していく。
 でもその一歩はノスタルジーに惹かれ、愛しさを閉じ込めてしまう歪さを嘲笑ったりはしない。
 それが確かにあることを大事に抱きしめながら、越えていける希望を誰かとの触れ合いに見出す眩しさが、主人公と物語を照らし続けている。

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 その眩さに照らされて、目の前にいる相手の顔を見れる人ばかりが、このお話には在ったなぁと思い返す。
 みゆきちゃんもグエンくんもユウロンも、令子をなにかのコピーと侮るところから始まって、その瞳に宿った本当の光を見届けて、自分の考えを譲ってくれた。

 何も知らないからこそ、とても純粋に自分と世界に向き合える嬰児の眩さを、頑ななエゴで否定はしない人たちだった。
 そういう開けた瞳が、工藤くんが自分自身に出会い直し、語らい、許すことを。
 何もなくなった原点でたった一人、心の底から哭くことをようやく許してくれたのだと思う。

 

 僕は令子の真っ直ぐさに、屈折しまくったワケアリ人間たちが絆され、自分を譲る瞬間がとても好きだ。
 みんな抱えてしまった荷物をどっかで降ろしたいと願い、でも一人ではあまりに難しくて、縛られたまま解き放たれるときを、心のどっかで待ち望んでいる。
 令子は自分を探す旅の中で、臆せずそういう人に自分の気持ちを突き出し続けて、結果色んな人を救ってきた。
 それは令子の純粋さであると同時に、どんだけ折れ曲がってもキレイなものを捨てきれずにいた、色んな傷負い人の輝きでもあろう。
 そういう眩しさが乱反射する物語が、ジルコニアとダイヤを重要なモチーフにしているのが、個人的には好きな詩学だ。

 令子が鯨井Bの視界を借り、工藤の静止を振り切って真実に近づいていく歩みは、自分自身と向き合う旅でも在った。
 そこで学び取ったものを裏切らないためには、工藤が一番向き合いたくなくて、でも向き合わなければ終われない場所に、恋人の手を振り払って送り出すことになる。
 ここでロマンスが離別を選ぶの、ビターエンドに見えて僕にはベストで、凄く良かった。
 恋がなければ始まってないし、終わりもしないこの物語は、しかし恋だけで成り立っていたわけではない。
 愛すればこそ手を離し、それでも変化を恐れず未来を信じる…鯨井Bにはどうしてもたどり着けなかった強さを、令子は掴み取り工藤に手渡す。

 

 それに助けられて出逢うのが、鯨井Bの真実ではなく自分自身なところに、「その死は解りきれない」と誠実な諦めを描いたお話らしさがあるな、と思う。
 ミステリとして未解決の謎が残るのは結構な問題なんだろうけど、ロマンスとしては向き合う誰かを解りきれないとする態度は誠実で、それを前提に未来を紡いでいったほうが、嘘がなくて素敵だろう。
 ようやく己にたどり着いて、街も人も何もかも消えた白紙の場所で、ようやく工藤発は泣ける。
 この涙と絶叫こそが、鯨井Bの心に届ききれないまま、それでも彼女を愛していた男には必要だった。
 でも、一人きり現世に取り残されては泣けなかった。

 そんな孤独な牢獄が、彼の意にそぐわぬバグによって壊された結末を思うと、やっぱ令子は工藤の救済そのものであり、死に続けると同時に生きたくもあった彼の、もう一つの可能性なのだと思う。
 立ち止まり夏を繰り返すことが、救えなかった鯨井Bへの操だと考える工藤の表層意識は、自分を許されていい存在だと思えない。
 しかし許されたい思いが確かにあったからこそ、令子は繰り返す夏の外側に産み落とされて、関わる色んな人の心を工藤の代わりに変えながら、この白い場所に至る道を切り開いていった。
 だから令子が工藤を解き放つ旅は、工藤自身が己を見つける旅でもあって、だからこの対峙で終わるのは…嘘がないと思う。

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 令子も別れた後自分の原点に…死に至ってしまった暗い影に向き合い、背中を向けて光の方へと進み出していく。
 ここで鯨井Bの賭けに踏み込むのではなく、楊明が一足先に進み出してった九龍の外へと歩みを向けていくのは、まーアニメ特有の表現になるんだろうけど。

 ここで闇の中の真実に背を向け、死を掘り下げることより現実を生きることを選ぶ令子の探偵失格は、俺はかなり好きだ。
 そういう風に、ミステリであることを擲つ決断だけが引き寄せる結末ってのも、確かにあるんじゃなかろうか。

 

 鯨井B自身、工藤の愛を受けて自分の物語をどちらに転がしていくべきか解んないから、どうしょうもできず命の賭けに出たのだろう。
 そのどっちが勝ちなのか、語られてる通り答えは出ず、死という結末だけは出てしまった。
 その暗い密室の中に何があったのか、鯨井Bと繋がりつつ別の存在である令子が、踏み込まずに自分の世界へと進み出すのは、死者の尊厳…あるいは他者の解れなさを、結構尊重した結末だったと思うんだよな。
 まーミステリとして「解りません!」が最終解答なのはNGなのかも知んないけど、SF・ジュブナイル・ロマンスと、複層的に重なり合ってきたお話が選んだ答えとして、自分は一応納得している。

 まー健気な金魚のサクセス含め、誰も消えないほうが嬉しいのは当然で、影に踏み込むよりそっち大事に葉な子を畳んでくれたのは、自分的にはありがたい。
 みゆきちゃんとグエンくんも無事後悔に背中を向けて、自分たちの物語を九龍の幻…あるいは蛇沼の呪いの外側に広げていけて、良かったなと思う。
 ここで二組の恋人たちの人生があんま強く混じり合わず、一見ドライにそれぞれの未来に進み出していくのも、好みの手触りだ。
 どっちに進んでいくにしても、愛があれば多分大丈夫。
 そう素直に思える物語だったのは、自分としてはたいへん良かった。

 

 

 

 

 

 

画像は”九龍ジェネリックロマンス”第13話より引用

 かくして永遠の夏から出て、令子は冬の装いで物語の先を探る。
 「工藤くん…二年はちょっと…」とも思うが、世界を捻じ曲げるほどの愛と悔恨に灼かれていた男が、まーた軽薄なヘラヘラ笑いを貼り付けて令子に向き合えただけでも、工藤くん頑張った!
 狭く閉じた夏空ばかりが描かれてきたお話が、たどり着いた先を描く時、香港の美しく広い夜景で終わっていくの、かなり好きだな…。

 令子が旅行会社で働いているのも、とにかく外へ出ようとした彼女の意欲をすくい上げてる感じで、良いエピローグだ。
 かくして、人生という物語は続く。

 

 

 

 

 

 というわけで、九龍ジェネリックロマンスアニメ版、無事全13話完結である。
 大変面白かった、ありがとう。

 

 最初は不思議なミステリ・ロマンスとしての魅力、SF的に再生された九龍城塞の蜃気楼に惹かれて見始めたが、話が進むほどに令子が燃え盛る魂の色を深めていって、ドンドン好きになっていった。
 あの子はなんも覚えてないからこそ純粋で、真っ直ぐ己と世界を恐れず探って、その力強さを他人に分け与えられる、とてもいい主役だった。
 作中の変化の殆どが、令子が誰かと対面し会話することで起きているの、主役が持ってる引力が強い作りで好きだ。

 そんな令子に愛される工藤は、期待してた以上の複雑な陰影をセクシーに宿し、救われるべき切なさと自分では抜け出せない愛しさにがんじがらめ、大変魅力的なヒロインだった。
 やっぱこの男がとびきりセクシーだったから、彼に近づきまた離れ、自分の道を探りつつも一緒に生きる側へと進みだそうとする令子の旅を、気持ちよく応援できた感じもある。
 他のキャラも皆気持ちの良い連中で、同時にどうにもやりきれない業と陰りをしっかり備えていて、見ていて楽しい奴らばかりだった。
 みゆきちゃんとユウロンが、どんっどん激重感情顕にしていくのは面白かったなぁ…。

 

 作品のテーマであるノスタルジーがもつ毒気に凄く自覚的で、同時にただ遠ざけるだけで終わらない愛しさへの眼差しも分厚かった。
 危うさと魅力、両方を宿した視線が舞台となる九龍…そこに再現される蜃気楼の過去にしっかり届いていて、美しい牢獄として作中世界に独自の美しさがあり続けたのは、大変良かった。
 SF的な設定があればこそ、凄く普遍的なものをえぐれる物語で、同時に幽霊譚的な端正な筆致、ロマンスの燃える情熱をしっかり重ねて、作品独自の面白さを削り出していたのも素晴らしい。
 あ、毎回サスペンスフルなヒキをちゃんと用意し、力強く引っ張ってくれたのもグッドでした。

 アニメは鯨井Bの死というミステリに、「解らない」という答えを出した。
 評価の分かれるポイントだと思うが、僕は恋と他社を扱うお話がこの結論にたどり着いたうえで、そこに絶望するわけでも解らなさを諦めるでもなく、解らないからこそ知ろうとし、もう一度出会えた奇跡に対して前向きに終わったのは、自分的には好きな決着だ。
 みゆきちゃんの復讐が中途に切断されたのも含めて、現在連載中の物語を13話でまとめきる難しさと取っ組み合ってくれた感じがあり、ありがたく感じている。
 取りこぼすものがあったとしても、この物語と出逢う契機を手渡し、描くべきものに真摯に向かい合ってくれたのは、やっぱ感謝ですよ。

 

 美しくもおどろおろどしい夏の謎に惹かれ、真実が明かされてみるとそこには愛と悔恨ばかりがあって切なく、SF味の幽霊譚として…白紙のクローンが自分を捕まえていくジュブナイルとして、凄く熱くて爽やかな読後感でした。
 令子を好きになり、彼女を応援しながら見終えた視聴だったので、凄く気高い決意に彼女が飛び込んで、オリジナルである鯨井B、先輩たる工藤の足踏みを大きく越えていく、未来への一歩を進み出してくれたのはとにかく嬉しい。
 鯨井Bがたどり着けなかった冬の中で、令子が令子として生き続けることが、続かぬために終わるしかなかった死者に弔いを手渡す、一番いい結末だったかなと感じます。

 最終的に猥雑で美しい九龍は、既に終わりきっていた真実を暴かれ、現実の廃墟に立ち戻って物語は終わります。
 鯨井Bが望んでいたように、愛しいものを永遠に閉じ込める未来は、残酷に変化していく世界には叶わず、しかし人は公開に引き裂かれて永遠を夢見てしまう。
 そんな弱い業にメチャクチャ真っ直ぐ向き合って、靭やかに抱きしめてくれるようなお話で、とても良かったです。
 こんなポジティブなお話だと、見始めた時思っていなかったからこそ、この最終話にたどり着けたのが本当に良かった。

 

 面白かったです、ありがとう。
 お疲れ様でした!!