空蝉にすら生れない青白い未生が、裂け目を通じて出て這いずる。
見ること、視ないことのおぞましさを詩情豊かに描く、光が死んだ夏第2話である。
作品全体をうっすら覆っていた”嫌”がいい塩梅に殻から這い出してきて、二話にしてホラーとしての明暗がクッキリしてきた。
明らかに村はおかしくなってきていて、それに気づいている人たちも幾人かいて、事態の中心にいるだろうヒカルを愛しく思ってしまうヨシキは、そんな粘性の渦をせき止める道の、眼前で足踏みを続ける。
友達であり愛しい人でもある存在が、偽物に成り代わっても諦めきれない、青白く青臭い思春期のためらいが、どれだけ取り返しのつかない事態を引き起こすか。
完全に何も見えないまま事態が進行するのではなく、視えているのに見ぬふりを続けることで、”嫌”が殻の中の気配から村へ飛び出し、人を食うだろう未来への予兆が、巧く演出されていた。
今後自体はドンドン最悪になっていくんだろうけど、未だ止めれ得た(かもしれない)このタイミングでヨシキは日常にしがみつき、羽化できない蝉として自分と友達を現実に引き倒すより、永遠に変わらないはずの日常の只中、幸せに微睡むことを選んでしまう。
光が死んでしまった時に、既に致命的に壊れてしまったものを取り戻せるかも知れないと、永遠に繰り返す夢に舞い戻る彼を、責める言葉を僕は持たない。
しょうがないよね、好きなんだから。
既に何かが山から降り、因習の殻から這い出して歩き回っているからこそ、人食いのヤバい気配が村に満ち、第一の犠牲も生まれている。
これを感知できる異形の視界は限られた人たちにしかなく、”会社”から派遣されたグラサン野郎は想定していたよりヤバいと、村の現状を語る。
既に何もかもが手遅れなくらいに開始ってしまっているし、そのヤバさの根本にはヒカルがいるっぽいのに、ヨシキは目を閉じ見て見ぬふり、幼さの毛布にしがみついて日常を夢見る。
未だ何も壊れていなくて、自分の世界に取り返しのつかないものなどなく、残酷な羽化の時はずーっと先なのだと思いたがる。
しかし過酷な現実は、「光の死」という最悪な形でとうに到来しており、あるいはだからこそ、そんな事実をただの子どもでしかないヨシキは受け止めきれない。
目の前にいるなんかヤベーバケモノが、光なのだと自分に言い聞かせ、欺瞞で目を塞ぐことで、彼の恋が潰れてしまった現実を遠ざける。
一少年の内面としてはとても納得できるし、痛ましいし、モラトリアムの中じっくり向き合っていくべき傷だろう。
しかしそれを裂け目にして、異形の存在は村に溢れて、近い内に何かを終わらせる。
それはヨシキの個人的な感傷を越えて、既に村という社会に接続されてしまっている。
”会社”の霊媒師と、ヤベー事情を知ってそうな村の大人たちの事件が、そういうところから遠ざけられて平穏な(フリを続けている)子どもの領分と、いつ触れ合うのか。
そうなった瞬間、既に火が回ってる導火線は取り返しのつかない炸裂をして、物語も大きな変化を迎えるのだろう。
しかし今はただ見るだけ…あるいは子どもが目を凝らしても視えない遠くに、社会なるものはある。
背徳と情欲に耐えかね、目を向けられなくても手がその内側に入って、タレまみれの鶏肉のような感触を伝えてくる、とても親しいもの。
壊れて偽物になったからこそ、求めていた親しさを手渡してくれるようになったもの。
それこそが、目を閉じていてもヤベーとは思っている事態の真ん中にいて、しかしヨシキは暮林さんが告げた「正しい対応」なんて出来ない。
それはヒカルが(ヒカルがそうであったような)自分を愛してくれない人間ではなく、自分を求めてくれる怪物であることを見つめ、適切に距離と境界を定め、切り離す行為に繋がる。
隣においていては危なすぎる異形の匂いを、暮林さんは見て取り、見ぬふりをセず手を差し伸べてくれた。
この「正しい」救済を掴めるのならば、ヨシキも精神ガチャガチャになるほど悩んではいないだろうし、どっちの岸に身を置くか、とっくに選べてもいるだろう。
呼び込みくんの機械音声と、田舎のヤダ味を煮詰めたようなおばさんの声をマッシュアップすることで、ヨシキの精神が見た目よりヤバい現状が巧く演出されてた今回。
隣のバケモノに見て見ぬふりを続け、変質していく自分の外側≒社会に背中を向けている状況は、けして安らかな微睡みなどではない。
失われてしまった光と、戻ってきたヒカルだけが世界の全部だと開き直れるほど、ガキでもなければ大人にもなれないヨシキだからこそ、変質してく社会に目を塞ぎ、災禍の忠臣に近い自分にできる”正しさ”から耳を塞ぐのだろう。
それは正しく、モラトリアムにある子どもの特権だ。
だがどうにも、世界はそういう足踏みを待ってくれないようだ。
蝉の幼虫が羽化する途中で、地面に落ちアリにたかられるイヤ~なイメージ。
光の死体に入り込んだヒカルは、いわば羽化することのない冬虫夏草だ。
それはそれで一つの命なのだが、しかし人間の当たり前とは遠い存在で、人間にとっては狂気でしかない超常を当然とし、視えないものを見て喰えないものを食う。
そのことでヨシキを守り/独占し、世界でたった一人人でなしの怪物である自分を受け入れてくれる存在との、繋がりを維持しようとあがく。
これもまた、人として命として…あるいはそれを逸脱した存在であったとしても、当然の行動だと思う。
しかし世界は、それを許してくれそうもない。
人の世に在るだけで何かを狂わしてしまう怪物と、それを止めうる立場にいて動けない/動かない少年の周囲を、静かに着実に包囲する”正しい”世界。
その対立の中に存在するタブーと、少年愛の切ない危うさをシンクロさせて描く(といい切るには、やや淡い匂わせ)が、心地よい熱を帯びる回でもあった。
ヨシキを突き動かすフィジカルな律動は、見ず知らずのおばさんがヨソモンの愚痴垂れ流してくるクソ田舎じゃあ、”正しい”ものとしては扱われないのだろう。
そうして想いをクローゼットに閉じ込め、大事に守っている間に光は死んだ。
羽化しない恋は地面に落ちて、アリに食われるのか。
時を巻き戻して、生白い未生のままか。
はたまた赤い怪物と化して、世界を食い殺す牙を解き放つのか。
眼前に事実として在るものを、意識して/無意識に視ない個人の決断が、果たして現実に食い込んで何かを動かしうるのか、それとも冷厳と跳ね除けて事態が進行していくのか、なかなか読めなくて面白い第2話でした。
ヨシキの粘ついた想いを置き去りに、どんっどん事態が最悪になっていってる感じも強いが、「現実>思い」なこの構図を反転させて、不定形の思いが現実なるものを捻じ曲げていってしまうロマンスも、今後全然ありうると思う。
その先に死体の山が積み上がりそうな気配もあるが、まぁそういうロマンスだって世界にはあらぁな。
頑張れヨシキ…もっとグチャグチャになれッ!!




というわけで蝉の声も烈しい真夏、画面が切り取るのは未だ生まれざる蛹である。
それがモラトリアムのただ中にいる少年たち…特に光という殻に入った/奪ったヒカルであることは、まぁ分かり易い構図だと思う。
大人たちと”会社”の人間が、感情のネチョネチョから遠いところで見据える現実では、既に殻と中身両方は地面に落ちて、アリにたかられ死んでいく。
青白く不定形の異形が、人間の世界に迷い込んだのならそれが普通…って話なんだろうけど、ヨシキは光を二回喪失する現実には耐えられない。
微睡みの中時を巻き戻し、幼虫が幼虫でいられる時間を希う。
長く伸びた前髪がカメラを覆う一人称の構図は、POVホラーの味わいを画面に宿しつつ、ヨシキの脆くて切ない内面を僕らに伝えてくる。
そこには見たいと思ったもの/見えてしまうものが切り取られ、それを選別する意思のフィルターと、それを貫通する異形の現実が両方映る。
暗い影に覆われ、見えなくなってしまっているものの只中にこそ真実があるが、それと対面することは危機と苦痛を伴う。
見て見ぬふりでやり過ごし、何事もなかった日常を繰り返せるのであれば、それに越したことはない…というのが、ヨシキの今の思考(あるいは視界)なのだと思う。
その真中には、いつでもヒカルがいる。
あるいは、もういない光が。
誰よりも怖がりだった光が、自身超常の存在だからこそ人間的な恐怖と縁遠いヒカルに成り代わってしまっている皮肉に、クスッとしている余裕も物語は与えてくれない。
あるものには見えない暗がりでしかないものの中に、気の所為だと封じるものの中に、既にヒカルから溢れ出したモノは身を置いていて、村の日常は様相を変えている。
「ちょっと変わってしまったけど、変わらず愛しいあなた」との日々に、ゆったり立ち止まる余裕はとうに剥奪されていて、でもその事実に向き合う姿勢は、ヨシキも村も取れていない。
…落ちる空蝉のモチーフ、禁足の山という殻から溢れ出してしまったヒカル(ノウヌキ様?)でもあるのか。




蝉が羽化する時、殻は縦長の裂け目を生み出して外側と繋がり、新たな形の生命を生み出す。
グラサン野郎が山から回収してきた、強力な呪力を持つフェティッシュを暴き立てる時、同じような裂け目が空いているのは面白い。
それは少年に存在するはずもないヴァジャイナとして、ヒカルが誘いヨシキが突っ込む腹の穴と、同じ現実の裂け目だ。
オカルティックな胞衣に包まれてるものの、間違いなくゲイ・エロティシズムで駆動してる話だよなぁコレ…。
俺はそういうの大好きなんで、今後もエロくクィアに行ってほしいですがね!
ヒカルの赤く滲む瞳は、森の中に何かを感じているふうな朝子を見つめ、視界に捉えている。
今回のエピソード、ヨシキの一人称は幾重にも折り重なるのに、ヒカルが何を見て何を感じているかさっぱり描かれないのが、とても面白かった。
犠牲者であり元凶でもある主人公の苦悩や狂気は身近に感じられるが、彼が思い狂う対象がどんな主観に生きているかは、全く見えない。
それは正体定かならざる怪物を、死んでしまった光の代替品としてそばに置くしかないヨシキの、ヒカルに対する解らなさを反映しているように思った。
ヒカルは確かに、彼なりに何かを見ている。
しかしそこに宿る感情がどんなものか…人間一般と同質のものなのかは描かれないし、彼が見ているだろう異質なオカルトは未だ暴かれていない。
ロマンスとしてホラーとして、不鮮明なその影に切り込んでいくことで物語は先に進んでいくわけだが、それは決定的な差異と断絶…取り返しようもなく何かが終わり、変わってしまった事実を、ヨシキに伝えることにならないか。
そのコトが怖いし、過酷な思春期の避け得ぬ定めであるのなら、むしろ楽しみでもある。
どーせ地獄しかまってねぇんだから、グパッと開くなら早いほうが良いだろ…。
でもまぁ、裂け目の外側に出ていく準備が、村にもヨシキにも全く整っていなくはある。
正しくモラトリアム(あるいは残酷なその終わり)だなぁ…。




ヨシキはヒカルが無邪気に(あるいは邪悪に)振り回すエロティシズム…それに刺激されて溢れ出す己自身のリビドーから、必死で目をそらす。
それは心の奥底願ったものが叶う怖さと同じくらい、それが求めていたものとは違う代替品によって手渡されるおぞましさから、生まれている遮断のように思える。
空蝉の中から溢れ出す、赤くおぞましい不定形のなにか。
普通ならば脱皮に成功しなければ共倒れな幼年期の定めを、塗り替えて生き延びうる怪物の実感は、自分を愛してくれないまま消えた光を忘れていくことと、どうしても繋がってしまう。
怪物に成り果てても友達だと、失われたはずの愛を守ってやれるのは自分だけだと、変質していく世界と自分から目を塞いで、見て見ぬふりを続けようとしても。
他でもないヨシキ自身が、その欺瞞に気づいてしまっている。
拭いきれない違和感と、死せる思いを裏切る罪悪感が入り混じった痛みを、眠りによって忘れようとしても、世界がどんな形か親切に伝えてくれる”正しい”人の名前は、もう携帯電話に刻まれてしまっている。
暮林さんがじっとヨシキを見つめ、ヒカルから発せられる残穢が入り混じっている様子を告げる時、二人を無明の影に覆っていた自転車が動き出して、その対峙は白日のもとにさらされる。
見て見ぬふりは、もう出来ない。
それが解っているからこそ、パトカーのサイレンが遠雷のごとく鳴り響く夜にヨシキは必死に眠り、混濁する狂気の間に微睡む。
何も壊れてはいないし、間違ってもいないし、嘘っぱちの永遠が今まで通り続いていくのだと、自分すら信じていない夢を見る。
この矛盾に満ちた中途半端を、ひょいと人またぎするように彼の想い人はぶっちぎりに人外だ。
脱皮できなければ食われて死ぬか、殻を置き去りに成体へと変化していくか。
生白い幼生のまま生きていく、永遠のモラトリアムを許さぬ世界の中で、ヒカルは殻の中を入れ替わった赤い菌糸として、異常で歪なあり方を貫きうる例外存在…なのだろうか?
ヨシキの一人称視点に深く潜り、彼を苛む愛と欲と痛みと苦しさをたっぷり味わったからこそ、パッと見甘ったるい愛を(かつてヨシキが望んだように)手渡す光が、理解しがたい異物であることが暴かれていく。
そういうイレギュラーを隣に置き、手を伸ばし、暖かく湿ったその内側に入り込んで入り混じった時、ヨシキは何になっていくのか。
世界を裏切る怪物になってでも、友情と性愛の間を揺蕩う名前のない感情は、貫くだけの価値があるのか。
問いかけはヨシキがすがりつく幼気なブランケットを貫通して、彼自身と世界を揺さぶり、狂わせていく。
極めて残酷で、鮮烈なジュブナイル・ホラーである。
目を逸らさず見る行為は、そうして観測した世界と自分のあり方に責任を負う、正しくて成熟した態度だ。
ブレッブレに視界が震え、見るべきものを見れないヨシキの視線は、そういう意味では無責任なガキのそれであるし、同時に否応なく見えてしまえる視力を、既に備えている証明でもある。
そして見えてしまえば、くの字の怪異のように危険な存在は、こっちの準備が整っているかどうかにかかわらず襲ってくる。
今回は血を流し危機を引き受けてくれたヒカルから、複雑な感情のヴェールに視線を覆われ逃がしているうちに、彼が紛れもなく怪物である事実が、ヨシキと村を襲うことになるのか。
…あるいは、それは既に起きているのか。
今後”会社”の霊能者が、村の大人(何が”正しいか”を定める能力と責任を持つ存在)と一緒に、既に相当ヤベーことになってる世界のカタチを探っていくだろう。
そうして暴かれたものは、災禍の中心にいるヨシキとヒカルに必ず追いつく。
あるいは大人が追うべき真実それ自体が、彼らのひび割れた殻の中に秘されているのだ。
そうして柔らかな夢の中に手を突っ込んで、正しく脱皮しろと迫る者たちを前にした時、ヨシキは何を見る、何から目を背けるのか。
もう少し柔らかな幼生たちに時間をあげてほしいけど、一足先に脱皮を果たした世界は、そんな贅沢を許してくれそうもない。
ジリジリと加速する狂気の中、幸せのカタチを探る少年たちの旅は続く。
次回も楽しみ。