広川卯月編完結ッ!
青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を見ない 第3話を見る。
色恋の気配が全く無い広川さんのエピソードは、これまで作品内でキラキラした夢と希望を背負ってきたスイートバレットが現実の天井に頭コスる不思議な手応えと合わせて、凄く独自の味がする。
主役抜きでも答えにたどり着いていたような、空気読めないタフさを感じると同時に、ファンとも想い人とも違う距離感で広川さんに向き合った大学生の咲太がいたからこそ、あの「お兄さんバイバイ!」にたどり着けた感じもあった。
全く空気読めてないド派手な服装で、周りの視線を気にせず大きく手を振る広川さんは、めちゃくちゃカッコよかった。
そこには結構な紆余曲折を経たうえで大学に進み、ずーっと見れなかった”みんな”を統計の雲の向こう側に見てみたかった願いが、もう2つの夢と衝突するから砕けていってしまう悲壮感も同居していて。
でもその苦さと痛さを自分の責任で飲み込める時間が、咲太にも広川さんにも既に流れていってしまっているから、あの「バイバイ!」なんだろう。
ここら辺、するーっと免許取り車も買った(からこそ、後部座席で泣く義妹を、静かに見守れる立場になった)麻衣さんのお姿とも響く描写で…なんというか、とても青ブタシリーズらしい余韻を、新シリーズファーストエピソードの幕引きに、感じることが出来て嬉しい。




かつて妹を殺し自分に深く傷をつけた、空気という怪物。
咲太は思春期症候群を巡るいくつかの冒険を経て、これを操る…とまではいかないが、それに殺されずその透明な顔をよく見て、吸ったら死ぬ毒なのかあえて乗っかるべき風なのか、見定める力を手に入れたと思う。
それは至近距離で取っ組み合いするしかなかった自意識を、ある程度引いた距離から観察し制御する力と重なっていて、花楓を救い家族を取り戻し、恋人と幸せになっても良い自分を掴み取った大学生の咲太は、もう空気を憎まない。
だからこそ、最悪の空気を拡散する携帯電話という凶器も、もう自在に使えるようになっている。
ミニスカサンタに与えられたらしい思春期症候群により、広川さんはこれまで見えなかった空気が見えるようになり、それに縛られるようになる。
空気読みに必要な客観性は、鏡に写った自分の顔…友達と自分の夢を嘲笑っている醜さも、良く暴いてしまう。
かつて街をさまようバニーガールを、ただ一人見つけられたのと同じように、咲太はそんな広川さんの見えすぎるがゆえの自己嫌悪と苦悩に、三崎口のときと同じように寄り添う。
今乗るべき空気は、この灰色の諦めじゃないだろう、と。
麻衣さんは誰かを乗っけてどこにでも行ける、大人パワーに満ちた車を運転しながら、後部座席の妹がどういう顔で泣いているのか、鏡越しすごく気にかけている。
のどかも広川さんとのこれまでを窓ガラスに反射しつつ、そこに絡み合って立ち上がる自分の現在と未来を見つめて、これからどこに行けば良いのかを思い悩んでいる。
鏡の中に他者と自分が見えてしまうこと…空気が読めるようになってしまうことは、広川さんが巻き込まれたような灰色の憂鬱だけでなく、誰かをもっと強く思いやり、もっと賢く真実を見つめ、もっと自分らしくある助けにもなりうる。
その両面性を飲み込み、より善く使いこなす可能性を己の中に見出すこと。
あの不可思議で素敵な冒険の中で、自身空気に深く傷つけられ、父や母や妹という最も身近で大事な他者の顔が見えなくなっていた咲太は、そうなれる自分を築き上げ、掴み取り、再生させてきた。
鏡の中に映る他人と、そこに乱反射する複雑でシンプルな自分を見落とさなければ…そうさせてくれる特別な人達との繋がりを、必死に保っていれば、空気を未来の方へと動かし、風に変えられる体験を、咲太は実を持って知っているのだ。
降って湧いた思春期症候群によって、不慣れな空気読みに戸惑う常人一年生に対し、咲太はちょっとした人生の先輩なのだ。
この先に立って手を引く感じは、やっぱ嵐に翻弄されながら突き進んできた高校時代と違うな、と思う。
空気が読めなかった広川さんが、自分たちに何をしてくれたのか。
広川さん本人よりも、彼女のガムシャラで一本気な…傍から見ればバカげたエネルギーに引っ張ってもらってきたのどかが、よく解っている。
多分そういうやり方でしか人間は、誰かとつながって初めて成立する己のカタチを計測できない。
世界線を飛び越え因果を書き換え、そういう繋がりを断ち切られたり繋ぎ直したりした経験値が、咲太と彼の大事な人たちに、どう鏡を見て空気を吸い込むか(あるいはそれを拒絶するか)を教えてきて、今回初ヒロインである広川さんにはそういうメソッドがまだない。
なら手渡そう、と孤独な影に寄っていくのが、今の咲太だ。




雨降り模様の八景島に満ちた、灰色の侮蔑と嘲弄。
他人の夢を殺し、喉を潰す毒ガスに広川さんは飲まれかけていたが、フードを外した咲太はそんなモノに飲まれる必要がないことを伝え、小さく風を起こす。
咲太はシャイなハードボイルド青年なので、過酷なアイドル道に足を踏み入れていない部外者の立場をわきまえ、極めて控えめにエールを送るのだ。
広川さんは根本的に”アイドル”なので、今視界を埋め尽くす灰色の毒ガスよりも、そういうたった一人の魂こもった声援でこそ立ち上がり、自分を取り戻せる。
誰もがとっくに解っていて、でも初めて出会う空気に気圧された広川さんには見えなくなっているものに、名前を付けて追い出す。
彼らしい空気の殺し方であり、エゴイスティックに望んだ空気を生み出すメソッドだなぁと思う。
実際それで、恋人も妹も家族も友達も、全部全部守り切り取り戻してきたので、完璧に正解だと思う。
バズの波に乗っかって、風見鶏のようにフラフラ空気に左右される無責任なファンを取り込まなければ、スイートバレットは武道館にはいけない。
そこには致死性の毒(あるいは自分の中に確かにある悪意に、自己中毒して死にかねない危うさ)があるけど、もっと熱く眩しいものがとっくの昔に広川さんを取り巻いているはずだ。
それがあったからこそ、進路に悩む花楓は広川さんとの触れ合いに救われて、妹を愛する咲太は彼女に恩がある。
そしてそういう道理を蹴飛ばして、すげーシンプルに好きな人がいらない空気に殺されていく現状が、咲太にはとにかく気に入らないのだと思う。
読む必要がない空気なんて、決意が巻き起こす風でぶっ飛ばしちまえば良い
それが正しいと誰もが知りつつ、貫いて生きるのは結構難しいハードボイルドな理想を、咲太は高校時代確かに叶え、家族と自分を取り戻した。
恋人を救い、友人を助け、恩人を守ってこれた。
思春期症候群に立ち向かった、これまでの奮戦と自己実現はもう揺るがないものをブタ野郎に与えていて、それが広川さんに伝播して、空気読めない自分を取り戻させる。
誰かに押し付けられた思春期症候群を、厄介な自分らしさで塗り替えて夢を掴み直す。
面白くもねぇ現実に飲み込まれるより、侮蔑も諦観も全部飲み干して、未来の方角へと吹く強い風にみんなを乗っける未来を選ばせるのだ。
それは結構、大したことだと思う。
そしてそれは、空気を読めず夢に向かってまっすぐ突っ走れたかつての広川卯月がもっていた、彼女らしさであり強さなのだ。
記憶も因果も書き換えられて、不条理に何かを歪めてしまう(あるいは見えなかったものを暴き立てる)思春期症候群は、人を殺す毒にも蘇らせる薬にもなりうる。
ここでメソメソ諦めに負けてステージに背中を向けるより、奇跡の大復活を果たし夢への道を力強く進んでいく方が、より広川卯月らしく、”アイドル”らしいと選べたのは、勿論咲太のエールあってのことだ。
そして同時に、そうなるべき本賞を自分がもっていることを、それを剥奪していく異常事態に襲われればこそ、広川さんが自覚できたからだ。
今回咲太が広川さんの悩みに向き合い、スイートバレット解散の危機を外野からひっそり巣食っている姿は、大学生になった彼が思春期症候群の両面性をある程度、制御できるようになった成熟を感じさせた。
それは消えかけている自分らしさを厳しく問いかけ、現実を捻じ曲げてでも試し、改めて掴み直したり、より適切に再獲得させる契機になる。
それはいかにもラノベ的な異常事態であると同時に、極めて普遍的な青春の試練だ。
かつて自分たちを襲ったそんな嵐を、憎むでなく噛み締め糧に変えていくタフさを、咲太は広川さんに手渡していく。
…咲太、教師向いてそー。
ソロデビューもスイートバレットも両方やりきる決断を、大学生活と両立させるのは難しい。
自分を取り戻した広川さんは、常識や損得を蹴り飛ばして最速で駆け抜け、大学を中退する。
それを「卒業おめでとう」と祝福できるのは咲太だけで、周囲のモブたちは派手すぎる装いで急に騒ぎ出した”空気が読めない女”に、遠巻き怪訝な視線を投げるだけだ。
そういう曖昧な空気に満ちた世界で、広川さんはすごく明瞭な意思を込めてどんな風を自分と仲間に吹かすのか、選び取っていく。
取りこぼすものも、諦めるものも当然あるけど、そこに湿った後悔はもうない。
そういう灰色の空気は眩しい夢をあえて食う”アイドル”の主食ではなく、フツーの人たちが吸えば良いのだ。
蛍光緑の服を来て、大きく手を降る広川さんはもう、鏡を見れない彼女に戻っている。
その幼い未成熟が良かったのか悪かったのか、客観的に判断する世知をどうでもいいと蹴飛ばしたからこそ、彼女はスイートバレットに戻り、大学をやめた。
その視線の先にたった一人、曖昧な空気でも鏡に反射する結像でもなくて、ひどく明瞭な一人間として咲太が立っているのだと思うと、なんだかすごく心を揺さぶられる場面だった。
風をどこに届かせるのか、選べるかもしれない自分を教えてくれた特別な人の顔だけを、まっすぐ見つめられる自分へと、広川さんは立ち戻る。
咲太はそんな彼女を、空気読まず選んで取り戻させた。
そんな決断の連鎖は全てを掴み取ってくれるわけではなく、デカい夢二つ追うには大学生やってる場合じゃなくて、広川さんは軽やかに”みんな”を知りたかった夢を卒業していく。
それは統計科学を通じて曖昧な空気の正体を探りたかった(けど、シャイなのでそういうピカピカは隠す)咲太が、大学に残ってくれるからこそ手放せる祈りなんだと思う。
自分じゃなくても自分以上に、鏡に写った自分の顔を見てくれる人がいる。
今回の冒険を通じて、広川さんは心からそう信じられるようになって…あるいは咲太がそうさせた。
そういう決断と信頼の連鎖の先に、何かが確かに手放されてしまう切なさが、この”バイバイ”にはあったと思う。
学校という箱から離れたとしても、人間が繋がっていられる靭やかな絆を大事にしているのも、このお話の良いところだ。
広川さんは今後も、アイドル道に空気読まず邁進する中で咲太と顔を合わせ、言葉をかわし、恩返しのようにちょっとした悩み事を助けてくれるだろう。
同時にそういう安定した、幸せなポジションに女の子が滑り込むことで、不確かな泡のまま消えてしまった可能性が確かにあるわけで、あの「バイバイ」に弾けていた切なさは、そういう場所から生まれているのかもしれない。
かつて青春ブタ野郎は、数多世界に重なるランドセルガールの夢を振りちぎって、翔子さんが生き延びる未来を必死に掴み取った。
何かを選べば何かが切り捨てられ、可能性の向こう側に泡と弾けていく。
思春期症候群を一つ乗り越えるたびに、咲太と女の子たちは何かを学び取り、掴み取り、不可逆に成熟していく。
それはとても良いことで、救えたモノも癒せた傷も沢山ある。
でも確かに、何かが選び取られ何かが消え失せている寂しさと切なさがそこにあるのだと、改めて教えてくれる「バイバイ」だった。
(ここに漂う”選んでしまう切なさ”は、作品が確かにバックボーンに置いてるギャルゲー文化の精髄を豊かに継承している感じもあって、個人的にはなかなか面白い。
選ばれなかった”ルート”の残骸で青ブタシリーズはみっちり満ちているが、咲太の恋人になり得なかった人々がタフに気高く、自分の物語を歩いている様子をしっかり追いかけてくれることで、恋愛を勝敗に変えてしまう卑劣と卑屈に強力にワクチン打ってるところとか、やっぱり好きだ。)
それを喪失ではなく旅立ちとして祝福できる咲太は、やっぱとびきり優しく強いやつだと思った。
こういうヤツが主役を張っているこの話が、やっぱ好きだと思いつつ、次回を待つ。
謎めいたミニスカサンタの、正体やいかに。
思春期症候群は続く。