サヨナラ、貴方じゃなくていいから。
…なんて言うには、あまりにも熱く速すぎる季節を描く、”光が死んだ夏”第3話である。
前回までは見ているものの心をぶん殴る直球の嫌ホラーで押し込んでくる感じだったが、今回はヒカルとヨシキと光を取り巻く時間を丁寧に削り出し、暮林さんが差し出す正しさの意味を知りつつも跳ね除けて、幼子のように己にすがる怪物を抱きしめる温かなおぞましさを、切なく描いてきた。
愛する人にいきなり死なれた、世界の理不尽の被害者なのに、自分が隣で手を握ったやんなきゃ輪郭すらアヤフヤな不定形のガキを導く使命感と、幼馴染への情愛と性欲が入り混じった感情に、ヨシキは押し流されつつある。
このカオティックな濁流は、ヨシキ自身が自分の輪郭を描ききれていない子どもであり、夫に似たものとの関係を破綻に終わらせ、教訓を得て指輪を外せた暮林さんとは違う場所に立っているからこそ、強く押し寄せてくる。
大人が名前と顔をつけて殺し、標本にして懐かしく飾ってしまう生の感情を、自分自身の血潮として受け止めることしかできない、思春期の儚き戦士。
ヨシキ自身も混沌に整理をつける時間を与えられ、ガチャガチャ揺さぶられないよう守られなきゃいけない立場なのに、光の死とそこに入り込んだ不定形の怪物…彼が生み出す歪みと穢れは、立ち止まる余裕を与えてくれない。
3話まで見てこの話、自分の感覚では画角を変えた戦場のジュブナイルって感じがある。
赤ん坊のように必死にヨシキにすがるヒカルが、村をぶっ壊しかねない理不尽そのものであるのがややこしいが、本来なら殻の中優しく守られなければいけないモノたちが暴力的に引きずり出されて、過酷な決断に身を投げなければいけない状況は、とにかく悲惨だ。
それでもヨシキは自分の中で何が本当なのか、余裕のない中見つめて選ばなければいけない。
そこで目を背けることより、正しさと正しくなさの狭間で自分の痛みと震えに向き合うことを選んでいて、マジいい子だなと思った。
幸せになってくれ…(ぜってー無理。フツーの手段では)
ヘテロとクィア、日常と非日常、正しさと己の感情…大人と子供。
ヨシキは様々な境界線の上に強制的に立たされ、どちらかを選ぶように追い詰められ/己を追い込んでいる。
そのどちらでもある曖昧なカオスを選んだって、別に間違いではないのだと開き直れるところまでくれば、随分楽になる(あるいは彼の子供時代とこの物語が終わる)んだろうけど、いまだ彼らは殻の中、何を正しいと規定するのか選ぶ前に揺蕩っている。
僕はこの、乳海攪拌以前の豊かな混濁こそが人間性のスープだと思うので、もし叶うのならヨシキには大いに悩み、迷い、間違え選んでいって欲しかったけども。
死人も出てるし、まぁ難しいよね…。
暮林さんという、善き大人であり同じ立場の先輩であり、既に己の愛着を断ち切る”正しさ”を選んでしまった人を鏡に置くことで、ヨシキがただヒカルへの愛だけで動けるほど悪い子ではないことが、より鮮明になっていく。
人として、大人のなりかけとして選ばなきゃいけないものが見えていないわけではなく、それに従ってヒカルを跳ね除けようとするけど、どうしても感じてしまう幼い憐れみ、自分の中に湧き上がる暖かさも、また裏切られない。
ここでは性愛と友情の境目だけでなく、弱いものへの義務感とネバついた我欲も揺れていて、ヨシキは自分以外すがるモノのないみなし子を、その手で引き寄せる。
それは自分の正しくなさで我が子に消えない傷をつけた、暮林さんが持ってる優しさと多分同根で、でも導き出される結果はさかしまだろう。
ヒカルから…あるいはヒカルを窓にしてそこから這い出してくるものは、今は気配でしかない歪みを村全体に拡大し、あってはいけないモノを現実に定着させていく。
そうして村が怪物の住処に成り果てる前に、窓を閉ざすことが出来るのは多分ヨシキだけで、彼持ち前の優しさと賢さ故に、その道は選べない。
ヨシキがいい子であればあるほど、正しくない決断が積み重なっていく矛盾。
多層な正しさの全部を、正しいってことにする余裕がもう村にないのね…。
これを適切に隔てるための禁足地だったんだろうけど、それを犯して光も光のお父さんも死んでしまって、何かがヤマから降りてきた。
人があるべき領域と、あってはいけない場所の境目も既にグチャグチャに乱れていて、そんな混濁に見て見ぬふりをしていればこそ、世界は正気を保てていた。
今後破綻が大きく広がるのなら、ヨシキは世界を侵す狂気に一番最初に感染してしまった被害者であり、唯一狂気の蔓延を防げる防疫責任者でもあろう。
…こんな難しい立場、ダチ死んだばっかのガキに任せんなって話なんだよなぁ。
マジかわいそうだが、運命は少年の都合をまってくれない。
ちゃんとしなきゃダメだよ、ヨシキくん!
…という、全く正しい言葉がどんだけ彼を傷つけるかを、丁寧に積み上げるエピソードでもあった。
暮林さんは凄くいい人で、上から正しさだけを叩きつけるわけではなく、自分の体験も踏まえて後輩の震えに寄り添うとし、現状大人から手渡せるベストを投げかけたと思う。
でもその正しさは、いきなり異郷に投げ捨てられて訳わかんねぇまま泣きじゃくってる、高校生の皮被ったバケモノの赤ちゃんを救わない。
理屈も正しさも全部蹴っ飛ばして、ただひたすらに全部抱きしめてやる菩提心だけが、ヒカルという不定形の実存を受け止められるが、それは彼もう一つの実相…狂気と破滅を呼び込む異形すら肯定してしまう。
存在するだけで全てが狂っていく、本来そこに存在してしまってはいけない死人モドキを、それでも哀れと抱きしめるヨシキの優しさは、果たして間違っているのか。
そこに間違いなく青い情欲が入り交じってること含めて、非常に難しいカオスに物語が飛び込もうとしている手触りに、震えつつも興奮している。
世界が叩きつけてくる正しい答えはもう解っていて、でもそれをどうしても飲み込めないなら、正誤入り交じる混沌にひたすら溺れ、自分だけの答えを掴み取るしかない。
世の子ども達皆が飛び込む思春期の泥流は、ヨシキとヒカルにはとびきり厳しい速さで襲ってくるようだ。
ホント頑張ってくれ…マジ間違いじゃねぇから、オマエらの全部…。
暮林さんが運良くたどり着けた、愛着を断ち切り正しく生きれる場所。
それを遠目に睨みつつ、ヨシキたちはそういう借り物のパラダイスではなく、自分たちだけの地獄に飛び込んでいくしかない。
なにしろ内面も関係性もグッチャグッチャなんだから、きれいに整理生んされた答えを、都合よく適応してお話終わらせる道には進めない。
ならまぁ、その正しさも正しくなさも、生まれる犠牲も痛む心も、丸呑みにして溺れ切るしかないのだろう。
その歩みがとても切なくて、痛みに満ちて真っ直ぐであることを教えてもらう回だった。
BLとかホラーとか色んな味がすっけど、自分としては青春物語の色が一番濃いな、この話…。
というわけで、父も光もまだ生きていた時代の回想から始まる今回の物語。
遠い過去を示す黒いフレームが、眼を覚ましたあとも健在…というよりより息苦しい障壁として画面に残り続けて、ヨシキの息苦しい現状を語っているのが面白い。
光が強い季節だからこそ、黒い影も濃くなるライティングを活かして、どこにも逃げ場所がない追い詰められた心境を可視化するレイアウトが、今回冴えに冴える。
ここらへんはコンテ担当した、横山麻華の手腕なのかなぁ…。
ぎっちり息苦しくて、大変いい。
状況としてはスイカにはしゃぎ二人で遊び、いかにも夏って感じの楽しいシチュエーションなのに、光が既に死んでいること、それでもヒカルは眼の前で笑っていることが、長くて暗い影を残す。
長い時を共有した家族が隣りにいるからこそ、その死も死んだ後の生もお母さんは知らない歪さ…それをヨシキだけが知ってしまっている重さが画面に滲んで、本当にエグい。
誰にも告げられない息苦しさ、正しい決断が解っていても選べない辛さが、ヨシキを息苦しい壁の狭間に追い込んでいる。
そして一番近い場所でこの葛藤を見つめているはずのバケモノには、人間当たり前の辛さも、年相応の成熟もない。
ヨシキの慕情を振りちぎるようにして、アロマンシャルで清潔に大人びた場所に進みかけていた光の時間は、死によって永遠に止まってしまった。
恋人としてお互いを理解し、横並び人生を進んでいくハッピーエンドが物語の開始時からないヨシキは、置き去りにされた迷子そのものなのに、自分よりガキになってしまったヒカルを後ろから追いかければ良いのか、前から手を引けば良いのか、全く解らない。
この困惑に答えを与えてくれる存在は、学校にも家にもいない。
羅針盤がないまま嵐の海に放り出されたような、そのクセどうしても捨てれない大事な宝を懐に抱え込んだような、厳しすぎる航海。
そこは明暗が入り交じる不思議な場所で、社会が正しいと認めるから選んだり、間違ってるから打ち捨てたり…そういう通り一遍な選択を許してくれない。
何が光で何が影なのか、認識によって入れ替わってしまう場所において、決断はヨシキ一人のものであり、同時にそれによって世界の命運が変わってしまう。
そういう小さくて大きな悩みを、広い場所へと飛び出させるには、今ヨシキとヒカルがいる場所はあまりに狭くて息苦しい。
この美しい檻が、今彼らが囚われている場所だ。
その息苦しさは凄く普遍的な思春期の色をしてて、同時にここにしかない悍ましさを宿してもいる。
とても良い”光が死んだ夏”のスケッチだと思う。
この二人きり狭く閉じたドンずまりから、何処かへ自分たちを解き放っていける希望がかすかに見えたから、ヨシキは暮林さんに連絡をいれる。
「他人の個人情報を覗き込まない」という、当たり前の倫理はバケモノのクソガキには二重になくて、光と陰の境界線に無邪気に身を投げて、自分以外の誰かとヨシキが繋がりかねない状況…自分だけを置き去りにより正しい方へと進み出してしまう可能性を目撃する。
この明暗はヨシキが暮林さんと出会った後も消えてはなくならず、少年は光と影の境目に立ち続ける。
そこは正しさと過ち、個人と社会の裂け目でもある。
死んで生まれ直したヒカルは、ヨシキの懊悩を気にせず微睡む。
その脳天気な幼さはヨシキを孤独にするが、では暮林さんの正しさがヨシキの全部を受け止められるかというと、そんなことはない。
その通じあえなさの象徴として、ヨシキが帽子を被ったまま暮林さんの話を聞くのは、とても印象的だ。
それは社会通念上正しい行動ではないし、相手に心の全部を預けずに済む障壁を引っ剥がせるほどには、暮林さんも完璧には向き合えない。
ヨシキの視界は帽子のつばと長い前髪、二重の壁の向こうに大人の正しさを置いて、それを認識しつつも完全には信用しない。
そういう狭間に、大人でも子どもでもない彼は立ち続けている。
暮林さんと出会って、ヒカルといた時ヨシキを窒息させていた左右の圧迫は一回消える。
今自分がするべき正しいこと、大人が「こうしなさい」と教えてくれるものは、ヨシキの心理と社会を風通し良く広げ、ヒカル以外と繋ぐ。
しかし暮林さんが自分自身の経験を踏まえて提案するのは、怪物になってしまった身内への拒絶であり、物分かりよく諦めていく道だ。
それを痛みとともに飲み干せたからこそ、未だ制約(engage)の傷が残る指から暮林さんは指輪を引っ剥がし、夫の形をしたものを諦めて窓の方を見れた。
しかしその正しい残酷は、ヨシキと暮林さんの間に決定的な断絶を生む。
暮林さんは、帽子も指輪も外せる。
ヨシキを前にして一切の覆いなく、自分の過ちを伝えヨシキは間違えないよう、心を砕いて正解を教えようとしてくれる。
たしかに、その諦めは正しいだろう。
バケモノと共に進もうとしても、どん詰まりの結末以外待っていないのが世の常だろうし、実際それが起きて暮林家はメチャクチャになった。
実感としても論理としても、暮林さんがここで告げている答え以上のものはヨシキとヒカルの外側からは出てこない。
それでも、ヨシキの情欲と慈愛はその正しい残酷を飲み干せない。
彼は立派な大人を前に、帽子を脱がない。
その頑なな解りあえなさが、俺は良いなと感じた。
暮林さんが伝えるべきを伝え、かなり決定的に二人が決裂してしまった後、空は予言的に薄暗く曇り、やってくるのはデカすぎるパフェだ。
その不気味な噛み合わなさは、多分この状況で差し出せる最良の大人をもってしても、ヨシキが投げ込まれた思春期を乗り越る決定打にはならない、物語のルールを明瞭に示す。
それはオバサンのズレた心遣いにしかならず、悩める青春の特効薬には足りず、せいぜい大盛り過ぎる大きなお世話にしかなれない。
それでもヨシキとヒカルに誰かが手を差し伸べようとしたことと、その声をヨシキが聞こうと藻掻いたことには、僕は結構大きな意味があると思う。
正しくあろうと、確かにヨシキは頑張ったのだ。
ヨシキが思い悩む倫理の明暗を、ヒカルが真実共有して一緒の場所に立つには、彼はバケモノすぎるしガキすぎる。
ひたすらに自分の快楽に素直に、ヨシキだけを求めすがることが出来る幼さを飛び出して、窓の外を正しく見ようとは、ヒカルは欠片も思わない。(光は年相応の自然さで、そういうことを思ったかもしれない)
雨が降りしきる曇天なのに、奇妙に明るい教室の窓縁、ひょいとヨシキに近すぎる場所に身を寄せて、ベタベタ触って跳ね除けられる。
そのフィジカルでエロティックな拒絶が火花を散らす時、少年たちの身体は生々しいリアリズムを宿す。
ヒカルといると、世界が歪むし人が死ぬ。
見て見ぬふりをもう出来ない危うさを認識して、ヨシキはヒカルを遠ざけようとする。
そこには同性の親友に惹かれてしまう己の情欲から、”正しく”距離を取ろうとする潔癖な意識も少し滲む。
お互いの思いがすれ違い摩擦する、暗い影の中で行われているはずなのに強い光も宿るこの場面で、子ども達の手のひらや腔内が生々しく描かれているのは、ヨシキを包囲しヒカルを捕らえたカオスの中、確かに思春期の欲望(あるいはその不在)が長く尾を引いているからだと思う。
欲情し博愛する、矛盾が一人間の中に同居している存在として少年を描く筆致は、僕はかなり好きだ。
生前の光に宿っていたアロマンシャルな空気と、彼の身体を接しするヨシキの視線は極めてアンバランスであり、それが未解決なまま死体になって、また別種の釣り合いの取れなさが生まれている感じがある。
少年として当たり前に誰かを好きになり、それに思い悩むヨシキの成熟(あるいは未熟)と、生命として世界に生み出されたばかりで何もかもが新鮮な(あるいは不安な)ヒカルは、求める愛の形も違う。
不定形な自分の輪郭を抱きしめて定位し、己がこの形でいいのだと無償で教えてくれる導きをこそ、幼いヒカルは求めている。
情欲の青い炎も、正しさを認識できてしまう眩さも、そこにはない。
ヨシキの視界には、それが星のごとく瞬き続けてる。
グロテスクで美しい恋で、とてもいい。
強い主張を宿した身体は、ヨシキがヒカルを拒絶する決定的なアクションを起こすことで…その源泉として、暮林さんが手渡した社会的な正しさを借り受けることで、一気に解ける。
あるいはヨシキだけがヒカルを人間の形に保っておけた、アンバランスで危うい寄生的関係が一瞬破綻し、バケモノの本性が不定形に溢れ出す。
薄暗いモノトーンで綴られていた教室には、拒絶によって生まれた傷口から赤い何かが溢れ出し、境目がハッキリしていたからこそ衝突も出来ていた状況は、教卓が何もかも覆い隠す無明に崩れ去っていく。
借り物の正しさを持ち出しても、自分たちの輪郭はなぞれないのだ。
あるいはその不定形の混沌こそが、二人の”本当”…とも言えるだろうけど、では暮林さんの話を聞きに行って、正しくなろうとしたヨシキは嘘なのか。
もう目を塞げない、自分がヒカルを思うほどに歪み壊れていく村にどうにか、子どもなり責任を果たそうとするから生まれる苦悩は、省みる必要のない偽物なのだろうか。
そう単純に割り切れないからこそ、この物語は凄く複雑な描線で様々な境界線を描くし、その両方にヨシキが混濁する様子を切り取っていく。
一度はニセモノのバケモノと拒絶したヒカルが、透明な涙を残して去っていった後、ヨシキの世界は暗い。
不定形のバケモノは、間違いなく彼の光なのだ。
ここでヨシキへ侵襲するヒカルは、思い余っての性的アプローチという凄くスタンダードな思春期的行動を、バケモノにしかなし得ないホラーな味わいと混ぜ合わせている。
フツーの人間ならセックスかセックスの拒絶か、どっちかにキッパリ別けて(あるいはそれに失敗して)道が定まっていきそうなところで、性とは別のレイヤーが顔を出すのが、彼らの青春の極めて厄介なところだ。
押し倒し、混ぜ合わさる不快感と悦楽は(ヨシキが心の奥底、求めていただろう)セックスの色に通じているが、同時にそこには人間と怪物の混濁という、異質なタブーが顔を出す。
気持ち悪いと思わなければいけないことなのに、とてつもなく気持ちが良い。
社会の規範からすれば遠ざけるべき(しかし規範の中に捕らえられてはいる)セクシャルでエロティックな混濁と、村を崩壊させかねないバケモノと、対話し抱擁し許容するタブー。
これを切り分けられず、逃げることも出来ず向き合うしかないところに、ヨシキとヒカルの難しさがある。
こんなグチャグチャ誰にも告げられないし、自分たちだけで答えを出すには彼らはあまりに脆すぎるが、同時に二人でいなければ世界に光はない。
ヒカルがいるからこそ、暗い嵐の中でも不思議と世界は眩しい。
そんなことを、この教室での衝突と離別は告げてくる。
それは嘘じゃない。
嘘じゃないからこそ、苦しいのだろう。
級友の無邪気な指摘を受けて、ヨシキはヒカリの私室へと再び進む。
そこにはエピソードの最初彼らを包囲していた、息苦しい壁はもうない。
温かなオレンジ色の光の中、自分だけが感じる/手渡せる生の実感に率直になることを、ヨシキは自分の答えとして選ぶ。
ヒカルもその中に何が入っているのか定かではない、不気味な輪郭を投げ捨てて人間の形のまま、ヨシキにすがり並び立つことを選ぶ。
二人の決断が、正しいのか間違っているのか。
裁かれたい気持ちは暮林さんの言う通り、楽になりたいエゴでしかないのか。
それが不確かだからこそ、ここでも明暗は混濁し同居する。
ヨシキはここで、ヒカルを光の代用品…あるいは己の欲望の反射材としてしか見ていない身勝手だけではなく、世界に産み落とされたばかりの不安な赤子を、守ってあげたいと願う博愛を見出す。
それもまた世界を侵し壊す、正しくないエゴなのかもしれないが、それでも確かにその光は二人の中に…そして二人の間に在る。
光のカタチを借りたニセモノが、ニセモノでありながら確かに本物の痛みと不安を抱えていて、それを抱きしめてやれるのが自分しかいない事実を、ヨシキはちゃんと見た。
その視力は、自分の正しくなさに思い悩み、暮林さんに連絡を取った決断と、同じ場所から生まれていると思う。
ヨシキがもっとバカで身勝手なガキだったら、とっととニセモノのバケモノをぶっ殺して正しい世界を取り戻しているか、怪物と二人愛の中に沈んで世界を殺せているだろう。
彼は優しくて賢くて、あまりに理不尽な運命と戦い切れるほど強くないからこそ、こんなにも苦しい。
そしてそういう矛盾に満ちて迷う存在だから、間違いだらけのまま世の中に産み落とされてしまったヒカルを見捨てず、既に去ってしまった光の面影を追いつつも、隣にいようと手を伸ばすのだろう。
その決断がどこにたどり着くにしても、彼らの迷妄には嘘がない。
矛盾しているように思える何もかもが、確かに全部本当だからこそ苦しいのだ。
ヨシキは暮林さんが差し出した正しさを、自分の本当とは選べなかった。
選んでヒカルを遠ざけて、殺す道に耐えれるほど愛は嘘っぱちじゃなかった。
それならそれで、どんだけ血みどろで残酷な運命が彼らを追いかけてきても、逃げ切り戦う強さを示さなければいけない。
自分一人だけ満たされて幸せな、幼い時間にサヨナラしなければいけない。
あるいはそういう、力強い巣立ちは最早遠くなってしまった思い出の光があればこそ、可能になるとも思うけど。
どっちにしても、ヨシキもヒカルも精一杯、自分たちの物語を選び、傷だらけに戦っていって欲しい。
もう、そのくらいしか祈れることがない。
庇護欲と性欲と慕情と、後ろめたさと恐怖と嫌悪がグチャグチャに入り混じった、ヨシキの中の怪物。
ヒカルの無防備な頬に触れ、それが生み出す眩い輝きに手を伸ばした時、ヨシキは”それ”と向き合う覚悟を固めた。
果たしてそれが、彼なりの正しさを証明していく武器になるのか。
情け容赦のない理不尽が暴れ狂い、この決断をペキンとへし折りそうな気配もあるし、ガキが自分の魂の奥底から引っ張り出した愛と勇気が、何かを掴み取ってくれそうな予感もある。
同居する光と闇…どっちに転ぶかさっぱり分かんねぇ青春地獄絵図、明日はどっちだ。
次回も、とっても楽しみです。