私達の幸せ/欲望は、どんな形をしているのか。
ホビーと人間、それぞれの未熟と成熟が生み出すグラデーションを追う、ぷにるアニメ第18話である。
ジュレのトマトコーラ色な狂気がショッキングな回だが、今後子どもであること、人間であることをこの作品らしい手つきで深く切り込んでいくための足場を、楽しく真摯に整えていくエピソードだったと思う。
コタローが見ている世界、ぷにるが見ている世界、ジュレが見ている世界、クラスメイト達が見ている世界。
そこにあるべき自分の形含めて、欲望の色はそれぞれとても複雑で、時にお互いを反射させ合い、あるいは認められないと跳ね除けあって、望む”かわいい”を探している。
変化はしても成長はせず、女の子の形を模しても生殖は出来ないぷにるの心象は、人間とは違う。
…どころか、同じスライム生命体でも求める”かわいい”、なりたい自分、それを支えるあるべき世界は全然違っていることが、ジュレという新キャラによって明かされていく展開といえる。
今回暴力的に肩を掴まれ、強制的に叩きつけられた、ジュレの考えるあるべき”かわいい”。
性差中心主義、人間中心主義に囚われすぎて、頑なに他人を拒否して認めない(求めているように思えるコタローも、狭いエゴの投影に過ぎない)ジュレの身悶えは、ヤベーとビビる以前に痛ましく切ない。
望んだ人間、恋する女の子であるために相手役を求め、コタローにキラキラな夢を投影するジュレの歪さは、揺るがぬセンスと信念を人格の芯に入れて、他人の努力と差異を認めることが出来るぷにるよりも、危うく幼く思える。
しかしジュレの固執は人間とホビーの差異、女の子とスライムの違いを認識し、それを乗り越えて理想の自分でありたいという、凄く切実な感情によって駆動している。
世界や他者との断絶をあまり認識しない(しなくていい環境に、幸福にして居続けられた)ぷにるが意識せず、ずーっとそういうモノに苛まれ冴えないボンクラなりに必死に戦ってきたコタローとの、ズレを生み出す原因にもなっている壁。
これに取り囲まれていると感じているからこそジュレは必死だし、背伸びして人間の形/女の在り方を歪に真似もする。
酷くアンナチュラルなその軋みは、彼女が女/人間へと突き動かされる切望が本物だからこそ生まれるもので、嗤われるもんじゃないよなと見てて思う。
ぷにるがコタローの望んだ幼年期を体現する、不定形の純粋なる妖精であり続ける以上背負えず、しかしそれを描かなけりゃラブコメでも児童漫画でもなくなってしまう、薄暗い影。
その赤黒い切実さが、段々と顕になってくるエピソードだと言える。
性の外形だけをなぞるジュレのエロティシズムは、成長していくコタローの鏡でもあって、隣り合う誰かを鏡に自分の形、世界の形、鏡になってくれた誰かの形を探っていく旅は、まだまだ始まったばかりだ。
身勝手な欲望を他人に押し付け、それで摩擦を生み出す在り方は別にジュレに特有のものではなく、その叡智にボケカスどもが振り回される様や、ぷにるの”かわいい”にピンときて無い女の子たちも似たようなものだ。
ダクトテープの向こう側に、男たちが求める性器が実在しているのかは、ホネちゃん達にとって問題ではない(そこが問題だと、本格的にコロコロで連載が難しくもなる)
中学生男子にとってファンタジーでしかないからこそ、彼らを狂わせ突き動かさせる異性/異性器への幻想が乱反射すればこそ、ジュレフィーバーは盛り上がる。
そこでコンテンツ化され消費されてる 「女」という属性を共有し、その幻想の影をおっかぶせられる女子たちは、「ジュレなんかみたいにはなりたくない」という嫌悪に背中を押されれ、ぷにるに永遠の純粋を求める。
でもそれは、彼女たちが望む「永遠の女の子像」であって、ぷにるそれ自体を肯定し、希求しているわけではない。
性をアイデンティティにしない/できないぷにるにとって、”かわいい”は極めてイデアルかつ純粋な概念であり、男子/女子の区別はおろか生物/無生物の概念すら飛び越えて、極めて多彩に変身していく。
不定形の身体も、成熟による固着を知らない精神も、全てが闊達自在になりたい”かわいい”へと変化できるぷにるは、クラスメートたちやジュレ、コタローが共有する不自由な枷を、なかなか理解できない。
男や女、恋や生殖。
大人に近づいていけば自然と解っていく…とされる、概念であり身体でもあるモノが真実どういうものであるのか、把握するチャンスをなかなか与えられないぷにるにとって、自分を「ショックすぎて、女の子の形になれなかった可哀想なスライム」とみる女たちの視線は、全くピンとこないものだ。
そしてこの哀れみと怨嗟は、クラスの女子が嫌悪するジュレを突き動かす燃料そのものでもあり、女性性(あるいは女性器性)に乱反射する欲望の押し付け、それに応えようと己を鋳型にはめていく窮屈さ。
そのタイトな質感にこそアイデンティティを見出す習性は、敵味方に別れた(別けさせられた)女たちの中に、強く共鳴するノイズなのだろう。
ここら辺のめっちゃフェミニズム的な視線が、コロコロらしい元気なギャグと一緒に転がっているのがなかなか面白いわけだが、ぷにるの体現する無邪気な自己肯定、それに支えられた自在な変貌と多彩さが、最終的にこの物語の”答え”になるのは間違いないと思う。
それはとても清々しく、素敵な自己実現であるし、もう一人の主役であるコタローが何に縛られ日々を過ごしているかを見れば、それ以外に鎖を解く刃はないからだ。
しかし人はみんなぷにるのように、その心を幼く素直なまま保ち、その体を自在に変化させて、自分が信じる”かわいい”のまま生きていくことは出来ない。
誰かの”かわいい”を否定し絞め殺す社会の軛や、そうやって何かを否定しなきゃ自分の輪郭を確かめられない浅ましさに縛り付けられて、凄く危うい場所へと簡単に落ちていってしまう。
その転落を危うい所で避けるためには、他人という鏡に己を照らして立ち止まる必要がある。
例えば前回コタローが、自分が一番言われたくない言葉を、自分の柔らかなプライドを守るために南波くんに投げつけかけて、立ち止まり南波くんの”好き”に寄り添うことを選んだように。
ジュレもまたコタローのように…というか、どんだけドタバタセクシーな騒動に巻き込まれていようが、ぷにるが害されたらマジトーンでジュレに注意出来る彼よりも遥かに危うく、害意の境目の上で踊っている。
世間で思われてるほどコロコロ作品は害意を無視しているわけではなく、というか世界に確かにあってしまう害意の危うさを、作品ごと様々な切れ味で削り出しているわけだが。
ぷにるとコタローの幸せでトホホな日常だけでは描けない、理想を追いかけ押し付けてままならない人の心、何かを傷つけなければ自分を保っていられない切実な弱さを、セクシーで幼いジュレは背負っている。
それは描かれなければ作品全部が嘘になる、大事な心臓の一部なのだ。
その実体を目の当たりにしないまま、不定形のファンタジーだからこそ人々を突き動かす、性への欲望。
ジュレはその正体が分かんねえーポンコツエロ女のまんま、「男性を愛し愛される女である私」を目指し、勝手に突っ走る。
ぷにるがかわいいチャンプたるキュティや、アリスに愛されるルンルーン、こだわり凄すぎてよく分かんねぇルンルといった、自分の外側にいるライバルをある程度認めれているのに対し、ジュレは自分に手を差し伸べてくれるきらら先輩を「いい子ちゃんのデカ女」と拒絶し、実は結構傷ついてるだろうその心の奥を、想像できない。
エロく思えるジュレのほうが、全然子どもなのだ。
ジュレの自己像は「完璧であること」に強く縛られていて、誰かに頼ったり影響を受けたり、削れて継ぎ足して変化していく自分というものを認められない。
それはそう生まれついてしまった寂しさと危うさで、責任ある誰か(例えば真戸博士)が寄り添い導く必要があるんだけども、暴走しきってくれなきゃ掘り下げられない、凄く大事な場所に投下された爆弾でもある。
なのでジュレが完璧なんかじゃないからこそ、完璧を目指そうとしている自分の危うさと尊さを、目の前の誰かに反射して認識し変わっていく道は、まだまだ遠くにある。
つーかここに踏み込んでしまうと、ジュレというキャラが”完成”しちゃって話が終わるんだよな…。
自分がどんな形なのか、自由に決めれる強さと尊厳が子どもにはあると、信じ伝えるお話だからこそ、この物語の主役は魂を持ったスライムなんだと、僕は思っている。
ロボットというハードな殻に身体と精神を閉じ込められ、「完璧な女」という自己像に縛られて自分も他人も危うくするジュレは、そういう純朴な理想とは真逆の、不自由な存在だ。
でもそういう主役の影を、可哀想で憎たらしい敵ではなく、騒々しくてエッチでかわいい隣人として、魅力たっぷりに描こうとする筆が、僕には凄く優しく思える。
そういう奴だからこそ、抱えたヤバさは洒落にならなくて、巻き込まれつつ向き合ってやらなきゃいけないのだ。
自分という存在、”かわいい”の意味。
曇り空にそれぞれの在り方を悩む子ども達の今後が、どうなっていくのかはまだまだ理解らない。(何しろまだ半クールもあるしね!)
しかし穏やかな日常の中で騒々しくも楽しく転がっていた悩みに、切実でヤバい火種を投げ込む導火線には、今回トマトコーラの炎が火を付けた。
ジュレを突き動かすものは見た通りヤバくて怖いが、それはぷにるとコタローを繋ぐ柔らかな絆の影であり、世界のもう一つの形だ。
そこにしっかり目を向けなきゃ、スライムと人間の不思議な日々を描ききれないと感じたからこそ、ジュレが舞台に上がったのだ。
どういう炸裂を描くか、今後が楽しみである。




というわけで、いつものヌルい触れ合いから半歩踏み込んだエロティシズムを匂わせて、ジュレが猛烈にアタックを仕掛けてくる所から、物語は開始である。
ぷにるはお兄ちゃんたちが演じるエロティック・コメディぜーんぜん解んないまま、自分をチヤホヤしてくれるチャンスが盗まれるとお冠だが、仕掛けてるジュレだってセックスが実際どんなもんか、なーんも解っちゃいない。
ていうか登場人物誰もが、性の実像なんぞ分かんねぇまま振り回され、勝手に欲望を押し付け振り回されているのだ。
これはコミカルに見えて、凄くリアルな描写だと思う。
適切な情報摂取と自己像/世界像訂正のチャンスに恵まれていないジュレは、少女漫画力全開な描線で王子様のコタローを描き、それに相応しい自分を形成する。
ぷにるをストーカー扱いするポンコツ想像力が生み出した、極めて幼いイマジネーションが垣間見える絵面だが、同時にこの甘ったるい嘘だけがジュレがすがれる世界であり、彼女を閉じ込める檻にして守る殻でもある。
「そんなの事実に即してないし、嘘っぱちだからやめなよ!」と踏みにじったら、ジュレは自分を支えるものを全部失ってしまうだろう。
そういう暴力的な踏み込みが、幼稚園時代のコタローをどんだけぶっ壊したかで、全部が始まってるお話である。
なのでワーワー騒ぎつつ、笑いというフィルターで生々しいヤバさをそらして話は転がっていくわけだが。
ここでジュレのエロティシズムへのカウンターとして、ゴーやんが脱ぐのが公平でいいなぁ、と思う。
「別に性の対象になって脱ぐべきなのは女の特権/搾取じゃないし、親衛隊とか言って支持してるフリして一方的な消費してねーで、男も同じ土俵に乗れッ!」って話よ。
まぁゴーちゃんのアイドル信仰も大概ズレてて、「意識を持った動物は皆、ズレたまんま社会形成を頑張らなきゃいけ」ないつう塩梅になってもいるわけだが。
それはぷにると同じ立場にいそうな、クラスの女子も同じである。
ほんとここの、自分たちと同じ(あるいは既に過去になってしまったからこそ、永遠の少女を身勝手に夢見る)女たちが、本質的に在り方が異なるぷにるが体現した”かわいい”にノレないの、リアルかつグロテスクで。
エロ売りしないあるがままのぷにるを応援しているように見えて、自分たちが否応なく意識させられてる性から独立し、無生物にすらなれてしまえるぷにるの異質性は、応援したい可愛さじゃないんだよね…。
そういう自己伸延が誰かと繋がる行為には必ずあって、あるがままの…自分とかけ離れ切り離された誰かを、大事に思えない人間のどうしようもなさってのは、確かにあるのだ。
つーかぷにる自身も七歳児の視野の狭さで、お兄ちゃんたちがぶん回し振り回されてるセックスとの切実な戦いを、全然視野に入れない。
自分に理解できる無性なかわいさを物差しにして、それを魂の中心に置いてないジュレをパチモン呼ばわりしている。
どっかに異質な他者との共通点を見出し、心を寄せて距離を縮めていく努力が人間には必要で、でもそれはとても難しい。
近しいように思えるものにもズレがあり、解かり会えないもどかしさを時に衝突として発火させたり、上手く折衝可能点を見出して軟着陸させながら、適正距離が見出されていく。
今回の騒動はそんなありふれて大事な営みの、この物語らしいスケッチだ。




ぷにるとコタローはすんでの所ですれ違い、お互いが今出会うべき世界の内側に入る。
ぷにるはアリスやルンルが自分なりの”かわいい”と向き合い、同調できないが尊敬は出来る異質性が、確かにそこにあることを思い出す。
コタローは無知なぷにるが実感してくれない、自分の中の性成熟に(凄く歪な背伸びをして)隣り合ってくれるジュレと、エロティックな雰囲気だけを醸し出すカーテンの中に入る。
二人はそれぞれ別の場所、別の発育段階、別の世界にいるが、見上げる空は同じ悩みを抱えて、同じ色をしている。
マジここで見てる景色が重なるの、”根本”がつえーなぷにコタ…。
ここまでの物語的蓄積もあって、ぷにるは自分の考えを素直に修正するための材料が自分の外側にすでに在る。
仲良しで尊敬できる相手がちゃんといて、その繋がりをたぐることで自分にはピンときてない価値観に、思いを馳せる足場が作れる。
でも生まれたばかりのジュレは、コタロー(が実現してくれるはずの、完璧な自己イメージ)だけを追いかけて世界を狭くし、きらら先輩からの歩み寄りも跳ね除けてしまう。
今後炸裂するジュレのヤバさは、この孤独が加速させている部分が多々あるわけで、やっぱ誰かが隣りにいるのって大事よね、と思う。
そうしやすい/出来ないっていう、資質の違いはもちろん個別にあるんだけども。
コタローもぷにる以外友達がいない/いらない状況から、ぷにるに片手を惹かれて騒々しい日々に身を投じ、結構ダチも増えてきた。
そんな変化を彼が喜ばしく思っていることも、既に幾度か描かれているけども、このお話がずっと「友だち隣りにいたほうがいいぜ! いないと勝手に煮詰まってマジヤバイぜ!」と言い続けてるのは、凄く児童誌的な振る舞いだなぁと思う。
それは言うべき価値のある大事な真理なんだが、大上段に構えて説教してもなかなか刺さんないので、腹筋を緩める笑いと心に迫る感動で、理屈を超えて理解らせる。
そういうスタイルで、このお話は幾度も誰かが隣りにいることの意味、いないことの危うさを描き続ける。




ぷにるが目を向けている水鏡の迷いを、影の中にいるジュレが全く見れていないのは、とても示唆的だ。
尊敬できる友だちがたくさんいて、他人に素直に心を開けるぷにるは、自分のあり方に自信を持ちつつも、現実との差異をちゃんと認識し、思い悩む。
しかし完璧でならなければいけないと己を縛るジュレは、そうやって事実から挑戦され続けている自分、そこに綻びが生まれてしまっている未熟に、目を向けることが出来ない。
女であること、人間であることが絶対であるという、自分を支える価値観がぷにるにも通用すると考えて、女の子の皮を剥いで勝利宣言もする。
ジュレにとって惨めななり損ないである、あるがままのぷにる。
それはぷにるにとっては極めて自由で自在な、不自由な人間を超越したたった一つの僕だ。
性別も生殖もビルトインされておらず、自在に形を変えて己を表現できる、自己充足系ホビーに相応しい精神性を、幸運にしてぷにるは素直に獲得できている。
しかしジュレはホビーであり人間ではない自分を肯定できず、自分以外のなにかになろうとする。
それは世の男達が女たる自分にいの一に求めるセックスアピールであり、それによって男の愛を独占し、愛される自分を縁取ってくれる、なにかに従属したお姫様のカタチをしている。
限られた情報源から欲望を寄せ集め、つなぎ合わせた歪なパッチワーク。
ジュレの理想は歪だし間違っているが、拙いからこそ切実でもあり、他人を否定してでも完璧な己でありたい凶暴さには、嘘のない人間の魂が宿っていると思う。
ぷにるはコタローの願いを反射して、スゲー素直かつ純粋にいい子なので、こういう赤黒いトマトコーラ味は絞り出せないんだよな…。
でもぷにるのクリームソーダ味だけが世界の全部じゃねぇんだし、コタローの中にもこの赤黒い影はあんだから、それを体現し体当りするキャラと物語が必要で。
そんな大事な対極を背負うのが、ジュレというキャラクターなんだと思う。




でもぷにるはマジで純朴なガキなので、年上のお姉ちゃんが振り回し振り回されてる悪意に直面すると、凄くビックリしちゃうのだ…。
溢れ出したジュレの思いに、あるべき自己像を汚され傷つけられ、トマトコーラ味に染まったぷにる人形。
それを前にして、怒ったり反撃したりするより呆然としてしまうのが、ぷにるの現在地をよく示してるなぁと思う。
こういう難しいものと向き合う素材が、永遠に幼いぷにるにはまだ足りていなくて、たった一人だとどうして良いのか、全然解んなくなってしまう。
そしてその茫然自失な孤独は、そうあるべき自分と世界が解ってて、そこからはみ出す間違いを傷つけて完璧さを保とうと足掻いている、ジュレも同じなんだと思う。
ジュレを縛り支えている、生殖中心主義と人間中心主義。
それって多分、僕らが取り囲まれ生成している社会に満ちあふれているからこそ、あの子が「これが世界のルールなんだ、これに適応しないと存在できないんだ」と理解してしまった、人間社会の空気なんだと思う。
ジュレがやり過ぎな勢いでぶん回している歪さは、普通に年相応に成熟しているクラスメイトにも静かに浸透し、透明な軛として彼らを縛ってもいると、今回描かれていた。
別に間違っちゃいないだろうけど、より善く生きていくための正解でもない、あるべき性への折れ曲がった視線。
子どもであること、大人になることを描く上で、そこから逃げてちゃなんも描けないからこそ、ガッチリ腰を落としこのお話しらしい筆致でもって、自分たちのヰタ・セクスアリスを語るエピソードでした。
コロコロらしいライトなクッションをかけ、ダイレクトにセックスを描くことを避けた結果、逆にすごく複層的な視線を獲得してた感じはある。
やっぱぷにるに永遠の女児を見出す女子たちも、自分たちなりの欲望を他者に投影しているという意味では、バカな男子と根っこが同じ…ってのは切れ味ありすぎる描写だ。
俺達はいつでも、どんな年であっても、欲望の不確定な乱反射のただ中にいるのだ。
同時にそういうズレがあっても、クラスという小社会でワイワイ楽しくやっていくことは出来るし、ズレてるまま繋がっていくことも可能だってことは、例えば文化祭での大勝利で示されてもいる。
王子様に愛される完璧な女であること以外を拒絶し、ホビーでしかない自分を憎むジュレの狂奔は、そらまーヤバい。
でもヤバい以上に可哀想で、憐れまれるばっかじゃない切実さがそこにはあって、散々暴れて間違えまくった挙げ句、なんか自分がより善く活きられるヒントを、傷まみれになりながら掴んでほしいなと思う。
その足掻きに巻き込まれて、ぷにる達にも見えるものがあるだろう。
次回も楽しみ!