イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

光が死んだ夏:第11話『忌堂の扉』感想ツイートまとめ

 次第に明らかになる真実と、揺れる心のアンバランス。
 己に欠けているもの、だからこそ満たしたいものを問う足取りを追う、光が死んだ夏第11話である。

 

 光の父に繋がる縁を手繰り寄せて、忌堂の背負った業がだんだん顕になってきたが、田中が刻み込んだ首筋の切断面から欲望は溢れ出し、少年たちの魂はついたり離れたりを繰り返す。
 その明滅がどこに流れ着くのか…残りの話数で描ききるのはあまりに難しい(というか、現在好評連載中)わけだが、やっぱはなしの決着それ自体よりも、迷いや痛みに満ちた過程自体が面白い作品だな、と思う。

 超越的なスケールに思えて等身大で、確かにフツーじゃない少年たちの思春期は、ミステリとしてもロマンスとしてもジュブナイルとしても、もういなくなって会えない光を間に挟んだ三角形のまま、不安定に揺れ続けている。
 光の形をしていないヒカルに襲われて、始原の恐怖を突きつけられたヨシキが自分が何を求めて、何を掴めるのか改めて悩むし、その手を振り払ってしまったヒカルは暮林さんの家で赤子のように泣きじゃくる。
 現世の正しい秩序を守ろうとする彼女が、自分を消そうとする可能性を全く考えていない無防備が、あまりにも純粋で辛かった。
 …この心境は結局その手を止めた暮林さんと同じだと思うので、良いシンクロの作り方だわなぁ。

 

 ヨシキと父の拗れた関係も、ヒカルと光との複雑な三角形も、残り話数で完璧な決着を見るのは難しいだろう。
 むしろどんどん拗れ複雑になっていく方向に流れていく感じもあるが、しかし描かれる生々しく麗しい懊悩を味わうのは、豊かで楽しい経験だ。

 可能であれば集落に刻まれた謎が解かれ、彼らなりの選択をアニメで描ききって欲しい気持ちもあるが…どうなるかなぁ。
 二期があってもなくても、ここまでの物語は本当に素晴らしいものだったので、次回どういう幕引きになるかをしっかり見届けたいと思う。
 でも二期欲しいんよなぁマジ~~~シンプルにオカルト真実全部見てェ~~~~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 さて細い手がかりを手繰って、今まで避けていた父に向き合うことになったヨシキは、かつて光に満ちた場所でその間近に寄り添っていた肉親と、背中合わせ暗い雨の中視線も合わせない。
 父の机には家族の写真が飾られているが、彼を切り取る画角は窓ガラス越し距離があるもので、前回謎を残す田中を映すカメラと似通ったアングルを保っている。
 縁側という家と外の境目を対話の舞台にしていること含め、ここまでアニメを貫通してきた境界への視線が、終盤戦でも健在…というかより鮮烈になっている感じがする。
 やっぱ境目を描くアニメだから惹かれてる…てのはあるね。

 子供と大人の間にある季節に身を置いて、幼子には見えなかった景色が見えてきたからこそ、ヨシキは父との間に距離を感じ、あるいは生み出している。
 そこには戻ることが出来ない時間の隔絶が横たわっていて、しかし完全に親子の関係が断ち切られたわけではないからこそ、窓ガラスを間に挟んで背中合わせ、言葉だけは通じる距離を保つことも出来る。
 果たしてこの関係と感情が、どう変化していくかが、この対話の重点だと思う。
 それは必要な情報を父から聞き出し、ヒカルを苦しませる謎に切り込む武器を持ち替えるという、実用的で自分勝手な対話にはとどまらない。
 苦手に感じてても、接し方が理解らなくても、二人は親子なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 父がかつて、自分と同じ学生であった頃の思い出を絡めながら、ヨシキは忌堂にまつわる業を知る。
 遠く思えた人がひどく自分に似ていて、でも父に似ない強さと優しさを持っていると告げられて、ヨシキは父と同じ視線に経つことを拒むのを止め、腰を下ろして目線を合わせる。

 しかしまだ、縁を越えて父の隣に進み出す…時計の針を巻き戻し、その隣に並ぶ事はできない。
 この近くて遠く、変化はしているが完成はしていない生煮えの距離こそが、ヨシキと父の現在地である。
 思っていたより希望があって、頑なで時間がかかりそう…という印象。
 そんなもんか、親子ってのは…。

 

 ヨシキは最初会話を通じ回収しようとした、忌堂にまつわるドライな事実だけではなく、父がもういない親友について語る言葉の手触りも、自分の胸に引き寄せてしまう。
 窓辺の向こう側遠い存在だと思っていた…思いたかった父は、自分に似た不器用さと消えない友情を確かに持っていて、似ているからこそ苛立つ。

 そこで父が息子の美質を母譲りだと告げている時点で、机に飾られていた家族の写真は、本心の現れなのだと思えもする。
 それでも妙にギクシャク居場所がなく、でも壊れてバラバラにはならない奇妙な間合いで、家族は共に過ごしている。
 それが怪異が加速する中、どう変化…あるいは崩壊するのか。
 ここも怖いんだよな…。

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 そんな不器用で誠実な触れ合いから、得られた知恵を持ち帰り、ヨシキとヒカルは図書館で話す。
 オカルト探偵の使命に目覚めて以来、ヨシキがかなり頭冴えてるところを見せてるので、ヒカルが読んでいる書物の幼さがざっくりと刺さった。

 人魚姫、鶴の恩返し、フランケンシュタイン
 幼気な言葉で綴られていたとしても、それは人ではない怪物がそれでも人と触れ合おうとして、悲しい結末に終わった参考例の束だ。
 人間世界のことな~んも解んねぇ赤ん坊なりに、色んなことを知ろうと頑張ってくれてる様子がこのセレクトに見えて、俺はとっても辛かった。

 

 図書館の風合はどこか、父が語った思い出の二人に似通っていて、そこにある繋がりもぬくもりも、それが喪失された痛みと虚無も、繰り返されていることが伝わってくる。
 自分たちの代で断ち切ろうとした因業は、光が似すぎた別人…もしかすると呪いの中枢になり変わられてより苛烈さを増しているが、そこにある眩しい光もまた消えはしない。
 それが祝福なのか呪詛なのか、見定めるために物語も続いているのだろうけど、死せる光と生きてるヒカルに「ヒカル的なもの」が分裂してしまった結果、色んなモノがとても複雑に絡み合ってしまった感じも強い。
 親友であり、愛した人でもあった少年の死を受け入れるより早く、異様な怪現象がヨシキを捕まえてしまって、心の整理もつかぬまま謎を探り過去を暴き、探偵役頑張ってんだから偉いもんだよ…。

 ここでヒカルが光のことを…光を想っていたヨシキのことを聞けてしまうことが、光とヒカルの分裂を如実に語っていると思うわけだが。
 強くて泣かない、もしかしたらなきたかったかもしれない少年の真意をもう問いただすことも出来ないまま、ヨシキはヒカルとかけがえない日々を共有もしている。
 バケモノであっても、光とは違う存在でも、自分だけがこの存在の支えであり、導きであるという義務感。
 そういう正しさを越えて、かけがえないものとしてそこに在る誰かと、幸せを見つけたい気持ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 父達をまばゆく照らしていた光が、確かに二人を包む隣で、不定形の欲望は加速し、ヒカルは人間の世界から幾度目か、逸脱しかかる。
 この極彩色の泥が”本当の”ヒカルなのか、僕は結構訝しんでいるわけだが、ともあれ二人が立っている場所は階段の手摺によって境界を引かれ、追いすがるヨシキの手を引きちぎって、ヒカルは彼のもとから離れていく。

 それは寂しい離別であるけど、序盤のヨシキべったりな自立できなさを思い出すと、バケモノの赤ちゃんなりに変化してんだなぁ…とも感じた。
 むしろすがるように二の腕に刻まれた痣を撫でる、ヨシキのほうが依存は強いのかもしれない。

 

 例えば殺して死んで終わらせようとしたり、諦めず真実を探り居場所を一緒に見出そうとしたり、襲いかかるままならなさに揺れて離れていったり。
 べっとり癒着してもう動きようがないように見えて、ヨシキとヒカル(そして、そこから遠くて近い場所にある光)の関係は常に揺れ動き続け、付いたり離れたりを繰り返す。
 その安定のしなさは、彼らの魂が石木のように揺らがぬものではなく、まさに生命としてそこにある証のように、僕には感じられた。
 この柔らかく揺れ動く命の手触りは、ヨシキが父と対話して感じ取ったものに少し似ているのかな、とも感じる。
 既に終止符が打たれていると勝手に思い込んでいた感情が、自分とよく似た眩しさでまだ燃えていたと思い知らされて、驚き落ち着かない…活きた気持ちになっていく感覚。

 そういうモノが消えてくれないからこそ、ヨシキもヒカルも凄く辛くて…でも生きることを諦めれられなかった。
 自分の半分をえぐり出して弱くなっても、自分なり思い詰めた決着を跳ね除けられても、全部投げ捨てて楽になるより、惑い苦しみながら先に進むことを選ぶ。
 そのちっぽけなもがきが、人間普遍の輝きを濃い闇の中に見つけ出そうとする筆致に感じられて、俺は二人を応援し続ける。
 あの子たちが諦めず歩く歩みが、どこか自分の足跡と重なっている錯覚を、抱き続けている。

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 かつてすがった手を振り払い、ヒカルはずぶ濡れのまま暮林さんの家にたどり着く。
 雨に濡れるのに傘をささない異常行動は、人間社会の規範になじまぬ異質性を強く滲ませ、”そっち”に呼ばれている朝子ちゃんがぼーっと濡れそぼってるのが、なんとも不穏である。
 マジいい子だからなぁ…ひどいコトにはならんで欲しい。

 

 まーオカルトな秘密を共有してくれて、すがれる相手はもうこの人しかいないわけだが、いい人であると同時に正しい人でもある暮林さんは、「ヒカルを消して平穏を守る」という選択肢を、常に懐に抱え続ける。
 同時に我が子を愛する母であり、取り返しのつかない業を刻んだ罪人でもあり、非常に難しい立場に暮林さんはいる。

 ここで弱ったヒカルを手にかけず、かつて彼が眠っていたのと同じソファで迷う暮林さんが、ヒカルを象徴する影の領域に身を置いてくれていることが、救いに繋がっているのか。
 安易に判断するのを制するヤバさが、話の至る所に潜んでて、サスペンスの作り方上手いなぁ…と思う。
 母なる存在を母の鋳型に押し込めず、複雑な味出す意味でも、暮林さんの持つグラデーションが豊かなのは良い。

 つーか逡巡を引き裂くようにやってきた来訪者、一体どこのどいつなんだよ…”会社”関係の輩か、盤面から推測するに?

 

 

 

 

 

 

画像は”光が死んだ夏”第11話より引用

 自分が結構ギリギリのところで命を拾ったと、理解しないままヒカルは天気雨の中を通って、帰るべき我が家へ戻って来る。
 先週ヨシキが家の中の光に導く手を跳ね除け、暗い闇に進んでいったのと対比をなす演出で、とても興味深い。

 今回のエピソードは降りしきる雨と、その合間に見える光が極めて印象的に活用されていたわけだが、人とバケモノ、救いと孤独の狭間を迷い進むヒカルが、雨と晴れどちらともつかない美しい景色を、一人で歩く風景には色んなモノが宿っていたと思う。

 

 人のぬくもりも命の重さもほんとうの意味では解らぬまま、それでも人の側にいたいと泣く怪物の赤子が、最後に帰り着く場所。
 血腥い世界の裏側をな~んも知らないお母さんの穏やかな顔が、光るの父がとっとと結婚して守りたかった純粋さをよく表していて、凄く複雑な気持ちになった。
 優しくてスゲーありがたいんだけども、本来この優しさを向けられる息子の死も、それを目の前の化け物が盗み取ってしまった事実も、この人は知らないのだ。

 「そういう複雑な切断面の真絵に立った時、人間はなんともいえない難しさを感じるものだ」つうのも、ヒカルには解りきれないものだと思う。
 それでもお母さんはご飯を作ってくれて、それ食っても食わなくても、ヒカルは別に死ないないんだよなぁ…。

 

 

 

 というわけでヨシキ父から新たな真実を聞き出し、事態が解決に一歩近づいた…と思ったら、情緒と関係性がズブズブに揺れ動いて、全然落ち着く様子を見せない回でした。
 でもこういう動揺こそが今の彼らには必要で、迷えばこその道も見えてくるだろうと思える話運びなのは、大変いい。

 揺らがぬ存在に思えるオトナも、人間として当たり前にメチャクチャ悩んでいて、でも正しく頼もしくもあって。
 色んな人の色んな揺らぎが混ざり合って、魅力的な混濁を生んでもいるのだ。
 そういう極彩色のケイオスから、どういう色合いを取り出して最後の一筆とするのか。
 アニメ最終話に一体何を描いてくるのか、次回もとても楽しみです。