そろっそろ理詰めの宇宙人狼にも、みんな慣れただろう!
パッション重点寄り道歓迎、サブシナリオガンガンでお送りする、グノーシア第7話である。
「コイツラいると、否応なく生真面目な釣り合いになっちまうなぁ~~」ってメンツを軒並み排除し、複数の新メンバーを一気に削り出す回となった。
いつもの推理パートを大胆に取っ払ってみると、オモシロ人間共の愉快な素顔がガンガン削り出され、しげみち主演のラブコメも可愛らしい。
疑念も惨劇もどっか遠くにあるような、ひどく穏やかな周回に齧り付いていると、「…やっぱ誰かが狂って殺される、グノーシア探し自体が間違ってんな…」つう気持ちも強くなった。
疑念と果断が前提になる人狼ゲームに強い連中は、軒並み頭が良くて性格が悪いわけで、ラキオと百合子が最初からいないこの集会、おバカちゃん達の平和な日常が展開されていく。
人狼2名まさかの自爆でフィニッシュという、「ゲームとしてはどうなの~~」という展開ではあるが、だからこそ描けたものも沢山あり、大変有意義な周回となった。
やっぱ宇宙人狼という小ゲームの成否は、銀の鍵を満たす他人の事情探しという大ゲームに、必ずしも連動しているわけじゃないんだなぁ…。
むしろ仲良し基調になる分、ガチんないほうがお互い色々曝け出しやすいまである。
今回ほんと、色んなことが解ったもんなぁ…。




全体的にコミカルな味わいが嬉しい回だったが、新キャラは相変わらずド濃厚なキャラ立ちしてて、しげみちのラブ騒動を縦軸になんとも愉快な騒がしさだった。
自身望まず怪異な外見になってしまった苦しさを背負うからか、しげみちは情に篤くテンション高いナイスガイであり、彼をメインエンジンに据えたおかげで、全体的な推進力が高かった。
ここに冷水ぶっかけるセクハラ冷徹野郎の沙明が、一体何を考えて引きこもっているか。
小さなミステリがエピソード全体をビッと締めてたのが、テクニカルでいい。
そこに夢見るイルカとネガティブ美青年が合わさって…心地良いカオスだぜ!
性差と知性化動物と疑知体にバキバキのハラスメントぶっかけてくる沙明のおかげで、この世界が凄く多彩な”人間”で満たされていて、しかし十分には馴染んでいない様子が解った。
しげあきの異様な外見は(彼を見る僕らがそうであるように)訝しげに眺められ、汎性を選択してもネバついた視線からは逃れられず、実験動物とインテリジェント・アニマルの境目は曖昧だ。
そんな世界の中で、色んな人がもっと自分らしい自分を求めて、境界線をどこに定めるべきか…どこに定めてもらうかを、真摯に悩んでいる。
トランスヒューマニティが日常になった未来においても、人類は己の定義を探り続けているのだ。
ここで面白いのは、隣人をぶち殺し共同体丸ごと爆破の原因にもなりうるグノーシアが、人間の尺度として特殊な機能を果たしていることだ。
知能化イルカやヒューマノイド・インターフェースなど、”人間”の定義には当てはまらない連中がガンガン出てくる、漂流する小さな社会。
そこにおいて発生した殺戮に至る病は、”人間”にしか感染しないが故に、その証明として機能する。
「対等に自分たちを殺しうるから、君たちは”人間”だ」つうのは、あまりに悲しい人間定義ではあるけども、己の存在に悩むオトメやステラにとって、殺人者へと変貌しうる可能性が時に、救いの色を帯びもする。
この色合いって、ガチで推論し騙し吊るし合う周回だと「何言ってんだ?」となりかねないわけで、グノーシアが激しいデュエルの果てに自分から正体をポロリしちゃう、おバカな周回だからこそ語れた側面かなとも思った。
無論洒落になんない人喰いのバケモンって顔も、殺戮の天使の真実…少なくともその一部ではあって、ノンキにばっかしてはいられない。
でも今回記されたような気楽な明るさも、この船に集った愉快な連中の大事な真実であり、グノーシアという要素は必ずしも、それをぶっ壊す最悪の毒ではないわけだ。
ゲームの冷たいルールにもなれた頃合いで、こういう立体感が出てくるのはとても良いと思う。
しげみちの愉快で温和な人柄に引っ張られて、殺し合いにギスつかないみんなの顔が見れたのは本当に良かった。
三角巾身につけて、みんなの憩いの場所にひっそり佇んでいるジナとか、人狼やってる時の所在なさ気な雰囲気に納得行く描写だったもんな。
本来こういう、穏やかで幸せな日常を過ごすべき人たちが、お互いを疑わなきゃいけない危うさがグノーシア汚染にはあって、合議制による処刑を拒絶すれば一蓮托生、宇宙船ごとぶっ飛ばされる。
そういうスケールのデカい洒落になんなさみたいのも、当たり前の時間の愛しさがちゃんと描かれるエピソードだったからこそ、より際立った感じがあるね。




騒々しくも楽しい日々は多角的に転がり、色んな人が触れ合いの中で迷いの出口を見つけていく。
ステラの機械の瞳と、グノーシアであることを自分から告げた沙明の目が同じエピソードで描かれたのは、とても印象的だった。
自分が人造知性である後ろめたさを乗り越えて、しげゆきの好意を微笑んで受け止めれるようになったステラと、殺し殺される定めを飲み込みたくなくて、ゲームから降りて自室に籠もっていた沙明。
陰陽正負は真逆だけど、二人とも誰かと話すこと、触れ合うことで少し鍵を開けて、自分の重荷を誰かに預けれるようになっていく。
最初は異様にガタガタブルブルしてたレムナンが、アホみてーなデュエルに身を乗り出すほど興奮したり、故郷で親しんでいた疑知体の未来に目を輝かせたり、エピソードを通じて扉を開けている様子も良かった。
この変化が、セツの生真面目な真摯さ、オトメの底抜けなイノセンスに触れて、凶暴な鉄パイプで社会との扉を塞いでいた≒グノーシアとして人を騙し殺さないようにしていた沙明の変化と、響き合っているのも素晴らしい。
嫌味で身勝手なヒッキー野郎に思えたやつの、思いがけない人間性が、色んな連中がワイワイ真摯に自分を探すエピソードの最後を、ビッと締めて終わる緩急。
ほんとうに見事でした。
推理要素をオバカで押しのけたおかげで、色んな人の悩みや人柄が一気に見えた今回。
見通してみるとみんなそれぞれの形で、もっとより善い自分へと変容したがってるつう、不思議な共通点を感じられた。
ここら辺はグレイとかイルカとかAI生命体とか、古臭い”人間”を飛び越えた多彩さを主題として扱える、SFだからこその強みかなと思う。
そういう連中が楽しく生きてる、先進的な船の空気がちゃんと欠けてるからこそ、”女”ってものへ露悪的にのしかかろうとする沙明のイヤさと、汎性当事者であるセツの生真面目な説得が刺さる。
おとぼけ回であったけど、構成員が必死に生きてる小社会を真摯に見つめ、
自分が選んだ性をどう受け取ってほしいのか、真っ直ぐな言葉で伝えてくるセツの言動には、ぶっとい心があったと思う。
つうかむしろ、楽しく笑えるオトボケ回だからこそ、どんな外見で生まれだろうがみんな必死に生きてて、真剣に自分であることを探し求めている手触りが浮かび上がってた。
そうやって笑ったり恋したりバカやったり、当たり前にみんな生きてて、でもグノーシアになって人は死ぬ。
そんな繰り返しの果て、一体何が待っているのかはわからないけど、みんなで幸せに生きる当たり前を取り戻すためには、人狼ゲームそれ自体を突破できる道を、どうにか探さなきゃいけない。
沙明を説得して部屋から出すのに、セツの”硬さ”とオトメの”柔らかさ”、両方が必要だったのが、このエピソードの奥行きを深めていたと思う。
トンチキながらみんな必死に、それぞれの物語を生きようとしている事実を、誰も貶めることは許されない。
シニカルに「どうせ生きてても…」みたいな態度でいても、部屋の外に飛び出さなければ見えないものが、世界には満ちている。
二人が示した光があればこそ、沙明は生きるべきか死ぬべきか、殺すべきか逃げるべきか宙ぶらりんなまま、自分を閉じ込めていた牢獄から出ていくことが出来る。
そういう勝ち方だって、この永遠に繰り返すゲームの中にはあるのだ。
そういうことを新たに確かめて、飛び込む次の未来。
全メンバー出揃っての周回がどんな感じになるのか、人柄を見知ったことでどういう変化が置きてくるのかも、なかなか楽しみである。
今回ステラに思いが通じたのが、彼女がグノ化した周回の記憶故ってのが、なかなか興味深いよなぁ…。
愛すべき隣人を疑い、騙し合い吊るす。
グノーシアは最悪のゲームを生むけども、それがなければ見えないものも沢山ある。
そういうアンビバレントな日々を、作品全体がどう位置づけていくかも楽しみにしつつ、新たな物語を待つ。
…今回でバンなかった強敵たちが、どんな願いと悩みを抱えているかも、こうなってみると知りたくなってくるねぇ。