- ・はじめに
- ・ディズニー ツイステッドワンダーランド ザ アニメーション シーズン1「エピソード オブ ハーツラビュル」
- ・太陽よりも眩しい星
- ・らんま1/2(第2クール)
- ・忍者と極道
- ・羅小黒戦記
- ・私を喰ベたい、ひとでなし
- ・ワンダンス
・はじめに
この記事は、2025年10~12月期に僕が見たアニメ、見終えたアニメを総論し、ベストエピソードを選出していく記事です。
各話で感想を書いていくと、どうしてもトータルどうだったかを書き記す場所がないし、あえて『最高の一話』を選ぶことで、作品に僕が感じた共鳴とかを浮き彫りにできるかな、と思い、やってみることにしました。
作品が最終話を迎えるたびに、ここに感想が増えていきますので、よろしくご確認を。
・ディズニー ツイステッドワンダーランド ザ アニメーション シーズン1「エピソード オブ ハーツラビュル」
ベストエピソード:第8話『終曲ハーツラビュル!』
「お噂はかねがね」ながら全然実態を知らなかったツイステが、どんなものかかじってみたい気持ちで見始めたアニメ版。
明らかに解決すべき課題を山盛り抱えた、赤髪のメインヒロインに主人公が全然切り込まないのにヤキモキやせられたりもしたが、終わってみると各キャラクターの果たすべき役割、描くべき内面と世界を華やかな幸せとハードなアクションにしっかり載せて、過不足なく八話で描き切る見事な第一章となった。
やっぱヴィジュアルが凄く良い作品で、おどろおどろしくも魅力的な「捻れた世界」をたっぷりと浴び、魔法の持つワクワク感を現代的にアレンジして展開する世界観構築に、まず惹きつけられた。
そっから色んなイケメンと関係性を構築し、オーバーブロットという優れた設定を活かして教育虐待の犠牲者の病巣へと、ド派手なアクションで切り込んで大きな興奮と満足感を生み出す。
一章で描かれた全てがしっかり、この最終話で最大限活きるように全八話が構成されていて、アニメからの視聴者でも(あるいは、アニメからの視聴者だからこそ?)しっかりと雄剣先輩の旅を見届けた満足感があった。
この仕上がりは間違いなく、他人を縛る暴君でありながら自力で自分を変えられない犠牲者でもあるリドル寮長の、章ボス兼ヒロインとしての描き方が下支えしていると思う。
ナンセンス文学と児童心理学。
自分の興味領域二つにガッチリ食い込んでいるのもあって、僕は早い段階で寮長が抱える病巣の輪郭を捕まえれた視聴者だったと思うが、黒い汚点を足がかりに心の闇へと深く入り込み、エリートを狂わせる捻れをしっかり描いたことで、期待以上に見たかったものが見れた。
ここら辺は花江くんの熱演と、バトルになると一気にテンションと仕上がりが爆裂するバトル描写が噛み合って生まれた、心地よい炸裂だったと思う。
導入となるこの第一章で、真正面から教育虐待を扱ったのは、差別と階級再生産がその存在に食い込んでいるエリート魔法学校が舞台になる物語において、かなりの妙手だと感じた。
リドル以外にもまた別の歪さに囚われ、それを表に吐き出せずTwistedされてる犠牲者たちが、この学園にはいる。
ハーツラビュルの物語をしっかり完結させつつも、ここから広がっていく物語に予測と期待を高めることが出来る最終話だったのは、この後第二章、第三章のアニメ化が約束されているシリーズとして、最善の一手だと思えた。
暴走リドルの孤独な弱さを、仲間全員の個性を組み合わせて生み出した団結の力で打ち破っていくバトルの組み立てが、汚点を覆い隠したからこそ歪んでしまった少年が救われていく一歩目の荒療治として、力強く描かれていたのも良かった。
リドルの暴走が、どこから生まれているのか。
母なる暗黒の支配力、そこにかすかに残った思い出の欠片をしっかり描いてくれたことで、今後色んなイケメンがドバドバ心の闇を吐き出し暴れまわり、だからこそ真っ白になれた自分で救われていくカタルシスへの信頼と期待も高まる。
僕はマジでリドルを可愛そうだと思ってしまったので、シャレになんない暴れ方してなお仲間と認めてくれる新しい友達と、新しく懐かしい絆を作り直していけるところまでちゃんと引っ張っていってくれたのが、凄く嬉しかった。
その先頭に竹刀持って立ち、破邪顕正の一撃を卓越したフィジカルでブン回した雄剣先輩の頼もしさも、今後の物語に大きな期待を抱ける足場だ。
ソシャゲ主人公が持つべきある種の透明性と、三人称的メディアであるアニメに相応しい個別のキャラ立ちをしっかり両立させて、話の真ん中からちょっと離れたところから、欠かすことが出来ない救いを差し伸べた彼の存在感は、大変ちょうどよかった。
こういうキャラが主役を張る物語ならば、黒い汚点の引力に引きずられすぎず、絶望を引きちぎって希望の方へと、捻れながら進んでいくことが出来る。
そういう信頼感を育めたからこそ、人間のどす黒い闇に踏み込む物語の行く末を、心地よくハラハラ見届けられるのだろう。
いつか来るアニメ第二章に、どんな冒険が綴られ、絆と痛みが描かれていくのか。
続きがとっても楽しみです!
・太陽よりも眩しい星
ベストエピソード:第3話『どんなに遠くても 』
河原先生の過去作”俺物語!!”が凄く好きで、高めの期待を持って視聴した作品だったが、こちらが勝手に上げたハードルをガンガン乗り越え、とても楽しい三ヶ月を過ごさせてもらった。
僕は少女漫画という表現に特徴的な、過剰に少女たちの内面に切り込んでいくモノローグの多様、視点操作の特異性に興味があるんだけども、なにかにつけて心のキラキラが世界に溢れ出し、心象によって現実を塗り替えていく畳み掛けは、望んでいたものをたっぷりと食べれた感じがあった。
その主観的ロマンティックだけでなく、手を伸ばしても届かない想い人の心を探っていく恋愛ミステリとして、客観的なヒントを適切に描写していく三人称的視点も適切で、なかなかに面白い距離感で子ども達が世界と自分をどう見ているか、独自の遠近法を成立させれていたと思う。
この遠近法はふたりとも身の丈が大きくなった現在と、心のなかに眩しく輝き続けている幼年期とのズレにも生きていて、外野の声が色々大きく聞こえるようになってきてしまった社会性の発達は、「こうしたい」という自分一人の気持ちよりも、「こうあるべき」という外側のノイズに引っ張られる、厄介な荷物にもなってしまう。
光輝くんの何気ない照れ隠しに、心の深い所をえぐられ、涙ながら「物わかりよく恋心に決着を付けられる、賢い大人の女」へと自分を押し込めた朔英ちゃんの決断は、そんな彼女と同じ気持ちでずっと遠い星を追いかけていた少年の、本心とは真逆だ。
それでも他人の心が見えないからこそ、背伸びして正しくあろうとしていた朔英ちゃんの闘いは凄く尊かったし、そのズレた足掻きからこぼれた涙を自分の手で受け止めるべく、全力で走った光輝くんの純朴さも、大変素晴らしかった。
二人の大事な始まりを否定し、勝手に思い込んだ「あるべき高校生」に自分を押し込めるのではなく、すれ違いこすれ合いながらも自分の気持ちへ……それで大事にしたい誰かへ、勇気を込めて真っ直ぐに踏み出すこと。
その成長は、幼かった日へ正しく帰還するという、始まりと終わり……そこから新たに始まっていく不思議な螺旋を、豊かに生成していく。
そういう人格的成長と、それに必要な当惑や迷いをしっかり描き積み上げて恋のいただきへと二人を引っ張ってくれたのは、本当に良かった。
結局自分は、ジュブナイルの一環として青春ラブロマンスを見ているのだと思う。
少女等身大の成長を追いかけ、見えない他人の心(と自分の気持ち)をどうすれば真実大事にできるのかを探る、ハタから見てれば下らなくもすらある、人間の当たり前を丁寧に追いかける物語。
ここに先を見たいと思う牽引力を足すべく、このお話はミステリの構造を巧みに利用した。
「神城光輝は何を考えて、どう考えても大好きな朔英ちゃんにつれなく当たるのだろうか?」というワイダニットは、彼が他者である以上見えない。
届かない星を探るように、自分の中にある小さな輝きを大事に抱きしめながら、すれ違い傷つけられてなお、朔英ちゃんはこの謎に挑み続ける。
彼女を突き動かす情念は時に瞳を塞いで、視聴者には明白なヒントを見逃し事態をこじらせたりもするのだが、作中人物と観客がそれぞれ見ているもののズレを、ノイズではなくハーモニーとして活かし、物語の温度を上げる燃料として使いこなしてもいた。
このミステリとしての構造を鮮烈に叩きつけるのが、この第3話ラストの会話であり、”太陽よりも眩しい星”の独自性と魅力はここから始まった……と言っていいと思う。
ここまでの丁寧かつ王道な話運びと見せ方で、「まー二人がくっついてまとまんだろうな……」とナメていた横っ面を、見事に張り飛ばす衝撃。
しかしここまで描かれたもの、そこから推測できるものははどう考えても言葉を裏切っていて、なぜ光輝くんがこんな行動に出たのか、色々探りたくなってしまうのだ。
そうせざるを得ない真っ直ぐな好青年っぷり、朔英ちゃん真っしぐらなピュアラブ力が、首をひねりつつ神城光輝というミステリを探らせる、爽やかな魅力に満ちていたのも良かった。
やっぱラブコメ飲むときは、男の子が可愛くないと喉を落ちていかねぇなぁ……。
幼年期の美しい思い出と、「べき」が大きく聞こえてしまう今をどう結び合わせ、誰よりも眩しい星だと相手を思えた運命を、裏切らず自分を育てていくか。
迷えばこそ逞しく、美しく育っていく若木を見守る物語としても強く惹きつけられたので、その土台となる小学生時代に最初の話数を使った第一話と、ベスト選出はとても迷った。
ミステリとジュブナイル……作品を牽引する両輪が、しっかり滑走路を整えたクライマックスで高く高く、王道を真っすぐ走ったがゆえの気持ちよさで飛び上がる第12話も良い。
他にも素敵な話数がたくさんあったが、やっぱこのアニメ独特の魅力を一気に高め、最後まで楽しく見届けさせてくれたのはこの第三話ラストシーンだった。
その上、二期まで続いてくれるのだからありがたいことこの上ない。
たいへん面白かったので、恋人同士になった後の二人がどんなことを学び取り、自分たちを眩しく輝かせていくのか、楽しく見届けさせてもらいます。
お疲れ様、ありがとう!
・らんま1/2(第2クール)
ベストエピソード:第22話『ジュリエットゲーム』
令和のらんま第2クールは、未だ方向性が手探りだった(からこその、独自の魅力があった)第1クールからキャラも大きく増加し、多角形ラブコメと無差別格闘を同時に暴れさせる基本路線が、しっかり確立していく最中をアニメ化した。
破天荒な魅力に満ちたキャラクター同士が、元気にド付き合い可愛らしく恋模様を繰り広げる様子は、日本という国が永遠の日常を夢見れた時代の残滓をギリギリ引き受けて、甘く美しい永遠のモラトリアムとして、とても眩しい。
「乱馬は誰を選ぶのか?」という問い掛けを保留し続けることで、この聖域を維持し続けるための工夫や努力は随所に見られ、キャラの魅力を燃料にして回り続ける物語のエンジンが、いよいよ勢いを増していく季節を、この第2クールはとても明るく楽しくアニメにしてくれた。
そういうクールなので、多人数が絡んでワイワイガヤガヤ、複雑な恋愛関係を元気なド付き合いで転がしていくテンポの良いエピソード……例えば第17話や第21話や第24話なんかを、ベストに挙げても良いと思う。
実際可愛いヒロインたちが乱馬を取り合い、ワーワー騒がしく街を駆け回る様子は明るい魅力に満ちており、そんなヒロインを追いかける男の子たちもまたチャーミングで、いかにも”らんま”って味がする。
これを最大化するべく、令和らんまはとにかくアクションシーンのキレにこだわってくれていて、ド付き合いに迫力と美麗さがしっかり宿り続けていたのは、とても良かったと思う。
キャラの可愛さ、昭和レトロをリブートした美術と合わせて、作品の大きな魅力なのは間違いない。
なのだが、あかね一人をそんなに可愛くないロミオたちが追いかけるこのエピソードを、僕はベストに選ぶ。
それは”らんま”らしい物語の形が固まっていく中で、乱馬くんが追いかけるべき”答え”であるはずのあかねはドンドン守られるべき手弱女にキャラが固まってきて、拳士として肩を並べるには脆すぎる造形に変わっていくことに、結構強い反発があるからだ。
誰もが求める魅力的なトロフィーを、唯一絶対の運命として横から掻っ攫う。
乱馬くんとあかねちゃんの関係性を強調する構図を成立させるためには、あかねちゃんは弱く守られるべき存在になるべきで……そんな物語的都合を内面化するように、このエピソードでは「本当はお姫様になりたかった」という欲望が語られる。
だがドッタンバッタンのロミオ騒動の中、あかねちゃんはタフに許嫁から本当の思いを引っ張り出すべく知恵を働かせ、久能先輩相手にはギャグの小道具でしかなかったガムテープで、純情少年に見事一杯食わせる。
その悪戯な可愛さは、あの子が医師なき便利なツールではなく、自分なりの逞しさをもって変化していく関係、そこに確かに在る自分自身を叫んだ、美しい一瞬だと僕には思えた。
それを乱馬くんを殴り飛ばして負かすのではなく、死と口づけを偽ることで翻弄するズラしで成し遂げているのを、女ゆえ真っ向勝負を避けるしかなかったと見るか、はたまた拳の強さだけが”強さ”だけではないという深さを感じるか……。
一話の中しっかりまとまった傑作であるが故に、解釈の横幅が広いのもまたエピソードの魅力だろう。
この第2クールで培った”らんま”らしさはこの後どんどん加速し、格闘要素はより本格化し、キャラはドンドン投入され、各エピソードごとにたしかに真に迫った恋情と本気が暴れまわる。
それは例えば、最終二話を使ってムースを深堀りし直したり、1クールかけてシャンプーを最強ヒロインとして適切に作り直したりした、物語に今どんな描写が必要なのか適切に見抜く、作家の目によって成立している。
ここにこういうシーンを置けば、今物語に欠けている要素を適切に補強できる。
そういう感覚と技法が精妙だったからこそ、ジャンルの歴史を書き換えてしまうほどのヒットを生み出せたのだと、改めて感じるリメイクでもあった。
そして”らんま”がらんまらしさを確立していくほどに、物語もキャラも永遠の繰り返しの中で摩耗し、活き活きとした魅力を喪っていく。
止まった時間を維持し、動かない関係を宙ぶらりんに保つ関係上、エピソードで得た学びや湧き上がった本気は、上手いことリセットされ後に引き継がれてはならないのだ。
そこら辺の「適切なダイナシ」の巧さってのも、このエピソードのオチが見事に示していて、そうやって保たれていく”らんま”の生態系を、おそらく三期もあるだろう令和の”らんま”がどう描いていくのかは、とても楽しみである。
……令和の”うる星”見る時もそうだったが、「日常系」というジャンルが未だ名付けられないまま、思いの外制御が難しい永遠の日々をどう乗りこなし、どう破綻していくか(あるいは、約束された破綻から物語を守るか)を見届けることに、僕は結構強い興味があるんだな。
・忍者と極道
ベストエピソード:第8話『第四章 幼狂死亡遊戯 STAGE2』
序章含めて全五章を13話に割り振るうえで、最終章であるグラチル編に半分ツッコむ構成には、明確な意図が感じられる。
「”ここ”こそが勝負どころであり、”ここ”を山場に位置づけて走り切る」という決断に基づいて、色々な要素がカットされ、加速し、挑んだアニメ最終決戦。
その幕が切って落とされるこの第8話は、後に冴え渡る作画と演出の冴えの恩恵をそれほど受けておらず、時折へにゃっと力が抜け、どっかファニーな味わいすら残す総理官邸皆殺しが、元気に動き出す回である。
しかし僕は確かにそういう話数に、この後一気にクライマックスまで駆け抜けていく熱の強さと、作品に宿る悲哀と情感をアニメに落とし込んだ演出の切れ味を感じた。
冒頭、この作品世界の善性を象徴する愛多総理が、忍者くんに堂々の賞賛を手渡し、笑えない少年がようやく世界を相手に笑える寸前で、最悪(つまりは最高)のタイミングでの乱入キメる落差の描き方とか。
「まぁグラチル本隊に注力するなら、五人もやってる余裕はねぇよな……」と納得しつつ、作者の歪なドキプリ崇拝を一心に受けることになった蘆花ちゃんの散りざまとか。
かつての自分と同じ割られた被害者を甘言でだまくらかし、排泄物のように便所で始末する極道さんの冷酷を、割れた鏡が映している様子とか。
これまでもけして最良とは言えないクオリティの中、今後の物語を駆動させる切なさのエンジンがしっかり機能するよう、勘所を押さえて力強い表現をねじ込んできた作品が、いよいよ本腰を入れて自分たちを語り切る気配が、随所に匂うエピソードである。
グラチル編の盛り上がりは、街での前哨戦含めて丁寧に下準備を重ね、逃れ得ない因縁と宿命をたっぷり溜め込んだ上で、総理官邸を血で満たす大殺戮と、最悪のゲームで調子くれてるクソガキどもが、忍者というより強大な暴力に引き裂かれていくカタルシスによって成立している。
なので、描写を繋げしっかりと感慨を編み上げるための準備が、釣瓶打ちに叩きつけられる快感に満ちたこの話数は、「もしかしたらこのアニメ、こっからさらに”化ける”かも……」という期待を高めてくれた。
そしてその期待はけして裏切られることなく、”割れた子供達”の悲惨な過去と凄惨な現在……そして悲痛な夢を塗り重ねながら、最終話に向けてテンションを上げ続け、素晴らしい終りを迎えることになる。
グラチル編に特別な感慨が濃いのは、悲愴な過去を背負った犠牲者でありながら、山盛りの死体を笑いながら積み上げる凶賊になってしまった子供達の生き様を、忍者たちが誰一人嘲笑わないのも大きい。
毒と天使を殺した呪血兄弟、ユリリリを終わらせた斗女たんの顔に浮かぶのは、倒すべき悪をやっつけた達成感ではなく、半歩間違えば自分も同じ場所に立っていた同士に、同情しつつ容赦なく止める苦さである。
やっちまった最悪は死によって裁かれるしかないし、暴走する弱い自分を止められない極道にとって、忍者によって殺されることは数少ない救いだ。
本気の殺意で命を狙い、その帰結として首が飛んだり嘲ったりしつつ、宿敵同士は殺し合う前にかならず己の名を名乗り、どんな存在であるかを世界に刻みつける。
その時憎むべき対手は、世界で唯一自分のことを理解してくれる友にもなるのだ。
ここら辺の不思議な関係と、凄愴の中にある情を一番分厚く体現しているのは、忍者という存在を最も力強く、最も異様に象徴する長……惨蔵であろう。
道を踏み外した極道に燃え盛る怒りを隠そうともせず、荒くれた言葉で痛罵するその言葉を裏切るように、逢魔賀と向き合った時も今回グングニルと対峙するときも、長が一番極道に甘い。
かつてあったはずの夢、己を”人間”に留めてくれる証が砕かれ、人非人に堕ちてしまってなお、確かに極道の中にある人間の証明。
惨蔵はその柔らかな輝きを闇の中から引っ張り出し、悪態つきながら蹴飛ばして、悪鬼最後の願いを叶えてやる。
その甘っちょろい優しさが惨蔵から漏れ出ることで、配下の忍者たちも地獄めいた凄惨に人道を手放さず、厳しくも優しい獄卒として、弱き亡者たちを裁けるのかなと思う。
このエピソードで哀れな子供達に見せた、裁きつつ貶めない惨蔵の生き様があってこそ、正義と悪の薄い境目を血まみれに問いかけ、殺し殺されの地獄に豊かな詩情を刻み込むこの物語は、薄っぺらいお説教にならずにすんでいると思う。
どうしようもなく間違えて、理不尽にへし折れて耐えきれず、誰かを殺して自分を見失う。
そんな定めの犠牲者を認めて、一緒に沈んでやるネバついた優しさとは一線を画する、理解しつつ許さない峻厳な正しさ……その奥にある優しさ。
この作品で一番好きなものが、「APFSDS VS 異形の赤ん坊」というとびきりイカれたバトルの果て、濃厚に描かれるこのエピソードが、僕はやっぱり特別好きだ。
・羅小黒戦記
ベストエピソード:第13話感想ツイート
「まーそらそーでしょーよ!」という選択なのだが、13話見届けてこれを選ばないのはアニオタとして不誠実なので、ノータイムでベストである。
アクション面でのリミッターを全て解除し、ここまで慎重に遠ざけてきた現実のシビアさ、重苦しい殺しの空気を全開にして描かれる、極限をさらに超えた死闘。
その凄みに圧倒されつつ、感じたのは興奮と同じくらいの悲しさだった。
12話、可愛いネコチャンでありノンキな10才でいられたシャオヘイが、卓越した殺しの才能をフルに発揮し、獣相をむき出しにアイデアに満ちた殺戮技芸を多彩に展開するさまを見ていると、楽しいより先に苦しいが立つ。
そう感じられるくらい、この物語はシャオヘイをただの10歳の子どもとして……学び間違えそこから学ぶべき可能性の卵として、しっかり描けていたのだと感じられた。
そういう、13話物語があればこその実感を最終話に持ってこれるのも、それをハードでソリッドな殺し合いを超絶作画で描けばこそ成立させているのも、このお話が自分たちらしい描き方で、自分だけの物語を積み上げてきた成果だからこそ、僕はこのお話をベストに選ぶ。
ただアクションの仕上がりがいいだけだったら別の話数(単話としての仕上がりが抜群に良い第5話とか、シャオヘイが大人の風格を見せる第8話とか特にいい)を選ぶのだけど、最高のアクションがそこにあることで、それがあまり目立たなかったここまでの日常が、格別の意味を持っていく見事な構成に痺れた。
僕はアクション分解酵素が体内に少ないので、そういう文芸としての巧みな聞かせ方を、頭で考えず肌で感じとるべき表現に受け取れる時に、いっとう興奮する……という話かもしれない。
こんな超絶アクションで終わるとは全然思ってなかった、ノンキで平和な……時折シビアで激しい、妖精と人間の子供の交流禄。
シリアスな重たさを作品の根本においていた映画版を見ていたので、シャオヘイとシャオバイの幸せな交流が一瞬の夢ではなく、ずっと続く大事なものとして扱われてほしいと、震え祈りながら見てきた。
そんな臆病な視聴者の杞憂を見事に飛び越えて、このお話は子供が幸せな笑顔を誰かと共有する意味、思わぬ出会いによって世界が広がっていく価値、それを保つために決死の戦いに挑む尊さを、しっかり描いてくれた。
生死も明暗も善悪も、背中合わせに流転し混ざり合う世界の中で、何を基準に善き人として生きていくことが出来るのか。
その難しい問いかけに真摯に挑み、惰弱なニヒリズムに逃げることも、大上段に自分の正解を振りかぶることもなく、圧倒的に鮮烈な表現の力に後押しされ、穏やかに力強く、自分たちが見据えるものを語りかける偉業に、このアニメは挑み成功した。
最後の最後にムゲンとのかけがえない絆を、多彩なジャンルを縦横無尽に駆け抜けた物語をまとめ上げる要として活かし切り、「僕、勉強がしたい」という答えに綺麗事で終わらぬ分厚さを宿した手腕含め、たいへん素晴らしかったです。
その挑戦がどこに行き着くのか、まだ続く物語を見届けさせてもらいたい気持ちで、今の僕はパンパンですが。
しかし映画で描かれた物語を補強し、豊かな背景設計を感じさせる外伝以上の力強さで、穏やかな日常と激しき死闘を描いてくれたこのTVシリーズを、無事見届けられて心からありがたかった。
お疲れ様、楽しかったです!
・私を喰ベたい、ひとでなし
ベストエピソード:第12話『愛し子』
やはり怪物が流せぬ涙を雨に託し、三ヶ月の物語を支えてきた嘘と無理を暴いて叩きつける砂浜のシーンが、少女たちの総決算として非常に美麗かつ鮮烈で、クライマックスに相応しい仕上がりだった。
このお話はテーマも造作も肌に合うし、キャラクターの魅力も笑いとシリアスの緩急も見事で、どの話数も面白く見届けさせてもらった。
その上で画面に焼きつけられた数多の布石が、全てこの話数に集約する構成の巧みさもあって、格別の満足感と切なさが燃えているエピソードだった。
こういう話が、しっかり勝負どころに叩きつけられるアニメは強いね、やっぱ。
愛する人に取り残されてしまった迷子の話、怪物を描けばこそ人間を語れる話、生きたいと願うほど死に惹かれる話、掌と境界線が語る話。
色んな角度から見れる作品であったが、そういう自分なりの見立てが軒並み一話に集約しきり、自分が見ていたものは間違っていなかったのだと、作品自体に告げてもらえるような話数だったことも、自分としては大きい。
やっぱそういう妄想を手前勝手に抱えて、焦点を絞らないとアニメを見続けることは自分には難しい。
それを収束させるのが”好み”というやつで、自分の中に蓄積された期待感を作品と照らし合わし、描写が何を言っているのか、この展開はどこに繋がっていくのか、勝手に考えて先を読み……時に致命的に間違える。
その上手く行かなさも含めて、「アニメを読む」という行為を(ヒーコラ言いながら)楽しませてもらっているわけだが、二人の運命が流れ着くこの浜辺で描かれたものは、僕が期待していた流れを見事になぞり、それ以上の強さと美しさで己を語ってくれた。
ようやく微笑みの仮面の奥、ギクシャクぎこちなく溢れている上手く行かなさや幼さを暴いた汐莉は、比名子を完璧に受け入れられる理想の死神”ではない”自分を曝け出し、適切に繋がることに失敗する。
その生きにくさは、肉親と死に別れ時計の針が止まってしまった比名子の幼さと、実は極めて釣り合いの取れたお互い様だった。
そういう未熟な人でなし共が、傷つけ合い受け止め合いながら少しずつ”人間”になっていく、傷だらけの途中経過をこれまで積み上げてきたものに嘘なく、誠実に熱く描ききってくれたのは、たいへん良かった。
その喜びは僕個人の勝手な読みが「正しかった」という傲慢な感慨だけではなく、作品自体が己に嘘なく、描くべきものを描き切るという、当たり前に思われているけども極めて希有な奇跡を、見事にやり遂げてくれたからこそだ。
人間性の光に脳髄を灼かれ、あるいは過酷な運命に愛を引き裂かれて、誰かのエゴを優しく受け入れる成熟から程遠い、泣きじゃくる赤子立ち。
そんな彼女たちが出会い、繋がり、嘘を暴かれてたどり着いた浜辺に、一見何も解決していないようでいて、ようやく嘘なく己を晒したスタートラインに経ったこのクライマックスは、自分たちが選んで作ったお話にきわめて誠実に、描くべきものを描いた。
全く正しくも清らかでもない、打算と妥協と諦観の入り混じった二度目の契約は、その縁となった赤い水と同じくらい、命と魂に満ちて熱い。
それはあの子たちが己を曲げず、生まれてしまった歪みそのままに、ひたすらに生きようとしているから……だからこそ死にたいとすら思ってしまうから、力強く胸を打つ。
そしてそのくらい剥き出しに、誰かに胸の内を曝け出せる繋がりがこの地上にあるのならば、いつか孤独な死にたがりと嘘つき人魚は、彼女たちなりの幸せに必ずたどり着けるのではないか。
そういう信頼を前向きに、ここからの物語に期待できるクライマックスだったのが、一番良かった。
俺はそういう、死と異形を扱えばこそ生と人間の本当を描けるお話が……真実の意味でのファンタジーが、とても好きなのだ。
・ワンダンス
ベストエピソード:第7話『湾田さんの入学前』
「部活競技でもバトルでもねーじゃん!」と当然言われるだろうチョイスだが、しょうがねーだろ一番好きなんだから。
元々生身の人間を憧れのあまりう無謬の神様にしてしまう視線の暴力性が、怖いし嫌いな人間なので、内面と過去が探りきれない故に眩しい理想としてカボくんを引っ張ってきたワンダちゃんが、過去と踊りに託す祈りを描かれ、人間の体温を宿すこのお話はとても大切に思える。
カボくんはワンダちゃんという他者が解らないからこそ惹かれ、汗だくになって追いかけ、突如不安になってウロウロ迷い、必死に踊ってまた自分を取り戻して追いかける、青春徒競走の真っ最中だ。
だから彼の一人称でワンダちゃんというミステリの、内側が覗き込めるタイミングはなかなか来ないし、だからといってワンダちゃんが人間の事情や色んな難しさ……カボくん自身が苦しめられている色々から、完全に自由なわけでもない。
それを描くためには、ちょっと別の角度から物語を照らす必要がある。
このエピソードはそういう、主役には知り得ないワンダちゃんの内面を、夢破れた冴えないおじさんを介添人に、だからこそとびきりの透明度で眩しく描く話数だ。
前半描かれる、勝ったはずなのに満たされないカボくんのモヤモヤをバトル編への導線に引きつつ、物語はワンダちゃんがなぜ踊り、なぜ世界一を目指しているのか……あとオマケで、なんでカボくんのこと好きになったかを描く。
俺はワンダちゃんの踊りが、音が聞こえない父に歌を届かせるためという、あんまりに純粋で真っ直ぐな野望に足場を支えられているのが、本当に好きなのだが、それは彼女が吃音というコミュニケーション・ハンディキャップを持つカボくんに、本当の意味で優しく向き合える理由でもある。
カボくん自身がずっと疑問に思っていて、だからこそ直接聞けない答えを先回りしてスケッチする筆は、彼の理想を体現するダンスの妖精として描かれてきた少女に、立体的な陰影を与える。
その人間的な匂いは、結婚生活に破れもはや踊ることもなく、しかしワンダちゃんのダンスを見てもう一度踊った、ごくごく普通の中年男性の体温によって、より強く際立っていく。
そういう感動を与えれてしまう踊りを、湾田光莉は踊れてしまうから特別なのであり、その引力はカボくんだけに伸びているわけではない。
店長が漂わせる中年の悲哀と、ウキウキと青春が蘇りそうな夢に身を投げ、見事に足を痛めるトホホなコミカルさ……それを駆動させる確かな熱が、入り混じってひどく風通しが良いエピソードである。
嵐のごとく、店長の煤けた人生に一瞬の輝きを手渡してくれた妖精が去っていって、彼はコンビニでの日常に戻る。
しかしそこに足をつけて生きることは、青春のど真ん中で踊るのと同じくらい悪くないものだと、道路に堕ちた吸い殻を誇り高くつまみ上げ、見上げた空の抜けるような青さがしっかり語っている。
本当にいいシーンで、だからこの話数がベストだ。
このラストシーンに漂う飛び切りの美しさは、やっぱこのアニメ独自の色彩と輝きだと強く感じるし、他のエピソードにもこういう眩しさが、しっかりあった。
そういうアニメになったことは、僕は幸せなことだったと思っている。