イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

快楽戦争

ピーター・ゲイ、青土社。主に絵画芸術とブロジョア/アンチブルジョアの関係の歴史に関する本。豊穣な本である。とはいうものの、五連作の一大著作であり、フロイト主義者にして当代随一の知恵者であるピーター・ゲイの主著ともいえる「ブルジョアジーの経験」の最後の一巻だけを読んだ感想だから、どうにも僕の言に重さがないのは最初に断っておくとしよう。
ピーター・ゲイが通常の学問領域を超越した学者であるのは、もはや周知だと思う。フロイト主義心理学を基盤に、歴史学、美学、政治学、経済学、さまざまな西洋智に深く踏み込み、それを自在に操る博識が彼の右手に握られた剣である。
その剣はまず何より、この豊穣な書物が非常に的確な構成を持って著述されていることに現れている。個別の芸術家とブルジョワの関わりという縦のラインから、マンチェスターミュンヘンにおける芸術活動という地理的=横のラインの分析へ繋ぎ、ブルジョアジーの芸術意識形成に関する批評家の役割、そしてモダニズムへと向かうブルジョワ階級意識の変革で結ばれる。
まるでそびえたつ尖塔のような的確かつ壮大な文字の組み上げは、しかしけしてこれ見よがしな知識なひけらかしにはならない。徹底的な西洋智の「飼い慣らし」によって、この本は圧倒的な可読性を得ている。ピーター・ゲイの文章の素晴らしいところは、とにかく読み易いところである。これはやはり、主題を的確に捉え、自らの知識を整頓し、正確を突いて利用する知性にこそ根拠があると思われる。
その知的な書物が穿り出すブルジョアの姿は、一般的な罵倒語としてのブルジョアではけしてない、複雑で豊かな諸相を浮き彫りにしてくる。自らの価値観を覆すモダニズムに資金援助をしたのはほかならぬブルジョア階級であるし、それを封じ込めるような政治行動を行ったのもブルジョア階級である。
安楽な決め付けではなく、豊穣な自由を、学究の剣を持って行うこの本は、ブルジョアジーと芸術の関係性を描いている。つまりは美術史の本であり、歴史の本であり、経済学の本であり、政治学の本であり、そしてなにより、ピーター・ゲイが自らの足元を置くフロイト心理学の本である。そこまで視野と筆を広げながら、理知の鋭い視線とそれを操る練達の記述がこの本は満ちている。そして、ブルジョアジーという一つの現象に関する固定観念を、根底から覆す驚異的な一撃が、この本の中にはあるのだ。傑作。