長谷川伸&小林まこと、講談社。先にシリーズ二作目「沓掛時次郎」を読み、うろうろと探していたら地元のブコフで発見即ゲットだった、シリーズ一作目。一言で言えばラッキーゲット。非常に印象的だった二作目(読書順の感覚から言うと、時さんの方が一作目なのだが)と対比すると、色々と逆を打ってある部分が多く、そこにまず興味を引かれた。
十年の断絶がある弥太、親子にリアルタイムで張り付く時さん。斬る人生の中一瞬触れ合った袖を頼りに生き延びる弥太、脇差を売り払って刺子を買う時さん(まぁ結局、命金の一両欲しさに一日殺し仕事に戻るわけだけど)。そこらへんの劇作的な対比が、しかし股旅の根っこに流れるやせ我慢の感覚、ハードボイルドの空気を強調して印象強い。
袖刷りあうだけの他生の縁に、命の五十両をぽん、と投げ捨てる気概。その始末を結局は、長ドス一本でつけるしかない稼業の無惨(神楽獅子との殺陣は、流石の小林先生の漫画力。ド迫力で中盤の山場と言うのに相応しい)。名乗らず一目、傘の下で一筋涙してつける始末。森助の「おらぁおめぇに斬られて死にてぇ!」も合わせて、場面場面の見得力が圧倒的に高い。小林先生の漫画力と、長谷川先生の原作の骨の太さ。両方が合い混じった結果だといえる。
義理と人情秤にかけりゃ。結局は使い古されたこの言葉に、股旅のよさは戻るのかもしれない。だが、それの生まれ所は長谷川先生なわけで。長谷川先生が生み出した(といっちゃって良いだろう)股旅物というジャンルの魅力を、パリッパリに新鮮な、それでいて懐かしさを感じる味わいでリバイバルした小林先生の、やはり分厚すぎる筆力をひしひしと感じる漫画であった。三作目をじわりと待つ。