イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/11/29

・プリパラ:第22話『学園祭でライブクマ~!』
そろそろクール終わりというわけで、校長との対決姿勢を深めていく回。
イイハナシなのかそうじゃないのか、いまいち判別しにくいキチった大暴れっぷりはプリパラらしい。
レオナが自分を出したのと、雨宮くんが男を見せたのは素直に褒めていいところか。

Wライブということで、ドレパとソラミの距離感を再確認する回でもありました。
シオンのキャラが良い塩梅に立っていて、馴れ合いすぎずトゲトゲしすぎず、いい間合いを保ててると思います。
今回もドロシー以外、物分かりよく協力してくれてたしねぇ。
あの子のデレタイミングが、お話の転換点になるんでしょうね。

一方御札を貼られた妖怪みたいに苦しんでいた校長ですが、これで火がついて全面戦争の流れか……。
校則<校長先生則<道路交通法という生々しい法律ヒエラルキーを持ち出し、真正面から叩き潰したのは良かったのか悪かったのか……面白いからいいか。
食レポ回を見るだに悪い人ではないと思うので、綺麗にプリズム浄化して終わるといいんだが、さてはて。

 

ヤマノススメ:第20話『ここなの飯能大冒険』
飯能ここ散歩、時々あおいの重力観測。
そんな感じのヤマノススメ、第二十話でした。
ヤマノススメはイメージビデオ的な、女の子がただ可愛いだけのお話の中に、爽やかな良い話で硬い底を作れるのが強いと思います。

ここ散歩に関しては、妖精天使ここなさんのファンシーな世界が存分に描写され、素晴らしい仕上がりでした。
ここなちゃんはこう云う風に世界を感じ、見てるんだなぁと視聴者に分かるよう演出されていて、キャラの心情に寄り添う助けになるお話。
こう云うのがあると、グイッとキャラが好きになれてナイス。

んで、天使が可愛いねってだけで終わらせない意地の悪さが、ヤマノススメのいいところ。
今回で言えば天使の周りの現実、狭いアパートだとかコンビニケーキだとか、十一時半に帰ってくるお母さんだとかの描写を、ここなちゃんを取り巻くファンタジーと同じ重さで描いている所。
そういう積み重ねをラストのお母さんの表情演技で爆発させて、二本目のラインをお話に作る構成は、甘いだけではなくて良いなぁと思います。

一方あおいは愛情たっぷりケーキを作り、夢が叶った後の現実に怯えていた。
お前ら二人だけで玄鉄絢時空に飛び込んでいくの、マジズルい。
今回仕込んだ重力地雷は、谷川岳で爆発すんのかなぁ。

 

・Gのレコンギスタ:第10話『テリトリィ脱出』
政治的潮流が留まること無く流れてゆくロボットアニメ、今回はベルリ視点メインで展開。
アルケインをフェティッシュに使い、敵に惚れた女が良いようにされてる描写が良く奔っていて、ベルリの心情が解りやすくなった回かと思います。
大きい流れであるキャピタル-アメリア間の政治的緊張も、小さな流れであるベルリ青年の青春も、両方面白いのがこのアニメの強いところだ。

『アーミィによる実力行使を実力で阻止した』というのが今回のあらすじですが、荒木コンテ・演出が戦闘シーンに独特の味を添えていて、食い足りない感じはない。
ジャングル内部での戦闘というシチュエーションを思う存分活かし、バーニアやホバーで押しのけられる樹木、脚部にこびり付く泥、何度も膨らむエアバッグと、凝った演出が冴えてましたね。
あとワニね、スーッと近寄ってくるのが面白すぎる。

ベルの恋心に関しては、重要な要素をようやく真ん中に据えてくれたな、という印象。
姫様がトンパチ過ぎて、『ぶっちゃけノレドの方がよくね? ラライヤに優しいし』と思わざるをえない。
が、恋は理屈ではないのでしょうがない。
姫様はお礼が言える人だしね……あのステップとか、なんの説明もないのが素晴らしいですね。

『せっかくキャピタルまで来たのに、わざわざメガファウナを選んだ』というのが、ベルリ青年のお話として見た時、今回一番大事なところだと思います。
半分は惚れた姫様のため、もう半分はキャピタルへの不信のためって所かなぁ、あの選択の理由は。
ガードと協力して状況を良くしていく道もあるとは思うんですが……デレンセン殺しがひっそりと影を伸ばしてんのかな?


メガファウナが押し上げた大人たちは、複雑怪奇な状況で全員自由には動けない感じ。
法皇も実権を握りしめているとは言えないし、スルガン軍総監も大統領を抑えきれないし、『偉い人でも、何もかも思いのままになるわけではない』という当たり前のことがしっかりストーリーに食い込んでいて、とても面白い。
複雑な状況に悩まされつつ新機体は開発し、宇宙戦艦も入手しちゃう辺り、クンパ大佐は本当に腕っこきなのね。

二大大国の政治的綱引きの"綱"になってる『宇宙からの脅威』の内実が解らないまま、事態はドンドン加熱し、気付けば宇宙戦争になっている状況。
それは今回悪趣味全開で描写されたアーミィのパレード大好き主義と、嫌な感じに噛み合っていて、国家意思決定の当事者が何とか戦争回避を望んでも、ズルズルと上手くいかない状況が生っぽく迫ってきました。
これから事態はどうなるのか、目を離させないアニメだと思います。

 

・selector spread WIXOSS:第9話『その別れは唐突』
最終局面に向かう前に、取り敢えずまともな連中をゲームから下ろそう! というわけで、ちより&エルドラチーム退場回。
あきらっきーが二周くらい回ってキチガイ真理にたどり着き、蒼井晶になったりもした。
拡散した状況がまとまってくると、いよいよ収まる所に収まるタイミングが近づいて来たなぁと感じます。

WIXOSS世界で生きていくにしてはバカで軽くて純粋過ぎるプレイヤーちよりは、特に裏もなくバカで軽くて純粋でした。
ウリスあたりに見初められていたら酷い目にあっていたんでしょうが、それは晶の担当。
人格ネジ曲がり気味なルリグの中でも、最も仁愛に満ちた存在たるエルドラに拾われ、比較的穏当なドロップアウトをキメました。
いや、来週スンゴイ酷い目に合ってる可能性を否定は出来ないですけどね、このアニメWIXOSSなので。

カルマと情念が絡みあい、ロクデモナイことしか起きない詐欺ファンタジーWIXOSS
見ているうちに自然と疑り深くなっていくこのアニメにおいて、変化球を勝手に想起させておいて真っ直ぐという道化チームは、終わってみるとストライクの取れる良いキャラだったなぁと思います。
群像劇なので、キャラの見せ方・魅力の引き出し方・お話のまとめ方にバリエーションがあるってこと、そしてそこに勢いと面白さがあるってことは、凄くグッドですね。


綺麗に退場した道化チームの舞台裏で、自分で傷つけて自分で癒す、愛情の究極マッチポンプと化した晶。
主役チームは綺麗な要素を拾うのに忙しいので、晶の面倒を見る余裕が無い結果がこの自己完結だよ!
あの動機でなんかして、実りのある結果が待っているわけがないので、助走の段階で既にお腹痛い。
後アレだ、そらボールペンはあんま深く刺さんないよね……全治一週間がいいところだよね……。

一切付け入る隙無く閉じて腐ったウリあきの今後は、一体どうなるのか。
道化チームを整理して、お話を閉じる道にギリギリ間に合いそうな主役チームの今後は。
クライマックスが近づき、WIXOSS、まだまだ目が離せません。

 

・四月は君の嘘:第8話『響け』
才能が人間を魅了してしまうことの素晴らしさと残忍を、視聴者に見せつける回でした。
あの二人はよくもまぁ、あれだけの情念を二年間腹腔の奥にしまい込んだまま、技量を磨き上げ続けられたもんだ。
そこで間違えない、捻じ曲がらないこともまた、才能の証左なのかもしれませんね。

公生くんの出番を前に、新キャラたちが己の情念をピアノに叩きつける展開が連続しますが、二人共公生くん好きすぎ。
そうやって心を撃ちぬいてしまう残忍な出会いが青春期には時々あって、まぁ無いときもあるのですが、ある時にはあるわけです。
そうやって人格を撃ちぬいてしまった有馬公生が二人いるってのがこの話のうまいところで、武士くんは母の薫陶を経てピアノロボットとなった有馬公生を、絵見ちゃんはその前の最も純粋な有馬公生を、それぞれ己の将星と定めてピアノ道を踏破してきたわけです。

自分はピアノロボットになった公生くんにも価値があって欲しいと思いながらこの亜に目を見ていたので、武士くんの真っ直ぐで焼けつくような憧れは、正直嬉しかった。
機械のように演奏していたとしても、人間味とやらが音楽の中に感じられないとされていても、結果として人の心を打って人生を変えてしまったのなら、それは努力に担保された才能
であり、無価値なものではけして無いでしょう。
感情表現のあるなしは結果として人の心を動かす割合に係るとしても、才能の現れの差異であって内実ではなく、機械の音楽に感応してしまったのなら、それはそれで寿ぐべきことなんだと僕は思っています。
武士くんはそういう所にピシっとハマるキャラクターであり、すごく好きだな。

一方機械の音楽になる前の有馬公生を愛した絵見ちゃんもまた、好きなキャラです。
公生くんの音楽が感受性の豊かな人物以外に刺さらない大きな理由は恐らく、過大な母の夢を背負わされ、楽しくもないのに完璧に弾けてしまう機械の音楽に、有馬公生が存在しないからだと思います。
絵見ちゃんが険しいピアノ道を踏破する縁とした『機械音楽奏者としての有馬公生の否定』はつまり、4分間の運命の出会いで彼女が見た『有馬公生の存在する音楽の再獲得』とイコールなわけです。
それは今後、公生くんが自分のピアノを取り戻す過程でやらなければいけないことであり、おそらくこの物語で一番大事なポイントになるんでしょう。
それを先取りして自分の人生を注ぎ込んでいる絵見ちゃんは、正解を先取しているという意味でも、その人格的な意味でも魅力的です。


しかし、二人の人間の人生をねじ曲げてしまったことに、有馬公生は気づいていない。
才能というのはそういうふうに無意志的なものであり、そんなつもりはあろうがなかろうが一切関係なく、人間の心を撃ちぬいてしまう側面を持っています。
だから、有馬公生は二人のねじ曲がった人生に責任をもつ必要はないわけです。
二人は勝手に聞いて、勝手に感動して、勝手にピアノを死ぬほど練習して、勝手に人格全てを表現できるほどに上手くなったのだから。

必要はないのだが、そんな風に人生を変革しうる重力を持っている存在のレアリティを鑑みれば、もしかしたら義務はあるのかもしれません。
かをりちゃんが言うように「ピアノを引くべくしてある存在は、ピアノを引くしかない」のだとしたら、やはり有馬公生は今回弾いた二人の自分勝手な感動に、ピアノを引いて報いるべきなのでしょう。
母を失い音を奪われた今の公生くんにその期待と義務は重すぎると思います。
苦行にも似たピアノ修行を耐えうる麻薬として理想化された、二人の中の有馬公生に匹敵しうる演奏は、けして出来ないでしょう。

でも、次回予告を見ると公生くんは弾くようです。
どれだけそれが無様でも、僕はやっぱりその姿に価値はあるし、そういう舞台を丁寧に整えているこのアニメは、とても素晴らしいと思います。
有馬公生の土壇場、楽しみですね。