イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/12/5

・柩姫のチャイカ AVENGING BATTLE:第10話『戦まねく玉座』
丹下桜が死んで、お父様が生まれた。
そんな最終回手前……最終回手前!?
……せっかく面白いアニメなので、もう少し時間があって欲しかった所よ。

とは言うものの、仕込み担当の黒チャイカと、実力行使担当のガズ皇帝のラスボス力が高く、お父様ぶっ飛ばせば話が終わる状況になっているのはナイス。
兄様の『なんかつまんねぇし、戦争再発しねぇかな』というエゴをくすぐる形で、皇帝が大暴れしているのも乗っかりやすそうだ。
白チャイカが揺れてるけど、兄様とアカリが今までの旅路を引き合いに出せば落ち着くだろうし、そういう部分も安心。

隊長の復帰とか、片手間にぶっ殺されたハウトリンゲン公とか、スナック感覚でかっ飛ばされた要塞とか、『ああ、かなり巻かないといけないのね。フロントから電話かかってきて30分延長してクライマックスギリギリなのね』と思うポイントは正直多い。
しかしそれはあくまで"惜しい"であって、今までいい塩梅だった部分を全部ブチ壊しにするほど不満なわけではない。
そこら辺は、今までの展開の中で三人の交流をしっかり描いてきたからだろうなぁ。

エピローグに回す尺はなさそうなので、最終回では登場人物のクエストをしっかり終わらせることと、いつもの様に話の都合でコースアウトさせられたフレドリカがちゃんと復帰して見せ場を貰うことに重点していただきたい所。
ホンマあの子はお話の都合と心中するキャラやった……猫吐き面白いし……。
さーて、どうなるんですかね。

 

ヤマノススメ:第21話『思い出の山へ』
富士山以降のヤマ場として設定され、日常モードの中でもチラチラ目線を送られていた谷川岳編、ついに開始。
とは言うものの登山本番にすら辿り着かず、ロープウェーとリフトに乗ったところまで。
向日葵コンビのテンションとしては、もう『帰宅したら即結婚』レベルまで行ってますがね。

基本あおい視点で進むアニメなので、今回のようにひなたに一人称が映ると、お軽い態度の奥に隠された超重量級の決意が垣間見え、ずっしりした食べごたえ。
あの子ほんと重い……さらっとあおいの人生一生背負うつもりなのが。
演出も彼女の決意を引き受けて何やら荘厳なものになっており、ロープウェー乗ってるだけなのに『何? 出産? ひなたの子供を?』と聞きたくなる。
一見大げさにも見えますが、飯能のネガティブ女子にとっては人生を左右する一大事件であり、そういうどーでも良さげでありながら人生の航路を決めてしまうイベントをしっかり書けてるのが、このアニメが少ない時間でキャラの変化を描けてる理由なんだろうなぁ。

来週以降はいよいよ思い出の山に登っていくわけですが、彼女らが危惧するように、思い出を追い越してしまえばそれは色褪せるものなのか。
それとも頂を越えて見える景色というものが、存在しているのか。
たっぷり布石を撒いてきたポイントなので、どう回収するのか今から楽しみです。

 

アイカツ!:第111話『ディアマイファン!』
三年目のアイカツ!もキャラが出揃い一段落、今回はアイドルの周辺がメインのお話。
アイカツ!世界でのアイドルとファンの距離感、三年目にしてようやくあかさエれたアバターシステムの真実などなど、設定周りを固めていくエピソードだった気がします。
同時にあかりちゃん&スミレちゃんの確実なステップと、あおい姐さんの先輩っぷりを見せる回でもあったかな。

取り敢えず再登場したらいちが常時アクセルガン踏みのスーパーキモヲタっぷりであり、「小学生で美少年だから許されてたことも、喉仏出始めるともうアウトだな」としか言えねぇ。
同士を見つけて即座に洗脳する所とか、先輩っ面で得意気に説明する所とか、彼女よりもヲタ友優先する所とか、完膚なきまでのダメヲタク過ぎて凄かった。
それを優しく見守るノエルちゃんの菩薩というか鬼子母神というか、ともかく良くないレベルの包容力も見て取れたね。

そんなライチに導かれ、立派な腐れヲタへの第一歩を踏み出した東くんは、気持ちだけなら熱心かつ誠実な素晴らしいファンだと思います。
ただ、学園内部のイベントであるハロウィンのネココス写真とか、何処で手に入れたのか……あおい姐さん?
あの世界のエンタメは八割くらいアイドルに支配されているので、ドルヲタも現実世界で言うところの映画ファン位の人権を獲得してるっぽいので、まぁ大丈夫か。
今回の話は第4話『OH! MY! FAN!』のリブート(握手会でのファンとの交流という意味では第89話『あこがれは永遠に』、キラキラッターの活用という意味では第7話『つぶやきにご用心』の要素が、それぞれ入ってると思いますが)であり、あそこで一回出て存在を抹消された太田君のような扱いにならないことを、心から願っています。


ファンを受け止める立場にあるアイドルたちは、三者三様のかかれ方でした。
主役たるあかりちゃんは真っ直ぐに真剣にファンとの交流を受け止め、彼女らしい受け答えをしていました。
地面をガッチリと踏みしめ、一歩ずつ進んでいくあかりちゃんの姿は、安定感があってやっぱ良いですね。

一方、神様に愛された美貌で女の人と女の子を片っ端から吸引し、受け答えが硬くても満足度は高いスミレちゃん。
ほんと別格に美少女なんだなぁというのが、良く演出されていたと思います。
一歩道を間違えると国を傾けたりしそうなので、春秋戦国時代とかに生まれなくてよかったタイプ。
そして、あの幼女は確実に性癖歪む。
間違いなく、前髪パッツンの年上超美女以外に昂奮できないセクシャル・ファンタジーを抱え込まされているネ。

彼女らにアドバイスを送り、背中を見守っていたあおい姐さんは流石の貫禄でした。
写真もバシャバシャ盗撮してましたがね……三年目になって、色んなタガ外れてないスカね姐さん。
元々理論派だったので、教師役は先輩たちの中でも一番シックリ来てる感じですね。

これからのアイドル、既に道を見つけたアイドル、彼女たちを取り巻く人々。
色んな被写体にカメラを向けた、横幅の広い回だったと思います。
こういう回があると世界がじわっと広がって見えるわけで、クールに1回位欲しい回だと言えますね。

 

・四月は君の嘘:第9話『共鳴』
長くて黒い母親の腕が、今日も公生くんの頬を撫でるのでした。
そんな感じのトラウマバトル回。
いやー、想像していたより根が深く、行ったり来たりするのも已む無しな過去でした。

公生くんのトラウマが厄介なのは、一つはそれを与えた対象が既に死んでしまっているため、相手からの反響なしに乗り越えなければいけないところ。
「死んじゃえばいい」という呪いは母から自分に返って音を奪ったわけですが、それが呪いだったのか、それとも別の何かだったのか、母に聞こうにも死人は喋らない。
結果あの時爆発して投げかけた呪言だけが反射して、ずーっと公生くんを縛っているわけです。

もう一つは、あくまで公生くんにとってお母さんは優しくて大好きなお母さんだった、ということ。
虐待スレスレっていうか虐待そのものなピアノ教示も、はじまりは母子の微笑ましい交流だったわけで、その頃の思い出を取り返すべくピアノを弾いて弾いて我慢して我慢して、我慢しきれずああなったと。
もしお母さんが病気ではなく、時間があったのならば感情を爆発させ、更地になった関係を再構築することもできたんでしょうが、死んじゃったしね。
そもだに、死病に侵されていなければあそこまで性急なやり方は、けして取らなかったんじゃないかな。
海外に過剰に拘るのも、死ぬ前に息子を道にのせてあげたいという愛情の反転故でなかろうか。

無論、愛があるなら何しても良いというわけではなく、捻れた公生くんの言葉でお母さんは死んでしまっているし、母の長い腕に絡め取られたまま天才ピアニストは音を失っている。
それは不幸なことであり、対話者の片方がいない以上、それを快復するのも難しいと思います。
『芸術は理屈を超えるから』とか、『感情を言葉に頼らず、より素直に表現できるのが音楽だから』という綺麗事を並べることも出来ますが、その音楽自体が有馬公生を地獄につないでいるのは、今回見てれば分かるでしょう。


そして同時に、音楽だけが有馬公生を母親への慚愧から開放できるというのも、今までの流れを見ていれば分かる。
母と子だけで構成されていた世界から、公生くんは既に開放されていて、彼の周りにはかをりちゃんもいれば武士くんも絵見ちゃんもいる。
彼らの声は公生くんに届いているし、彼らの表情や苦闘は公生くんは既に見えている。
『人間メトロノーム』と自分を苛むだけではなく、その才能を認め有馬公生の音楽を求める人達の姿を、彼は既に認識しているわけです。

(周囲の人間に椿ちゃんや渡くんをカウントしていないのは、此処で重要になるのが演奏家というチケットを持っているか、否かという要素だからです。
彼ら二人がいなければ作品冒頭、凡人のようにぼんやりと中学生していた有馬公生は生存していないだろうし、かをりちゃんに出会うまで有馬公生を残したのは間違いなく彼らの手柄なのですが、有馬公生をただ生かすのではなく、音楽家としての天分に戻すためにはやはり、かをりちゃんと出会わなければいけなかったわけです)

正直な話公生くんは『音楽を弾かない有馬公生』の価値をもっと認めていいと思うのですが、天才というのはそういうものではないのかもしれないですし、『音楽を弾かない有馬公生』の無価値が母の思い出と常時連結している以上、母を乗り越えることなしに有馬公生を認めることは、彼には出来ないのでしょう。
そして、母の超克はおそらく、この話の最後まで完全には成されず、幾度もリフレインするでしょう。
必死な戦友たちの姿を確認し、前に進めると確認してピアノに向かい、それでもしつこく襲ってくる後悔と無音は、理屈で割り切れるほど生半ではない彼の経験そのものなわけです。
その重苦しさをアニメーションに塗り込めていた今回の神戸守演出は、やっぱいいなと思います。

能登さんね。
壮健だった頃の陽性の演技も、病魔と焦燥に蝕まれた頃の演技も、油と魂の乗った良いものでした。
俺はかなり重度の麻美子信者なのですが、そこら辺のバイアス差っ引いてもこのアニメの能登麻美子は良いと思います。


今回のお話は、愛していた母が自分を苛み、母を愛していた自分が母を呪うという地獄がどれだけ残響しているか、それを見せる回でした。
ピアノを引くたび地獄を思い出す、というか未だに地獄にいることを再認識させられる少年はしかし、ピアノを引く宿命にある。
残忍でわかり易い、このアニメの基本構図をも再確認した回だったと言えます。

そういうお話の中で、かをりちゃんというのは恐らく、全てをもう一度やり直せる可能性、希望の顔をした母でもあるんでしょう。
愛していても自分を苛む母、「死んじゃえ」と呪ったまま死んでしまった母の姿は、同時に音楽の楽しさを与えてくれた優しい母でもあって、かをりちゃんはいわば、タイムマシンに乗っかって思い出を救済しに来た母なわけです。
今回映った大量の服薬などを見ても、かつて最悪の形で失い、人生の大半をもぎ取られて別れた母とかをりちゃんが覆い焼きになっているのは、見て取れる部分でしょう。
つまり母と同じように病魔は有馬公生からかをりちゃんを奪いにかかるということですが、例えば死に臨んで呪い以外の言葉を(もしくは音楽を)紡げるのかとか、そもそも病魔に打ち勝って生き残って大勝利でしたとなるのか、それはこれからの物語です。

無論かをりちゃんは有馬公生のお母さんではないので、彼らは思春期の青年らしく、しっかりと恋愛をしなければいけない。
宮園かをりは有馬公生とは別個の人格を持ち、ヴァイオリンという母とは違う楽器を持って、自己をステージに刻印する女性演奏家であることを、もっと知らなければいけないと、僕は思います。
その道にもまた病魔とトラウマがどっしり横たわっているのが、このアニメの逃げ場のないところではあるのですが。

皆が祈り、願い、ようやく立ったステージも険しい道半ば。
有馬公生がどういう風に、この舞台を終えるのか。
来週が憂鬱でもあり、楽しみでもありますね。