イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/12/17

・selector spread WIXOSS:第11話『あの窓は施錠』
思いの外物分りの良い紅林姉弟(偽)をとっとと片付け、ラスボスッ面してたがエアプ動画勢だった繭さんをチンチンにし、一気に設定の底まで掘り下げたラスト直前回。
タマを囚われのお姫様にしてから、すんごい勢いで話が収束する方向に動いていて、豪腕でたたまれる気持ちよさを感じております。
それを強引さではなくパワーと感じるのは、やっぱ今まで積んできたものの力かな。

貫通判定に失敗してた花代さんも、すべての事情を秒で察してリアルの調査をグングン進める香月も、紅林チームは少ない時間でザックザックとシナリオを進めてくれる神プレイヤー。
話を終局に導くタイムリミットとして、ルリグシステムの負債を使ってくるのは面白い。
花代さんだけではなく、ユキも使って畳み掛けるのは良いなぁ。
そういえば、るぅ汁注ぎ込まれて人格矯正が進むたび、ユキ=イオナ=クロさん体調悪くなってたネ。

ゴミクズアンデッドとゴミクズルリグが手を組み、『儂ら最強極悪コンビや、手こずるで』と言わんばかりに出てきたけど、思いの外弱かった。
まぁ時間もねぇしエアプだし、そもそもルールに則ってると悪霊GMがズルしてくるんで、ガンガン盤面ひっくり返すのは正しい対処だと思う。
るぅ子は悪霊も説得しようとしてんだけどねぇ……怨念で凝り固まってるので、じわじわ溶けてったユキさんとは違うわな。

まさにクライマックスという様相で、一気に状況がクリアになり、エンドマークが見えたエピソードとなりました。
後は悪霊とゴミクズルリグをぶっ飛ばすか浄化するかして、タマを牢獄から出して、ルリグシステムを破綻させれば劇終だ!!
……思ったよりやること沢山あるし、ユキと晶の末路に救いはあるのかとか色々あるけれども、何とかなるだろうWIXOSSだしな!!!
来週が楽しみです。



・神撃のバハムート:第10話『Helheim, Land of Lies』
母を求めて三千里、物語の最終目的地に辿り着いた! とでも思った? 全部悪魔の計画通りでしたー!! という回。
ねっとり系天才悪魔ことマルチネさんのヘイトアーツ・ワザマエが極限に達しており、来週大逆転ホームランで調子ぶっこいてるクソ悪魔ども冥王星までぶっ飛ばさないと納得出来ないレベル。
無論このアニメ、欲しい所に欲しい球を投げることには定評があるわけで、そういう気持ちよさを生むためのタメではあるんですけど。
ちょっとアーミラが可哀想すぎた……。

アーミラを徹底的に"五歳児"として描いてきたのはよく効いていて、今回明らかにされた残酷な真実のショックも、彼女に肩入れするからよく刺さる造りになっています。
ただただ無心に母親を求め続けた今までの旅路が、全て仕組まれていたという絶望感は、その旅路を楽しく見ていた視聴者にとってもショックだし、旅を共にして変わったファバロにとっても刺さる。
そういう風に、キャラクターと視聴者、キャラクターとキャラクターの関係が重なり合ってるのは、お話として強いなぁと思いますね。
僕がこのアニメ相当好きなのも、当然影響してるとは思いますがね。

一方主人公チームを陥れ、野望に大きく前進したベルゼビュート一派は人生の絶頂期(だと思いたい)
マルチネさんの堕落スコアはメインヒロイン二、主人公一と素晴らしい結果になっており、早くこいつぶっ飛ばして! って感じ。
アザゼルさんが隙だらけの似非策士だった分、マルチネさんの趣味と実益を兼ね備えた悪魔っぷりは説得力がある。


一方その似非策士は、ジャンヌ助けるかと思ったらボーっとしてた酔いどれ神に轢かれ、ギャグキャラ街道を転げ落ちていた。
的確にゲストとコンタクトを積み重ね、逆転への地ならしを丹念にこなすリタさんの頼もしさが凄いね。
実際のところ、ヘルヘイム組はちょっと状況が悪すぎるので、リタさん率いる呉越同舟部隊の活躍に期待するしかない。
メインを大ピンチに落としこむことで、縁の下的仕事をコツコツしてたサブに打順が回ってくるのは、いい構成だなぁ。

まとめて振り返ると、クライマックスに向けて、メインもサブも物語のマグマを貯めこむ回でした。
ただ貯めるのではなく、アーミラの旅の残酷な真実が明らかになったり、悪魔が高笑いしたり、物語的アゲ所を同時に凹みどころにもしてるのが、巧妙なところやね。
このまま進むとツダケン声のねっとり野郎が一人勝ちするので、いい感じの大逆転ホームランであのクソ悪魔ども冥王星までぶっ飛ばす展開を、楽しみに待っています。



・Gのレコンギスタ:第12話『キャピタル・タワー占拠』
前哨戦からアメリア本隊が到着し、男達のエゴがぶつかり合う宇宙戦争がどんぱち行われた回。
結果アメリアがその武威を見せつけザンクトポートに乗り込み、トップ会談は混迷し、その隙間を縫って宇宙からの脅威が横殴りしてきた。
様々な思惑を持った勢力が入り乱れる混迷した情勢に、更なる一撃が入る大きな転換点ですね。

熱い戦争になる前の謀略段階で、クリムが無血開城を狙っていたのは策士っぽい動きだった。
思いの外スコード教団の文化的影響力が強かったため為せなかったけど、結果としてタワーは実効占拠する形になったから、彼の名前も上がるのだろう。
前哨戦と異なり、ミック・ジャックのパイオツ握りしめながら戦う今回の戦争では、クリムは野望もエゴも剥き出しに疾走している感じがある。

野望の男なのはマスクも同じなのだが、徹底的にGセルフに邪魔をされているのと、一々動きが面白いのでクリムよりは柔らかい印象。
バララといい感じ漂っているが、マニィの事はいいのか先輩。
仮面を被ってしまった以上、恋人同士ではなくエースと新兵という割り切りか。
アーミィはマスク部隊ばかり前線に出して、結果タワーにチェックをかけられていたけども、これはただの失態なのか、はたまた狙いがあるのか、ちっと分からんね。

そんな2つの勢力に挟まれる形の寄せ集め部隊、メガ・ファウナ。
形式上アメリア軍所属でありクリムトの共同作戦もやってんだけど、染み付いたスコード価値観が抜けないベルの描写が良かった。
アメリア軍に浸透してるスコードの描写もそうだけど、単純な武力ではアメリアのほうが上っぽい状況で、文化的パワーを底支えに均衡状態を作っているのは面白い。
MSの動きだけ見てるとマックナイフが変態的で凄いんだが、あれは最新鋭機だからか、それともマスク的ムーブの表現なのか。


交戦自体は痛み分けでの時間切れに終わり、メガ・ファウナはコウモリ部隊特有のごまかしで、アメリア本隊はかなり無理くりなことをしてザンクトポートに登る。
役者が揃った後の政治的腹芸は、お互い主張が強すぎて、"宇宙からの脅威"の出現がなくてもまとまっていなかっただろうな、と感じる。
グシオン総監が『"宇宙からの脅威"対策としての軍拡』を看板程度にしか信じていなかったのは、さらっと流されたが結構衝撃の事実だと思う。
良くも悪くも、老獪で優秀な軍人政治家なんだね、総監は。

他にも姫様の影響力とか、どんどんSAN値が回復しているラライアとか、横幅の広いキャラ描写が光った回でした。
やっぱ大きな事件が起きると、今まで深めてきたキャラ描写がグンッと結実するシーンが作れるわね。
若者以外誰も信じていなかった脅威の出現により、なし崩し的呉越同舟となりそうな次回、また別の顔が見れると思うと楽しみです。

 

・天体のメソッド:第10話『願いの行方』
五人とノエルの気持ちを再確認し、それを選ぶしかない結論にもう一度辿り着く準備をする回。
このアニメの問題は基本、心のなかにあるわけで、それを追いかける道のりもまた、心の迷い道になるねぇ。
青く幼いデウスエキスマキナことノエルが直でアシストかけたので、迷路から一番に抜けたのは主人公・乃々香というところでヒキ。

やはりノエルは幼く無垢でありながら、完成されて迷わない神様でもあるなぁ、と思いながら彼女を痛ましく、有り難く見続けていた。
最初は神様としての義務でやって来て、五人の心が尊いと思ったから七年待ち続けた。
そこには意志と決断と尊重があるわけで、その3つを併せ持っている存在は、どれだけ外見が幼くても、行動があまりに真っ直ぐすぎて見てるだけで涙出てきても、やはり大人なのだ。

このアニメにおいてノエルはバラバラな五人をつなぎ合わせる接着剤であり、七年前に失ってしまった幼年期であり、"円盤のある街"という場を作り上げた神様であり、素直になれない心をほぐすカウンセラーであり、乃々香が失った母親であり、可愛い可愛いノエルちゃんでもある。
ノエルが沢山の権能を持ち、それを必要な場面で最適に行使してきたからこのアニメは成り立っているわけで、今回見せた彼女の内面も、一見矛盾する要素を既に昇華して安定している。
無垢は成熟の土台であり、完成は始原の尻尾を噛んでいるわけだ。


尊いと思ったから待ち、綺麗だと感じたから守り、優れていると見えたから助けた。
言われてみれば当たり前の素直な、素直過ぎるノエルの価値判断は、しかし日々の生活の中で淀み疎んで行ってしまう定命の人間たちには、選ぶのがとても難しい神様の視点だ。
だから、只の人間である五人は自分の心を押し殺し、形の上だけでバラバラであろうとする。
皆ノエルのことが好きだからだ。

しかしながらそれはノエルの素直な心を蔑ろにすることだし、何よりも無理がありすぎる。
今までのお話の中で、五人の関係はかつての形に戻り、心ひとつの置所で解決する問題は、既に解決してしまっているからだ。
神様の助けを借りつつ、只の人間たちが何とか頑張って素直になって解いた結び目を、わざわざもう一度結びなおして『ハイ、これで誰もいなくならない、みんな幸せ』というのは、譲渡して受け入れられない以前に、物語の力学としてやはり不自然なのだ。

それでも汐音の話を聞いて湊太が引き柚季が引き、こはるが涙をながすのは、このアニメが心ひとつすら自分のものにならない、不自由で不完全な人間たちのお話でもあるからだ。
そういうふうに欠損した不満足な人間たちが、ノエル(と彼女が象徴する小さな奇跡)の助けを受けて、なんとか欠けたところの少ない、本来的な人間関係に戻り、そして進もうとするお話。
このアニメはそういうお話だから、もう一度彼らの不完全さを描かなければいけなかったのだ。

神様と人間、天上と地上、円盤と地面、ノエルと五人。
このアニメが完成と未完成の間を行ったり来たりする運動体であることを再確認して、今回のお話は進んだ。
お話を完成させる(作中の言葉を借りれば「みんなをにっこりにする」)役目と動機と決断を持っているノエルが、お話を完成させることのできる唯一資格者たる乃々香に、お話の完結を持ちかけて今回のお話は終わった。
正直な話をするとノエルを見ているととても辛くて、この先を見たくない気持ちも少しあるけど、そういうき持ちにさせてくれたこのアニメへの敬意を鑑みれば、しっかり見るのが努めだと思う。
何より、僕は彼女と彼女らのお話が、何処に向かうかをちゃんと見たいのだ。
来週も楽しみだ。

 

・天体のメソッド:第11話『流星群の夜』
綺麗な想いを閉じ込めて湖に沈める回。
同時に、『未熟な者達が間違える』というプロットを再演した前回に引き続き、『間違えた者達が正解にたどり着く』というプロットを再演する回でもある。
そういう意味では11話と10話は対だし、このアニメは同じテーマやモティーフ、プロットのリフレインが非常に多く、巧いアニメでもある。


ノエルは消えるというのは、物語の最初から見えていたゴールである。
印象操作に気を使ったこのアニメで、ノエルは純粋さと危うさを同時に強調されながらカメラに映っていた。
あるべき終わり方にしっかりたどり着けるお話というのは実はかなり稀有で、道筋をしっかり感覚させ、そこから脱落しないように話を進め、終わりまで走りきらなければいけないからだ。
この話はここに辿り着くために映像を積み重ねてきたし、ノエルが消えたのは、お話の完遂という意味では喜ぶべきことだ。

しかしまぁ、ここまで五人と一緒にノエルを見てきた視聴者にとって、五人がそうであったように諸手を上げてバンザイで送り出すとは、とてもならない。
天文台で丁寧に確認したように、バラバラなまま出会い直した五人がもう一度繋ぎ直されたのは、すべてノエルの助力と人格が始動点になっており、そういう人物が消えるということは、寂しさの固まりを胃に流し込まれるようなものだ。

それでも、かつて子供時代にノエルと出会いバラバラになった過去を逆廻しにして、バラバラだった五人が再び結びついてノエルを送り出すのが、このお話だ。
解っていても揺れる心すら汲み取って、丁寧に尺を使ってノエルと五人は別れる。
それは視聴者と映像が重なり合うシーンなのであり、僕らも五人と同じように迷い、その果てにノエルと別れるべきなのだろう。


天文台において、面倒くさい女三人(柚季・汐音・乃々香のノエルセラピーで記憶の中の問題と向き直ることが出来ましたトリオ)が、全員膝を折り姿勢を低くしているのは面白い。
それは頑是ない子供時代に戻っているということであり、母親であるノエルは、成長できない子供の体を屈めて、わざわざ目線を合わすという大人の仕草をしている。
幾度も回想された汐音とのファースト・コンタクトをもう一度やり直すシーンも引っ括めて、あの天文台はタイムマシンである。

子どもたちは中途半端に大人になり、頑なな心で様々な問題を引き起こし、しかしなんとか素直さを思い出して、ようやく時間を巻き戻した。
涙を堪えながら、あるいは堪え切れず泣き出しながら、それでも別れの苦さを飲み込めるのは、彼らの成長の証だろう。
ノエルに見守られ、成長をじっと待ち続けられる庇護下の立場ではなく、去りゆくノエルを見送れる頼もしさを、彼らも手に入れることができたのだ。
それがあるから、例えば兄の怪我だとか、過去の離別だとか、母の死だとか、各々が過去に付けられた心の傷を受け入れることが、無論ノエルという偉大な庇護者がいなければ困難だったのだろうけども、彼らには出来たわけだ。

そこまで彼らが育ったからこそ、ノエルはようやく子供のように泣く事ができる。
此処でノエルを泣かせたのは僕個人としては大きな救いであって、最悪に近い呼び方を会えてするなら物語を進展させる装置的役割をも担当していたノエルが、その外見や振る舞いと同じように素敵な子供であったと、素敵な子供であっていいのだと、作中で明言したシーンだからだ。
あれだけ頑張って、あれだけ優しい子なのだから、それぐらいはしなくてはいけない。
そして彼女の矜持を思えば、そこがギリギリの妥協点だ。
彼女は成すべきこと、成したいことをしっかりと達成して、帰るべき場所に帰る大人でもあるのだから、餞別はアレが丁度良いのだろう。

思い返してみると、ノエルは円盤のアバターという超常的存在なのに、その不思議な出自を使って何かを解決するということはなかった。
円盤に投影された花火は子供たちが決死に頑張ったことへの褒美のようなもので、それが何かを解決したわけではない。
彼女は小さな体と、可愛い仕草と、素直な人格だけをフルに活用して、五人の青年の過去を取り戻し、関係を修復したのだ。
つまり彼女は"頑張った"のであって、アニメーションの中に封じ込まれたその苦労こそが、視聴者が彼女に抱く好感の源泉だ。
そんな事を、今まで積み上げてきた要素を再確認する今回を見ながら、思ったりもした。


あるべくしてあるべくように、ノエルは消え円盤も消えた。
ただ綺麗なだけのお話ならば此処で終わりなのだろうが、このアニメにはまだ話数がある。
天使と出会って、天使が消えたその後、その先。
正直、僕はそこを全然想像しないまま、このアニメを見ていた。

子供時代に立ち返ることで青年の前に広がる大人の世界を、より良く進むことが出来る可能性。
それについて言及し続け、描写し続けたこのアニメが、円盤のいない街の中で否応なく年老いていく五人をどう写すのか。
その時間の中に、もう一度奇跡はあるのか。
さっぱり解らないことを幸福に思いつつ、来週を待ちたいと思う。