イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/01/21

・夜のヤッターマン:第1話『世界は真っ暗闇』
若干26歳の気鋭、吉原達矢監督が送るタツノコレジェンド・リブート。
キャシャーンSinsガッチャマンクラウズと来てタイムボカンですが、善悪逆転したディストピアな未来を舞台に、健気なドロンボー一味が極悪極まるヤッターマンに一発カマすべく苦労していく、ガッツストーリーに仕上がっています。
旧作へのリスペクトと、新しいことをやってやるという意気込み両方を感じられる、気合の入った意欲作であります。
吉原監督は元々ダイナミックに変化させる、ややレトロな作画・演出が得意技なアニメーターであり、その『昔っぽさ』はこのリブートと非常に相性が良いと感じました。

ドロンボー一味は過去の罪科で流刑地に送り込まれ、飯もろくに食えない酷い暮らしを強要されている状況。
辛い生活の中でも家族の温もりさえあれば……とばかりに、レパードちゃん九歳を優しく見守るおじさん達とお母さんとの生活が、穏やかに描かれるシーンがとても良い。
ドロンボー一味を思い切ってリファインしたのは効いていて、健気なレパードちゃんといい、彼女を決死に守りぬくおじさん達といい、視聴者は『何とかこの人たち報われてくれませんかね!!』という気持ちになる。
俺が健気な少女と優しいおじさんの組み合わせがだーい好きってのを差っ引いてもな!
いやホント、忠節の従者萌えとしてはこの組み合わせだけでゴッツァンですよ。

お母さんの死病をきっかけに、露骨にディストピア顔したヤッターキングダムへ薬を貰いに行くのですが、帰ってきたのはヤッターマンからの銃弾の返答でした。
旧作に思いいればあるほど、『あのヤッターマンが銃を?』『逃げ帰るいたいけな少女に追撃?』と、疑問符とともに衝撃を受けるシーンでした。
あそこで情け容赦のない攻撃を加えたことで、善悪が逆さまになっている世界がグイと飲み込める結果になっており、しかもドロンボー一味の幸せな姿を強調していたせいで、ショックも大きい。

そのショックは『いったい世界はどうなってしまったのか?』という疑問に繋がる。
レパードちゃんが世界の成り立ちを深く考え、それを確かめるべく行動するキャラクターなので、彼女の疑問と視聴者の疑問がシンクロするように話が流れており、此処でもスムーズに主人公に感情のラインを合わせる工夫がされている。
かくして、ボロは着ていても心は錦な旅立ちのシーンのカタルシス、一話ラストで流れるOPの爽快感に繋がるわけです。
ホント一話よく出来ていて、キャラクターを好きになって、世界に興味を持って、お話の先が見たくなる構成になっておった。
エエアニメや……。

トータルで見ると、ただ懐古主義なだけもなく、今風に塗りつぶすでもなく、オリジナルを尊重した丁寧な劇作と、エッセンスを理解した上での大胆なひっくり返しが気持ち良い、見事なリブートでした。
レパードちゃんを中心とした家族描写がしっかりしており、そこからヤッターキングダムの『正義』を暴きにかかる展開も骨太かつ爽快。
これから先も艱難辛苦があの子供に襲いかかるのでしょうが、優しいおじさん達がしっかり守ってくれるし、強い信念を持った頼れる主人公だし、彼女たちの『悪』の道がどうなるのか、楽しみに見守りたいと思います・

 

 

・夜のヤッターマン:第2話『ヤッターマンにデコピンを』
二話は夢の国と噂されていたヤッターキングダムの暗黒っぷりを、これでもかと魅せつける展開。
ヒーローなはずのヤッターマンゾロメカ扱いだし、奴らの演出どう見てもホラーだし、住人の眼には希望のキの字もないし、ほんと酷い世界ですね。
そんな場所をボロボロにされながら彷徨い、なんか運命の出会いっぽいのを果たして次回に続く。
旅の道連れ候補も盲目ってあたり、容赦の無いアニメネほんと。

今回は一話よりも過去作に目配せした描写が多めで、ドロンボー一味としてのお約束をどんどこ
成立させ、ちょっと懐かしくも温かい気持ちに。
そこら辺無視して血も涙もないリアルな攻撃仕掛けてくる辺り、ヤッターマン(を名乗る存在)は様式美と正義というものを理解してねぇな。
あと大量の押井パロと、妙に気合の入った虫&動物描写な。
パト2リスペクトな場面多かったなぁ……。

そういう要素で息を抜きつつも、基本的にはドロンボー一味にとにかく厳しい展開。
肉体的ダメージはようやく効いてきたギャグ補正で切り抜けられても、灰色の背景がディストピア感をバッチリ伝えてきて、面白いギャップになってた。
ほんっとクソみたいな世界で夢も希望もありゃしない状況ですが、来週以降少しは明るい要素があるんでしょうか。
いやレパードちゃん達の元気は良いんだけどさ、ガハハと笑い飛ばすには健気すぎて……。

ママン声のお姉さんとの出会いがレパードちゃんにどう影響していくかは、来週以降の描写を待ったほうが良いのでしょうが、とにかく世知辛いお話なので、過度に酷いことにはならないで頂きたいところ。
とは言うものの、寒空の下の一灯のような絆を描くのが上手いので、そこまで曇らせられないんじゃないかな、とも思ってます。
ただ悪趣味にディストピアを描くのではなく、そんなひどい状況でも耐えられる理由をしっかり描写してくれるのは、とても有難い。
シリアスとギャグ、受難と癒やしのバランスの良いアニメで、とても面白いですね。

 

ユリ熊嵐:第3話『透明な嵐 INVISIBLE STORM』
委員長がその邪悪な正体を露わにし、透明な嵐が吹き荒れ、紅羽がようやくその銃弾を命中させる回。
『クマのメガヴァイオレンスも相当だが、ユリの陰湿な暴力も大したもんだぜ!!』と言わんばかりに、学園裏サイトっぽい吊し上げが結構クッキリ描写されてた。
クマの世界もユリの世界も、どっちもどっちって感じ……なのかなぁ?

正直もう少し引っ張ると思っていた委員長は、悠木碧渾身の怪演をブースターにして突き抜けていった。
撃ちぬかれたのは腕章だけなので、その実死んでないというルートもあるとは思うが、重要なのは紅羽が『殺した』と認識してる所だと思います。
クマの正体を見てもなお、紅羽は蜜子を人間だと認識し、自分の行為を殺人と認識して気絶した。
割りきれているようで混乱した思春期に彼女はいて、そういう女の子がクマに好かれていて、多分クマに好かれる。
紅羽さんの心の天秤は今後も揺れ続けるんでしょうが、その不安定なバランスと、それ故に所持しているポテンシャル両方を見た気がしました。
とりあえず、童貞(刃牙のガイア的な意味で)は失い大人の階段は一歩登ったやね……女の手助けで鉄砲うつってのも、ファルス主義的だな。

三話目でようやく手にした力を行使し、生き残るための戦いに紅羽は勝利したわけだけど、同時に殺人という咎を背負うことにもなった。
生きるということは変質していくことで、綺麗なものも幼い部分も否応なく変わっていってしまうのだとしたら、永遠であるということは死ぬことでしか保証されない。
永遠に綺麗な思い出を保存するべく、純花さんを早々に退場させたのだとしたら、やっぱこの話は残酷だ。


そして蜜子は見事なヘイトアーツの使い手だった。
あの眼鏡を使った煽りは紅羽に最後の一線を越えさせるだけではなく、純花さんのピュアネスも強調しており、いい悪役してんなぁと思います。
指すら触れ合わない消しゴムの受け渡しを見ても判るように、純花さんと紅羽さんの交流は肉の接触を極端に少なくしたストイックなもので、何かというと肌を舐めに来るクマとは大きな違いがあるね。

銀るるが『純花は』食べていないことが公開されてましたが、同時に他の人間は食ってるっぽいことも公開情報に。
最後のクマショックを見るだに、彼女らが守りたいのはスキを諦めない人間であり、透明になってしまった人間を食うのに躊躇いはない、ということだろうか。
『そういう生き物』であるクマに、ユリですらない人間社会の善悪を当てはめてもしょうがないが、単純に『いいクマ』とは言えない含みのある終わり方だ。
感情の天秤が揺れ続けているという共通点だけではなく、『スキを教えてくれた』という関係性も、ユリサイドのカップル・クマサイドのカップル両方に共通してる感じ。


排除の儀の閉塞感と気持ち悪さは、クマを断絶して世界を成り立たせている人間側の異常性が良く出ていて、なかなかパワフルなシーンだった。
一心不乱に自分の正義を信じきって、真顔で生贄を選び出す少女たちの顔は、鏡のように不気味だ。
メタファーも何もないかなり直線的な比喩が出てきて、ちょっと見方を変えられる気持ちよさもあった。

食われるだけに見えた『透明な存在』も、透明なりに悪質な敵意をむき出しに荒れ狂っており、今後彼女たちがどういう任を担っていくのか、個人的な注目ポイントだったりする。
顔もなく名前もなく、ただ脅威だけを担保する一種のシステムなのか、それともスキを諦めないことに何らかの価値を見出すものも出てくるのか。
あんま関係ないけど、カチューシャさんが幕を天井から下ろしていたのは、レンガを落とした犯人つー暗示だったりするのかね。


素直に見る、という意味では、蜜子の悪辣さを壁にして描かれた純花さんの純粋さも、心に刺さるものだった。
死人でありながら出番が多く、『何か』を期待させる立ち位置にいる純花さんに、僕ら視聴者は色々な考えを抱くわけだけど、嵐の百合園のシーンは真っ直ぐでとても良いシーンだったと思う。
クマが絡んだ時、暴力的なエロティシズムが画面に突き刺さるアニメなので忘れがちだけど、純花さんと紅羽のシーンは『思春期に起こる友情と愛情の狭間(これを『百合』と呼称していいかは、それがあまりに乱雑にジャンル語として使われすぎた結果を鑑みると、頷きかねるけど)』の描写として、清潔さと健気さに気を配った、素直かつ丁寧な映像になっている。
その後裸で隣り合っても、指すら触れ合わない辺り、二人から生殖の匂いを排除する方針は徹底してる。
その純粋さが、スキを諦めない人間だけのものなのか、個人的に気になる所。


抽象と具象、比喩と事実の境界線が分かり難いアニメだとは思いますが、むりくり区別をつけて一方の見方だけで押し切るのではなく、両方に足場を作って行き来するほうがより作品を楽しめるのかな、と思える第三話でした。
当面の脅威となりそうだった蜜子が(一時的に?)退場したので、今後の物語を回す軸が何にになるのか、あんまり読めません。
ユリの姿をしたクマを撃ち殺し衝撃を受ける紅羽と、『食べる』と『食べない』の間を行ったり来たりする銀子。
両主人公が持っている不安定さが、物語を回すエンジン……でいいのかなぁ。

 

・少年ハリウッド-HOLLY STAGE FOR 50-:第2話『守り神が見たもの』
一期見てなかった人&忘れちゃった人に向けて、人物と状況を解説する回……にもスクリューを入れるのが少ハリ流。
まさかのキャットナレーション(字幕)と過去回想を駆使して、先に先に進んでいく二期のベクトルを視聴者に示す回でした。
未来への道行は過去と現在があってこそなので、席も埋まって、握手も好評で……という今の少ハリをしっかり見せてる腰の強さは流石。

Aパートはかなり直線的なキャラ解説パートであり、猛禽類とは思えない高度な知性を駆使し、キャットがキャラの真ん中にある部分を、ガンガン説明してくれました。
説明せず描写する豊かさが少ハリの強さなのですが、真っ直ぐな解説を一回入れた方が通じるという判断で、解りやすい説明したのかな?
やってることは直球なのですが、『ミミズクが喋る』という捻りまくった表現手法により、奇妙な叙情性が生まれて硬さがないというのは、うまい演出。

ミミズクに解説されてるバカガキどもはバカガキっぽさ全開でキャイキャイしてて、非常にほっこりした。
やっぱ少ハリのバカ男子校っぽさは、滑らかで楽しくて、ちょっとモノが違うなぁ。
そしてそういうアホ会話の中に、キッチリテーマの背骨を入れ込んでる脚本の分厚さもね。


Bパートは初代最後の日を回想しつつ、ゴッドとてっしー、そしてキャットという裏方チームを掘り下げていく構成。
とにかくてっしーの献身的な裏方っぷりが魅力的で、だからこそ『二番手としてリーダーを支える能力は高くても、最前線に立ってアイドルを輝かせる才能はない』という残酷なリアリティが映える。
『色んな立場、色んな能力、色んな人間がお互いの強さを持ち合って、困難な目標に邁進していく』という描写は、やはりチームモノの根本であり最重要ポイント。
不老にして万能のお母さん役になりかねないてっしーに、しっかり瑕疵を付ける手際がナイスでした。

二期になってから、只でさえ裏主役だったゴッドがどんどん存在感を増していて、彼が好きな視聴者としては嬉しい限り。
一度頂点を経験している強みからか、『ただの素敵なアイドル』『一瞬輝いて消えるアイドル』以上の存在を目指し、バカガキどもの尻を叩く仕事を積極的にやってる、とてもいい師匠です。
シャチョウの『一見意味不明だが、常に真実しか言ってない』っぷりは一期一話から一切ブレることなく、少ハリを支えている背骨だと思います。

子供たちもシャチョウの真剣さ、真摯さに触れているからか、厳しい上に意味不明なシャチョウの言動をしっかり追いかけ、追いつこうと頑張ってくれてる。
そういう素直な子たちをシャチョウは凄く愛おしく思っていて、しかし彼らの前ではあくまで厳しい大人の仮面を被り続けようと、頑張り続けている。
そこら辺の内面が、ポスターを手にとった時の消しきれない微笑から見えてくるのが、とても良かったです。


そして初代最後の日の回想は、何故ゴッドがシャチョウになったかの説明であり、同時に二代目がいつか手に入れる(かも知れない)永遠の終り、その予言でもある。
2ndOPサビで『幾千もの時が過ぎて 何もかもを忘れる日が来ても 確かにあった僕等の日々』という歌詞を持ってくるこのアニメにおいて、しかし『永遠が終わった後』の話は一期一話からずーっと触り続けてきた、重要なテーマです。
設定的にもキャラは位置的にも、作中の歴史的にも二代目は初代を継承しており、『では、その終わりも継承するのか?』という疑問を当然生み出す。
ココらへんのサスペンスが、二期を引っ張っていく裏テーマになると、僕は思っています。

『永遠に出会う前も、永遠に向かって駆け上がる最中も、永遠のど真ん中にいる最中も、永遠が止まる瞬間も、永遠が終わった後の人生も、等しく意味も価値もある』という少ハリの視線は、アイドル職業論を飛び越え、より広い世界を見据えたメッセージだと思っています。
今回描写された初代の永遠の終わり方も、爽やかさと優しさに満ちた、一貫性のあるものでした。
綺麗な〆方をして『イイハナシダナー』で止めるのではなく、終わった後の氷河期と救世主の登場、それぞれの入り方でやって来た二代目のメンバー、一期を踏まえて充実した現状と、時間を流して現在に繋ぐ流れも素晴らしい。
少ハリはアイドルモノであると同時に世代モノでもあって、初代をリフレインしつつ別の物語が展開され、別の未来が見えてくる物語の力学が、しっかり画面になってる所パワフルで好きです。

一種の時間旅行を経て、唯一現状に満足しない男ゴッドの言葉で、今週はおしまい。
過去シーンを見せたお陰で、ゴッドが見据えている世界に説得力が生まれてるのがいい引き方でした。
『今のまんまで、十分いいじゃん』と思っているのは大半の視聴者も同じだと思うので、ゴッドが目指す地平、少年ハリウッドが踏み出す世界にどういう説得力を生み出すのか、今からとても楽しみです。
色々予想はできるけど、それを絶対上回ってくるからこのアニメへの期待感はパネェ。
素晴らしく挑戦的な、中休み回でした。