イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 15/03/23

・Go! プリンセスプリキュア:第8話『ぜったいムリ!?はるかのドレスづくり!』
ドレス作りを題材に、折れない曲がらない諦めない、プリプリの強い担当はるはるが頑張るお話でした。
みなみパイセンの見守る姿勢と、きららの優しい気遣いの差もしっかり描写されていて、三人全員存在感があって良かったです。
片方だけ称揚するのではなく、心配も信頼も両方大事! という結論に持っていくのは、バランス良くていいなぁ。

はるはるがドジっ子なのは印象だけ、中身の方はかなりデキるっていうのはかなり前から見せていましたが、精神的超人性を本格的に初披露する話しであり、凄まじいド根性っぷりでした。
これだけの器を見せられると、今後の成長にも納得がいくので、今後も見据えた良い展開だなぁと思います。
オッサンの視線から見ると『あ、これ死ぬタイプの頑張り方だ』とか思いますが、本来の需要層に前向きなメッセージを届けることが大事なのか、それとも頑張りの代償を今後描くのか。
そこら辺はまだ見えませんね。

みなみ先輩ははる中(『春野はるか中毒』の略。罹患者は南野みなみ、天之川きらら)患者なだけではなく、叱るべきタイミングで相手のことを考えて叱れる、仕上がった人格を持っていた。
『基本潰れないだろうし、潰れたら潰れたでいい経験かな』くらいに考えてたのだろうか。
相変わらず、中学二年生とは思えない貫禄だ……。

きらりはおせっかいなお姉ちゃんスタンスを見事にこなしつつ、曇ったり直ったりはる中だったり、色々やって忙しい立ち位置だった。
今回のはるかはきらりの普段の振る舞い、つまり『200%頑張ればモデルもプリキュアもオッケー』という姿そのまんまなのだが、自分では気づいていない所が中1っぽくて好き。
ラストでツンデレ拳法まで使ってきて、好感度どこまで稼ぐんだろうこの子って感じだ。
素晴らしい。

頑張るはるかと見守るみなみ、寄り添うきららの三角形が、しっかりと見えたエピソードでした。
8話にして、キャラクターの相互関係がしっかり見えた感じがあるので、崩した所を見たくなる欲も出てくる。
舞踏会本番でどういじってくるかも、結構楽しみです。

 

ミルキィホームズTD:第11話『愛の器』
ドタバタコメディとマリネちゃんの成長物語として進んできたTD、ついに最終エピソード。
主役はマリネちゃん、ボスは紫色のクソレズことミキちゃんという、完全な『マリネちゃんの成長物語最終話』シフト。
ED背景がマリネとミキの過去を示す伏線になってたのは、かなりの技アリ演出だったと思います。

最後の最後で『マリネちゃんを成長させるゲスト』の仕事を、今まで賑やかし担当だったミルホがやる構成が、非常にラストエピソードっぽくて良かった。
〆る所〆るからこそ、ドタバタバカやってても主役としての信頼が生まれるわけで、お話全体の〆である今回、ミルホがマリネちゃんに最後のトス上げするのは基本ながら大事。
『マリネちゃん支えられるほど、ミルホって何かしてたっけ?』とか一瞬思ったが、ギャグ担当しつつもTDのミルホには真心があった……はず。
馬鹿ばっかりやってるけど、ミルホとマリネの交わってんだか交わってないんだかよく判んねぇ距離感は見てて気持ち良くて、そういうフワッとした気持ちよさがお話に最後のワンプッシュ入れるのは、TDらしい気がしました。

ミキちゃんはクッソ面倒くさいレズかと思ったら、クッソ面倒くさいエレメントに半分洗脳されて面倒くさいことしてました。
幼馴染を拗らせた系クソレズなので、ヘッドフォンで心を覆い隠し、思い出の写真を裏返しにしつつも大事に保存し、仲直りしたかと思ったら可愛いロリが消滅しするのでツンツンし、世界線を飛び越えても記憶を保持するくらいのことをしてくれると思ったが……(メソッド好き過ぎマン)
アムールが母親の記憶であることを考えると、むしろマリネママンに対して拗らせてたんじゃなかろうか……やっぱTDの母娘関係はツイストかかりまくりだな!!


奇跡の歌に関しては、実は一話と今回しか直接触れられていない物語装置であり、あんま目立たない設定。
しかし奇跡の歌しか持っていないマリネちゃんが、それを失って『アイドルであることの意味』を喪失し、奇跡の歌を持たないマリネちゃんにどういう価値があるのか探す旅が始まったわけで、この目立たない設定はやっぱ大事。
ミルホがコメディやっている裏で(もしくはその合間に)、『アイドルであることの意味』をゲストと確認する話は、細かく丁寧にやってたわけで。
奇跡の歌の喪失から始まって、色々苦労して『アイドルであることの意味』を取り戻して終わるってのは、綺麗に青い鳥型物語になってるんやね。

『色々苦労して』の部分には歪みきった母娘関係とか、キチガイめいたギャグとか、ボケっぱなしの探偵団とかがギッシリ詰まってましたが。
そこが『成長物語とコメディの、境目のハッキリした両立』というミルホらしさを、TDが再獲得できた理由かなぁ、と思います。
奇跡の歌という起点に立ち戻ることで、成長物語にしっかりエンドマークが付いたのが良かったな、やっぱ。
各話脚本が好き勝手にやったネタ要素も、切れ味良かったし。

あと、地味にミルホ最後のセリフ「私達は探偵ですから!」は、TDがやって来たミルキィホームズの再定義を〆る、立派なセリフだと思う。
『アイドルとミルキィホームズ』というお題あってのTDなわけですが、スタッフはそこで安易に、ミルホにアイドルをさせなかった。
『こいつらホントに、マリネちゃんの支えになってんの?』という疑問が湧くくらい、ポンコツ探偵としてのラインを厳密に守りつつ、ミルホがいなければマリネは『アイドルであることの意味』を再発見できないお話にすることで、探偵だけが出来るアシストを最後まで徹底させたのは、個人的に感心する所です。
ミルキィホームズって何で、何が面白いの?』という疑問を掘り下げ続け、しっかり答えを出したTDは、ミルホリブートとして立派な作品だったと思います。

マリネのお話は『ゆきて帰りし物語』としてしっかり終わりましたが、どうやらまだ一話ある模様。
自分はTDでミルホというシリーズが息を吹き返したと思っているので、その最終話に何を持ってくるのか、とても楽しみです。
正気になったミキちゃんがどんだけ面倒くさいか、そこが気になりますね。(紫色のクソレズ大復活を期待する男)

 


・プリパラ:第37話『奇跡よ起これ! ミラクルライブ』
プリリズシリーズからの伝統、エピローグに一話残すためのラス前最終話でした。
歌で世界は救えるのか、友情は死人を蘇らせるのか。
奇跡の値段を描くために、一話まるまるライブに使う展開は非常に見事でした。

今回描かれてたのは単発のステージではなく、ステージとステージが繋がって多角的な意味を作っていくライブ。
主人公六人が最高のライブをしテンションを上げた後で、奇跡が起こらずググっと下げ、A子株爆上げの合唱から奇跡の復活で天井を突破して纏める。
見事な緩急の付け方で、クライマックスに相応しい盛り上がりを生んでいたと思います。

過去最大級にデカい会場にのしかかる期待、満員の観客。
何より親友の生死がかかっている状況で、初めてらぁらが緊張を見せるのは、夢の舞台に少しの苦さを足していて、いい出だしでした。
イントロかかっても動き出せない演出も、第一話の初ステージをリフレインさせる叙情性豊かなもので、曲が始まる前から細かいテンションの上げ下げが効いていた。
ここら辺の細かい操作を徹底したので、今回のクライマックス感満載の展開があるわけです。

こうして一曲歌い終わり、ドレスも光ってさあ復活だ! ……とさせないのが今回の上手い所で、達成するべきハードルを高く高く上げることで、飛び越えた時の気持ちよさを仕上げていきます。
奇跡メーターであるパラダイスコーデの発光を止めて、らぁらをへし折ることで、上がっていた温度を一旦急激に下げ、タメを作る。
らぁらは正解に向かって常に躊躇なく突き進む、非常に頼りになる主人公だったわけで、ここで折れることで『え、ダメなの?』という感覚が強くなります。
この事で、この後起きる奇跡がどれだけ貴重なのか見せるのは、劇作の基本なれどしっかりやるとやっぱり盛り上がる。
お話の展開だけではなく、ライティングや音楽などもフル動員して、上がる所上げて下げる所下げてるのも、とても良かったです。

浮上の切っ掛けが観客の歌声というのは、らぁらを始めとする選ばれた存在の成長物語であると同時に、いろんな個性を持った子がそれを否定されることなく輝ける場所を描いてきた、このアニメらしい展開でした。
それこそ『Make it!』の歌詞にもあるように、『夢はもう夢じゃない 誰だって叶えられる』というのがプリパラ最初からのテーマ。
そう言う夢の国で、色んな子と繋がり合い分かり合ってきた今までのお話を蓄積してきたからこそ、『みんなの力で困難を乗り越える』というベタな展開が、しっかり盛り上がるわけです。

『観客全員がプリズムボイスを手に入れる』という流れは、やっぱどうしてもADであいらが飛んだオーロラライジングドリームを思い出しますが、そこに至るまでの道筋は間逆なのが、シリーズの色として面白いところ。
最高の天才が観客全員を自分の高みまで単独で引っ張り上げることで、才能の持つ重さと貴重さを描写していたADと、一度奇跡を主人公が諦め、しかし観客は諦めなかったことで今まで自分たちがやってきたことの意味を思い出すプリパラは、似ている結果を産んだけど大きく違う。
審査員という選ばれた存在が点数を付けるプリズムダンスと、夢の国で色んな人と仲良くなっていく過程で、資格を問うことのない全員参加の投票でジャッジをするプリパラの違いが、過程の違いになっていると思います。
それはつまり、作品として何を重視し、何を見せてきたのかの違いでもあるので、両方共素晴らしい到達点だった、ということです。

ゲストキャラを大事にするシリーズだったので、全員集合全員合唱は胸に迫るものがあったなぁ、やっぱ。
あと重たい沈黙をぶち破って一番最初に歌ったA子は、流石ファン第一号だと思いました。
今まで散々『愛が重たすぎて怖い』『なおちゃんと出会ったら刃牙エフェクトかかって時空が歪みそう』とか言ってスイマセンでしたハイ。


お話的にはA子が歌った段階で勝ちが確定したので、こっから先は上げるのみ。
ファルル復活にフォームチェンジ、初めての7人ステージにチクタクフラワー完全版、新メイキングドラマと、おもちゃ箱をひっくり返したような見せ場の大盤振る舞いでした。
大きく盛り上がる要素を畳み掛けることで、下がったテンションを急速に上げることに成功していて、物語のクライマックスに相応しいまとめ方でした。

こうして気分が上がり下がりするのも、ファルルとユニコンのことを好きになれているから。
2クールまではただの不気味なパクリ野郎と、不愉快なマスコットだったあの二人の印象は、3クール目に完全にひっくり返されました。
ファルルに関しては、やっぱ第34話『ファルルのトモダチ』の叙情性が凄いことになってて、あれ一本で持ってかれた印象。
ほんとうに良いエピソードだったなぁあの話……ファルル妹も、今回効果的に使われてたし。

ニコンに関しては、ファルルがラスボスとしてクローズアップされた26話辺りから『コイツ、ただのクズじゃあないぞ』という部分を細く見せていて、小さな要素の蓄積で株を上げていった印象です。
ファルルが死の気配を濃厚にまとった第35話以降、お話の中の都合の悪い部分、『リアル』な部分を全部背負う仕事を担当し、愛するものに先立たれた哀しみを、素直に表現するようになって、一気に爆発した感じもあります。
今回起こった奇跡も、ユニコンがマスコットの皮を被りつつギリギリのところで見せていた、生々しい死への対処があってこそ説得力があると思うのよね。
ファルルが死んで以降のユニコンの行動は、死を受け入れる五段階プロセス(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)を完璧に踏襲していて、ホントバカやりつつ土台がしっかりしてるアニメだなと思いました。

まー俺のユニコン好きは、フランケンシュタイン・コンプレックスとピュグマリオン・コンプレックス併発してて、その癖純愛で独占欲強いとか、俺個人の萌秘孔を付いて殺すための性格設定ではあるんですけども!
30話で「捨ててしまおうとも思ったけど……その子は、とってもかわいかったんでちゅ!」とか言い出した瞬間、『まさかの純愛ッ!!』って前のめりになったわマジ。
これ以降ユニコンの歪んだ純愛が、大谷さんの熱演とマスコットの可愛らしい外見に包まれつつ毎回お出しされて、凄く有難かったです。
ホントね、ユニコンはピカチュー声とぬいぐるみのカワ被ってないと、危なすぎてお出しできないレベル。

期待されていたものを、期待以上の熱量でぶつけてくれた、素晴らしい最終話でした。
ファルルも人間に変わり、プリパラという檻から出ることが可能に。
これは姉と親衛隊の愛情に捕らわれていたそふぃの再演でもあり、第34話の伏線回収でもあるのか。
これで新しい一歩を……とか思ってたら、なんか予告でユニコンが涙の離脱してた。
一体どういうまとめ方をするのか、本当に気が抜けねぇぜプリパラ……。

 

・四月は君の嘘:第22話『春風』
冬アニメ最終回一番乗りは、秋から2クール続いてきたこのアニメでした。
Aパートが音楽家としてのさようなら、Bパートが中学3年生としてのさようなら。
有馬公生が宮園かをりに、二回さようならを言うお話で、このアニメは終わりました。

Aパート冒頭で公生が気付き直すように、有馬公生の音楽は否応なく人々を引きつけ、巻き込み、魅了する才能を持っています。
しかし物語冒頭でその才能は錆びついており、これにカラフルな青春の油をぶっかけて、磨き直して再起動させたのがかをりちゃんです。
そのためには、人々と繋がる音楽の才能が、どうしてもいる。
ステージ上で、有馬公生と支えあいつつぶつかり合う資格がいる。
これは、椿ちゃんにはけして手に入らなかったものです。

モノトーンだった世界をカラフルに色づけてくれた『君』と出会って、有馬公生の世界は再び広がっていく。
強敵と出会い、師と出会い、弟子と出会い、音楽と出会い直す。
鍵盤を叩くことで母を思い出し、音楽を奏でることで自分を愛してくれた母親を取り戻し、ステージに立つことで死んだ母親を諦めることが出来る。
このアニメで展開されていた物語、全ての起点は宮園かをりとの共演から始まっています。

だから、有馬公生が完成する舞台には、始まりと同じように宮園かをりが居なければいけない。
『君』とステージで出会うことで始まった物語なのだから、『君』とステージで別れることで終わらなければいけない。
宮園かをりの出現は、夢でも幻でも願望でもなく、積み重ねた物語が呼び込んだ必然です。

その上で、少なくとも演奏家としての公生は、宮園かをりが死ぬことを納得している。
唐突に現れた『君』を見た時、公生は喜びや恍惚の表情ではなく、『来るべきものが来た』という決意の表情を見せます。
彼の人生の中で高らかに響くかをりちゃんとのシンフォニーは、病魔という現実に確実に切断されることを、この時の公生は認識している。

それでも、だからといって。
出会ったことが無意味でもなければ、同じ時間を歩いたことが消えてなくなるわけでもない。
死が生を無価値にするわけでもないし、苦しいことと楽しいことが一緒にあってもいい。
母との離別を演奏で克服した有馬公生は、その事実にも気付いている。

母親が死んだ時は矛盾し、解決できなかった『生きること』と『死ぬこと』、『愛されること』と『傷付けられること』の差異は、この段階の公生にはないわけです。
母のトラウマを払拭した時と同じように、この演奏の最後に公生は「さようなら」と言う。
母の思い出がそうであるように、宮園かをりの生と死が有馬公生にとって苦しみであり楽しみでもあるという真実を、しっかりと受け止めているからこその言葉だと思います。


それでも傷は痛む。
曲が終わりに近づきかをりちゃんとのすべてが詰まったステージの最後が見えてくれば、当然のごとく「いかないで」という言葉が出てくる。
『四月は君の嘘』というタイトルの真実を記した手紙は、冬に受け取って桜が芽吹くまで開けるが出来ない。
そういう、割り切れない気持ちの揺れを消しきらない柔らかさが、僕がこのアニメに感じる沢山の好きなところ、その一つです。

割り切れていなかったのはかをりちゃんも同じで、物語にとっての正解を公生に与え続けた、強すぎるようにすら思える彼女も、頑張って正しいことをし続けるまで動き出せなかったということを、最後の手紙で告白します。
あの手紙を残したのは14歳らしい残忍さだなと思ったりもしますが、視聴者としての視線から言えば、彼女も完璧な女神様などではなく、好きな子にどう近づいていいのか悩む内気な子だったのだと感じることが出来て、嬉しい種明かしでした。
無論、彼女が血を流し痛みを感じ、死に怯えるただの少女だということは、今までもしっかり描写されていたわけですが。

宮園かをりと有馬公生の物語は、モノトーンだった世界がカラフルに変わる経験、演奏と感動を介して、お互いの心に上がり込む物語だったと言えます。
死病によって自分の物語が早晩終わる事を知ったかをりちゃんが、短い間(このお話がたった一年間の物語だったということを、今更思い出します)灰色の世界を頑張って色付け、有馬公生の世界に自分を刻みつけようと身勝手に決意する。
その決意を呼び込んだのはかつて母に愛され、才能によって色づいた世界から様々な人の心に滑り込んだ、有馬公生の演奏なわけです。

最後の手紙があることで、このお話は公生がかをりちゃんによって色づくだけの話ではなく、かをりちゃんが公正によって色付けられていく物語でもあると、気付くことが出来る。
与えるだけではなく、奪うわけでもなく、お互いに響きあい色を付け合う関係は、死という離別になんとか折り合いをつけることが出来るほど、豊かなものです。
死病に怯えていた頃のかをりちゃんが、公生の気持ちに上がり込んだ時、初めてあった時のカラフルさを取り戻せていたのは、その豊かさの反映ではないでしょうか。


その上で、このお話はかをりちゃんではなく公生の物語として、しっかり終わる。
死んでしまった女の子のことだけを考えつづける危うさを、このお話はしっかり認識していて、だからこそ椿が土足で公正の心に上がり込んでお話が終わる。
それは今後、宮園かをりに世界を色づけられた演奏家が生き延びて、とても立派なことを成していくために、今まで積上がてきた物語が死の方向に引っ張られないために、絶対に必要なことだと思います。

音楽、リミットが切られている故の積極性、勝ち逃げとすら言える死。
椿ちゃんは、恋愛負け犬として宿命付けられたようなディスアドバンテージが、ずっと背負わされていました。
それでも、かつて母を失った公生の心には入り込めなかった椿ちゃんが、今度は間違えないためには、(かつてかをりちゃんがしたように)頑張って決意する瞬間が、絶対に必要なのです。
その後押しをした柏木さんの聖人っぷりが凄いことになってますが、このお話聖人多いしな……渡とかな。

椿ちゃんには音楽がありません。
でもだからこそ、永遠に美しい15歳のまま公生の演奏に住み続けるかをりちゃんんとは、違う場所から公生を支える事ができる。
それは、母が死んでからの公生を、コマの外側で支え続けた過去から、ずっと変わらない椿ちゃんの美徳だと思います。
演奏家ではない公生が灰色のままなんとか生き延び、かをりちゃんに出会って世界が色づいたのも、椿ちゃん(と渡)がいたからこそ。
そういう支え方をしてくれた相手が、一生付きまとってくれるというのは、15歳が経験するには苦しすぎる別れを背負っている少年にとって、嬉しい事なのだと思います。

 

良いアニメでした。
無彩色と彩色を対比させ、生と死、アパシーと感動を画面の中で視覚的に見せる演出。
叙情的なシーンを心臓に直接ぶつけて、登場人物たちが感じている心のうねりを、そのまま視聴者にも共感させてくれる美術。
登場人物たちの成長を、しっかり切り取りる演奏。
言葉に頼らない部分が、非常に太いアニメでした。

台詞、モノローグ、内面吐露。
15歳の才能が世界をどう感じているのか、青臭いくらいにまっすぐに伝える言葉を、迷わず選択しているアニメでした。
言葉で説明するべき部分、言葉に頼るべきではない部分、その見切りとメリハリがハッキリしたアニメでした。
色んなモノが映像に乗って、心に伝わってくるアニメでした。

良いアニメでした。
このアニメが見れて、とても良かったなと思います。
完結おめでとうございます。