・プリパラ:第38話『み~んなトモダチ、かしこま!』
ファルルも無事復活したし、しっとりとエピローグ……とでも思ったか、女児向けアーケード業界に休息など許されないので、ファルルとユニコンを豪腕でパージし、二年目への姿勢を整える回でした。
まぁあの二人のお話は前回綺麗に落ち着いたからね、こういう終わり方もあり……あり……ありなのかなぁ……。
プリパラらしいという意味では、最高にプリパラッてる回でした。
『好き過ぎてあの子をダメにしちゃうから、距離を置かないと……』という理由で角を折るユニコンは、最後の最後まで超重い女で素晴らしかったです。
ここら辺の関係性は、北条姉妹と被る所ありますね。
あそこまでじっくり出来ないので、ヘリにしがみつく→神々しいペガサスフォームに変化する→気合で角を生やすという、強引にも程がある演出を乱打して、強引に関係を変えちゃった感じ。
如何にもプリパラらしい。
実際の話、一度作品世界の頂点に立ったファルルを置いたまま二年目に入っても、ちょっと影響力が強すぎる感じもある。
ので、強引にでも切り離したのは正解だと思います。
すんごい自然な流れで他所のプリパラの存在が明らかになったり、笑いのオブラートに包んで豪腕で二年目の支度を整える感じは、ちょっと他所のアニメでは味わえない。
笑いの持ってるパワーを、ホント活かしてるなこのアニメ。
ゲストを大切に使い、成長も積み重ね、細かい描写も丁寧にやって来たアニメだけに、主役六人がこれからお話を回す余地が少ないのも事実。
なので、ユニット解散! で強引に引っ張って二年目に繋ぐ今回の構成は、面白いクリフハンガーだと思います。
今回全体に言えることだけど、ラフな仕掛けは普段丁寧にやってるからこそ生きるというか。
『強引だろうとなんだろうと、楽しめてしまえば通る』という笑顔最優先主義を実現出来るのは、やっぱ地力あるからですよ。
二年目も同じ六人をベースに進んでいく感じなので、ファルル編最終回&ユニットシャッフル編予告みたいな展開でした。
1クール目はそふぃぃ、2クール目はドレッシングパフェ&大神田校長、そして3クール目はファルル&ユニコン。
軸になるキャラを入れ替えつつ進んでいるプリパラが、4クール目、二年目にどういうものを見せてくれるのか、今から楽しみですね。
・アルドノア・ゼロ:第24話『いつか見た流星』
火星と地球の絶滅戦争、今回で終了! なエピソード。
地球サイドはいつもの様に死人なし、火星サイドは特攻病にかかってバッタバッタと死んだ展開で、イナホマンが一期の借りを返す形で終わりました。
まぁ落ち着くところに落ち着いた感じあり、最初っからキャラクター三人しかいらない話だったので枝葉に触らず終わった感じもあり、ともかく終わったのだ。
起きてからの姫様は自分のクエストを最速でクリアし続ける人生タイムアタックキャラになってましたが、今回も人生道最速は譲らず、イナホに靡かずスレインに拘らず、火星のために象徴としての人生を貫くエンド。
イナホとの微笑ましい恋は結構好きだったので、そっち掘って欲しかった気持ちもあるけど、二期であの二人喋ってねぇからな。
クソみたいな火星の社会システムと差別主義の根っこが深いので、このぐらいの犠牲を払わないと世直しできないってのは判る。
火星と地球を救うのに忙しすぎて、スレインくんを自分で救うつもりは毛頭ない辺り、根本的に残忍な人なんだと思う。
あと"火星の電脳神(デウスエキスマキナー)"ことクルーテオJrは、美味しいところバックリ食べ過ぎだと思う。
そういう仕事するなら、もうちょい早く顔見せろ。
イナホマンに関しては、最後まで正しい人でしたね、と。
一話で描かれていた日常は守り、再獲得し、姫様ひっくるめたそれ以上を望むのなら、世界と殺し合いしなきゃいけないのなら、それはしない。
物分かりのいいやつだ。
さすが、間違えないことを宿命付けられているだけはある。
物分かりがいいのはスレインくんも同じで、姫様の<暴露>一発ですべてを諦め過ぎ。
いや、内心止まりたかったってのは解るし、あれが決定打になったってのも理解できるけどさ。
あそこで偽姫と対抗勢力引っさげて三つ巴にツッコむくらいのトリーズンっぷりが俺は見たかったが、君はずーっと、脚本と世界律に従順な子だったね……。
そういう子こそが、背負わされた『間違え続ける』という仕事をほっぽり出して、血の入った吠え声を上げる瞬間こそを僕は見たかったんだけど、まぁ来ませんでした。
生き延びてしまった無様さも、あれだけ奪い返しておきながら命を取るつもりはない相手に惚れてしまった哀しみも、終わりにしてくれるほどライバルと関係を深められなかった悪運も、全部ひっくるめて、俺君のこと好きだよ、スレイン君。
最終戦闘に関してはこのアニメでは付随物なので、あんま感慨はない。
ないのだが、一応イナホマンのチート知略でチート火星ロボを攻略する『イナホマンの地球防衛隊』アニメという側面もあったわけで、タルシスの未来予知は知略でこてんぱんにして欲しかったものだ。
なんだかんだね、面白能力を持った火星ロボは、キャラ立ってたと思います。
まぁそんなわけで、三人バラバラで始まったお話が三人バラバラに戻りつつ、どこかで未練の糸がつながっているという終わり方でした。
こういう終わり方にするなら、姫様を早めに起こして、もうちっと濃厚なやり取りを男たちとやってくれても良かったかなぁ。
風呂敷を広げつつなんとか収めきったのは、ディープな内面に切り込まない目の良さが理由ってのもあるので、何が良かったかは考えても詮無いか。
色々あるけど、思い返せば楽しいアニメであったと思います。
・Go! プリンセスプリキュア:第9話『幕よあがれ! 憧れのノーブルパーティ!』
前回ドレスも作ったし、さー社交界デビュウだ!! と思ってたら、完璧超人みなみパイセンの弱い所を見せつつ、可愛い後輩との絆を深める個人回でした。
コメディチック、ホラーチックな演出が随所に入り、メイン以外の出番も多いという、非常に色んな味が楽しめる回。
カラテの作画も超気合入ってて、色んな方向から楽しませてくれる素晴らしいエピソードでした。
今回のプリキュア、三人とも別角度から人間力の高いキャラなわけですけども、その中でも隙が少ないみなみパイセン。
今回の話しの軸になっているのは、何でもかんでも自分でやってしまい、やれてしまう彼女に『お化け怖い』という分かり易くあざとい弱点を付け、それに対応する姿を描くことで、新たな成長の兆しを見せるという、実直で堅牢な話です。
バラエティ豊かな見せ方も、この軸がしっかり入っているからこそ生きるわけです。
メインがしっかりしてない時に色んな見せ場があっても、『何がしたいのかわからない、話の軸がフラフラしてる』という感想が生まれがちですからね。
『自分に出来る限りで誠実に対処しつつ、ヒーローの助力が困難の克服にどうしても必要』ということが、好感度の高いヒロインには絶対必要だと僕は思っています。
バレエの師であり、学園生活においても時に優しく時に厳しくはるかを導いているみなみパイセンは、普段はヒーロー基質なキャラクターなわけです。
そういう人が弱みを見せるという逆転のダイナミズムは、それだけで物語に引っ張り込む力がある。
加えて、今まで書かれていた彼女の高潔さや有能さを崩すことなく、自分の中の恐怖に立ち向かい、義務を果たそうとする姿はちゃんと描かれていました。
安易にポンコツに落とすわけでもなく、共感できない完璧超人として描くでもない、バランスの良いヒロイン描写は、プリプリが持つ『古臭いとも思える、オーソドックス・スタイルへの強い指向』の長所を感じさせ、非常に優れたものでした。
キッチリ萌えさせるように、ビビってる時は手弱女にしっかり描いてるのがねー、ホントいい。
そうして困難に立ち向かいつつも、どうしても克服できないカルマに対しては、友の力を借りれば良いというお話の流れも、プリキュアらしい清々しさ。
普段はパイセンにお世話になってるはるかが、彼女が背負ってる重責を知ることで、かなり早い段階から『何とかしたい!』という解決へのモチベーションを高めているのは、巧い展開でした。
事件が起こる前から、みなみの荷物を共に背負う意思を見せることで、守られる側が守る側になり、共に荷物を背負っていくという最終解決がスムーズに出てくる。
普段は引っ張られる側の主人公のカッコ良い所(いや、引っ張られる時のはるはるも毎回カッコいいけどさ。どの立場にたっても好感持てるようキャラ描いてるのは、ほんと凄い)も見れて、これも逆転のダイナミズムと言えるでしょうか。
やっぱ『らしくない』ところを見せる物語は、お話がある程度安定してきたタイミングで出てくるとスッと胸に落ちますね。
個人的な興味としては、この作品における男子生徒の『ゼツボーグを生む機械』『地道にフラグを立てる役』に続く『ラディカルフェミニズムを加速させる燃料』という仕事が見えたのが、面白かったです。
プリキュアがスーパーな能力と責務を背負っている以上、プリキュア以外が直接事件を解決してはいけないのがルールではあるのですが、それにしたって男は頼りにならなすぎだ。
この『女達の連帯こそが、人生の荒野を歩いていくための杖である』という発想、女のプリンセス-男のナイトという役割が可変的である描写に、切れ味の良いラディカルさを感じるんですよね。
僕は、そういうところとても好きです。
みなみとはるかが織りなす逆転のダイナミズムが今回のメインエンジンなのですが、同時にワキの描写もしっかりやり切るのがプリプリ。
ルームメイトであるゆいちゃんの描写も多かったし、今まで顔を見せたゲストの細かい出番や、生徒会メンバーとみなみの幼なじみ関係、クソの役にも立たないイケメン共など、サブキャラクターの描写はイキイキしていました。
今回ゆうきくんに甘くて苦い描写をねじ込んできたってことは、はるゆうは結構腰を入れて描写していく方向なのかな?
あっという間に学園のメインストリームに飛び込んだはるかに比べると、ゆいちゃんの腰が引けてるのが生々しくて怖い。
そろそろ死兆星が見えてきたクローズさんの描写も冴え渡っていて、映画部員くんに話しかける所のホラーっぽさとか、ゼツボーグとのコミカルな掛け合いとか、切羽詰まった追い詰められ方とか、『やっぱここで死ぬには惜しすぎる……』と思わざるをえない。
クローズさんの大袈裟で華のあるキャラは、コメディにしてもシリアスにしても相手を引き立てるバンプをしていて、敵ゲストとして本当に完成度高いなぁ。
フリーの悪役として、ディスピア様とは距離を起きつつ生き残って欲しいものです。
後、今週はロマパフ兄妹が手酌で出番を作って、可愛らしくて良かった。
何かというと妹を褒め称えたがる兄貴が、体格的には犬に負けてるところとか、アイツラ見てて面白いですね。
後、二足歩行するわグラスは持つわなパフは、自分がファンタジーな生き物であるのを強調したいのか隠したいのか、どっちだ。
キャラクターから離れた所の話をすると、アクションシーンの切れ味は凄いものがありました。
1話を思わせる大胆なカメラワークと、脚に拘った作画が冴え渡り、見事な見せ場を作っていたと思います。
最初に一発もらって壁に叩きつけられて、物が崩れ落ちていく所の作画で『あ、違うぞ』って思うもんな。
ホントスゲェ。
解りやすいキメ所だけではなく、おとぎ話の舞台となる夢のお城に必要な『ハイクラスな感じ』を細かく補充してるのも、今回のお話の大事なところ。
『中学生だけで構成されるオーケストラ』『マーメイドラインのドレスを完全に着こなす中学2年生』『滑らかなシェイカー捌き』など、おいおいと言いたくなるけど、だからこそ夢のお話に相応しい特別感が出る演出を丁寧に入れてたのは、話全体が乗っかる地盤として凄く重要だと思います。
9話まで見て、プリプリはホント、何を画面に乗せてどういう印象を与えるべきか、良く捕まえているアニメだなと感じます。
ヴァラエティ豊かなな見せ場と堅牢な構図という、プリプリの強さがみっしり詰まったお話でした。
直接接触がない生徒会メンバーにも、はるはるの自慢しまくってるみなみパイセンは、やっぱはるはる好き過ぎ。
素晴らしい。
今回深まった絆で、さらなる青春街道超疾走を見せてくれるに違いない。
そんな期待が高まる、グレートなお話でした。
はー……プリプリマジおもしれぇな……。
・ユリ熊嵐:第11話『私たちの望むことは』
アバンで全てが終わった後の状況を描写し、そこから銀子の過去と現在をトレースしていく、時間遡行型エピソードでした。
『何故銀子は、紅羽との過去を彼女に開示しないのか』『何故紅羽は、クマへの憎悪という呪いに縛られていたのか』という謎が開示されて、お話のパズル最後のピースがしっかり入った感じがあります。
その上で、未だ嵐の渦中にいる二人がどこに行くのか、それは解らない。
紅羽から見た過去は既に語られているので、銀子から見た過去の真実を描写するのが、Aパートの仕事になります。
かつて出会い、通じ合い、しかしシステムの暴力によって傷付けられて身を引く。
銀子-紅羽の最初の出会いは、やはり紅羽-純花の関係と重なっています。
このリフレインが逆説的に意味しているのは、クマとユリ(ヒト)の間に差異はないということです。
クマもヒトも、『世界で最も強い』透明な空気のシステムに踏みにじられ、ズタズタにされる生贄であるというのは、同じことです。
過去回想の中の透明な嵐も、時間を経て成熟したはずの現在と同じように、無邪気で無垢で、それゆえグロテスクなものでした。
それは、透明な嵐を子供たちが担っているからというだけではない、社会からの排除が持つ本質なのだと思います。
相手の顔を見ない、相手をヒト扱いしないことを前提に加速していく暴力は、まるでサイボーグクマが踏んでる発電用弾み車のように、暴力が無理解を加速し、無理解が暴力を後押しする構図を持っています。
どこまでも転がり続ける『世界で最も強い』システムの前には、クマもクマ寄りのヒトも同じこと。
システムの犠牲者であるという点において、紅羽と銀子と純花、そしてるるは同じラインに立っています。
それでもなお、システムに同化されないという意味でも、彼女たちは同輩でしょう。
断絶の壁を乗り越えた同輩なのは犠牲者だけではなく、加害者もまた同じ要素を持っています。
クマの世界に帰還した銀子は、『お前はクマリア様の子供ではない』『世界を害する毒』と決めつけられ、集団から排斥されます。
世界から排斥された子供を再集結させたあの集団ですら、異分子を排斥するシステムを内包している。
即座に吊るしあげて殺すという、透明な嵐の対応とは大きな差異がありますが、別にクマの世界も楽園というわけではないのです。
こうして考えると、王女というシステムの頂点に立ち、気に食わない弟を何度も排除してきたるるは、システムの内側に居た稀有な経験を持つ女の子になります。
弟の死、システムによる排斥に強い後悔を抱くからこそ、システムから飛び出したアウトサイダーである銀子に、かつて失った夢の再獲得を託したのかもしれません。
るるちゃんの死については、後でまとめて語ります。
システムによる排斥から一度は避難した銀子ですが、断罪のコートによる約束にすがり、共同体を追放されても待ち続け、ついに約束の時を迎えます。
アホな事ばっかりやってるエキセントリック集団なので分かり難いのですが、思い返すと断罪のコートは峻厳な法則の番人としての態度を、ずっと崩していない。
最初は銀るるという特別なクマだけに見える存在なのかと思っていましたが、紅羽にも接触するし、ユリーカ先生ともコンタクトしている。
ヒト-クマの境を代償や契約と引き換えに飛び越えさせる彼らは、人格的な存在と言うよりも、クマリア様や断絶の壁、トモダチの扉といった『アンチシステム-システム』なのかなと思いました。
システムなので人間的な幸福よりも、『ヒトとクマは越境可能である』という法則の維持に関心があるし、『ヒトになりたいクマ』『クマになりたいヒト』には、区別なくコンタクトしている。
紅羽からの拒絶を味わい、クマ世界からも孤立した銀子がコートをとの約束を信じられるのは、それしか希望がないのもありますが、彼らが公平なシステムとして孤独に立っているからではないでしょうか。
彼らを『アンチシステム-システム』と言ったのは、境界を越えようとするキャラクターを襲う困難は、クマの中に潜んでいる本能的欲求にしても、クマ・ヒト両方の世界に存在する排斥にしても、自動的でシステム化されている、強力な存在だからです。
「あの子をヒトリジメしたい」という欲求も、異分子を排斥する空気も、圧倒的で自動的で無慈悲なシステムであり、スキという気持ち一つを抱いて闘うにはあまりに強大過ぎる。
作品内に数多く埋め込まれた『アンチシステム-システム』は、システムから排斥されつつも融和を目指して闘うキャラクターに、そして物語全体に一種の救いを与えるべく用意されている印象を、僕は受けます。
システムと闘うのはただ個人ではなく、真理だとか運命だとか、色んな言われ方をするだろうけども、システムに対向するシステムも同じという視点を、断罪のコートからは感じるわけです。
そういう意味では、蜜子の亡霊も、クマとヒトの融和を遮断する一種のシステムといえるのでしょうか。
あの存在が、銀子の後悔が生み出した幻影なのか、銀子の持つ欲望の具現なのか、はたまた本当に蜜子の死霊なのか、厳密な区別は付けれないし、つけなくてもいいと思います。
重要なのは彼女が象徴するのがクマの本能、「あの子をヒトリジメしたい」という気持ちであり、それはとても強いものだ、ということです。
今回銀子は蜜子の亡霊と決別し、本能に支配されたクマではなく、対話可能なヒトとして紅羽と対峙します。
作品のルールに照らし合わせると、それは無条件に肯定される行為ではなく、だからこそ蜜子は『牙を失った獣は死ぬ』と警告してから消える。
蜜子が銀子の超自我でもあることを考えると、アレは『嫌な予感』というか、クマ的なものを否定してもクマはクマであるという矛盾への危うさに、銀子が気付いているという証明なのかな、と思います。
銀子はクマ的なクマでして、紅羽を殺そうとした透明な女の子たちを何人も殺しているし、それ以前に少年兵として戦場で人間を殺している。
銀子個人がクマ的な自分に決別しても、クマとして殺した女の子達は消えるわけではないし、それを行った自分自身もまた残っている。
ここら辺の不安定な構図が、『それはそういうものだ』という確信に基いて行われているのか、意図的に見落としているのか、はたまた単純に気づいていないかは、紅羽と銀子が最終的にどういう結末を選択するか見ないと、判んない部分だと思います。
その上で、今回るるちゃんが死にました。
るるちゃんは一度断絶の外側、クマの世界に対比させられた上で、ユリ的な自分を選択してトモダチのために帰還し、死んでしまった子です。
銀子に遺言を残す描写、その対話(人間的な行為!)が夢か幻だったかのように急速に切断されクマの死体が映る描写。
影絵で死んでいった透明な女の子たちに比べ、るるちゃんの死は特権的です。
るるちゃんはいい子だったし、好きになれる女の子だったので、彼女の死が特権的に描写されるのは自然なことであり、重要な事でもあります。
『共感できるような女の子が死んでしまったのなら、涙くらい流したい』というのは人情であり、劇作のメカニズムとしては、そこを狙って話を組み立てていく部分です。
透明な嵐に満ちた世界の中で、友のために死ねる子がいるというのは、『アンチシステム-システム』の存在、圧倒的な現実に打ち勝つ夢想的な運命の証明として、重要な事でしょう。
その上で。
特権的に死んでいった女の子たちと、影絵のように消えていった女の子たちの間の差異、劇的な存在と劇性を有することを許されていない存在のそれぞれの死の間に横たわっている差異を、この作品がどう捉えているのかが、僕個人としては気になります。
英雄の死と一兵卒の死が別の問題だからこそ、一兵卒が集団化した時有する『透明な嵐』に圧倒的な力が宿っているということなのか(兵卒が英雄を殺すためには、『透明な嵐』という武器がいるのか)
特権的に死ぬためには透明あり続けない選択、苛烈で鮮烈な生き方(ウテナの歌詞を借りるなら『いさぎよくカッコ良い』生き方)をしなければならない、ということなのか。
影絵のように消えていった女の子にその選択肢はあったのか、それとも彼女たちはあえて透明で在り続けることを選んだのか。
るるちゃんの特権的な死は、ここら辺の疑問を再浮上させる機能を僕に果たしてくれました。
最後の疑問に関しては、書いていくうちにある程度の答えが見えてきて、『機会はあったが選択を拒んだからこそ、女の子たちは影絵のように死ぬのだ』という感じです。
『排除の儀』は投票行為なわけで、それを拒む自由と恐怖が存在しているっていうのは、紅羽も純花が一度あの場に居合わせて、かつ『スキを諦めない』という鮮烈な生き方を選択していることからも、結構見えるところかなと。
しかしそれでもなお、選択を拒んだ透明な影絵の軍隊が奮う暴力、『透明な嵐』は何度首謀者が死んでも、おそらくその起源≒教祖たるユリーカ先生を手にかけても、止まるどころか加速しながら突き進み、ついにるるちゃんを手に掛ける力を持っています。
この話において、劇的な選択をしたからといって必ずしも、己を害する世界に対し何かを成す特権が与えられるというわけではないわけです。
ヒロイックに見えて、ペシミスティックな話だと思いますね。
この話が英雄劇として終わるのか、はたまた悲劇として終わるのか、それとも大概がそうであるように英雄的悲劇もしくは悲劇要素を持った英雄譚として終わるのか。
落着の為所は、やはり紅羽と銀子の決断にかかっています。
スキの行き着く場所が何処なのか、こうして文章をまとめている比較的冷静な脳髄も楽しみにしていますし、スキを諦めない英雄的少女たちの行く末にドキドキしている心臓も、同じように期待を高めている。
……そういう状況で再放送挟むのかよ! 死にそう!!