・響け! ユーフォニアム:第4話『うたうよソルフェージュ』
下げて上げて次の下げの準備をする、泥まみれ吹奏楽青春絵巻の第四話。
沢山の人がいて、沢山の価値観があって、沢山の反応があるというこのアニメの長所が、全面に出た『最初の勝利』となりました。
まともに練習できる態勢作るまでで四話かぁ……どっしりしたお話だね。
前回キツイ当りで空気をざわつかせた滝顧問ですが、具体的かつ細やかな指導で一気にポイントを稼いできました。
……と言いたい所なんだけど、これは多分前回のキツいキャラと同じ人物の、別角度の肖像画なわけで。
急に別人格が憑依したわけでも、滝顧問の中で何かが劇的に変化したわけでもなく、あの人は元々そういう人として設定されている。
見え方が変わったとしたら、それは状況が変わったからでしょう。
んじゃあ何が変わったかというと、作中における吹奏楽の書かれ方が『アリバイとしての部活動』から変わった。
ダラっとした練習、やる気のない態度、穴だらけの演奏。
作中におけるこれまでの吹奏楽描写は実は見ていて気持の良いものではなく、変わらなければいけないマイナスが強調されながらカメラに写っていたわけです。
しかし滝顧問が指導を開始し、不満混じりながら真っ当に演奏に打ち込み始めると、部活動としての締りも、演奏の質も大きく変化し、見ていて心地よいものに変わる。
最終的な成果である演奏も、素人目にすら分かる長足の進歩を遂げ、部室の外にもちゃんと届く音になっている。
気持ち良いモノを気持ち良く描くのは狙ってやってる演出であって、『アリバイとしての部活動』から別のものへの変化を、作品が良いものとして捉えている証明です。
結果、それをもたらした滝顧問もよく見える、という。
無論あの人が正論固めのナチュラル悪口おじさんなのも事実で、そこに感じる違和感というか反発を取り込み、部員に言わせているのも巧い。
カットの早いモンタージュを巧く使って、色んな生徒の意見をザッと見せるシーンは、北宇治の複雑さを担保する大事なシーンであり、映像的な快楽のある良いシーンでもありました。
作品全体を導きたい意図とは別に、極端なことが起きたなら『普通こうなるだろう』『当然こう行くだろう』という反応を入れ込むのは共感を生む上で大事でして、部員の陰口は自然な空気を作る、いい仕事をしています。
その上で、その反発が力になったという形で話を進めることで、お話全体の方向性は狙った所に落としているわけで。
その『狙った所』が視聴者の『こうあって欲しい所』と重なっているのも引っ括めて、グダグダやってた助走段階含めて巧い作りです。
助走を経て成長したのは北宇治吹奏楽部だけではなく、中途半端な主人公・久美子も同じ。
高坂さんとの交流に一歩踏み出したのも、やる気なさげに見える中川先輩に声をかけたのも、非常に小さな、しかし久美子の心のなかでは大きな一歩です。
部活全体の前進と主人公の成長のタイミングは、シンクロしつつも直接関連していないことが、逆に生っぽさを出してて良いと思います。
あえて一歩しか進ませないことで、成長の余地=物語が推進するスペースを残してあるのも、なかなか巧妙です。
北宇治に蔓延る無気力症候群と久美子(とその友人)は実は無縁でありまして、中学時代それなり以上に吹奏楽をやってきた彼女は、どちらかと言えば滝顧問寄りの人間です。
なので、滝顧問に刺激されて問題点を治療される側ではなく、やる気を出して治療していく側にいる。
それは、低音パートの指導が他パートに比べ優しかったのを見ても分かることで、つまりこのアニメ、主人公は作品の目的に、かなり協力的なお話なわけです。
作品の目的にキャラが従順すぎると、都合のいいお話になってしまって退屈な訳ですが、登場人物軒並み人格に問題アリとすることで、巧く火種を撒き散らしております。
そういう視点からすると、次に掘られる地雷は副部長かなぁ……という予感がします。
一見良いことに見える低音パートの無問題ですが、あれだけ問題のある部活で奇跡的にやる気のある連中が集まったと考えるより、副部長がまともな環境を囲い込んだと考えるほうがいい気がします。
まともな二年が抜ける状況で副部長がどう動いたのかはまだ未公開の情報なので、彼女のハラワタが見えるとしたら、それが語られたタイミングになるでしょう。
放送当初はノリの良い先輩による気さくな働きかけに見えていた主人公たちへのパート勧誘も、今思い返すと自分の周りの波風を少なく保つ努力に見えてくるのが、なかなか面白い。
露骨に眼鏡光らせて『こいつは信用ならんよ』というサインも出していたので、今後の軸になるんじゃないかなぁと勝手に推測しております。
今まで蓄積した不快感や違和感を綺麗に反転させ、ストレスをカタルシスに変える見事な転換点でした。
しかし滝顧問と部員の軋轢も解消されていないし、部長は弱い生き物だし、副部長は妖しいし、今後の火種もしっかり山積。
どっしりとした話運びに相応しい、正統派の物語生成を感じる第4話となりました。
いやー、見応えあって面白いなぁ、このアニメ。
・放課後のプレアデス:第4話『ソの夢』
青春の季節を駆け抜ける恒星間妖精譚、四話目はお菓子の月と涙とピアノのお話。
許容範囲ぎりぎりの繊細さをたっぷり詰め込み、五人のシンデレラの一人、ひかるのガラス細工のような心に強くクローズアップした、ナイーブな名品でありました。
もう過ぎ去ってしまった季節へのノスタルジアと愛惜が強く感じ取られ、非常にプレアデスらしい語り口。
今回の話はとても一人称的で、二人の主役であるすばるとひかる、二人の視線で世界を切り取りながら進んでいきます。
やや幼くて純真無垢な、それこそ星の話をする時は相手のことをきにせず早口になってしまうようなすばるに比べ、ひかるは知能が高く冷静です。
この温度差はしかし、『未知のものにワクワクする心』という共通の土台に乗っており、彼女たちは表面的なキャラクターの違いにもかかわらず、存在の根本において同じ子供です。
そして、同時に別のキャラクターでもある。
素敵ボーイみなとくんに、自分の胸の内を相談できる無防備なすばるに比べ、奇跡を体験してようやく涙を流せるひかるは、不当に成熟してしまっている子供だと言えます。
同じ年齢、同じ子供ながら、抱えている問題やそれへの取り組み方は異なっていて、かつ同じ繊細さで世界を切り取っている。
似ていることと違うこと、違うものが似てくることを強調するために、今回すばるは第二主人公の立場を任されているわけです。
その扱いから僕は、『私とは違っているあなたと、私と似ているあなた』という、プレアデス世界を貫く一つのテーマを見たような気がします。
今回ひかるは、様々な体験を経てようやく親友たちの前で泣けるし、同じ夢を共有したりもする。
プレアデス星人や星の音楽というファンタジックな装飾を剥ぎとって見ると、今回のお話のシンプルで太い骨格は、あくまで『思春期の少女の成長譚』、ひかるの心のなかの宇宙旅行であります。
物語が始まった時の彼女の、覚めた視線には無かった距離感が、今回の物語を通じて健全に生成された証明が、自己と他者が奇妙に混濁したお菓子の月にあらわれている。。
それは同時に、『日常の経験の中ではめったに、他者と自分が同一だと感じ取れるようなみずみずしさを、僕達は手に入れられない』という製作者のシビアな意識の現れでもあり、かつ『それでも、わたしとあなたが分かり合えると思った方が善い』という願いの現れでもあります。
そういうシビアさとナイーブさの両立が今回のお話を名エピソードたらしめる要素の一つであり、ひかるとすばる、二人の主人公をエピソードの内部に置いた理由でもあるのではないか。
僕はそう感じました。
彼女たちが送っている瑞々しい青春の時期は自我が確立し始め、『私とは違っているあなたと、私と似ているあなた』を認識し始める時期です。
この矛盾した他者像を認識し、適切な距離をもって自我の内側に刻印する季節として、青春期はとても重要です。
プレアデス星人という差異も、別時間軸から集められた五人という差異も、優しいみなと君とエンジン怪盗みなと君という差異も、作中の差異は最終的には、この『わたしとあなた』の間にある差異点と共通点を強調し、掘り下げていくための足がかりなのではないでしょうか。
設定を設定遊びの道具にするのではなく、伝えるべきテーマのための強力な道具として使いこなしている姿勢は、劇作を視聴者の胸に届ける上で、とても大事だと思います。
(『私とあなた』という問題意識をSF的表現で取り上げていくスタンスは、ちょっと神林長平的かなぁ、などとぼんやり思ったりもします)
子供時代(今でも子供なんだけどさ)のひかるから始まった今回のお話は、ひかるが子供である自分自身、誰よりも強く未知を求め、両親の愛情を素裸の気持ちで受け止めたい自分を受け入れることで終わります。
持ち前の賢さ故に、やり切る前に計算できてしまい、全てに情熱を抱くことが出来ないひかるの根本は、アバンで示されている父親の楽譜への一筆、大人の世界への早すぎる介入によって生まれている。
『月面まで届く娘への音楽』という、過剰なロマンチックさに溢れた出来事によって、彼女が抱え込んでしまっている父母への距離感、父母を無邪気に信じられていた時代の自分への距離感は、ようやく埋まる。
とても面倒な回り道であったけど、バラバラのまま惹かれ合う三つの星が、お互いの姿をまっすぐに見られるまでの道程として、今回のお話はとても良く出来ていました。
やはり、物語の始まりの地点に、より善い形で帰還する物語の基本形は、圧倒的に収まりがいいですね。
『私とあなた』の距離感を作中に取り入れる上で今回重要視されているのは、父母という他人です。
冷蔵庫にかかった予定表が示すように、ひかるにとって父母は交流が巧く行えない、しかし繋がっていたい、(本来的にあらゆる他者がそうであるような)矛盾した他者です。
早い段階で大人びてしまったひかるは、すばるのように幼い無邪気さで事実を確認することも出来ず、生まれた距離をどうしようもないまま、中学生になってしまっている。
彼女が世界に持っている隔離された意識、ほんの出足だけ読んで最後まで読めないような覚めた認識は、まず父母との関係から生まれている。
だから、今回の話は父母との距離を詰めるための24分間になります。
ひかるとすばるが対比されているのは両親との間合いでも同じです。
規格外品のエンジンと不完全な自分を重ね合わせ涙を流してしまう娘を、柔らかく受け止めることの出来たすばるの両親と、心が通じ合うまで一切の台詞がなく、ひかるの見ている世界=作中の描写にそう映っている通り、娘との距離感が巧く測れないひかるの両親の差が、今回は強調されています。
無論差異だけが強調されるわけではなく、娘たちがそうであるように、親世代の差異もまた『子供への愛情』という共通の土台に乗っかっており、それが最終的に物語を解決する鍵となります。
今回のエピソードが豊かなのは、ひかる-すばる/ひかるの父母-すばるの父母という『横の共通点/差異点』を見せるだけではなく、ひかる-その父母という年代を超えた『縦の共通点/差異点』を、月面への音楽という形で見せているところです。
ひかるの世界を変革し、健全な『私とあなた』の距離感を生成させた父の音楽は、地上から月面という垂直の運動で伝わり、その時ひかるとすばるは同じ目線、同じ問題を共有して水平方向にシンクロしている。
この縦横の動きを年代と対比して考えるのは、あまり無理のある捉え方だとは思いません。
ひかるが星を捕まえる結末に至るためには、距離感のある縦の真心と、寄り添って同じ目線で飛んでくれる縦の真心、両方が必要なわけです。
月面と地上という遠い距離で強調されるのは差異ですが、しかし此処にも共通点が埋め込まれている。
娘が魔法の杖で月を駆けているように、父母も『宇宙の同胞に音楽を届ける』という自分たちの頑是ない夢を、ピアノを使って奏でている。
会話もなく、別の生き物のように感じていた歳の離れた父母はしかし、ヘンテコ宇宙人の導きで綺麗な世界を駆け抜けているひかると、同じ世界を共有しているからこそ、あの時音楽は届くわけです。
不器用な生き方に秘めた柔らかい夢は、月面と地上という空間、親と子という時間を飛び越えて届くことが出来るというのは、この作品らしいナイーブなセンチメンタリズムに満ち満ちていて、僕はとても好きです。
その発送は、思いはめったに届かないというシビアな現実認識が根底にあってこそ、他人ごとのファンタジーではなく、僕達に似たあなたの物語として、視聴者の胸に届くわけですから。
多数の差異と共通を駆使して、『私とは異なるあなた』にこわごわと接近していく姿、『私とは異なるあなた』が『私と似ているあなた』になっていく過程を繊細に扱った、見事なお話でした。
直球勝負ではあまりに真っ当過ぎ、苦くなり過ぎるような題材を、月面と音楽と妖精のファンタジーを使いこなすことで物語に変え、素直に飲み込める調理法は、ナイーブでノスタルジーと愛情に満ちていて、とても良かったです。
放課後のプレアデス、僕はとても好きなアニメですね。