Fate/UBW:第24話『無限の剣製』
第五次聖杯戦争、ついに決着ッッッ!! というわけで、色んな決着がつくお話でした。
これまでセカンド・ヒロインとしてお話を盛り上げてくれたセバ子が、綺麗な粒子になって消えるのに対し、聖杯消し飛ばした後は描写すらされないワカメのワカメっぷりに悲哀を感じる。
そして主人公・ヒロイン両方のラストバトルで超美味しいところを持っていくアチャ男を見るだに、やっぱ弓の話だよなぁと思います。
今回はギルと聖杯、両面で攻略していく話でした。
『金ピカの攻撃は準備→攻撃で2アクション、対する士郎は準備済み即攻撃の1アクション』という対比が映像で分かりやすくなっており、奴隷が王様を刺す説得力が出てたのは良かったです。
まぁ試合自体は舐めプに舐めプを重ねた結果、最後の最後で狡っ辛い地金が出て死亡という塩っぱいモンだけどさ。
ここで下げた株を上げるために、HollowだのCCCだのZEROだので『誇り高くてかっこいい』ギルガメシュ描写が山積みにされるのは、また別の話。
聖杯の方はセバ子最後の見せ場であり、なんだかんだ彼女が好きな僕としては、迫力ある絵で終わらせてくれて満足。
士郎が殿を務める所の会話は、どう聞いても『Fateルートじゃなくてごめんなー、一応遠坂がヒロインなんだ……』としか聞こえない。(幻聴)
やっぱUBWアニメでのセイバーは、萌えキャラとしての火力高かったなぁ……。
二つの最終決戦、どっちも弓の横殴りが決め手になって勝ってますが、趨勢自体は士郎とセイバー、それぞれが地力で引っ張りあげたものです。
出てくるタイミングが美味しすぎて弓が目立ってはいるものの、ベストエンドに辿りつくための助けというか、英霊になってから哀しいつじつま合わせに奔走してたエミヤの、ささやかな夢というか。
主人公の最終覚醒で出てくるのが凛ちゃんさんではなく諏訪部な所をみるだに、やっぱ美味しすぎるわな、ウン。
こうしてエピローグ直前まで言ってみると、『憧れと後悔』というキーワードを共有している剣弓士郎の三角形から、バランサーとして凛がはじき出されているのはUBWの弱いところかな、と思います。
士郎が求めているのはアーチャーの背中だし、凛が士郎を理解するのもサーヴァントであるアーチャーを通してだし。
アニメUBWは映像の力を最大限に回して、凛ちゃんさんを可愛く見せていたけども、それで絶対に追いつけない構造的なギャップが凛ちゃんにあるというか。
……アーチャーヒロインのBL作品なら、納まりよかったのかなぁコレ。
『世界はどうしようもなく犠牲を要求する』という宿命論的な問題に対し、『頑張ります』という個別論的な解答が出ている問答の不穏さは、HFへのヒキなのでもうどうしようもない。
『頑張った』結果擦り切れちゃったのがエミヤなので、綺麗に収まっているように見えて穴だらけなあの対話があるからこそ、宿命論から降りるHFが起き上がってくるわけで。
……UBW単独でしかやれないこのアニメで、凛ちゃん最大のリソースであるアチャ男との会話が『落とすためのアゲ』ってのもまあ、酷な話ではある。
無印Fateは根本的に、長いゲームプレイとルート開放を通じ、Fate→UBW→HFという三部作を半強制的な順番で体験すること前提で全体が構築されている。
ここを弄ると原作の大幅改変に繋がる以上、中々触れないよね。
ましてやUBWはエミヤの抱えていた問題が一気に解決する『気持ちのいい話』であり、沿う感じさせるために十分なヒロイックなシーンが、たくさんある。
なんだかんだ、士郎がUBW展開する所やアチャ男がギルの額貫くところは、無条件にアガるアツいシーンであり、見ていて/プレイしていて楽しいシナリオなのだ。
。
そしてその爽快感を逆手に取って、『盛り上がった? 気持ちよかった? でもその快楽にはこういう問題点もあるよね? どうする? どうする? 君ならどうする??』というひっくり返しを仕込んであることが、HFが最も技巧的で賛否別れる理由なのだと思う。
ここら辺の感想は、Win版を当時熱狂的にプレイした個人的な経験から生まれるものなので、今まさにUBWを体験している人たちは別の感想を抱くと思う。
逆に言えば、UBWアニメはFateを今まさに知らんとする層にちゃんと届く仕上がりだったと思うし、だからこそ僕も(グチグチ老害汁を垂れ流しつつも)楽しく見てきたわけで。
次週一話描けたエピローグで、長く続いたUBWもおしまいです。
どういう余韻を残してくれるのか、とても楽しみです。
・放課後のプレアデス:第11話『最後の光と彼の名前』
五人の魔女の物語も最終盤、一足先におとなになってしまったすばると、何者でもないまま取り残された四人、それぞれの闘いを描くお話でした。
起こっていることはそれぞれ『みなと君を諦めない』『いつものエンジン探し超拡大版』とのどかではあるのですが、そこに込められている意思は本物であり、闘いなのでしょう。
迷っていたすばるも自分の願いを見つけ、『ここまで来たら負けるわけねぇ』という勢いで最終回に突入できる、素晴らしいお話だったと思います。
今回のお話は、すばるが魔法の力を失うことからはじまります。
一番幼く見えたすばるは、みなと君という素敵な恋人との思い出を取り戻し、しかし彼を絶望の淵から救うことは出来なかった。
おまけに『今が永遠に続いて欲しい』という危険な望みを指摘されてしまい、子供のままではいられなくなりました。
この話が妖精と魔女の話である以上、恋と現実を知ったすばるがグラムサイトを失ってしまうのは、ある意味当然の流れです。
宇宙を旅する夢物語の参加資格を失ったすばるは最後のエンジン探しから除外され、一足先に魔法のない世界へと一人で歩いて行くことになります。
しかしそれは一方通行の道ではなく、迷い道を自分の足で踏破することで、喪失した過去の希望に立ち返ることが可能な道です。
『可能性に満ちて輝いていた時代が遠くになったように思えても、それは必ず身近にあって、思い出すことで前に進むための力をくれる』というメッセージは、過去のエピソードと同じように、今回も繰り返されるわけです。
なので、プレアデス星人が見えなくなっても、コスプレ研究会の仲間は楽しいお祭を一緒に楽しむ。
ななこさんのトンチキで唐突な『ふぁい、おー!』が、彼女が持っているエキセントリックな感性と優しさをそのまま叩きつけるようなシーンで、僕は凄い好きです。
あおいがいち早くその真心に気付いて、団結の音頭を取る所とかも、とても良い。
やっぱりこの五人の魔女たちは、みな聡くて優しく素晴らしい女の子たちだなという気持ちを新たに出来るシーンでした。
あおいの主人公気質はこの後のシーンでも顔を出しており、圧倒的な叙情性を誇る雨宿りのシーンでも、素晴らしい活躍をしていました。
2つの入口と2つの出口があるあの小屋は、あおいとすばるがこの後経験しなければいけない2つの闘いを意味しています。
その内側でのあおいの振る舞いはつまり、お話全体がどこに向かい、何を大事にして進んでいくのかということを示す仕草でもあります。
離れてしまったとしても、思い出や気持ちは無くならないこと。
進み続けることが、返ってくるための道標になること。
あおいがすばるに対して強く宣言した言葉は、同時にこの後すばるがみなと君を取り戻すために守り続ける、重大な指標にもなる。
さらに言えば、お話全体が伝えたいメッセージのリフレインでもある。
そういう大事なことを、透明感と詩情のある綺麗なセッティングで見せることが出来るのは、やはりこのアニメの強みだと感じました。
親友の恋路を真っ直ぐに応援したり、別の戦いに赴く勇気をすばるに分け与えたり、あおいは『すばると自分が別々の存在である』という事実に、とても前向きに見えます。
すばるとあおいの距離は(時々物理的に)とても近しいので、ともすれば閉じた関係性に落ち込んでしまいそうな危うさを秘めて(そして正直に言えば、僕は時々期待して)いるのですが、そういう引力を跳ね返す風通しの良さが、あおいの良さかな、と今回も思いました。
そのくせ面倒くせーお姫様志望の文学少女だってんだから、ほんっとタマランねあおいちゃんは。
キャラデザインやお話の配置、キャラ記号から感じる第一印象を、非常に巧く裏切ってることも、このアニメが面白い沢山の理由の一つですな。
2つの出口から別々に飛び出した少女たちは、別々の闘いをはじめることになります。
四人の魔女たちの戦いは、魔女としてこれまでやって来たエンジン探し。
探せば探すほど遠のいていくという、アキレスと亀のパラドックスめいた難敵を追いかけて、ついに魔女たちは光の速度を超え、銀河をいくつも飛び越え始めます。
全魔法少女中、最高の防御力と移動能力持ってるのは間違いないな、コスプレ研究会。
この話はあくまでジュブナイルであり、少女たちの成長を追いかけて物語が進みます。
だから、パラドックスを突破するために必要なのはSF的ギミックではなく、彼女たちの内面的跳躍になる。
これを引き出すために『エンジンは諦めて地球に戻ろう! お前らの青春は魔法が作った偽物かも知れないが、まぁ気にするな!!』とぶち上げるプレアデス星人は、プレイヤーのリアクションを最大限引き出す、いいマスターだなぁ。
『今が永遠に続いて欲しい』というすばるが持っている願いが、四人の仲間とも共通しているということ。
常識や物理法則を書き換えてしまうプレアデスの魔法が、『永遠に続いて欲しい今』を捏造していないと確認すること。
12個のエンジンがもたらすとりあえずのグッド・エンドではなく、理屈を飛び越えた先にあるベスト・エンドを諦めないこと。
これまでのエピソードで既に準備されていた答えではあるのですが、そこに辿りつく彼女たちの表情は真剣であり、これまでのお話で手に入れたものの価値を高めてくれる、いい受け答えでした。
ここでもあおいが口火を切っており、今回のあおい姫のヒーロー力は天井知らずであります。
『すばるが信じて待っているんだ!』という台詞の通り、空の4人と地上の1人に別れた魔女たちですが、バラバラなはずの彼女たちは約束で繋がっている。
『信頼の糸を頼りに、先行するものを信じて待つ強さ』というモティーフも、例えば第8話のなな子-4人であるとか、第4話のひかる-ひかる父母であるとか、第9話のすばる-4人であるとか、このアニメで幾度も繰り返された重要なテーマだと思います。
そしてその度に先ゆくものは還ってきたわけで、孤独なはずのすばるが、彼女を信じると決めた4人の仲間のもとに引き寄せられたのも、自ら定めた物語のルールを一切裏切らない、見事な展開だと思います。
かつてないほどに強まった魔法で空を征く魔女たちに対し、魔法を失ってしまったすばるは、非常に現実的で辛い闘いをはじめます。
それは、一度すばるを拒絶し道の別れてしまったみなと君を信じ、諦めずに探し続けるというもの。
夢見るままに宇宙を駆け抜けて、素敵な可能性の欠片を見つけていればよかった魔女たちのクエストに比べ地味ですが、だからこそ生々しい痛みを感じる闘いです。
、すばるがいる世界にみなと君の面影はない。
一緒に手入れしていた素敵な花壇は草むらになってしまっているし、思い出のいちご牛乳はバナナ牛乳になってしまっています。
可能世界という設定を巧みに生かした喪失感の描写が、とても良いと思います。
喪失感と無力感から立ち上がる助けをくれるのが、コスプレ研究会(≒魔女の世界)と関係のない一生徒だというのは、すばるの世界が閉じていないということの証明のようで、とても嬉しかったです。
みなと君のぼやけた記憶を持つ彼が接触しなければ、すばるは草むらをかき分けて、思い出の花を見つけることが出来なかったかもしれない。
思い切ってバナナ牛乳を買ってみて、実はいちご牛乳だと確かめることはなかったのかもしれない。
プラネタリウムの扉を何度も開け閉めして、そこが温室に変わっているような魔法を試さなかったかもしれない。
観測する勇気を持って前に進んだのはすばる自身ですが、そこに飛び込む最初の切っ掛けが他者からのものであるというのは、とても善いことであるように感じたのです。
みなと君が消えてしまった世界で、みなと君の名残を探しながら、信じて観測し続けること。
それはみなと君探しであると同時に自分の内面の探求でもあって、この心象優位の構図は、今回の魔女たちの旅路と綺麗に重なります。
そして魔女たちが追いかけるのは魔法が使えた時代、何者でもない時代の象徴であるエンジンですが、すばるはあくまでみなと君という自分の男を求め続ける。
探求するべき聖杯の違いは、無限の可能性を持っている魔女たちと、観測の結果一つの未来を確定させたすばるとの違いなのでしょう。
その上で、異なった二つの立場はけして断絶しておらず、相互に行き来が可能であるという結論に導いていくのは、優しくて強いですね。
孤独でありながら誰かと繋がった探求の果てに、すばるはみなと君の病室にたどり着きます。
それは死病に侵され、どこにも救いを感じられないという、みなと君の重たい現実そのものでもあります。
前回対峙した時はこの重たさを正面から捉えることが出来ず、すばるはみなと君を失ってしまいました。
しかし今回、仲間と離れて孤独に探求を重ねた結果、すばるはみなと君の現実を受け止め、共有する素地が出来ている。
これはこれまでのように、仲良し五人組でずっと一緒に星を探し求める旅をしていたのでは、けしてたどり着けない結論だったと思います。
雨宿りの小屋であえて別の出口から飛び出したからこそ、すばるは自分が求めるものとサシで向かい合うことが出来たのであり、この経験があって初めて、みなと君が抱え込む別の世界への羨望(僕はそこにどうしても、自死の香りを嗅いでしまうのですが)への対抗策を掴むことが可能になったのではないか。
それを『大人への階段を登った』と一言で説明してしまうと、どうにも馥郁たる詩情を取り逃してしまう感じがして、あまりしたくはないのですが。
まぁ少なくとも、すばるがみなと君の絶望も死も、全てを受け入れた上で一緒に前進していく度量と強さを手に入れたのは、間違いないでしょう。
みなと君の病室はみなと君個人の絶望であると同時に、『人は生きて、いつか死んでしまう』という、ありふれた真実をすばるにも見せています。
みなと君を通して死を観測し、そこから逃げない決意をしたことで、すばるの子供時代は迷いから抜けだした、という読み方も出来るでしょう。
この話はお伽話でもあるので、一つの描写の内側にはさまざまな解釈が眠っています。
そういう豊かさが、今回のすばるの闘いにはあったなと、僕は思うわけです。
そして、決まりきった未来と対峙して観測をやめることは、プレアデス星人とみなと君、両方に共通する絶望です。
今回すばるが1人で行った放浪と決断、勇気を持った観測はその絶望の外側に出る行為であり、黒い衣装をまとったすばるを見て『全く新しい魔法だ!』と驚くのは、むしろ当然の帰結と言えます。
観測の結果現実を諦めた二人の問題を一気に跳躍する境地に、すばるは辿りついたわけです。
全ての色に染まることが出来る白が、世界を拒絶していたみなと君の色に変わり、みなと君が持っていた黒、全てを観測し己の中で混ぜた色がすばるに移る。
この描写を見れば、僕はどうしても二人がとても幸せな場所にたどり着く終わり方を期待せずにいられない。
そしてその期待が裏切られることは、まずないと確信もしています。
放課後のプレアデス最終回、とても楽しみですね。
・SHOW BY ROCK!!:第12話『青春はNon-Stop!』
王道を真っ直ぐに走り続けてきた青春ケモケモロックンロールアニメも、ついに最終回。
ダークモンスターと化したロージアちゃんの浄化、ラスボスダガー社長との激戦、プラズマジカのラストライブ、シアンの帰還と最後までたっぷり盛って行くぜ!!
これまで積み上げてきたものを最大限に活かした、とても良い終わり方だったと思います。
作中最高のサイドキックをダガー社長と争っているロージアちゃんですが、今回も求められている役目を完ぺきにこなし、見事な中ボス&悲劇のヒロインっぷりでした。
すべてをメガバイオレンスで解決しようとするダル太夫を先週止めた手前、音楽のパウァを見せつけるのは大事。
ロージアちゃんの哀れな姿は、それを引き出すための呼び水として、完璧に機能してました。
ええキャラや。
開放されたと思ったら、即座にダガー社長の触手責めの餌食になってたのは、さすがに笑ったがな!!
ちょっと我が強くて口が悪いだけで、音楽には真剣だし、対決の時も真向から挑んできたし、負けたのも一回だけなのに、こんなひどい目にあい続けるあたり、ロージアちゃんマジ不幸。
どんなひどい事言っても、醜い化け物の核にされてだるまロボにボコボコにされる道理はないと思うよ、うん。
ロージアちゃんを踏み台にして悪辣さを強調してきたラスボス、ダガー社長も面目躍如の大暴れ。
他のキャラがサンリオらしい穏やかな世界で暮らす中、ダガー社長だけ一貫して権力と暴力がモノを言うノワール世界観のイキモノなんだもの。
黒田崇矢さんのナイス演技も相まって、世界の破壊者として十分な貫禄がありました。
そんな社長をぶっ飛ばしたのが、シアンさん大天使のビューティーセレインアロー(もしくはプリキュア・ハートシュートかプレミアムエンジェルアロー)だと言うのは、正直『おいィいい何だその徳の高い(※)弓は!! ダルダルパンチが打楽器だから、シアンアローは弦楽器とでも言うつもりか!!』とか思わなくもない。
これまでヴァイオレンスで見せ場を作りつつ、最終的には音楽だよね! という価値観を強調してきた流れもあるしね。
(※徳の高い 全てを物理戦闘で解決しようと、異常なマンチスペックでゴリ押しするさまを皮肉る隠語。もうお師匠一人でいいんじゃないかな)
実は社長との戦闘では一つの変化が起きていて、お話全体のエンディングになるシアンの帰還を呼びこむために、『仲間を置いて帰る』『残って戦う』という二択に正解することで、社長に勝つ説得力を引っ張ってきてます。
シアンの帰還はお話の転換点である第5/6話で軸になっていたものの、後半戦はあまり触れられなかったテーマです。
『キングの力で帰ることも出来たが、自分の意志で戦うことを選んだので、シアンは強い』というロジックを見せること、さんざん破壊の限りを尽くしていたダガー社長をぶっ飛ばすことで、このテーマがぐいっと前に出てくるわけです。
まぁこの後ライブもあるし、社長の心の闇を掘り下げて云々って時間もないしね。
シアンの帰還はスーパーヒーローらしく体を張って弱者を守るキングさんと、涙を流しても立ち上がり、自力での解決を目指すレトリーの株が上がるシーンでもありました。
異世界人を強引に引っ張ってきて、むりくり救世主に仕立てあげたキングさんの強引さはちょっと引っかかる部分なので、丁寧に処理していて良かったですね。
そして過積載暴走超特急だったレトリーが、シアン抜きでも立ち上がるシーンの熱さは素晴らしい。
第10話でもそうなんですが、プラズマジカ一番の問題児だったレトリーが率先して問題解決に勤しむと、お話の中で積み上げてきた変化と成長が如実に感じられて、とても良いですね。
この話異世界から救世主を召喚する話であると同時に、ロックンロール青春物語でもあるので、魔王を倒しただけでは終わりません。
プラズマジカのラストライブで終わる流れは、トンチキ要素を大量に盛り込みつつも、あくまで王道バンドモノという軸をぶらさなかったこのアニメにふさわしい盛り上がりでした。
やっぱバンドアニメなんだから、最後は演奏で〆ねぇとな!!
第5-6話であれだけ別れに執着してたレトリーが、『あのままサヨナラも言えずにお別れだったら』と、既に別れを受け入れたところから始まるのがすげー良い。
シアンがこれまでの流れを総括する言葉も、演奏に重なるメンバーの心情も、これまでの積み重ねが説得力となって胸に響く、いい台詞だったと思います。
言葉にするべきものをちゃんと台詞で説明して、台詞以外で伝えるべきものはしっかり豊かな映像で分からせてくれる見切りの良さは、音楽という非言語コミュニケーションをテーマにしたこのアニメには大事な能力だったなぁ……。
そして長めのスタッフロールの後、魔法の国での体験を夢で終わらせず、小さな一歩を踏み出したシアンを映してエンドマーク。
余韻と前向きさのある、とても良い終わり方だったと思います。
Midi-Citygあまりにも魅力的な街なのでとどまってほしい気持ちがないわけじゃないですが、第1話でああいう始まり方をした以上これがベストな収まり方だし、プラズマジカ全員の気持ちが綺麗に一致している以上、ちゃんと終わることが誠実さだよね。
というわけで、15年4月期アニメの最終回一番乗りはSB69となりました。
終わってみると、とても良いアニメだった。
原案の魅力である『沢山キャラクターが居る』『音楽が良い』という部分を損なうどころか、キャラの多さは賑やかさとバラエティに、音楽の良さは叙情的な盛り上がりとテーマへの真剣さに生かし、まとまりのいいお話になっていたと思います。
メインとなるプラズマジカの物語は、バンドを通じて分かり合い時に傷つけあう、真っ向勝負の青春バンドストーリーとして、よく纏まっていました。
彼女たちのお話がシンプルで魅力的だったからこそ、他のキャラクターが元気よく暴走する余地も生まれていたわけで、お話は真ん中が強いとやっぱ良いやね。
彼女たちの心が通じる理由、離れた気持ちが再びまとまる理由をシアンのギター一本に託したのも、バンド物語としては凄く気持の良い決断でした。
女の子向け主人公として笑いと熱血を提供してくれたシンガン、高い超人強度で大暴れしたダル太夫、シアンという光を強めるための影を全て引き受けたロージアちゃん、大魔王の貫禄十分ダガー社長。
サブのキャラクターがそれぞれ個性的で、自分たちの物語を分かりやすく持っていたのも良かったです。
プラズマジカのお話がそこまで話数を使わずスピーディに展開する合間を、『色んな奴がいて、色んな魅力がある世界』Midi-Cityを多角的に見せるために使ったのは、異世界召喚モノとしても、ロックというジャンルの多様性を見せる意味でも、凄くグッド。
フックの強いトンチキ要素をたっぷり盛り込みつつも、キャラクターが音楽に向かう気持ちは一切茶化さず、大まじめに描いていたも良かったです。
キャラ全員(ラスボスであるダガー社長除く)が同じ方向を向いていると統一感も出るし、真剣に取り組む気持ちのいい奴らばかりだから、見ていて清々しいしね。
バラバラになりかねないキャラクターたちを音楽でしっかり束ねたのが、バラエティ豊かな作品として成功してた、大きな理由かなぁ。
真面目一辺倒というわけではなく、レトリーのクソレズ芸やら、シンガンの暑苦しいギャグやら、ダル太夫のメガバイオレンス芸やら、色んな笑いが要所要所で生まれていたのも、気持ち良く見れたポイントでした。
キャラの可愛さ・カッコ良さ表現も含めて、気持ち良く楽しく見れるってのはすっげー大事であり、そこを疎かにしなかったのが有り難い。
そういう意味では、常時異常なテンションを維持して場を賑やかにした社長(と中のうえださん)は、隠れた功労者ですね。
そして何より、音楽とロックンロールへの敬意を忘れなかったことが、とても良かったです。
バンドをやっていく上で起こる様々喜びや問題を丁寧に取り扱うことで、プラズマジカの青春が輝いてくる相互作用があったし、なにより『俺達は音楽が好きなんだッ!』という強い意志が映像から感じられるのは、信頼感に繋がる。
頭抜けたクオリティを誇った3D演奏シーンもひっくるめて、音楽へのリスペクトが強く感じられる、いい音楽映画だったと思います。
最初はケモノ+ロック+青春+異世界召喚という大盛り加減に不安にもなりましたが、蓋を開ければ見事な手綱さばきでテーマをぶらさず、キャラの魅力も最大限引き出して走りきってくれた、いいアニメでした。
こういう気持の良いアニメを見終えると、やっぱ感謝の気持が湧き出てきますね。
ありがとう、SHOW BY ROCK!!