イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

のんのんびより りぴーと:第12話『一年がたった』感想

繰り返す世界の終わりが、穏やかな田舎についにやってきた。
のんのんびより二期も最終回であり、二期で積み上げた思い出を丁寧に巡りつつ、小津安二郎もビックリの約四分の長回しを挟み、一期第一話という始まりの場所に帰ってきて終わりました。
なんというか、一期二期あわせてのグランドエンディングという気配もある、立派な最終回でした。

エモくやるべき所で徹底的に押し上げる手腕はこのアニメ、全アニメを並べても相当なもんです。
なので、最終回は声高に感動に寄せないボディブロウのような手腕でこっちの涙腺を狙ってきました。
冒険の舞台となった秘密基地や高い橋などなど、各エピソードの思い出を閉じ込めた風景を一瞬だけ切り取って次に行くさり気なさが、逆に視聴者の記憶をガンッガン刺激して殺しに来てました。
今回の最終回はれんちょんたちにとっては、昨日が過ぎて今日があって、明日に繋がっているなんでもない毎日の一つ。
ここでカメラが離れても彼女たちは時間の中を歩いて行って、学校を卒業したり大人になったり、子供が出来たり死んだりしていくわけです。
だから、あくまで特別ではないただの一日として、劇的さに頼らず場面を作っていく姿勢は大事だとう。

同時にこれでのんのんが見れなくなるという特別なお話でもあるので、視聴者にだけ判るサインとして劇的な瞬間をこれでもかと切り取ってくるのもまた、大事でしょう。
作中人物から見た劇的さの否定と、視聴者が受け取れる劇的さの本流。
相反する2つを同時に達成するべく、最終回はとにかくじわっと心を溶かすシーンが多くて、凄くいいなと思いました。
思い返せば、そういうストイックなバランス感覚は、このアニメそれ自体の強さだった気もします。


二期は蛍が主役だと言っていいくらい、田舎にやってきた直後の戸惑いとそこがゆっくり氷解していく過程は、りぴーとの中心軸にありました。
なので、ここで出会ったみんなとの距離感を確認できるお花見で終わるのは、蛍が手に入れたものを確認する上で凄くいい終わりだと思う。
何となく気まずかったなっつんは頭に腕を乗せるようになったし、れんちょんとは今日も手をつないでいた。
そういう距離感は、僕達が見守らせてもらった蛍の一年間の努力が、彼女のそばに連れてきたものです。
そういうことは声高に叫びはしないけど、画面見てれば分かるし、伝わる。
このアニメはそれが伝わるように、努力して努力して、絵を描き色を付け音を入れている。
ありがたいことです。

個人的には、『みんなで食事を共にする』事象で物語を〆たことは、彼女たちが今手に入れたものと、これから手に入れていくものを示す上で、凄く大事だと思っています。
飯は毎日欠かさず食うし、れんげ達の日々も(第10話の自転車練習が示すように、いつか時間が行き過ぎて離れていくことがあったとしても、それでも)ずっと一緒に続いていく。
その連続性と接近した距離感を画面に閉じ込める上で、同じ釜の飯を食うシーンがラストに座るってのは、凄くいいメッセージだと思いました。
思い返すと、このアニメは色んなモノをみんなで食ってきた気がするなぁ。


正直な話をすると、りぴーと放送の報を最初に聞いた時、嬉しいと同時に少し不安でした。
得てして『日常モノ』というのは同じ場所をどこまでもぐるぐると回り続けるよう求められるもので、時間の折の中に閉じ込められてしまえば、時の例と無縁になる代わりに成長や変化とも縁が切れてしまう。
とても閉鎖的というか、ネクロフィリア的な静止と停止への欲望に、のんのんびよりも捕らえられてしまったのではないかと、少し思ったわけです。

しかし巻き戻った時間の中で、れんちょんもほたるんも、こまちゃんもなっつんも兄ちゃんも、このみちゃんもひかねぇも、大人である駄菓子屋やねぇねぇすらも、田舎の穏やかで美しい世界の中でゆっくり一歩ずつ前に進んでいた。
くっだらないコントで僕達を楽しませてくれた時も、小さな身の丈にあった小さな、しかし何にも比べられないくらいに大事な人生の問題に出会った時にも、あの子たちは必ず何かを見つけて、どこかに足を一歩進めていた。
たとえ劇中の時間が巻き戻るとしても、れんちょんたちは確実に生(もしくは正)の方向にむかってちゃんと歩いていた。

僕はりぴーとのベストエピソードは、やっぱり第10話だと思います。
自転車というどこでも行ける可能性をれんげが手に入れるべく、べそをかきながら足掻く話。
それを優しく見守りつつも、どこかに行ってしまうれんげの可能性と必然性を見せつけられ、寂しさとやはり喜びを駄菓子屋とねぇねぇが感じるお話。
あの時夕日の中を進んでいったれんげのように、時間は足踏みをせず前に進んでいってしまう。
このアニメだって終わる。
だけどそれは寂しいことでも哀しいことでも、しょうがないことでもなくて、楽しいことなのだと一番わかり易い形でまとめていたのが、第10話だからです。

このメッセージは全ての話数の中に織り込まれていると思うのですが、しかしそれを作中人物が明言することはない。
彼女たちは前に進んでいく時間の中でみんなでいることを楽しみ、笑い、少し何かを学んだりしながらたくさん遊ぶだけです。
でも、見ていれば判ること、感じること、思うことはとんでもなく沢山ある。

それと同時に、れんちょんは賢くて可愛いなとか、ほたるん時々キモいなとか、なっつんウザいなとか、こまちゃん弱すぎるなとか、キャラクターたちへの感情も喚起される。
彼女たちのことが好きで、彼女たちの日々をもっと見たいと思うことは、お話である以上とても大事だ。
何かを言わないままに言うことと同等かそれ以上に、楽しいお話としてアニメを伝えてくれることに、このアニメの製作者はストイックかつ真摯で貪欲でした。
とてもありがたいことです。

のんのんびりりりぴーと、良いアニメでした。
ありがとう。