イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ガッチャマンクラウズ インサイト:第12話『insight』感想


全日本を巻き込んだ宴の始末と、人間・一ノ瀬はじめの帰還。
特に変わることのない人間のカルマと、否応なく変化していく新しい世界両方を写して、ガッチャマンクラウズ二期は終わりました。
良いアニメだったなぁ。

前半はほとんどサドラぶっ殺しオペラの内情バラし。
前回『敵』だったカッツェが、なりすまし作戦の肝になるのは嬉しい構図だ。
はじめちゃんは天才だけど悪意を本質的には理解できないので、要所要所でツッコミ入れて真実に気づかせていたカッツェさんは、インサイト最重要人物だったと思う。
母体であるはじめちゃんがぶっ死ぬこと前提の作戦に協力するって、カッツェさん相当はじめちゃんのこと好きですよね? 心中してもいいくらい好きですよね? と思ったが、消滅寸前の所を受けいれてもらって、四六時中一緒にいれば情も湧くか。
メインに据えれそうな変化なんだけど、そこら辺はサラッと流すところ好きです。

前回感じた『このままだとはじめちゃん、ジーザスになっちゃわけねぇかな』という疑問もちゃんと拾っていて、気持ち悪ーい同情世論がガッチャベースを取り囲む絵面はしっかり描かれていた。
アレはとっても気持ち悪いんだが、ツバサが決別したものを描く上でも、『空気』は必ずしも完全悪ではないと見せる意味でも大事なシーンだと思う。
アレを否定しきってしまうと、同情や仁愛といった人間社会をより良くする上で大事な感情もまた否定することになる。
はじめちゃん可哀想という気持ちは大事だし当然なんだけど、なんでお前らはプラカード持って集団になってやってくるんだ、という方法論の問題なんだと思う。
同化する気持ちよさから抜け出し、時には一人で考えた上で目の前の人を助けるという選択をするのは間違いじゃないってのは、ツバサを通じて表現されてるしね。
……最重要メッセージが『孤立せよッ……!』ってことは、インサイトは無頼伝涯だった?(錯乱)

群衆への希望も前回見せたとおりで、ジョーさんや理詰夢が危惧していたような思考停止の繰り返しは起こらず、人類は孤立し自主的に考えて、サドラを地球に残す選択をした。
この時『ガッチャマンにおまかせ』が少し残っている所が、お伽噺の中の目配せを感じて好き。
アレだけの衆愚を晒した顔も名前もない『非-ヒーロー』がああいう選択をできるのか疑問に思うけど、それを可能にする(という希望を持っている)のが、人類が集団的に構築し同意し運営する様々なシステムの力だ、ということなのかもしれない。
主人公である塁が代表する、GALAXやクラウズはその最先端にあるパワーなのだろう。

サドラ追放選挙まで一ヶ月開けたのは、スマホ選挙に代表される『安近短』を追い求め続ける傾向に歯止めをかける、面白い選択だと思う。
一期で肯定されていたGALAXやクラウズは『安近短』発想の局地なわけだけども、古臭くて遅い方法論にも、それでしかたどり着けない利点というものがちゃんとあるという表現だ。
同時に、サドラが極限化したオンデマンド政治を懐かしみ、『未来の一つの形』だと肯定する声を出したのも、この作品らしいバランス感覚だと思う。


そしてサドラは地球に残り、ツバサは成長し、理詰夢は野に放たれ、はじめちゃんは目覚める。
ハッピーエンドである。
理詰夢に関しては、せめて渋谷テロ事件が結審するまでは留置所にいろと思うが、まぁしょうがねぇ。
あれだけ衆愚に絶望していた男が今回の事件で何らかの見解を変えたのかどうか、ちょっと知りたい気持ちもあるけど、あの描き方が理詰夢に支払える限界だよね。

これまで12話、ずーっとはじめの目を見て話ができなかった凡人が、ようやくまっすぐはじめと向き合って会話できるようになったラストシーンは、とっても良かったと思う。
超越的な能力と知性、人格を兼ね備えた聖人を身内に持ったコンプレックスを、日本まるごと道連れにした通過儀礼を経て、ようやくツバサは解消できたわけだ。
そうやってガッチャマンとはじめの超越性に寄り添っていく運動は、実はツバサだけのものではなく、視聴者と製作者の運動でもあったように思う。
あまりに正義のヒーロー過ぎて人間味がない(と受け止められかねない)ガッチャマン、その中でも常に正解と最善手を選びすぎて遠い存在だったはじめに見守られながら、迷い、独走し、独善に溺れてから顔を上げたツバサがいればこそ、ガッチャマンとはじめが僕達に少し近くなったのは、多分事実だ。
『常に正解を選び続ける、完璧な人間』というはじめのキャラクターを修正することなく、彼女を捉える画角をツバサを通じて変えることで、より魅力的な見せ方を選択できたというか。
ともあれ、二作目のラストシーンとして素晴らしかったと感じた。

かなり早い段階からシステムであることと人間であることの軋みを訴え、救済を求めていたサドラに関しても、良い終わり方だった気がする。
ツバサへの愛をによって自意識が芽生え、自動的なシステムであることをやめて対話可能な個に変化したのであれば、ゲルサドラは今後いろんな人と話し、自分一人で考え、その結果をいろんな人と共有していくのだろう。
色々と歪んでたツバサちゃんの愛情がなければこの結論もなかったわけで、是非両面が流転していく描き方は、ここでも貫かれている。
空気やらツバサの愛情やら、色んなモノに流されるばかりだったサドラの青春は、こっから始まるのだ。
それは僕達の想像に(現状)任されている物語だけど、そういう豊かさが残るエピローグに仕上がったのは、なかなか良かった。

エピローグといえば、塁くんの終わりを受け止めたのが梅田さんだったのは、なかなか面白い。
立川事変で起きた変化を背負う存在として、衆愚から浮かび上がった梅田さんは、二期で一番株を上げた存在かもしれない。
くぅ様にドハマリして衆愚に埋もれた塁くんと対比するには、たしかに梅田さんは美味しい相手だもんなぁ。
シャドウである理詰夢の毒が強すぎるので、まとまりを出さなきゃいけないエピローグで対面させられないってのもあるか。
一期で肯定したクラウズの問題点を再発掘するには、確かにテロぐらいやんないといけないんだけど、収まりどころが難しい事件だったってのも事実だな、死人出てるし。

人類の創りだしたシステムが人類の善性を強化していくというループは、このお話は作り事なので上手く行くけど、現実世界ではそうそう上手く行かない。
でもだからといって、この絵空事が無意味だということではないし、こうして娯楽作品というフィルターを通すことで実感できる現実世界の問題とやらは、凄く沢山あると思う。
『意識高いなぁ』とか『もっと気楽なのが良いよ』という素直な声にめげずに、かつ楽しめるお話としての作りこみを妥協せずに仕上げたこのお話は、とっても良いなぁと思います。


というわけで、ガッチャマンクラウズの二期は終わりました。
第一報を聞いた時に『やったー!』と思うと同時に『んで、何するの?』とも思ったわけですが、一期の物語を肯定的に受け止めつつ、そこで取りこぼしてしまった問題点を的確に表面化させ、新キャラを活かして活劇に仕立てあげた、立派な第二期だったと思います。
はじめに対するツバサ、塁に対する理詰夢、クラウズに対するゲルサドラと、マンツーマンで主役のシャドウを配置したことが、お話の骨格として有効に機能していました。

お話を支える骨格だけではなく、そこに詰め込む中身もちゃんと作りこんだのが、一番いい所ですが。
愚者たるツバサの暴走と成長、無垢なる装置ゲルサドラの変化、叛逆のトリックスター理詰夢の過激な暴力。
毎回キャラクターを活かしたお話の起伏がちゃんとあって、文明論や政治論を上から目線で垂れ流すのではなく、ハラハラ・ドキドキとお話を追いかけているうちに何かが見えてくるような、見えてこないようなという塩梅に仕上がっていました。
エンターテインメントと啓蒙の合わいが曖昧な感じすらも、上手く劇作に取り込んでいたのは面白かったです。

『ヒーロ軍団大集合、超常能力を駆使して頑張れ! ガッチャマン!!』というアガるシーンを、軒並み皮肉に使っていたのはクラウズっぽいところです。
イカすアクションシーンを見れば血沸き肉踊るのは人間の性ですが、そこに毎回『おお楽しいよな、楽しくなるように頑張って作ってるし。でもヒーローが振るってるのは暴力だし、無条件に楽しんで良いもんでもねぇと思うけど、キミはどう?』と冷水ぶっかけていたのは、挑戦的な作りだなぁと思います。
無批判に継承されてきたヒーロー像というものに冷水をぶっかけるシリーズなので、アクションシーンだけ例外ってのも逆におかしいか。
冷水ぶっかけた上で、『でもヒーローが的確に振るう暴力でしか、突破できない事態もあるよね』っていう毛布をかけて、安易なニヒリズムに落ちないように気をつけてくれてるしね。

特に五話以降、日本国民をかなり戯画し、ゲルサドラ日本の暴走と終焉をなんとか尺に間に合わせた感じもあります。
しかし極端なデフォルメ故に可能な思考実験だったとも思うし、あそこまで状況が極端化されたからこそ、様々な問題点がわかりやすい形で表現されたとも感じる。
『日本の国民性』というナイーブで難しい問題を掘り下げる上で、必要かつよい塩梅のアクセルの踏み方だったんじゃないなぁと、個人的には思っています。
あとま、あの極端で悪趣味な暴走っぷり、楽しかったじゃないですか。

この話が出した結末は、人間の持っている愚かしさというものに対して、ポジティブすぎる結論だった気もします。
あんなに簡単に人間は『意識高く』ならないし、色々と手続きをすっ飛ばし(そういうディテールを飛ばすことができるからこそ、戯画化というのは有効な手法なのだと思いますが)た結果、ちょっと嘘っぽくもなっているのは事実。
でもちゃんと最後までやりきって(一期とは大違いだ!)、自分たちの結論を大声で言って終わることは、とても大事なことだと思います。
答えのない問を叩きつけるより、自分たちが出した疑問に自分たちなりの答えを、いろいろ瑕疵はありつつちゃんと提出し、お話として楽しめる形でパッケージすること。
それはとても誠実だし、信頼の置ける創作の姿勢だと感じました。
平たく言うと、ちゃんと終わってとっても良かった。

キャラ萌えの話をすると、はじめちゃんの聖人っぷりと人間っぷりが分かりやすく表現されていて、すっげーグッドでした。
あの子はあまりに完成された人類機械の理想形なので色々誤解されるけど、根本的に優しくて正しい、フツーの子なんだと思います。
フツー過ぎて愚かしいツバサへの憧れと、それが絶対に叶わない哀しみみたいのも描かれていて、はじめ信者としては大満足。

あと清音パイセンの落ちっぷりと戻りっぷりは、かなり美味しかった。
誰かが空気を肯定しないと相当穴のある劇作になってたので、一度堕ちた清音が空気の良い側面を言う役担当したのは、良い配役だったと思う。
カッチンコッチンに頑張ってきた子だからこそ堕落に納得がいくってのは、塁とも重なる部分だな。

ともあれ、作品世界に広がりを加えた豊かな二期だったと思います。
これから先、変質した地球の物語がまた描かれるかどうかは分かりませんけども、あったら良いなぁと感じました。
ガッチャマンクラウズ、良いアニメでした。
ありがとう。