イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第12話『暗礁』感想

絶望と希望が潮満つ宇宙の渚の物語、今週は選ばれしものと選ばれなかったものの悲哀。
極悪集団ブルワーズに横殴りをキメるべく、鉄華団&タービンズが色々準備して死闘が開始するお話でした。
人生一個もいいことなかったっぽいデブリたちが、名前の通りゴミのように死んでいく展開はやっぱ哀しかった。

今週のお話を貫く主軸はやっぱりアルランド兄弟の接近と離脱でして、昭弘が手に入れたものと失ったものの重さを、同時に見せるエピソードでした。
昭弘の説得が巧く行かなかったことで、タービンズと出会ってから漂っていた暖かな空気にビシっと冷水が入り、『やっぱり鉄華団の生きてる世界はハードでシリアスだな……』と思い返される展開で、クールの折り返しにふさわしい展開だったといえます。
……ホントなぁ、オジサンとしては兄弟幸せに暮らして欲しかったんだが、そういうことはなかったんだなぁ……。

鉄華団とブルワーズの対称性(と非対称性)というのは、アルトランド兄弟を境目にして明確に描かれています。
温かい飯が食えて、鉄華団ロゴの入ったバリバリの服を着て、自分を見守ってくれる大人もいる鉄華団。
不味そうなカロリーメイトをかじり、貧相な体をヨレたボロに包み、クソオカマに殴られながら活きているブルワーズ。
何が二つを隔てているのか分からないまま、しかし明確に差があると描かれている二つの少年集団の姿は、お互いあり得たかもしれない写し鏡なわけです。
衣食住の描写でしっかり断絶を強調し解らせているところとか、ビジュアル的な説得力がテーマに追いついてるのはオルフェンズの良いところだな。

鉄華団が一歩間違えばそうなっていた地獄から抜け出せず、抜けださずに死んでいったブルワーズのガキたち。
様々に境遇は違えど、作中最も貴重なものとして描かれ、様々な苦境を乗り越える足場になってきた『仲間の絆』というものは、二つに共通しています。
地獄の放り捨てられたゴミのような人生の中で、それでも生き延びる理由が仲間だったとちゃんと描いていればこそ、昌弘が昭弘の救いを拒む展開にもどかしさを感じつつも、納得もしてしまう。
ただ可哀想な犠牲者でもなく、顔の見えない敵役でもなく、主人公たちと同じように必死に生き延びようとあがき、温もりを求めてさまよっていたガキとしてブルワーズが描かれたことと、彼らがゴミのように死んでいってしまったことは、お話しの中で凄く大きな意味を持っていると僕は感じるわけです。


これまで肯定的に描かれ、昭弘を救い上げてもいた『家族』というキーワードが持っている闇が、今回は強調されていたように思います。
群れとそれ以外を峻厳に区別できるミカヅキの、情け容赦ないメイスが奪っている命は、昌弘にとっては地獄の中にある唯一の温もりであるし、それは第1話での第三軍と全く同じ状況なはずです。
厳しい世界でのサバイバル哲学として迷いなく殺し続けるミカヅキの生き方をしかし、人権と法が一応整備された場所で生きている僕達視聴者(の大半)は完全には肯定できないし、おそらくその感覚は製作者の狙ったところでしょう。
作り手の目線からしても、ミカヅキという修羅は異質なのです。

オルガが一旗揚げる土台としてすがっている『家族』を守る生き方は、ミカヅキが代行している『家族』以外を容赦なく殺し、『家族』になれるかもしれない可能性(これを担保しているのがステープルトンさんだと思いますが)を根絶することに繋がる。
この矛盾はいつか発露して、かなり厄介なことになるんじゃないかなぁと妄想してたりします。
スキマ時間を活用して学習する描写からして、ミカヅキ自身も状況の変化、お嬢とのふれあいの中で変化してる。
ただの矛盾の塊、修羅、死神ではないというのがややこしいと同時に、ありがたいところです。

自分たちの魂の兄弟を情け容赦なく殺しまくる修羅界をバックに、血の絆を頼って弟を救おうとした昭弘の願いはしかし、『家族』という言葉が放たれたことで決裂してしまう。
いかに昭弘が温かいメシと一張羅のおべべ、仲間との充実した時間に満たされていたとしても、昌弘にとって世界は地獄だったし、そこで生き延びるためには絶望にすがるしか無かった。
母親のように自分の道を切り開いてくれるタービンズの女たちはブルワーズにはいなかったし、生き方を教える代わりに情け容赦なく殴り罵ってくる大人だけが、ガキどものお手本だった。
そこから生まれた昌弘の決断を『弱い』とか『世界が狭い』とか、僕は切り捨てたくありませんし、そういう感傷を強要することなく醸造し受容してくれるこのアニメは、とても豊かだとも思う。
どんなに希望を見つけても簡単に踏みにじられてしまう厳しい世界の中で、一歩間違えば転がっていた絶望の子どもとして、やっぱり昌弘の死体は鉄華団の鏡写しなんだと思います。

その上で、ただ憎しみと拒絶だけが世界に満ちてはいないようにちゃんと描いたのは、救いでもあるし誠実さでもある。
迫り来るハンマーを前に兄を突き放した昌弘の胸の中には、あまりにも隔たってしまった肉親を憎み拒絶する意思が満ちていたのか、それでも絶望の道連れには出来ない一欠片の情が渦を巻いていたのか、確言はされていません。
その両義性と偶有性が、このアニメの誠実さなんじゃないかと、僕は思います。


『何故俺たちはこっち側で、お前らはあっち側なのか?』という断絶への疑問だけを描き続けるとあまりにもやるせなく重苦しいので、盛り上がる要素もしっかり入っていました。
バルバドスを囮に、暗礁遅滞を迂回しての奇襲作戦を立案・準備するシーンの『なんか色々整っていくぞ!』というワクワク感はなかなか良かったですね。
デブリ帯という戦場設定を活かした殺陣の作り方、グシオンのインチキ火力の表現も良くて、、アクションシーンがドラマとしても機能し、アクション単体としても盛り上がる理想的な見せ方になっています。
宇宙海賊船によるラムアタック&ボーディングも迫力満点で描かれてましたが、モブとはいえバンバン死んでて暗い表情になるわい。

後方で備えることしか出来ないお嬢の無力と、それに寄り添う女達の姿とかも描かれてて、これもとても良かった。
ガキどもがステープルトンさんを慕ってる描写とか、アトラがどんどんお条に懐いているシーンとか、集団の中に入り込んだ異物がどんどん馴染んでいく展開はやっぱり好きだ。
……本編がやりきれない展開だっただけに、なおさらな……。

というわけで、絶望と希望の綱引きが一つの結末に落ち着く、哀しい話でした。
世界の厳しさを描くことは主人公たる鉄華団を甘やかさないことに繋がり、作品としての真摯さを生み出す源泉にもつながるので、とても大事です。
大事なんだが、やっぱなぁ……しんどい。

どうしても超えられない断絶を今回描いたわけですが、その対抗重量としてちゃんと希望を描く話だとも思うので、『葬送』という題名のついた次回、死者をどう送り生者がどう生きるかは大事だと思います。
つーかオレの昭弘がマジひどい目にあってるんで、ホントどうにかしてください。
やっぱオルフェンズは前のめりにされる、良いアニメだなぁ。