イマワノキワ

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Go! プリンセスプリキュア:第49話『決戦ディスピア! グランプリンセス誕生!』感想


長く続いてきたプリンセスたちの戦いも遂に最終局面、ディスピア様との最終決戦なラス前エピソード。
これまでの物語を戦いの中で取りまとめつつ、グランプリンセスに足らなかった最後のピースを嵌めて、一年の物語に決着をつける展開。
プリプリらしいしっかりとした形式の中に、テーマを真正面から捉える熱意が入り混じり、素晴らしい最終戦でした。
……まだ一話あんの! すげぇなプリプリ。

前回『プリキュア以外』の総決算をやったので、今回はバトルの中で『プリキュア』の総ざらいをする展開になるかと思っていたのですが、蓋を開けてみたら『プリキュア以外』の出番がまだまだ多い。
謎のヒーローとして夢を守ってきたプリキュアがその秘密を公開することで、夢の守り手という重荷を普通の人たちに背負ってもらい、その一歩先にいくという展開でした。
プリンセスというモティーフが『民衆』の支持を求める以上、『夢を守る戦士』の主客が転倒するこの展開はある意味必然とも言えます。
『民衆』が自分の力で身を守れるのであれば、プリキュアという戦士の唯一性は薄れてしまうわけで、最終盤でしか出来ない展開でもあるわけですが。

今回の話はやはり前回の『プリキュア以外』のお話を引き継いでいて、圧倒的な絶望を前にプリキュアが倒れ伏す中で、これまで守られる側だった『プリキュア以外』は『絶望に屈しない』だけではなく、自分から一歩踏み出し物理的な暴力に身を晒す覚悟を見せる。
このシーンが危うく見えるのは、このシリーズが暴力の持つ危険性、身も蓋もなさというものをしっかり描いてきたからで、特に第38話でカナタに『もう十分だ』と言わせたはるかの痛ましさがあって初めて成立するシーンです。
あの時見せた剥き出しの痛ましさがあればこそ、暴力の前に立ち上がった民衆の未来が一瞬視聴者に想像され、痛みに立ち向かう勇気の価値も判る。
『いつものプリキュア』の外側に一歩出たことがプリプリの凄まじさのひとつだと僕は思っているのですが、それはシリーズ全体という長いスパンだけではなく、シリーズ内部でも適切な操作によって効果的に見せられているポイントです。

その上で『グランプリンセス』というふわっとした設定のフワフワ加減をあえて正面から受け止め、『夢を守る』プリキュアの一歩先の結論、絶望を常に孕んだ夢をそれでも希望に値するものだと証明する存在として位置づけたのは、最終決戦でしか出せない結論でした。
無力な群衆を自分の(そして他人の)夢の守り手に育て上げたプリキュアは、もう秘するべき特権階級ではなく、夢に到達し走り続ける夢の象徴に変化したわけで、この成長のドラマが最終フォームお披露目に重なる流れは、変身ヒーローというジャンルを最大限活かした表現でしょう。
『夢』の様々な側面を掘り下げ尽くしたこのアニメが出した結論が、夢の影の側面をしっかり抑えつつも、ニヒリズムに陥ることなく前を向き続ける希望の物語だったこと、一年間をかけた人間的成長が痛みを受け入れつつ前に進む、人としての『強さ』『正しさ』『美しさ』を説得力のある形で見せるお話だったのは、『このアニメを一年間見ていて本当に良かった』と思わせる、見事なクライマックスでした。


テーマ全体の取り扱いだけではなく、個別の場面の切れ味も説得力を伴って鋭いものでした。
『プリンセス候補』春野はるかではなく、『等身大の中学生』春野はるかを見つめてきたゆうきくんのサラっとしたリアクションとか、パフキチとして名を馳せてきた如月さんの勇姿とか、細かく描写されてきたそれぞれのキャラ性を丁寧に拾い、積み上げてきたものを活かす動かし方でした。
戦えない人たちの勇気だけではなく、実際に拳を振るえるメンバーの見せ方も良くて、最後までサポデフ担当として大暴れなカナタお兄さまとか、スーパー家庭教師シャムールとか、美味しい活躍だった。
前回意味深に握りしめていたロックパーカーをまとって、あくまでクルルとして戦うダメ妖精の姿は、欲しいシーンをしっかり画面に写してくれる安心感と満足感がありました。
一歩ずつ歩きながらの部分変身といい、ヒーローモノに欲しい絵面を絶対はずさない所は、本当に強い。

変身も解除され逆転の手筋が一切ない場面で、反攻の狼煙を上げるのが妖精たちだったのも、とても良かったです。
プリキュアにおいて妖精というのは子供の象徴でもあり、厄介事を持ち込んで自分は安全圏という『ただ見ているだけ』な描かれ方をされることも少なくないのですが、パフとアロマはしっかり体を張って、リスクをプリキュアと共有するパートナーとして描写され続けてきました。
最後の大ピンチでいの一番に立ち上がる美味しい役目を妖精が担ったのは、やはりこれまでの蓄積をしっかり活かした、キャラクターの頑張りに報いた形のシーンでして、プリプリらしかったなと思います。
これだけ『プリキュア以外』が主役になっても、やっぱり『プリキュア』の話に感じられる幅の広さというのは、このアニメがずっと描きたかった部分だし、大団円直前の最後の戦いでしっかりコアな部分を抑えて終われるというのは、アニメとしての堅牢さの証明だと思います。


今回『プリキュア以外』の人たちが丁寧に掘り上げられていたのを見ると、ディスピア様の人間的ドラマの薄さは、やはり目立ってきます。
あくまで絶望の概念という側面を強調するためにあえて人間らしい側面は切り捨てたのか、はたまた『プリキュア』と『プリキュア以外』の物語を掘り下げるためにBOSSの物語はオミットしたのか、ともかく敵幹部含む他のキャラクターに比べ、そのバックボーンが存在しないキャラクターだったと思います。
これだけ背景が語られなくても存在感があるのは、やっぱ榊原良子という役者の演技力に依る部分が凄く大きいんだろうな。

ディスピア様について語られなくても、『悪』や『敵』ということに丁寧に時間を使ったのは、今回の敵幹部を見ていてもわかります。
変わることを決意しプリキュアの道を切り開くシャットさん、一度きりの共闘を決意するロック、そして母なる暗黒に還るクローズさん。
三者三様の生き方はすなわち、プリキュアの光を映す鏡としての『敵』の存在意義を、このアニメがけして疎かにしなかったことを表しています。
特別な力を手に入れた存在の物語は、特別な存在の内部で閉じて完結してしまうことも多いのですが、今回の最終決戦は絶望から生まれたものが希望を知っていく物語であり、絶望を前にして無力だった民衆が夢の力を手に取る物語でもありました。
無論特別な存在が偉業を成し遂げる物語でもあって、お話しの中に存在するすべてのキャラクターに対し、強い愛情を持った物語だったと思います。

今回のアバン、クローズさんをディスピア様が取り込むところは、胎内回帰といいますか、地母神的なインセスト・タブーを感じさせる、印象的なシーンでした。
プリプリは『家族』という『プリキュア以外』も丁寧に描いてきたお話だと思うのですが、プリキュアがどうしても『家族』の光の側面を照らし出すしかないのに対し、悪役であるディスピア様とクローズさんの『家族』はその闇の側面を最後の最後で見せてくれて、パズルのピースの最後がハマった感じがあります。
綺麗だとされているものが何故大事なのか、美しさの影には危うさがないか、常に問い続けドラマの形で描き続けてきたこのアニメらしい、良いアバンだったと思います。

最終決戦で『鍵と扉』というモチーフをしっかり回収し、トドメの必殺技にテーマを盛り込んできたことも、とても良い回収でした。
ファイナルフォームに変わるための鍵が立ち上がる力を手に入れた『民衆』から仮託されるところ、『ここにぶっ刺せ!』と登場時から言っていたディスピア穴にキッチリ鍵ぶっさして勝つ所、第1話で出てきたキーに帰還して戦いが終わるところなど、最後まで丁寧にモチーフを拾っていたなぁ。
良い作画や綺麗なデザイン単品で終わらせず、殺陣の中で活躍させドラマの中でデザインを活かす使い方してるのは、話の説得力に直結するポイントだったと思います。


かくして秘密の戦士プリンセスプリキュアは、その勇姿に力を与えられた『民衆』の支持を受け、夢と希望の象徴グランプリンセスへと革命しました。
ホープキングダムを制圧していた支配者ディスピアも打ち倒し、戦士の時間は終わりです。
残りまるまるエピローグ……と思ったら、次回予告に顔を出す意味深なシルエット!
『光あるところに影あり、希望の裏に絶望あり』というディスぴあ様の断末魔を拾う形で、最後の幹部がどういう戦いを見せるのか。
たどり着いた夢の道を、女の子たちはどう歩いて行くのか。
プリンセスプリキュア最終回、とても楽しみです。