イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリンス・オブ・ストライド オルタナティブ:第4話『RUN もしも想いがあふれたら』感想

少年たちが飛んだり跳ねたり転んだりするアニメ、第4話はEOS第一戦・熱海。
不器用ながらまじめに頑張っていた眼鏡が空回りし、高い所から落ちて退場しましたが……その穴は久我が埋めるっていうヒキでした。
既存競技の発展形として練習を工夫する様子や、コース選択の意味や障害物の描写など、ストライドの描写自体には切れがありましたが、なんというか根本的なポイントに不安が残る回だったと思います。

おそらく不安の原因は僕が想定していた焦点と実際に出てきた焦点のズレであり、門脇の焦りや努力、その結果としての事故はもう少しどっしりと扱うものだと思っていたわけです。
なぜならば、門脇の事故は門脇自身の自己評価の低さが原因であると同時に、それを受け止めきれないストライド部の問題でもあり、今回強調された情報制御役・精神的補助役としてのリレイショナーの仕事(の失敗)と合わせて、ど真ん中に据えて掘り下げて良い問題だと思って見てました。
一人で空回りした門脇の燃料はしかしストライド部への情熱と信頼であり、それが間違った方向に行こうとしている時、受け止めたり忠告したり足を止めて一緒に考えてあげれればこそ、青春という時間を一緒に過ごす仲間としての説得力も生まれてくる。

しかしいろんなことを欲張りに取り上げるこのアニメは、例えばファンサービス的な軽妙なギャグの掛け合いだとか、対戦校である三橋のドラマだとか、尺をかなり分散して使い、結果門脇の内面的な問題、そしてそれを共有して然るべきストライド部の問題は、深化することなく展開する。
結果門脇の自己評価の低さは暴走して無謀なショートカットを選ばせ、彼は石垣から落下して大怪我を追う。
その絵面のショッキングさ(そもそもにおいて、衝突や事故の瞬間にフィルターをかけるストレス・コントロールがこのアニメではずっとなされているわけだけど)に比して、門脇が滑り落ちていく過程にストライド部の面々は表面的にしか絡むことはないし、踏み込むために必要なクローズアップの時間は与えられなかったわけです。

そのズレはもちろん僕が勝手に抱いていた『こういうアニメになって欲しいな』という欲望とのズレなのですが、同時に青春という季節を玩弄しない作品全体の真摯さ、キャラクターが持っている人間関係へのシリアスな態度、そしてストライドという架空競技に関するズレになってもいると思います。
可能であれば面白くもない小ネタで時間使うより、もっと門脇の話を聞いてあげて欲しかったし、一応部長や顧問という立場にいるのなら年長者には広い視野を持って欲しかった。
無論全体の約1/3というタイミングでキャラクターが完成してしまえば、お話は転がる余地を失うわけで、このタイミングで事故が起こることそれ自体はあり得る展開だとも思います。
桜井がリレイショナーとしての役目を見失い、不要なショートカットを制止できない未熟を晒したのも、お話全体の構図として必要なポイントだと思います。

しかしなまじっか門脇の真剣さや真面目さが上手く描かれていればこそ、そこを如何にも青春群像撃ですよと言わんばかりの爽やかで表面的な関わりで通り過ぎ、何ら有効な手立てを打てないまま今回のレースに挑んだストライド部の組織としての未熟は強調されるし、今回競技としての駆け引きがなかなか良くかけていればこそ、スポーツ競技としてとり得るハイリスク=事故であるストライドの危険性と、それに挑むときに必要とされる心構えの大きさは目立ちます。
門脇にしてもストライド全体にしても、どうにも製作者サイドが与えたいショックと、僕自身が受け取ってしまったショックの大きさにギャップがあるように感じ取れてしまうわけです。
門脇が大真面目に悩んで、それを上手く制御できず、そして制御のための手助けを与えられず、事故が起きたこと。
これは相当にシリアスなことだと僕は感じたわけですが、ドラマ全体の焦点は例えば少年たちのポップな掛け合いとか、スタイリッシュなストライドアクションだとか、鴨田兄弟の衝突のドラマだとか、様々に分散する。
そこにストライド一本でもなく、眼鏡も欠けていて、作品全体で称揚されるような美男子の価値観から外れた『踏みにじっても良いキャラ』への都合のいい扱いを、そうはしたくないけど幻視してしまったことに、僕は恐れと寂しさを感じています。
つまり……久我というキャラクターを引っ張りだすための事前準備として、門脇が用意され使い潰されたんじゃないのか、という疑念を一瞬、僕は感じてしまったのです。

無論この感覚は考え過ぎといいますか、繊細すぎといいますか、門脇に入れ込み過ぎたキモい意見だと思います。
しかしまぁ、感じてしまったものはしょうがないし、期待してしまったものはしょうがない。
門脇のシリアスでナイーブな悩みをもう少し時間と優しさを以って対応してくれねぇかなと、思ってしまったのは事実だし、それがかなったとは口が裂けても言えないエピソードだと僕が思ったのも事実です。
軒下を貸してるだけの門外漢でありながら、ストライドと仲間に対し真摯に対応し、悩み、走ってた門脇というキャラはこの話が青春を扱う上ですごく大事なキャラだなと考えていたが故のショックだなとは、自分でも思います。

僕が『何だかなぁ』と思うのは笑いとシリアスのギャップでもあって、筋肉ギャグをやっている間に門脇の自己評価の低さは危険な領域にどんどん滑っていって、それを押しとどめることが出来なかった部員たちは何かこう、自分を責めてくれねぇかなと身勝手にも思ってしまうわけです。
門脇が今回流した血に対して、作品全体のトーンとフォーカスが上手く混ざり合っていないというか、ポップさを出そうとする種々の演出が即ち踏み込みの甘さ、軽快軽妙(もしくは軽佻浮薄)なやり取りを垂れ流す故に泥臭い繋がりを手放してしまう矛盾を、結構感じてしまいました。
楽しい漫才もいいけど、門脇の気持ちに踏み込んでやってくれよ。
そう思いながら見ていましたが、そこに気づかないわけでも触らないわけでもなく、あくまで表面をなぞって事態は深刻な方向に進んで、門脇は大怪我をしたわけです。


大怪我。
スポーツが極限的に先鋭化していけば事故や怪我はどうしてもついてまわるわけですが、怪我がしたくてスポーツをやるわけではなく、ストライドでもそれは同じでしょう。
つまりストライドがスポーツである以上怪我や事故は極力回避するべき害悪なわけですが、それを避けようとするシリアスな態度(もしくはそれを覚悟してでも勝利をもぎ取ろうとするスタンス)が、正直今回の門脇からは感じられませんでした。

イケメンを売りにしてんだからヘルメット付けるわけには行かないわけですが、頭部を保護しない絵面がどうしても『危険性を徹底して排除しない、スポーツとしてのストライドの未熟さ』を喚起させてしまう危険は、常に付きまとう。
その真顔のツッコミを回避させるには例えば圧倒的な競技シーンのヴィジュアル的興奮だとか、そこに込められた意欲の強さだとか、勝利を願う妄念だとか、理屈を蹴っ飛ばす情動が必要だと思うのですが、様々な方法論で組み立てられているこの作品のポップさが、どうしても醒めた真顔の部分をどかしてくれないと、僕は感じています。
命の危険を含むにしては、ストライド部の連中の感情の温度も、ストライドという競技の描写も、やっぱ軽いんです、正直。

その軽さこそがこの作品の色だというのも、それこそ得意な色彩設定を見れば判るのですが、しかしやっぱり今回門脇が流した身体的・精神的な血は重たく描かれて欲しかったし、今回の分散した視点からはその重さを感じ取ることは出来なかった。
門脇の作り話に騙されたままの長塚が、救急車に声をかけるシーンの秘められた笑いを、僕はどうしても笑うことが出来なかった。
正直作品が求めてる距離感や価値観と、自分が求めているそれに乖離を感じつつありますが、門脇の血をストライド部の面々がどういう重さで受け止め、自分たちの責務をどう考えているかは次回描写されるべきポイントです。

そこを見ないと、つうかそこを見ても、作品全体の真摯さについては語りきれない気がします。
語り得るのはあくまで僕の嗜好を通して作品をどう見て、どう感じたかという表明でしょう。
そして、そのフィルターを通した個人的な感想を敷衍することでしか、作品の客観的で共有可能な評価も生まれてこないとも思います。
だから、僕は来週もこのアニメを見ます。
今回起きたことは紛れも無く凄くシリアスなことであり、得意な武器である『軽み』を収めてでも、今回流れた門脇の血をキャラクターたちが『重たく』受け止めてくれると、身勝手に願いながら、来週を待ちます。