イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第169話『ひなきミラクル!』感想

アイカツ!史上最も賢く最も面倒くさい超凡人、新条ひなきのSLQC対策回はプレミアムドレスと先輩アイドルでブースト……という安易な展開ではなく、一緒に寄り添って走ってくれるお姉さんによりかかることを覚えて、いい子の新条ひなきを少し捨て去るお話でした。
WMとしてアイドルの天下を取り、庭師世界一位も達成した才能の塊も、どんなに経験を積み上げても自分を信じ切れない凡人も、同じ悩みを抱え、同じ月を見上げ、同じ道を走る。
魂を別けたヴィヴィッド・キスの姉妹を暖かく見守るKAYOKOの視線も暖かく、新条ひなきの飛翔に強い説得力を持たせる、素晴らしい追い風だったと思います。

黄色でポップでお調子者……というステレオタイプを自分の居場所と見定めて、道化を演じることで周囲の期待に応える賢い子供、新条ひなきの面倒くささは、これまで彼女の道のりを見守ってきた視聴者には、つくづくよく解っていると思います。
一見お軽く元気な感情型と思わせるデザインと立ち位置なんですが、その実彼女はとにかく周囲がよく見え、感じ取ったものを的確に言語化する才能に恵まれた、凄く賢い子供です。
何が自分に望まれているのかを感じとる能力に長け、それを実現して周囲に喜んでもらおうという意識が高い……高すぎる彼女は時に自分の欲望を抑えこみ、時に周囲と自分を比較し、時に自分の弱点を真正面から見過ぎる、とにかく真面目な女の子です。

そんなひなきには、腕をとって道を教えてくれるKAYOKOという保護者、隣で支えあいながら別々の道を行くルミナスの仲間はいても、親しい目標となって同じ道を背中で引っ張ってくれる目標は、実はいませんでした。
いちごちゃんが神崎美月の、あかりちゃんが星宮いちごの背中を追いかけてアイドル活動を走り続けたような、『こうなりたい』と思えるような身近で遠い存在がいないことは、常に自分に迷い続けているひなきにとって、かなり不幸なことだったと思います。


今回、ブランドの先輩というだけではなく、庭師という自分の夢を強く持ち、一度はアイドル活動を休む決意までして自分の道を開拓した才能と意欲の塊、夏樹みくるが『なんでも言ってみ?』と持ちかけてくれる『お姉さん』になってくれたのは、日な気に足りなかった最後のピースがかちりとハマった感じがあって、本当に素晴らしかったです。
二人は一見似ているようで凄く対照的な存在であり、アイデア出しのための三人デートや合宿を提案し、TVクルーによる取材にも積極的にアイデアを出していくみくるの姿は、今回もうまく一歩を踏み出せないひなきの躊躇いと、好対照を成していました。

みくるの楽屋に入る時、TVクルーが現れた時、ひなきは周囲を見渡し、良く観察した上で発言や行動を飲み込んでいます。
その躊躇いがひなき最大の悩みだということは初の個別エピソード、第105話『はじけるヒラメキ☆』でも濃厚に描かれた部分で、様々なエピソードを重ね、SLQCに向けて気合充分な現状でも、根本的な臆病さは掻き消えたわけではありません。
そんなひなきの欠落に、自分とどこか似ていて、しかしその積極性と才覚において圧倒的に前を行っているみくるの言動がすっと入ってくる感情の動きは、凄く細やかに表現されていました。
『Vivid』を着こなすみくるの活発さに憧れたからこそ、今回ひなきはペンキを壁にぶちまける『悪い自分』を積極的に出して、躊躇いを乗り越え新しい挑戦に挑むという、すごく新条ひなきらしからぬ行動に出れる。

これは道を教えてくれるKAYOKOや、隣を一緒に走るライバルたちとは築けない関係であり、少し年上の『お姉さん』への憧れを原動力にすればこそ踏み出せた、大きな一歩だと思います。
アイドルになんて興味が無い自分を乗り越えマイクを取った星宮いちごや、鈍くて冴えない私にサヨナラしてスターライトを目指した大空あかりのような、具体的な『誰か』を目指すための大きな背伸び。
主人公たちには物語の最初から与えられていたその要素が、ようやくひなきに回ってきた印象も受けますが、遅いって事はけしてない、素敵な出会いでした。

今回女の子たちの関係描写が凄く活き活きとしていて、『ひなきちゃん』呼びから時間を共有していく内にスムーズに『ひなき』呼びに変わるみくるの姉力だとか、みくるとKAYOKOの年齢を感じさせないざっくばらんな間柄だとか、三人の間にある気持ちの良い空気が自然に感じられました。
凄く似ていて、しかし違っていて、だからこそ尊敬できる年上の友人に囲まれ、助けられながらも、お互いがお互いを楽しませる良い友人関係。
それが三人の間に感じられたのは、いろんな関係性を丁寧に描写してきたアイカツの強み、Vivid Kissというブランドが繋ぐ気の置けない繋がりを感じさせ、素晴らしかったと思います。


ひなきとみくるの間にあるのは違い故の憧れだけではなく、大きく感じられる身近な存在に追いやられる不安への、強い共感も横たわっていました。
アイカツの天井』としてあまりにも偉大すぎる神崎美月のそばで、ド素人としてコンビを貼っていたみくるの不安と背伸びは、言われてみれば確かに、周りが見えすぎ他人と比較しすぎる真面目なひなきの性格と、通じるものがあります。
姉妹のような打ち明け話の最中、二人が同じ視線で見上げるのが遠く高く美しい『月』だというのは、これまでアイカツが積み上げてきた歴史と文脈を的確に抑えた、象徴的な絵だといえます。

庭師で天下を取ってアイドルに戻ってきたみくるは、WMとして活動していた時よりもより大人になったように思います。
そして年齢的にも、アイドルという立場的にもKAYOKOよりも親しい立場、『母』というよりも『姉』に近い存在だからこそ、頭が良すぎて自分の本性を人に見せられないひなきの本音を、巧く引き出せたのではないか。
そして少し遠くて、だからこそ憧れられる『姉』だからこそ、ひなきもまたKAYOKOには見せ切らない弱みを見せたのではないか。
そんな感じの、共感と憧れが入り混じった出会いが、今回は展開されていました。

第147話で濃厚に関係性が描写されたKAYOKOは今回、あくまでお話の主軸には居座らず、『母』として『姉』と『妹』を見守るような立ち位置をキープしていました。
プレミアムドレスの依頼を快諾し、みくると引き合わせ、合宿所を用意し、相変わらずひなきにダダ甘のベタ惚れなKAYOKOですが、ひなきの迷いを救い上げる主役はみくるに任せ、自分は脇に引く。
その上で如何にもメンター的な立場に引っ込むのではなく、友人のような気さくさでともに食べ、遊び、仕事をする独特の距離感を維持していたのは、KAYOKOらしさが良く出ていたと思います。
この話が誰と誰を出会わせるのか、そのためには何が必要で、出会った人々の間には何が生まれるのか、良く考えられたエピソードでした。


第166話以降SLQCに焦点を合わせてきたアイカツでは、カップという形式それ自体ではなく、そこを目指すことで何を生み出すのかという内実こそが重要なのだという主張が、何度も繰り返されています。
歌という答えを見つけたスミレちゃんも、瀬名さんとの背中合わせの信頼関係の中で笑顔を目指すあかりちゃんも、皆自分なりの願いを託してSLQCに走っていくのであり、ただ栄冠をつかむという形式主義とも無縁です。
今回みくると対峙することでひなきもまた、後悔なくやり切る心構えを確認し、決意と確信を持ってSLQCに走っていく姿勢を手に入れていました。
こうしてルミナス三人のエピソードが一応揃ってみると、神崎美月という『アイカツの天井』を失ったあかりジェネレーションがSLQCの価値を高め、何がしたいのかはっきりと見えてきた気がします。

勝ち負けは存在する。
才能の有無も、個性も、生まれつき何かを持っている不幸も、何も持っていない不幸も、全てはちゃんと存在している。
その上でその差異を認め、欠乏や不足を恨むのではなく如何に活かし、望む夢を手に入れる活力に変えていくかという過程の果てにSLQCはあるのであり、負けたものも勝ったものも全て祝福され、夢のその先に歩いていけるような一つの区切りを、アイカツは構築しようとしているのだと思います。
そして、今回みくるというあまりにも頼りになる『姉』を手に入れ、かけた部分をしっかり補ったことで、ひなきにはSLQCを獲ってもおかしくない説得力が、ちゃんと生まれたと思います。

SLQCを前にしたルミナス三部作をしっかり描くことで、"みんな友達だった みんなライバルだった"("ヒラリ/ヒトリ/キラリ"より)というアイドル活動の理想形が、題目ではなくドラマとして熱を持って来たように思います。
主役三人、仲良し三人組それぞれに戦う理由と、勝つべき理由があるこの状況、まだ転がす余裕はあります。
あかりジェネレーションが背負った物語、その果てがどうなるのか。
少しの慄きまで含めて、楽しみでしょうがありません。

 

・追記
今回ひなきが歌った"ハロー ハロー"のステージング、みくるの"オトナモード"と対比することで約一年半のモデリングの進化が確認できる、素晴らしいものでした。
グラフィティをモチーフにしたスペシャルアピールがVK姉妹の間で継承されているのも、お話をしっかり踏まえていて素晴らしい。
イルカがはねた時の水滴がカメラにかかる表現とか、ステージから砂浜に降りる時の跳ね方など、細かいところの表現力はやっぱ流石です。

歌詞の方は『内気な少女の涙と決意』という感じで、一見ひなきには似合わない内向きのリリックなんですが、深読みすると自分の賢さと臆病さをみくるにさらけ出した今回のストーリーを、良く読んだ歌詞だったのかなとも思います。
"時々泣いちゃう私も涙の分だけ きっと強くなっていけるはず"と歌うひなきのパブリックイメージは、涙なんて流さない元気なムードメーカーだと思います。
でも彼女の悲しさは、あまりにも賢すぎるがゆえに人前で泣けない、人目がなくなったとしても、親しい人の前ですら泣くことが出来ないことにあるということを、僕達は見てきました。
だから今回みくるの助けを借りて、人格的跳躍を果たしたひなきが"時々泣いちゃう私"を歌うことは、凄く意味があるのかなぁとか思いました。
こうして文字にしてみると、僕は本当に新条ひなきに肩入れしすぎてキモいなと思いますが、しょうがねぇだろ刺さるんだから。