イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第177話『未来向きの今』感想

今日の自分にもサヨナラ、明日はきっとその先へ。
長きに渡ったSLQCへの物語もついに終わり、それをくぐり抜けた少女たちの肖像を描くエピソードが、アイカツ最後の一個前となりました。
短めのAパートであかりちゃんのステージを終わらせ順位も確定させ、残りの時間全てを戦った彼女たちの今とこれからに使ったのは、ずっと『SLQCは通過点にすぎない』『戦いの結果ではなく、戦いの中で何を見つけ、戦いの先に何を求めるかが大事』と言い続けた、ここ1クールの集大成として説得力がありました。

衝撃的なスミレちゃんの失敗をもう一度確認するところから今回は始まりましたが、安易に失敗を割りきらせず、痛みとショックを受け止める彼女の姿をちゃんと描いたことは、評価に値すると思います。
これまで勝ち負けがハッキリ付いても、心よく後続を送り出してきた少女たちに比べ、言葉は交わしても手を差し伸べることは出来ないスミレと、そんな親友に一瞬指をからませたあかりちゃんとの対比は、勝者と敗者の残忍な構図であると同時に、それを乗り越えて繋がる女の子達のポートレートでもありました。
この繊細な衝撃の描写があればこそ、あかりちゃんがアクティングに込めた『みんなが楽しく、笑顔が広がるようなステージ』という理想が、ほかでもないスミレちゃんに届いたという後々の会話が、ずっしりと重くなる。
このアニメ最後にして最大の敗者すら、立ち上がる気持ちを貰えるステージが出来ているのなら、大空あかりは高みへの階段を登る資格を、確かに手に入れたのでしょう。

あかりジェネレーションの物語は残り二話ですが、まだまだあかりちゃんの物語は終わりきっていないように思えます。
これは一期で己の物語をほぼ完走したようにも思えた星宮いちごの物語とは、大きく異なる部分です。
敗北から始まり、泥臭い努力とそれでも補えない欠点を多数描写されてきたあかりちゃんは、彼女がお話の真ん中に立った三年目以降のキャラクターすべてのアーキタイプでもあります。
克服すべき欠点と、それを追いかけて走り続ける終わらない運動を大事にし続けたあかりジェネレーションの物語が、完成ではなく継続を意識して終わっていくのは、むしろ当然というべきかもしれません。

いちごの物語が神崎美月と対決し勝利し、彼女を人間に戻すことで終わったのに対し、大空あかりは憧れの人と直接対決はしません。
それは神崎美月一人に『アイカツの天井』として全てを背負わせ、彼女との対決が物語的な運動全てになってしまった一期・二期の歪さ(これに自覚的なのは、例えば映画一作目を見れば判ります)を鑑み、丁寧に『アイカツの天井』をSLQCというイベントにすり替えていったあかりジェネレーションの構成がたどり着く、必然的な終わりといえます。
かつことなんて思いもしなかった誰かと戦って、勝って、終わる。
それは非常に分かりやすい成長の物語ですが、しかしその明快さですくい取れないものを切り取る方向をあかりジェネレーションは選んできたのであり、いちごからの祝福と戴冠、抱擁を受けてなお涙ではなく笑顔を見せるあかりちゃんを見せることで、泣き虫だった彼女の成長を見せる今回のお話は、やはりその集大成として相応しい。

しかし何よりも対比的だったのは、SLQに戴冠し、これまでの部屋を離れ一人になったあかりが、ひなきとスミレという戦友たちを置いて新しい道に進んでいくラストカットでしょう。
いちごの、そしてソレイユ最後の物語として用意された第125話において、第50話で拾いきれなかった『三人一緒に旅立つ姿』をラストカットとして選び、離れても繋がる絆を肯定したいちごと、繋がっていたものが離れることで終わるあかりの物語。
この違いは勿論、すでにバトンタッチを話した物語の中で、一種のエピローグとして己の物語を語り終えるいちごと、アイカツ全体がエンドマークを迎える時その頂点に足をかけたあかりとの違いではあるのですが、ただ全体の構図の中の差異というわけではないでしょう。
出会った結果として離れていって、それでも繋がっている気持ちの尊さを確認したソレイユと、欠点を背負ったまま走り続け、一つの結末としてSLQCを終え、バラバラになっても輝ける揺るぎない自分を手に入れたルミナス。
満たされたまま始まった天才の物語と、欠損を埋め続けた凡人の物語との違いが、手をつなぐ終わりと手を離す終わり、2つの対比に結実したように思うのです。

かつて音城セイラという他者性を主人公格に用意しつつ、彼女との関係構築が巧く行かなかったいちごでは、けして到達できなかった『肯定的な離別』
常にいちごに憧れつつも彼女が歩まなかった物語を探し続けてきたあかりちゃんにとって、この結末に辿り着いたことこそが、星宮いちごのポーザーであり敗北者として物語を始めた彼女の歩みが、気づけば星宮いちごとは全く別の高みに上った証明のような気がして、僕にはならないのです。
どんなに仲が良くても、SLQCの座は一つしかない。
そこに至る過程と勝敗の先を大事にするにしても、明確にたった一人選ばれた存在がいることは揺るがない。
そんな勝者の孤独を寂しさに覆い隠すのではなく、胸を張って一人立つことを受け入れるあかりちゃんの姿は、星宮いちごが辿りつけなかった彼女だけのアイカツにふさわしい、立派な姿でした。


今回のお話は勝ち負けを超えたより大きな価値を描くと同時に、勝ち負けにどうしても付きまとう苦い感情を、繊細で丁寧な作画で切り取る回でもありました。
アイカツ! らしくネガティブな感情が言葉になることは殆ど無かったけど、じっくりと時間を取ったインタビューの中で、もしくは敗北が決定した瞬間のひなきの表情の変化の中で、負けの痛みは無言の内にしっかり切り取られていた。
最初から痛みを感じないのではなく、それを飲み込んで笑顔で勝者を祝福し、また歩き出すことの価値を理解していればこそ、そこにしっかり力を入れていたんだと思います。
天羽に関しては相変わらずのタフさとあざとさで、きっちり客を見たアピールを演じきっていたが、まぁそこら辺は天羽だからな。

インタビューで一番印象深いのはやはりひなきで、『負けて凄く悔しかったです』と大きな声で宣言できる彼女の姿は、この一年半で彼女が積み上げてきたものを強く感じさせました。
子役として、大人の世界に早くから飛び込み、周囲の期待や自分の役割を賢く理解し続けた彼女は、それ故にありきたりでつまらない自分しか表現できなかった。
第105話で顕在化したこの欠点と、彼女は72話正面から向かい合ってきました。
友と出会い、自分を肯定してくれる大人に支えられ、道を示してくれる先輩と語り合うことでようやく彼女は、『負けて悔しい』という子供らしい、というか人間として当然受けてしかるべき感情を他人に表明し、涙を一瞬だけ見せる。
それを振りきってすぐさま歩き出すところまで含めて、新条ひなきという少女が何を手に入れどこに辿り着いたのか、はっきりと見せてくれるスピーチでした。

ルミナスの残る一人であるスミレちゃんが背負ってきた物語は、実はスピーチではなくその前段階、あかりちゃんとの交錯でやはり果たされていたように思います。
生まれた時から『持っている』存在として進んできたスミレちゃんは、あまり敗北に慣れておらず、それ故あかりちゃんを前に硬直してしまったのだと。
学園マザーが称揚していたように負けから立ち上がってきたあかりちゃんだからこそ、そんなスミレちゃんに手を差し伸べられる。(『あかりちゃんが負けを知っていたから勝った』とは、僕は思いません。今回の戦いは、そういう分かりやすい勝負論は丁寧に取り除いてきた気がする)
最近はあんまやりませんが、一応スミレちゃんの決めムーブだった『いいこと占い』のように、今回手に入れた貴重な挑戦と失敗を受け入れて、前に進むための準備は当然、アイカツ世界の住人であるスミレちゃんは終えています。
それより一歩早く『外』に出て行ったあかりちゃんの軽やかさも引っくるめて、三人がそれぞれ別の達成を果たした、素晴らしい物語の完成だったと思います。


年が明けてからのアイカツは常に、SLQCに挑む女の子達がいかに真剣で、勝ち負けを超えたものと、勝ち負け自身を求めているかを描いてきました。
同時に、SLQCはあくまで彼女たちのアイドルカツドウの一地点でしかなく、それ-僕らに見える形でのアニメーションとしてのアイカツ-が終わった後も彼女たちの人生がカメラの外側で続いていくことも、強く強調していました。
どこまでも高みを目指し、誰かを幸せにしながら前に進み続けていくユメの道行は、けして終わらないこと。
絵空事として生まれた彼女たちのアイドルカツドウは、様々な変化を受け入れながらずっと続いていくと信じ、それを言葉にすること。
それを大事にしながらSLQCに続く物語は展開してきたし、実際のステージもまた、これまで一年半(天羽と凛は一年、ののリサは半年)の蓄積と成長を回想しつつ、彼女たちの今をしっかり切り取りました。

とすれば、ソレイユの絆を確認しつつも、あくまで勇気を持ってその手を離し、別の家に移り住み、一人で新しい世界に挑んでいく女王・あかりちゃんの姿を最後に持ってきたこの回は、やはりあかりジェネレーションの総括として、そしていちご世代とは別の答えを出した彼女たちのアイカツのまとめとして、素晴らしかったのではないか。
僕はそう思います。
あかりちゃん、おめでとう。