イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第8話『ラプラス、始まりの地』感想

爽やかな早朝から『女性としての機能』とかいうカルマタームを叩き付けられるアニメ、今週はオジサン達(お姉さん一人含む) VS バナージ。
物分りの良いオトナが寄ってたかってバナージくんを取り囲み、混乱した気持ちを整理したり、人生で大事なものに気づかせてくれたり、厳しさの中に優しさを覗かせたりする回でした。
おっさんたちが人生の年輪を覗かせてくれるのはステキなんですが、同時に状況は着々と武力衝突に向けて突き進んでいるため、全員死神背負っているようにしか見えねぇ……。
イヤだなぁ……人が死ぬのは……。

ユニコーンが『箱』への導きとして指し示したラブラス残骸にネェル・アーガマと袖付きが向かい、ガランシュール部隊は仲間であるマリーダ奪還に動き出す。
マリーダの人間性を認める人が船の中にはいつつも、ビスト財団の大いなる母として遂に顔を出したマーサ・ビストは彼女を道具として遇し、何らかの目的のもとにオーガスタ研究所への移送を計画する。
それぞれの思惑が交錯する中、バナージはダグザとともにユニコーンに再度搭乗し、運命の血へと向かうのであった……。
ッて感じでしょうか、簡単にまとめると。

一言で言えばMS戦闘のための前フリである今回、凪の季節だからこそ出来るキャラクターの掘り下げが丁寧になされていました。
ミヒロ少尉に軍医、マリーダさん、オットー艦長とダグザさん。
その殆どがバナージとの対話でなされる辺りに、主人公として恵まれた境遇を感じますね。
UCの大人たちは、自分たちが戦場に巻き込んでしまった少年を拒絶するのではなく、対話し混乱を収めてやらなければいけない対象として、まともに受け止めてるなぁ。

バナージが個人として人格を認めたマリーダは、同時に『袖付き』のパイロットであり殺人者でもあって、彼女の敵には当然彼女の存在を認められないものもいる。
同時に、軍医という倫理的な職業を背負って彼女の生命を尊重し、拘束具の使用を認めない人もいる。
ビスト財団の影響力を駆使して、傷ついた彼女を再び強化人間として利用しようと企むマーサのような人間もいる。
『12番目のプル』という道具的存在として製造され、性機能という非常に個人的なプライドを踏みにじられたマリーダさんをどう扱うかは、個人的問題であると同時に連邦とジオンの絶滅戦争がすでに過去のものになってしまった『20年後』のUC世界を、色濃く反映しているようにも思えます。

UC世界ではサイコフレーム封印技術であり、かつて戦場の華としてチヤホヤされたニュータイプの戦闘力は、ユニコーンによって殲滅される対象になっている。
圧倒的な武力で状況を制圧し、己の望む政治的主張を通す『戦争の季節』はスペースノイド側の敗北で決着してしまい、腐敗した支配体制はすでに揺るぎないものとなりつつある。
どんなに非人道的な手段を使っても勝利しなければならなかった時代は行き過ぎ、勝者と敗者の趨勢が予言的に決定してしまっている時代故に、戦場において人間が人間でいられる余裕が有るのだとしたら、大した皮肉です。
ここら辺は抱え込んだエゴイズムが際限なく暴走し衝突する富野ガンダムと、比較的コントロール可能な劇作を狙うUCとの差異かもしれんけどね。


マリーダさんは相変わらず包容力のあるおねーさんで、戦闘の記憶に混乱するバナージ(と視聴者)に必要な言葉を、巧く整理しながら使っていました。
戦争の道具として生まれたが故に、人間をマシーンに変えるNT-Dを乗り越え自分を救ったバナージに希望を託す彼女の姿は、同時に戦争とセックスの道具として生きるしかなかった『12番めのプル』と、普通の学生として戦場から隔離される退屈を謳歌できたバナージとの差異を残酷に強調していました。
『それでも』と言い続けられるバナージの特権が、主人公という物語的立場ゆえのものか、彼の精神が持っている美徳ゆえのものか、はたまた偶然連邦側非戦闘員に生まれついたラッキーによるものか。
混乱と残忍さの世紀を超え、『20年後』の世界で主役を貼る彼にはこれまでも、そしてこれからもその問いかけに応え続ける義務があるように思います。

今回のマリーダさんとの対話において、バナージはあんまり自分の意見を言ってはいません。
第一次ネオ・ジオン抗争という『昔の戦争』を生き延び、人生の辛酸をこれ以上ないほど舐め、『それでも』機械的存在に堕する誘惑に抵抗してきた生存者から、貴重なアドバイスを貰う立場です。
これは軍医との対話でもそうだし、この後のダグザやオットー艦長との会話でもそう。
バナージが大人のそっけない態度を誤解しそうになると、他の大人が新しい解釈を与えてくれる所も同じですね。
彼は孤独ではないし、孤独であろうと自分を追い詰めることもない、健全であることを許されたガンダム主人公なのだろうなぁ。

バナージ自身も自分の痛みやエゴイズムを他人にたたきつけるのではなく、大人が見失っている大事なものを再発見させるような言葉の使い方してますしね。
ガキの尖った自意識を突きつけてくるのではなく、相手の主張を受け止めつつ『それでも』と自分の理想を折り曲げないバナージの生き方は、他者と自分、世界と自分を巧く適応させる物分りの良いスタイルです。
ここら辺の毛並みの良さがしっかり描写されているので、回りの大人が優しくしてもあまり違和感がないのはとても良い。
主人公が世界に甘やかされてる感覚が減るからね。

マリーダさんが『うわぁ……バナージの中、とっても暖かいナリィ……(意訳)』ってなった時に感じた『共通点』てのは、時折描写されてたフラッシュバックに関係あるのだろう。
インドストリアル7の大混乱で的確に動いていたのも、そこら辺の処置の影響だって考えると納得行くしな。
とすれば、妾の子供に強化処置(と多分記憶封印処置)を施してたカーディアス、あんま褒められた生き方してねぇ気もする。

髪をひとまとめにするアクセサリが可愛い作画で少女らしさをアピールしてたマリーダさんですが、『はい、アタシ悪くて強うございまス。カーディアスが優しき父なら悪しき母でございまス』と額に貼り付けて登場したオバサンに狙われてます。
マーサの思惑とマリーダさんがそこにどう巻き込まれるのか(もしくはミネバのように、協力者を得て脱出するか)、軍医とバナージ個人の倫理観と優しさが欲得のエゴイズムにどれだけ対抗しうるかは、今後の展開次第です。
マーサというより迫力のあるBOSS候補を手に入れて、アルベルトおじさんが人間味を出してきてるのも気になるしなぁ……。
マリーダさんは非常に魅力的なキャラクターだからこそ、世界の厳しさを担保し視聴者に適切なショックを与えるべく死ぬ匂いがプンプンしているわけですが、あのひと十分以上に傷ついてんだからあんまヒドいことしないでね……。
でもまぁ、ああいう悪趣味な過去設定乗せちゃう話なんで、ヒドいことは沢山起きるだろうね……。


苦しむマリーダさんから目をそらし、未だ自分の混乱から回復できないバナージくんをさらなる飴と鞭が襲うー!!
という感じで、お話を先にすすめる起因をダグザさんが柔らかく押し付け、そのフォローをオットー艦長がするフェイズ。
バナージの命を助けるためにも体を張ったダグザさんが、これまでツッコまれる事のなかったバナージの無責任さに飛び込んでいくシーンは、とても良かったです。
『冷め切った紅茶』を『湯気が出るほど温かい紅茶』に取り替え、フード理論バリバリで共感を作っていくオットー艦長の動きもグッド。

僕はこのアニメーションを『私的領域と公的領域のバランス取り』として見ていて、バナージは私的領域から公的領域に飛び込み、頑なさに支配されたキャラクターを開放する特権を貰っていると感じています。
人間は傷つき魂の血を流す存在なので、個人的な感情しか抱えないバナージの立場は常に正しいのですが、同時に生存のためにも寂しさのためにも集団を形成し、その結果他の集団を皆殺しにしたりもする公的存在でもある。
ジオンと連邦の戦争を背景に置くこのアニメでは、公的活動はその哀しさを強調されがちなのですが、しかしそれはとは全く別の意味合いで人間は公的であるし、あり続けるし、あり続けなければならない。
バナージが担保する私的さが人間存在の根源であるように、公的であることもまた責任や義務といった美徳を孕んでいるし、そこには私的領域と全く同等に貴重で重たいものを持っているのではないか。
ダグザさんが今回言葉で、そしてパラオ攻略戦において行動で示したのは、そういうことではないかと思います。

ユニコーンという強大な暴力装置に選ばれ、すでに人を殺したり殺されかけたりしたバナージは、ダグザさんが言うように公的領域に取り込まれ、他者とかかわらざるをえない立場にある。
自分の感情だけで行動する孤立した存在ではなく、引き金を引けば他人の人生を終わらせることも可能な、死も含めて他人と繋がった存在になってしまっている。
だからこそ、私的な感情を公的な目的と巧くすりあわせ、他者をより幸せに出来る選択を考え、実行していくことが必要なのではないか。
そのことは私的感覚を押し殺すだけではなく、むしろ社会の中で己自身をより有効に発露させ、その有用性を持って望む世界を引き寄せる力にも変わるのではないか。
『バナージ救出』という現実を自分の行動(と仲間の犠牲)で引き寄せたダグザさんの詰問には、ずっしりと重たい説得力がありました。

公的なる者の責任を一番強く表現していたのはヒロインたるオードリーですが、バナージは彼女の公的領域には結構否定的でした。
しかし今回、軽く反発しつつもオットー艦長のナイスアシストを受け、ダグザさんが行った公的領域からの発言を、彼なりに真剣に受け止めもう一度ユニコーンに乗っている。
その背後には、ダグザさんとマリーダさんが共通して言っていた『死すら行動の選択権に入る、パイロットという行動単位』としての共感があったのかなぁ、などとも考えます。
あくまで政治家として戦場に立つミネバと、ユニコーンと肩を並べ殺したり殺されたり、守ったり守られたりするパイロットたちとの親和性は当然違うし、公的領域からの行動が影響を及ぼす範囲も違う。
ビームマグナムで蒸発するかしないかの立場から放たれた言葉は、反発しつつも認めざるをえない説得力を持ってた、ということでしょう。
こういう賢い目線を保ちつつ、『ジオンのお姫様のことはよくわからないけど、可愛いオードリーのことなら分かる! オードリー可愛いってのが分かるッ!!』という弾む心も持っているのが、バナージくんの可愛いところだ。

公的存在でありながら私的倫理観を完遂しようとするパイロットして、ダグザさんとマリーダさんはとても似ていて、敵味方両面から彼らががバナージの青春迷い路に導きを与えているのは面白いところです。
マリーダを道具的存在として扱い、弱さと背中合わせの優しさを見せる気配がないフル=フロンタルとマーサ・ビストが、敵味方両面から圧力をかけてくるのとは興味深い対象でもある。
『敵』の中にも人生を豊かにする存在はいるし、『味方』の中にも歪んでしまった大人がいる。
そして主人公が様々な形で彼らと触れ合うことで、例えば今回のアルベルトのように情を移し心を変えていくこともある。
そういう可変性と立体感がお話しの中にちゃんとあるのは、やっぱ良いなと思います。


まぁ『尊敬できる敵』であるギルボアさんに、濃厚な死亡フラグも立ってるけどね!!
生徒を庇って蒸発した先生といい、感情移入とそれを略奪する手管が巧いアニメなので、パラオでの暖かい家庭の描写と今回の『俺には帰る場所がある、死ぬわけには行かん』ムーブには、嫌な予感しかしない。
『どーでもいい奴が行きても死んでも、マジどーでもいい』という心理/真理を子の兄目、嫌ってほどわかってやがるからな……共感させてから死ぬべきキャラには、たっぷり共感を積むわけよ……マリーダさんとか。(いつになるかわからない喪失に備えるべく、『ぶどうは酸っぱい』と言い続ける狐オジサン)

死神背負ってマリーダ救出作戦(これもパラオのバナージ救出作戦の鏡写しだな)に飛び出すギルボアさんを、ジンネマンさんが意味深な仕草しながら見守ったりしていました。
彼も背負うものがあって今の立場にいるってことなんでしょうが、そういう気配を一切見せないフル=フロンタルと対比することで、フルの空疎さがより強調されている気がする。
キモいアンジェロですら仲間の死に激高していたのに、ジオニズムという大義以外に背負うものが一切なさそうなフルは爬虫類みたいでマジこええ。
彼の空疎さの源泉は、今後掘り下げていくところなのかねぇ……。
奴が『袖付き』の首魁である以上、その行動理念は最大の敵の行動理念でもあるんで気になるところですな。


と言うわけで、戦場に放り出されて孤独に悩む青年の濡れたまつ毛が、人生につかれたオジサン(お姉さん一名含む)をバチバチ撃ちぬく話でした。
バナージくんの真っ直ぐさがひね曲がったオッサンの魂を矯正し、バナージくんの未熟さもオッサンの苦みばしった言葉で成長していく相互関係はやっぱ好きですね。
エゴを抱えつつもそれを巧く制御し、より救いがあり前向きな結論に向かっていくUCの劇作を強く感じられる話でした。

しかしこのアニメオッサンとボーイのほのぼの交流ゆるふわストーリーではなく、限定的とはいえ命をやり取りする戦場の物語なわけで、積み上げた交流は死亡フラグでもある。
誘蛾灯のように欲望と運命を惹きつける、宇宙世紀最初のテロリズムの遺骸で、一体どのような戦いが展開されるのか。
ケツアゴ腐れアマは俺のマリーダさんをどんなヒドい目に合わし、俺の激怒が有頂天になるのか。
いい加減マリーダさん好きすぎて頭おかしい領域に入ってきたことを自覚しつつ、来週を待ちたいと思います。