イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第4話『ナイトフォール』感想

勇気と友情に支えられ健やかに伸びる希望の物語、LWA第4話であります。
三話までで主人公・アッコの人となり、周囲の人々と世界、物語の基本構造をしっかり叩きつけてさて四話目。
どういう球でストライクを取ってくるかと思っていましたが、これまでアッコの傍らで物語を支えてくれていた『普通』のロッテを主役に、彼女もまた憧れに瞳を輝かせ、自分なりのやり方で自分自身を前に進めていけるもう一人の主人公なのだと全力で叩きつけるお話でした。
アッコの物語を真ん中に捉えつつ、控えめに、しかし優しく彼女を支えてくれたロッテを丁寧に描写していたからこそ、彼女の気持ちや考え、心の熱量が判るこの話がこのタイミングで来て、鋭く胸を突き刺す。
アッコとは同じ情熱の温度だけではなく、アッコとは違う情熱の形をちゃんと描いて、彼女の世界が広がっていくのも素晴らしい。
脇役を一人の人間として大事にしたお話があればこそ、主人公がそこから何かを手に入れ、お話の裾野が大きく広がっていくという、喜ばしいフィードバック・ループが見事に完成していて、非常に良かったです。

そんなわけで、今回は余り目立つことのなかった『良い子』、ロッテ・ヤンソンが主役の回です。
シャリオの代わりにナイトフォールに夢中の彼女は、アッコが乗り移ったかのように早口で喋りまくり、胸の鼓動に導かれるままに規則を破り、友達を右に左に振り回す、物分りの悪いキャラクターになります。
おとなしくて控えめ、優しい『普通の良い子』ばかり見ていたので面食らいますが、それは別に『人が変わった』わけではなく、そういうロッテもまた、ロッテの表情の一つだ、ということでしょう。

ハードコアなナイトフォール・ナードっぷりで暴走するロッテですが、彼女は当然アツコ・カガリとは別の存在で、お話が転がっていくうちにだんだんその差異が明確になっていく。
憧れが胸のエンジンに火を付け、青春を暴走させているのは二人とも同じですが、シャリオそのものになりたいアッコと、イザベラをファンの立場から支え、作者ではないからこそ見えるものを伝え支えたいと願うロッテのスタイルは、それぞれ異なっています。
『友達の情熱を認め、支え、助けて上げる』という、いつものロッテの立場に座った今回のアッコは最初、そんなロッテのスタイルを理解しきれず、『憧れそのものになりたい』という自分のスタイルを押し付けようとする。
アッコにとって、憧れの高みに登れる魔法の万年筆はまさに魔法の杖であり、それを拒絶することなど考えられないわけです。

しかし、お話を牽引するアッコの指定席を担当しつつも、やはりロッテは強いサポーター気質を持っています。
お話を紡ぐ作者ではなく、受取り解釈し感動を表現するファンの立場を自分の居場所と定めて、一度は道に迷ったアナベルを励まし、選ばれた実践者の位置に戻す。
この違いは、これまでアッコを主軸に憧れを描いてきた結果、ともすれば『実践者になることだけが憧れの完成形なんだ』と受け止められてしまいがちなテーマの取扱を大きく開き、『支える側にしか出来ないことがあり、受け取ることにだって情熱が必要』という角度から、憧れを照らし直すことに成功しています。
意外なキャラクターを主役に据え、彼女の情熱を全開で受け止めることで新しい発見を手に入れられたのは、アッコだけではなく視聴者も、このアニメ自身も同じことなのでしょう。

作者がいて、読者がいて、それぞれの悩みと苦しさがあって、個性がある。
しかしそれは完全な断絶ではなくて、お互いの立ち位置に思いを馳せることで橋をかけられるし、そうすることで新しい発見もある。
自在に色を変える紫陽花(英名がハイドランジア、意味は"水の器")のように、人それぞれの個性によって目指すものも、見える世界も違うけれど、我々はけして孤独ではなくて、同じ景色を共有できる。
向かい合って話し合うスタイルから心の壁を乗り越え、アナベルと隣り合って同じ景色を見るようになったロッテの動きの中に、そういうメッセージが強く練り込まれていました。
ここら辺の豊かさをことさら言葉にするのではなく、色ごとに花言葉が変わる紫陽花(青いときは"冷淡""高慢"、赤い時は"元気な女性")に乗せて読み取らせるスタイルは、相当好きですね。


今回はロッテが秘めていた強さや情熱、憧れを前にしたら我慢できない魂の鼓動といった『主人公力』を確認するだけではなく、アッコが脇に回ることで、暴れまわっていた時は見えにくかった冷静さや優しさが、見えやすくなったと思います。
ここぞという時に持ち前の内気さが顔を出し、自分の気持ちをどう扱えばいいかわからなくなったロッテに、「その気持を、真っ直ぐ伝えればいいんだよ!」と教えてあげるアッコは、三話で仮初の飛翔を心から喜んだロッテにそっくりの素直さと優しさを持っていました。
背中の押し方も凄くアッコらしいパワフルさで、『好きだ!』という気持ちを純粋に押し出すことが、誰かを助けることに絶対なるんだ! と心から信じられる純粋さ(とバカさ)は、ロッテとはまた違う、アッコらしい素敵なサポートでした。
ここでもまた、共通する部分と異なる部分が見受けられ、その両方が強く価値を持っていることが示されています。
立場を変えることで、別の魅力を掘り下げることができるというのは、何も主役を担当するキャラクターの特権ではないわけですね。

そんなアッコに支えられて街を走り回る少女たちの冒険は、やっぱり弾むような生命力に満ち溢れて魅力的で、非常に面白い。
アッコの立場を借り受けたロッテが、アッコもビックリの百面相でナイトフォールの設定を語るシーンとかは、『動く』というアニメの根本的快楽に満ちたシーンでした。
腰を落ち着けてベラベラ喋るシーンなので、どうにも場面が落ち着いてしまいがちなんですが、漫画的表現技法を的確に使って、退屈しない場面づくりを頑張ってくれたのは、凄く良かったです。

今回は冒険の舞台もこれまでとは違っていて、学園から街に飛び出し、新しい場所の魅力を堪能させてくれました。
『120年間継承されてきた、魔法の万年筆』『365巻も続く、永遠の冒険小説』とかもそうなんですが、細かい道具立てがワンダーに満ちていて、いちいちドキドキするのがこのアニメの(たくさんある)長所の一つだと思います。
生活感があるけどもなんだか特別で胸が躍る町並みもまた、冒険の舞台に相応しいワンダーに満ちていて、作品の魅力を別角度から掘り下げていく回に相応しい、良い美術だと思います。
キャラも世界も広くて強いのは、やっぱ良いよなぁ。

クセモノ・スーシィは今週も独特のポジションを維持して、親友の暴走に乗っかって楽しみつつ、キノコを回収したり辛辣な意見を言ったり、存在感がありました。
なんだかんだ言いつつ、ダチが情熱ぶん回して暴れている時はいつも隣りにいてくれるあたり、情の深い子なんだよなぁ……。
今回ロッテが『普通』ではない強さと魅力を見せたように、スーシィを掘り下げるエピソードでもまた、別の景色と魅力が叩きつけられるのでしょう。
楽しみだなぁ。


今回の話はロッテ以外のサブ・キャラクターの魅力を引き出す回でもあって、口ではナイトフォールをけなしつつ前のめりなバーバラとか、身分と顔を隠してファンの祭典に乗り込んだバドコック先生とか、ロッテの魅力に引っ張られる形でナードたちが輝く回でした。
こういう細かな描写で魅力を積み重ねてくれると、書割めいたキャラクターに人間味が出てきて、グッとお話にコクが出ると思います。
隠れナード達の悪戦苦闘は嫌味なく笑えて、こういうスマートなコメディ風味もまた、お話を飲み込む上で大事だなぁと思いました。

今回ロッテの情熱は、『みんな』の反応に苦しんで筆を捨てようとしたアナベルにちゃんと届き、彼女の迷いを受け止め、道を新たにする足場になります。
ロッテとアッコ、ナイトフォールとシャイニーシャリオが重ねられている構図を延長していくと、これはロッテとアナベルの物語で終わらず、作品全体を貫く背骨たる『アッコとシャリオ=アーシュラ先生』との関係に延長していく気がします。
シャリオに憧れつつそれを隠しているダイアナと、そのサイドキックであり、ナイトフォールへのあこがれを隠しているバーバラが、ズラして配置されていることからも、この構図は無理な読みではない気がする。

アッコが後押しした『何かが好きだという、純粋な思い』はアナベルにちゃんと共有され、彼女の初期衝動を蘇らせ、魔法が使えないはずの少女は万年筆で輝く螺旋を描く。
今はくすぶっているアーシュラ先生もまた、己の輝いた過去とその先にあった挫折に、子供のまっすぐな思いを受け止めて向かい合う日が、アッコの不器用で熱い思いが共有される日が、いつか来る。
それは彼女たちが好きな僕の、身勝手な願いではあるんですが、同時に角度をずらして『憧れ』を描いた今回の結末が、確かに約束した幸せな未来でもある気がします。
こればっかりは、実際に先を見ないと確言できないけどね。

『憧れ』を描く筆もまた、今回は差異と合同について非常に繊細でして、世界中に向けて出版され、歴史を重ね、様々な読者を巻き込みながら人生を後押ししてきた『小説』というメディアの特殊性が、しっかり切り取られていました。
作者の手を離れ様々な人に夢を与える作品の強さは、しかし繊細で傷つきやすい、一個人の小さな心からしか生まれない。
ファンとしての間合いを保ったまま、ファンだからこそ出来る声援をしっかり送ったロッテは、この矛盾を(おそらく無意識のうちに)乗り越え、アナベルに気持ちを届けていました。
描かれた物語に自分と共通するものを見つけ、『私だけの魔法』と信じて前に進んでいく姿も、本(というかフィクション)への希望がたっぷり詰まっていたし、そこにとどまらず『これを読んだみんなも、同じ希望をいだいているんだ』と横幅広い着眼点を忘れないところも好きだなぁ。
ここら辺の横幅が、学園に比べて開放感のある街全体が、ナイトフォール一色に染まっている景色でズパンと理解できるところとか、非常に良かった。

創作の内部で創作を扱う今回は、一種メタ的な構造も秘めていて、世界と物語を想像し届ける時の自負みたいなものも感じ取ることが出来ました。
人間である以上、心無い批判に傷つき、迷うこともあるけど、『これが描きたい』『これが面白い』という初期衝動を忘れずに、書き続けよう。
ファンは作者の思惑を超えて色々読みを張り巡らせるけども、それを無碍に切り捨てるのではなく、自分には見えなかった角度から真実にたどり着いたのだと受け止めよう。
創作にまつわるポジティブなメッセージがそこかしこに埋め込まれていて、同時にそれは作品世界を生きているアナベルとロッテが間違いなく抱える悩みであり、希望でもある。
リトルウィッチアカデミアがアニメという創作である以上、血の通ったアナベルとロッテの対話は同時に自作の説明、製作者の所信表明にもなっています。
フィクションとメタ・フィクションのバランスを上手く取って、『俺達はこういうつもりで、このアニメも作ってるぜ!』というメッセージを伝える、見事な描写だったと思います。


というわけで、角度を変えて色んな物を描くエピソードとなりました。
ただロッテを主役にするのではなく、舞台もキャラの立ち位置も扱うテーマも、アッコが主役だったときでは切り取れない独自性にしっかり切り込む。
そういう図式に引っ張られすぎず、ロッテという少女の心の躍動、青春のみずみずしさを元気な作画に乗せて、しっかり描ききる。
コンセプトと実際の映像がしっかり噛み合い、第4話というタイミングで届けるのに相応しい、良い『別コースの球』がミットに突き刺さった。
そういう感想です。

お話はまた、青春暴走超特急たるアッコに先頭車両を取り替えて進んでいくのでしょうが、今回ロッテの内面を見事に掘り下げたことで、『支える立場』にいる彼女の細やかな仕草に、より強く光が宿るでしょう。
それはアッコも同じで、少し歩調を緩めてサポーターを担当した今回、彼女にも友を気遣う優しさ、他の人のあこがれを支えてあげる強さがちゃんとあることが確認できた。
それはお話の主役が彼女に戻った時、絶対に強い光を放つし、勢いのある暴走に柔らかな繊細さを加える、見事な一筆になるでしょう。
とにかく素晴らしいエピソードであり、だからこそ今後の話の中で今回がどう生きるか、むちゃくちゃ楽しみにもなりました。
やっぱつえーなぁ、このアニメ。