鬼平を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
親が子を思い、子が親を慕う、当然当たり前の仁愛の風景。
そういう場所から取り残された寂しい子供が、流れ着いてしまった荒野の果て、届かなかった手、届いた手。
原作からかなーり大胆なアレンジを入れ、テイストはかなり変わっているんだけども、どうにも鬼平なエピソードでした。
アニメ鬼平は1話内部におけるモチーフの重ね合わせ/対照関係で演出するのが得意技だが、今回は親に愛されなかった子と、親に愛された子のお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
鮎を蹴っ飛ばしても笑って過ごせる家と、殴る蹴るの果てに殺し合いになる家。無限の優しさにすくい上げられる子供と、世界の果てに追い込まれる子供。
音松とお順の間にどういう違いがあるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
それは結局のところ『めぐり合わせ』としか言えないもので、平蔵が京都に行ってしまっていたことも、少しでも目をかけてやれなかったことも、浮世の不可思議な取り合わせの結果でしかない。
その結果あたたかい家庭を手に入れることも、磔になることもある
本所の鐵として荒れた生活を送ったり、火盗改メ頭目として外道と戦ったり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
人生の機微をよく知っている鬼平は、そういう不可思議な流れに人間が出来ることの少なさも、身にしみて分かっている。
分かっているが、それでも、という思いが、密偵への誘いであり、最後の抱擁でもあるのだろう。
掬いきれなかった過去もあれば、今まさに手のひらの中で守りきっている、新しい命もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
人生のやりきれなさに傷ついた平蔵に笑顔を取り戻したのは、音松とは別の、しかしどこかが似ている義理の娘だ。代理品、というわけではない。そういう不思議を繰り返しながら、人は生を流れていくのだろう。
平蔵の過去と責任に音松をぐっと近づけ、現在の責任と喜びであるお順を挿入した結果、原作よりもウェットで、やりきれないすれ違いも含めた人情味の濃い味わいとなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
これもまた、『現在に鬼平を通用させるのに、必要なアレンジ』なのだと思うし、僕はこういう変奏も結構好きだ。
第3話、自分の目の前で死んでいった男の不可思議をどこか遠いところから眺めていた、少しドライな鬼平も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
過去の悔恨を涙と抱擁に込めて、外道のツケを払って磔になる男を見送った今回の鬼平も、この話が捉える浮世と同じように、色んな顔をした『本物』なのだと思う。
『良いことをしながら、悪いこともする。悪いことをしながら、気付かず良いこともする』とはまた違った、人生の複雑な色合い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
時間と相手が違うだけで、二人のもらいっ子が全く真逆の幸と不幸で、鬼平の人生にぶつかってくる不思議が、今回は面白かった。
やっぱアニメ鬼平は『取り返しようのない、過ぎ去ってしまった過去』への濃厚なノスタルジアがぶっとい軸としてあって、それを各話ごと色んな角度から切り取ってる感じがする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年2月22日
それはシリーズを支えるに足りる太い柱だし、色んな味わいを生み出す豊かな素材だとも思う。今週も面白かったです。