終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
いつか落ちるために輝く太陽のように、イチャコラ恋の鞘当てが続く楽しい武器倉庫。ヴィレムくんがクトリにズッパまりなのがよく判るが、同時進行で死への秒読みが着実に進む辺り、堅実というか凶暴というか。
少女兵器モノに並ぶ、泣きゲー二大ベーシック、難病モノの要素を全面に押し出しつつ、レプラカーンでも人間でもないクトリはヴィレムとイチャイチャする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
視聴者にもキャラクターにも、それが時限信管の付いた恋だということは分かっている。(そういう意味で、一話アバンは親切だった)
終わりをまず見せておくことで、『限りがある命や恋に、意味はあるのか』という何度も語られてきた(そして何度でも語る価値のある)テーマはクリアに前景化してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
ヴィレムが世界唯一の人間であり、前線に立って戦う能力は無いことも合わさって、無常や無力は常にこの話には押し寄せてくる。
無限のニヒリズムを跳ね返すほどの、有限の充足感が日常にあるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
それはわりかしどーでもいい描写の中で、どれだけヴィレムとクトリの心を細やかに描けるかにかかってくる。
透明な目として見せてもらっている、彼らの恋と日常に、どれだけ温かみを感じ接近できるか。
思い思われ、照れ隠しにすれ違う。オーソドックスなラブコメ描写を基盤に使いつつ、クトリからナイグラートへの複雑な目線が、独自性を主張してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
妖精の母であり、自分たちには不可能な『成熟』を独占できる女。それは血縁のない擬似的なものだからこそ、歪な純情をより際立たせてくる。
見守ることしか出来ないまま、永遠の少女を死地に送る側。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
永遠に大人になれないまま、兵器として死んでいく側。
普通のラブコメなら、恋に絡んだ思春期の背伸びで良いんだろうけども、あの二人の間には絶対超えられない種族的/社会的断絶があって、それでも繋がってしまっている不幸と幸福がある。
この断絶をヴィレムも共有していることを考えると、『残り、見送り、置いていく』岸でくっつくのが安定ではある。お互い憎からず思っているわけだし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
しかし幸か不幸か、ヴィレムはクトリをつがいとして選んでしまったわけで、ナイグラートは彼の唯一ではない。まぁ人食いだしな。
恋人を引き裂く悲劇の裂け目は、クトリが『人間』になることで埋めれそうではある。がしかし、彼女は人間でもレプラカーンでもない異物に変じつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
裂け目を迂回したら、より巨大なクレバスに落ちたというか、落とされたというか。青に交じるピンクの異物性が、ビジュアル的に説得力ある。
皮一つで穏やかな日々の幸せを演じつつ、そこかしこにヒビが入っている。壊れかけのクトリを、ヴィレムは箱に入れて守ろうとするわけだけども、短い生の当事者であるクトリは外に出て、自分なりの答えを探そうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
結果として、クトリの前向きさが二人を地上に押し流していく。
クトリにとって、人間モドキの歪な生は、歪んでいようが壊れかけだろうが『現世』だ。失われるとしても、新しく手に入れていくための道だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
世界と一緒に一回死に、何もかも略奪されたヴィレムにとって、今の生活は『余生』なのだろう。一度失ったからこそ、再獲得してしまった二度目は耐えられない。
停滞し今を長引かせようとする男と、震えつつ未来へ進んでいく女。落下した幼女を誰が救ったかで、この構図がより鮮明になるのは面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
ヴィレムくんの停滞路線は、気持ちはわかるがどん詰まり過ぎてなぁ。ニヒリズムと付き合うための武器としては、その場しのぎにすぎる。
無論、クトリの前向きさは嘘だ。怪物兵器だろうが死にたくはないし、大事な人を死なせたくもない。だから彼女は羽を生やして、幼女を助けて一緒に風呂にはいるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
そういう健気な背伸びを、ヴィレムも自分のものにして、『余生』を『現世』にしてほしいもんだ。クトリが死んだ後も。
実際に怪物と戦い、腕をぶっ千切られたり死んだりするのはクトリだ。死ぬのも、死にたくないのも、主体はクトリだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
見ているだけのやつは辛い。たしかにそうだが、感覚が希薄化し、意識を乗っ取られ、髪がピンクに侵食されていく無力感と恐怖は、やっぱクトリ一人のものでもあろう。
そういうしんどさを、つがいであるヴィレムが背負えるのか。地上への道行きは、それを試す旅路にもなりそうだ。厳しい旅の中で、死は加速していくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
一見安定しているように見えて、あまりにも危うい二人の恋と生と死。揺るがし、偽りの答えをぶっ壊して、たどり着かなきゃならん場所がある。
死にかけては日常に戻り、永遠を夢見ては現実に打ちのめされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
いい具合に上下動させながら、クトリとヴィレムはそれぞれの歪みと輝きを幾度も試され、答えと決意を手に入れては打ち捨てて、磨き上げていく。
ジャンルの定番描写を抑えつつ、そこら辺の歩みは真剣なところが、僕は好きだ。
今回見せたラブ・コメディは、永遠に続くものではない。否定されるべき嘘、一時しのぎの日常だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
でも、そういう夢を見た、見続けたかった二人の気持ちは、やっぱ嘘ではないと思う。それはこの先地上で起こるだろう悲劇でも変質しない、一つの確かな答えなのだ。そしてそれは、いつでも危うく脆い。
本筋が回転を始める前の序奏として、いい具合に不穏かつ穏やかな話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
ここで見せた矛盾や危うさ、脆さの奥の想いは、コメディが悲劇に変わった時、もう一度切り取られるのでしょう。そうやって、日常と戦場に橋がかかっているのは、わざわざエグいネタを扱う上で大事だと思います。
クトリとヴィレムの間にある橋、足元に広がっている裂け目が確認されたわけだけども、地上ではそれに飛び込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
コメディに隠された悲劇から、悲劇を支える思い出の残滓へ。カメラが切り取るものは移り変わるけども、それは同じものを別角度から捉えているだけ…って風に描いてくれると良いな。
男と女、生と死、永遠と一瞬、恋と離別、走り去るものと置き去りにされるもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月30日
一見矛盾しているように思えるものが、実は同一のものであると認めること。外部にある裂け目を内面化し、痛みを埋め立てていくこと。
それにたどり着かないと、無常を扱う物語は終われないのだから。