サクラクエストを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
竜吟雲起。『みんな』と違うと、ストレスを溜め込むドラゴン凛々子。そこと切り離された場所でスムーズに、楽しく進んでいく婚活ツアー。雨はどこに降るのだろうか。
龍の民話と謎の男。小さなミステリなんかも孕みつつ、ドラゴンの居場所を探していくエピソード。
今回のエピソードは、前回のテーマとトーンをきっちり受け継いで進行する。凛々子は熱を出してリタイアし、彼女とは無関係な場所で、『みんな』が交流する社会的活動は進行する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
『空気読んでよ』『アンタの楽しいことは、みんなは楽しくない』
何億回も言われてきただろう拒絶が、凛々子を遠ざける
社会の大半の人にとって、凛々子パートは見えない。ドラゴンが社会から離れたところで、自分なりに何かやっている行動は、社会と共通の言語を持たず、だから理解もされない。存在もしない…ということになってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
認識されないものは、存在しないものなのか。ヒキニートの哲学的存在論。
僕ら視聴者は神の視点で両方を行き来できるので、凛々子パートは見えるし存在する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
でも自分なりに苦労しながら日常を運営している殆どの人にとって、凛々子の苦悩は見えないし、存在もしない。経過がないから、凛々子という結果もない。急に差し出されたドラゴンの宝は、社会には受け止めきれない。
軋轢は受け入れる社会の側だけの問題ではなく、凛々子の差し出し方が必要な手順を踏んでいないことからも生まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
凛々子は間野山踊りを踊れない。吉乃がコンプレックスにしている『普通であること』は、吉乃にとってはどれだけ望んでも巧く出来ない憧れでなのだ。龍は人語を喋れない。
弱々しい異物である凛々子が、生存するためのシェルター。『家』を代表する祖母もまた、凛々子のドラゴン語を解読できているわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
凛々子は外に出るのが苦手だから。病み上がりには重いものは食べるもんじゃないから。
祖母の頭は固く、自分の考えを押し付けてくる。
それは『家』の外…ジジイに対してそうであるように、正しく(つまり社会規範を適切に内部化し、『空気を読んだ』言動を選び取り)固定的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
千登勢はそういう人なのだ。凛々子がドラゴンであるように。
固定された自分の中に凛々子をまくりこんで守ろうとする姿勢は、愛情から生まれているわけだが
それもまた、息子を嫁に取られ、間野山と自分を見捨てられた過去のトラウマがそうさせている部分もあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
公平な愛と自分勝手なエゴは、切り離しが不可能なくらいに癒着している。それは凛々子が社会と接触する唯一のアプローチとなった、吉乃の行動でも同じだ。
これまで描かれたように吉乃はバカなので、凛々子パートの存在を推定とかはしない。賢く『凛々子ちゃんにも事情があって、いろいろ考えてこうなったんだな』とか考えたりはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
そういう複雑なことは考えず、無遠慮に凛々子に近寄り、抱きしめて『好きだよ』という。
考える前に飛んで、それが失敗することもあるけども、正解を掴み取ることもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
吉乃の行動力と浅はかさもまた背中合わせの癒着であり、今回は正解をキッチリ掴んだ。理屈で考えれば『空気読んでよ』で排斥してしまうドラゴンを、仲間意識ですくい上げ、間野山踊りの新しい解釈を学んだ。
その土台になっているのは、仲間としてずっとやってきた、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
これまでの物語それ自体が、吉乃が理屈を飛び越え、凛々子を肯定する足場になっている。
トンチキだけど楽しいキャラクターとして、凛々子が僕らと吉乃の前に現れてくれたこと。吉乃はそれを根拠に、無根拠の中に飛び込む。
冷たいロジックだけを組み上げ、効率的に社会を回転させていくなら、『空気読んでよ』でドラゴンを排斥してしまうのは正着だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
ドラゴンが泣いて死んでも、それは社会からは見えない。社会の成員ではない存在がどう生きようが、どう死のうが、協調性と非言語的な共感で成り立つ社会には関係ない。
しかしそれは、あまりにも寂しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
『空気読んでよ』を盾に他者を排していった結果が、今の寂れた間野山だ。それを覆すために婚活ツアーしているのに、その場ですら『空気読んでよ』『普通になってよ』という圧力が、ドラゴンを押しのける。
『みんな』を維持していくためにはたしかに致し方なかろう
そうやって排除され続けた結果、凛々子は部屋の中で死ぬだろう。引きこもりの自業自得、社会へのパスポートを発行できなかった負け犬の末路。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
そうやって切り捨てるには、凛々子は頑張りすぎているし、必死すぎるし、可愛すぎる。お互いなかなか上手くいかない中、どうにかならねぇかなと思う。
そこで主人公がスイと出てきて、共同体の論理を飛び越えた個人の感情を橋渡しに、凛々子を受け止める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
「もういい」と社会に背中を向けた凛々子を、吉乃が追いかけなければ。吉乃の孤立を『見て』いなかったら。凛々子と社会のアプローチは簡単に切れて、龍の伝説の真実も明らかにならなかっただろう
そういう視野の広さは、吉乃が『よそ者』であるがゆえに維持できている美徳だし、吉乃個人の性格でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
『普通』に気が利いて、優しくて、手際が良い。軽薄でバカな欠点の背中合わせを武器にして、吉乃は凛々子を抱きしめることが出来た。それは、とても良かったな、と思う。
社会からはみ出している凛々子が、自分なりのアプローチを造る今回。吉乃以外の補助要員として、サンダルさんが器用されているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
ガイジンで、芸術家で、放浪癖アリ。クソ田舎には全くなじまないアウトサイダーだが、実はルーツは間野山にある。『普通』の人が知らない歌を知っている。
人間社会と巧く交流できないドラゴンは、『普通』だが『普通』のもつ排他的維持力の外側に出れる吉乃の助けを借りて、吠え声を歌にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
ようやく人間語に翻訳されたドラゴンの知識を差し出すことで、凛々子は『空気を読む』ことなく、『普通』を少し変えていく。サンダルさんの伴奏付きで。
世の中なかなかこうは行かないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
『普通』からわざわざ手を伸ばして、異物を向かい入れてくれるタフで優しい人は、現実世界ではレアリティが高い。
でもだからこそ、こうであって欲しいなとも思う。『空気読みなよ』ではなく、『一緒にやろうよ』と言ってくれて、言える物語が良いな、と。
凛々子は吉乃の支援を受けて、シェルターから出て自分の言葉で喋る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
それは千登勢が決めつけていた凛々子像から外に出て、祖母離れの一歩を踏み出すことでもある。
自分で歩いて調べ、学び、形にした竜の歌。それがどういう武器になるかは、これからの未来次第だ。巧く使えず朽ちることもあるだろう
でも凛々子は、洞窟から出た。吉乃やサンダルさんの力を借りて、一人ではないことを、ドラゴンも、そりゃたっぷりと苦労はするだろうけども、社会へのパスポートを発行できる可能性を見せた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月14日
おめでとう、と思うし、ありがとう、とも思う。とても良いエピソードでした。
追記。10.11話とメイドラゴンの話。
サクラクエスト追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
本筋とはちょっと離れた話。ドラゴンを社会に馴染めない凛々子の異質性の象徴として使った今エピソードは、見ていて前クールの"小林さんちのメイドラゴン"が脳裏をよぎった。
あっちは全編生ドラゴンが多数登場して、現実の中の異物として生き方を探していく話である。
サクラクエストはもはや一般化(ともすれば陳腐化)したRPGと、寂れた否かの地域振興を重ねた『現実的』なお話だ。ドラゴンは凛々子のトーテムではあっても、作品全体には延長されない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
魔法のない世界で国王たちは、それぞれ適度に世界に馴染めないまま、普通の人間なりの悩みを抱えて生活を送る
これに対しメイドラゴンは、異世界を仮想しガチで魔法も時折飛び出しつつ、異物たるドラゴン(そしてドラゴン的な人間)が社会の中で居場所と喜びを見つけ、相互理解へのアプローチを探していく物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
メイドラゴンに為すべきクエストはない。復興させるべきホームは最初から用意されている。
しかしそれは当たり前のものとして消費してはいけないものであり、そのかけがえなさにキャラクターたちは非常に賢く自覚的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
移りゆく季節の中で一つ一つのイベントを大事に取り回し、疑似家族となったドラゴンとヒトは繋がりを確認していく。クエストが用意されていない世界の中で、それが話の軸だ
サクラクエストにおいては、地域振興は仕事であり義務…クエストだ。それは非常に真剣な人生の物語なので、当然のことながら自己の探求と他者との対話を含む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
しかし話の構造としては、クエストを進めていくことが強力な主軸となっていて、その過程で人格が掘り下げられ、対話していく。
なので、凛々子のドラゴン性はあくまでサブプロット、凛々子の個性としてエピソード単位で扱われる。主従で言えば『従』に位置する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
タイトルがサクラ"クエスト"とメイ"ドラゴン"なのだから、果たすべき任務と、そこから離れて居場所を探す、どちらに力点が置かれるかは明白と言えば明白なのだが
『異物としてのドラゴン』『日常の中のファンタジー』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
似通ったものを扱いつつ、別々の2作品は当然、それぞれを別の角度から扱い、別の舞台、別のキャラクターで別の物語を造る。
それを踏まえた上で、共通しているものに目をやって、自分が何故それに目を奪われたのか少し考えてみるのも悪くはない
サクラクエストはまだまだ現在進行系の物語なので、あんまり大きなことは言えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
が、優れた先行作たるメイドラゴンが『ドラゴン』を扱った筆と、今回のドラゴン凛々子の描き方には通じるものがあるかもな、と感じた。それが主軸にならないサクラクエストの個性も、比べることでより際立つ。
そんなことをぼんやりと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月15日
異なっていること、隔たっていることは尊厳を支える。違うからこそ、一つ一つ別の物語が独自の答えにたどり着くのだ。
その上で似通っている…真剣にお話に向かい合った結果似通ってしまうのは、喜ぶべき祝福であり、不可思議な共有なのではないか。そう思う。