キラキラ☆プリキュアアラモードを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
夏だ! 海だ! 漂流だ!! っつーわけで、水着回の皮をかぶった日ブリー回。これまでただの暴力装置でしかなかったビブリーが、暴力を略奪されることで少女の姿を露わにし、キラキラルを暴力の再生産にしか使えない哀しみをむき出しにするエピソード。
というわけで、あっという間に全てが漂流へと流れていく海回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
『不自然さとかは横に置け。まずは必要な状況を作る』とばかりに一気に場が整っていく様子は、女と女の舞踏場を作るために全てが動員された前回を彷彿とさせる。まぁそこら辺かっ飛ばしたおかげで、本題に長く尺使えるわけだが。
んで『本題』ってなんなのかというと、プリキュアと悪の関わりだった気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
ビブリーという個人と交わりつつ、もうちょっと普遍的な悪とか寂しさとか、簡単には行き方を変えられない頑なさとか、そういうもんにアプローチする回だった気がする。程よい抽象性があって、そこが良い回だった。
今回プリキュアたち(というかシエル)がキラキラルによる特別性を略奪されたところから、お話は始まる。これは黒いキラキラルで空を飛ぶビブリーと同じ立場だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
これまでほとんど交流がなかった、記号的な『敵/味方』は対等に奪われることで、ようやくフラットな立場で向かい合うことが可能になる。
同じ立場だけに、ビブリーとキラパティの差異はより鮮明になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
一人でいる/みんなでいる。膝を抱えて動かない/なんとか状況を変えようと頑張る。何も出来ない/洞窟で氷を見つけ、キラキラルを生産できる。
満たされ光り輝くプリキュアがいるからこそ、ビブリーの闇と惨めさは鮮明だ。
ではビブリーは、すぐさまプリキュアになればいいのか。なれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
なれはしない、というのが、かき氷を食べず去っていった今回の答えだ。
キラキラルは輝くばかりではない。黒くどす汚れた感情も人間には常にあって、それは力に変わる。それを否定ばかりしていては片手落ちだ。
ジュリオにまつわるエピソードが駆け足で追いかけた部分を、今回のお話はちとじっくり追う。あるいはガミーの暴走と贖罪か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
プリキュアであること、強く正しく美しいことが望ましいのは、当然知っている。しかし主役に選ばれなかった敵役、世界の殆どは、なかなかそうは生きられないのだ。
ではそのような存在とは手を切って、諦めてしまえばいいのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
そうではない、というのが、それでもかき氷を受け取った今回の答えだ。
シエルが必死にビブリーと繋がろうとした思いは、完璧な答えにはつながらない。でも差し伸べた手は命を掴み、作り上げたスイーツは何かを潤した。
そうやって一歩ずつ、小さな歩み寄りを繰り返しながら、人間のカルマは相互に対話し混ざり合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
不完全さや弱さを取り込み、ケアしながら、プリキュアはプリキュアではない他者を理解し、あるいはそれに失敗する。完璧ではない小さな歩みの積み重ねは、嘘っぽくなくて凄く良い。
今回はジュリオエピを深く参照したお話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
シエルは弟の敗北感がわからない優等生であり、天才ゆえの共感能力の欠如がジュリオを追い詰めた。その果てに、ノワールアローで腹ぶち抜かれ、生死の境で眠るジュリオの今がある。
シエルはあまり、他人の弱さや陰りに理解を示すのが巧くないのだ。
今回孤独に閉ざされ、自閉しようとするビブリーをシエルは、執拗に追いかける。特に接点もなかったシエルがビブリーに惹かれるのは、僕が考えるに弟の影、彼を救えなかった自分を見ているからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
一度間違えてしまったから、今度は間違えない。うまく形をなさなくても、そう願うことは尊い。
満たさえた天才と、見捨てられた孤児。対局にある二人をつなぐ(つなごうとする)のが、かき氷だというのは非常にこのアニメらしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
常にスイーツは物質ではなく、精神に橋を架けるメディウムだと描き続けてきた以上、シエルが差し出しているのはかき氷ではなく、『あなたを知りたい』という思いだ。
敵だったから。ノワールによって作り変えられた、邪悪な命だから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
ノエルは正義と悪の対立構造で思考停止せず、だめな自分をより善くしていたいという願い/エゴイズムに正直に、青い氷を差し出す。
ビブリーはそこから、希望ではなく暴力を引き出す。そういうやり方しか知らないから。
幸運にして光に導かれ、正しい行動を学習したプリキュアと、ノワールによって良いように誘導され、依存するよう仕向けられたビブリー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
善悪の立場、スイーツを食えるか食えないかは正反対ながら、二つの子供にそこまで大きな差はない。
同時に、知らないということは決定的な差だ。
寂しいのは嫌で、誰かに愛してほしくて、そのためのメディウムとして暴力しか与えられなかったビブリー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
その行いは、やっぱり間違いだ。たとえその源泉たる寂しさがプリキュアと、ジュリオと、あらゆる子供たちと共通だったとしても、そういう形で寂しさは発露してはいけない。
その上で、暴力によるコミュニケーション拒絶と、スイーツによるコミュニケーションの間にどう橋を架けるのか。かき氷手渡せば解決する問題ではないが、諦めずやるしかない。だって、プリキュアはヒーローだからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
諦めず語りかけ、理解のために小さく進む姿こそ、最も英雄的なのだ。
ジュリオの暗い気持ちをその身でホイップが受けたからこそ、彼が寂しさを乗り越え、姉のために体を張る未来が掴めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
マイナスの感情は、それを受け入れ手を差し伸べてくれる人がいればこそ、方向を見つけ制御することも出来る。今回シエルがそれに挑んだのは、成果に結びつかずとも大きな一歩だ。
知らないならば知ればいい。ダメな部分は直せばいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
そういう可塑性への信頼は、何度でも作り直せるスイーツを題材にしているこのアニメでは、相当に大事にされていると思う。
二度目のビブシエ回が非常に楽しみになる、価値のある失敗だったと思う。段階踏む気があるようで、非常に嬉しい。
今回はプリキュアとビブリーによる光と闇の対話だけではなく、ビブリーとノワールによる闇と闇の対話もしっかり演じられた。ビブリーはちょうど灰色の場所にいるのだな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
幼い子供の寂しさに滑り込み、愛をうそぶいて暴力による解決を教えるノワールのタチの悪さが、ビブリーの過去語りからよく見える
しかし同時に、ノワールによる偽りの愛だけが、傷ついたビブリーのみを養ったことも事実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
正しくない方向だったとしても、そこに虚偽があるにしても、ノワールを愛する気持ち自体は本物だ。イルが彼女にとってライナスの毛布、精神的防壁として機能する『友達』だったことも。
新しく友だちになろうとするシエルとの(ミス)コミュニケーションと並列して、イルとの絆が壊れていく家庭も今回切り取られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
黒から灰色に立場を変えたビブリーは、ノワールの悪しきメディウムたるイルにとっては、排除するべき異物、対話不能なゴミになってしまう。
シエルの優しさを略奪し、黒いキラキラルを注がれたイルはビブリーに牙を剥く。妬みや暴力への意志は、他者だけへはなく自身へも襲いかかるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
『みんな嫌い、死んじゃえばいい!』と叫ぶことで壊されるのは、ビブリー自身でもある。そこに手を差し伸べ守ってくれるのが、シエルなのは大事だ。
戦闘ノルマに乗っかり、ひとしきりカルマを暴発させた後、ビブリーはもう一度かき氷を受け取り、キラキラルをイルに分け与える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
輝きを失わないそれは、今度はビブリーが『帰りたい』と願った場所へと導く力に変わる。一度ノワールの祝福を受けたものは、黒いキラキラルしかつかめないはずなのに。
暴力しかコミュニケーション手段を知らない、教えられてこなかったビブリーが、ボロボロになったイルを修復する。ノエルとキャラパティが差し出したかき氷から、そのためのパワーが出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
これは失敗に終わったこのお話が、実は非常に大事な第一歩を踏んでいた証明だと思う。悪と善は分かり合えるのだ
弟を理解し、救うことのできなかったシエルが、同じように寂しさに支配された暗黒の子供に手を差し伸べる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
闇しか教えられなかったビブリーが、自分を変えきれないままに差し出された手を取り、一瞬だけ繋いで闇に帰る。
何事も成せなかったように見えて、大きな変化を予感させるエピソードだった。
ある程度関係が進んだら『アンタが見てるのは弟よ! かわいそうなジュリオを助けられなかった、かわいそうなシエル自身よ! やっぱアンタもあたしを見てくれないじゃない!! みんな死んじゃえばいいのよ!!!』とか言うのかなぁビブリーちゃん…言わないと思うが、そこまで踏み込んでほしくもある
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
いや実際、光と闇に別れ、エゴイズムと慈愛の間で激しく揺れながらダンスを踊る二人の少女の物語は、ヤバいぐらいにエモい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
シエルの瞳が失敗に震えつつ『いつか』を見据えているところが、メラリと燃える情念を感じさせる。やっぱ感情の総量ですよ僕が見たいのは。恋でも友情でも、男女でも同性でも
というわけで、シエルに新しいクエストを与え、今後のお話に芯を入れてくれそうな失敗の第一章だった。前半ドタバタと楽しく、コメディとしての空気が良かったのもグッド。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
折り返しを過ぎてプリモード、結構話数をまたいだ奥行きを狙いに行っている感じがある。今後が非常に嬉しく、楽しみだ。
追記 普遍性と個別性、衆生と個人の救済
キラプリ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
ビブリーやジュリオがキラキラルを黒くしてしまう業は、彼ら個人のものというよりはノワールの抱擁を受けた種族の宿命であり、キラパティが彼らに『まともなスイーツ』を食べさせようと思ったら個人的努力を超えて、非常に大きなものを乗り越える必要がある。
闇は闇、光は光と割り切った構造の上にプリキュアは成り立っているのだが、そこで諦めないのもシリーズを通じ幾度も描かれた態度だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
『世の中こういうもんだから』という理不尽に挑み、世界のルールを書き換える奇跡に挑んでこそプリキュア。ここら辺の構図が見えてきたのも、今回面白い。
そういう大きなものを扱いつつ、『ビブリーを救いたい。ワタシの作ったスイーツを食べて欲しい』というシエルのエゴイズムが根源にあるのが、とても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
デカイものだけ追いかけていると、足元を見失う。誰かを助けたいという個人的な祈りを叶えるためには、世界を変えるしかない。
そういう普遍的な答えにアプローチしつつ、キャラクターや作品世界ごとに個別のドラマと方法で正解にたどり着く、自分たちなりに答えを語り直すのは、ほんとうに大事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
ビブシエの描写はエモいカップリングだというだけではなく、今後プリモードが己を立てられるかの正念場にもなるだろう。
追記 シエルのパティシエールとしての成長
プリモード追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
ジュリオ回では理解できなかった『誰かのための、技術を超越した調理』というのを今回、シエルはビブリーのためにやっていたりする。
しかも『成長しよう』と結果を求めてではなく、ビブリーに自分を理解してもらう過程として。『誰かのために』というならば、過程でなければいけない
個人的にマインド料理最強主義になってしまうのも違うかな、とは思うし、シエルの調理技術は苦労して身につけた彼女の個性なので、今後も大事にしていって欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
それと同時に、『誰かのための』という新局面が期せずして入ってきたのは、パティシエール・シエルにとって喜ばしいと思う。
『心の料理』としてはいちかが優越してて、シエルはその背中を追いかける形だったけども、今回シエルは特にいちかを追いかけることなく、一つの答えを掴んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月6日
そのさり気なさが、真実を扱う態度として凄くスマートで、本当っぽいなと思った。青い鳥は捕まえようと思ってもなかなか捕まらないのだ