アクションヒロイン チアフルーツを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
ついに始まった晴れ舞台。キャップの不在に揺れる少女達は、しかしその動揺を客には見せない。プロフェッショナリズムとアマチュアリズムが交錯する時生まれるメッセージは、かけがえない仲間に、ステージを超えて観客に、果たして届くのか。
最初に言えるのは、素晴らしい最終回、素晴らしいアニメだった、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
常にステージングを追求してきたアニメの締めにふさわしく、みっちりと『舞台』が詰まった今回。しかし掘り下げるのは『舞台を演じ続けること』と同時に、『そこからはみ出してしまう私情』でもある。
冒頭路子が力強く宣言するように、演者側の事情は客には関係ない。板に乗っかった芝居の仕上がりだけが、自分たちの夢の値段になる。(あるいは、目を輝かせて見つめる子供たちの夢に)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
しかしステージは生き物で、常に変化しているし、私情からしか栄養を補給することは出来ない。
切り離されているようで密接につながっている、見える舞台と見えない舞台裏。御前に帰ってきて欲しい私情と、晴れ舞台を成功させなければいけない義務をどう乗り越え、全ての人が幸せになるための材料に仕上げていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
リアルタイムで舞台と格闘しつつ、チアフルーツはその難題に取り組んでいく。
顔のない無数の観客を満足させつつ、顔のあるたった一人にいかにメッセージを届けていくか。たった一人への強い想いが、むしろ無名匿名のマスに届くだけの強度を、フィクションに与えていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
アド・リブによって自在に変化していく舞台、そこでのコール&レスポンスはそういう題材に切り込んでいく
あの舞台を見ている観客は、そこに込められた個人的なメッセージを理解するのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
しない。現実のフィクションがおそらくそうであるように、作者サイドの私情はプロフェッショナリズムによる克己と、確かなテクニークによって隠蔽され、目の前にはエンターテインメントだけが届く。
物語にパッケージ化され、共有可能な娯楽となったメッセージ。恨みや憎悪含めて、エゴにまみれた感情をいかに共益可能なメディアへと変え、他人の心を動かす創作へと変えていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
それがフィクションの技法であり、作者の心意気だと、今回の長いステージ≒ラブレターは述べている。
それを支えるには長い経験と鍛錬、失敗と克服、それを可能にする仲間の支えが必要になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
チアフルーツが出会い、お互い研鑽したこと。個性を活かし、裏方や脚本、プロデューサーやMCといった役割をそれぞれ背負ったこと。ここまでのエピソード全てが、メッセージを成立させる足場になる。
個人的なメッセージを物語にコンバーションし得る、創作の瞬発力。それを背負えるのは、脚本家としてストーリー・テリングと向き合ってきた美柑しかいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
だから、アド・リブの火蓋は彼女が背負う。青ざめていた引っ込み思案の女の子は、震えながら『自分らしさ』を乗り越える。
フルアド・リブに混乱しつつも、あたかも事前に用意されたがごとくどっしりと舞台を進め、観客を動揺させないプロフェッショナリズムは、第10話の大舞台、あるいは第7話のアクシデント、第10話のカミダイオーから学んだものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
客を干さない、飽きさせない。ワクワクする物語を紡ぎ続ける努力。
ともすれば個人的感情に閉鎖してしまう舞台を、視聴者に向けて開放し、共犯関係の楽しさを作るMCの妙味。それは美柑ちゃんが第7話で、『メイン観客に一番近い存在』という自分を見つけたから可能な動きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
板に乗っかっている嘘が開けているからこそ、県知事もそこに込められた熱を受け取った。
事程左様に、今回の舞台は集大成だ。エピソードの要素を目ざとく引っ張ってきた器用さで終わらず、物語で手に入れた成果をコンパクトに、貪欲に盛り込みまくり、感慨を凄まじい勢いで積み上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
アレがあったから、このシーンが有る。あの出会いがあったから、この瞬間がある。全て納得がいく。
恐るべき克己心とエンターテイナー精神、入念な事前準備と結束力、現場で培った瞬発力をフル動員して、チアフルーツは個人的なメッセージからエゴの匂いを消し去り、万人が楽しめる娯楽に変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
それは多分、あらゆる創作の現場で起きている、ありふれた奇跡だ。
それが届くことで、御前はようやく前に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
彼女が怯えていた厄は、思い込みではなく実際に存在する。自転車はガードレールに突っ込み、水たまりで滑って転ぶ。それはそこにある。
しかし、舞台から放たれたメッセージが、あるいは仲間と積み上げてきた思い出が、彼女を前に走らせる。
そういうエナジーを与えているのは、当然少女達の熱い個人的感情なのだが、同時に舞台そのものもエンジンになった気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
閉じこもって初めて、無関係な観客としてみた舞台は、個人的なメッセージだけではなく、全人類に投げかけられた創作の熱量を、しっかり持っていたのではないか。
それを一観客として(僕と同じ視座で)受け取って、心を動かされたからこそ、御前は部屋を出たのではないか。そういう読み方をしたくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
舞台裏でいくら言っても伝わらい思いが伝わるのは、公益性の魔法があるからだと。開けていること、開こうと頑張り続けることが、強烈なパワーになるのだと。
第9話ではアレだけ保たせるのに苦労した10分間を、余裕とは言わないがしっかり持たせて、舞台は御前を向かい入れる。路子の感情が爆発し、予定にない衝突が発生しているのはご愛嬌。まぁしょうがねぇ、お前キャップ好きすぎて頭オカシイ女だからな……。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
美柑が爆心地となって、アド・リブは連鎖反応していく。即興だけを無条件に称揚してきた作品でないからこそ、現場の閃きで組み込まれる物語、奇跡のような一瞬の煌きを皆で掴んでいく流れが、強い熱量を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
そこに御前も共犯として参加し、設定の辻褄は合い、ドラマはさらに加速していく。
個性が集合して成り立つ舞台を、ずっとこのアニメは書いてきた。そこにはゲンさんの『動かない足』という、時に欠点として排斥されてしまう個性も含まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
そこを常にフラットに、しかし注意深く描き続けて『ステージでアクションする障害者』という領域まで引っ張ったのは、本当に凄いことだ。
そういうスタッフワークから少し離れて、各々の思いつきを共有し、膨らませていく創作のキャッチボールが今回、リアルタイムで行われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
事前にしっかり仕上げることも、現場の熱量で作品を高めていくことも、両方大事で両方必要。そしてそれを可能にするのは、仲間がみんなバラバラだからだ。
別々の脳みそに、別々の感情と知識と経験があって、別々のストーリーが出力される。それを受け取って自分のストーリーと混ぜ合わせ、より善い物語を作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
最終回に至って、『皆で舞台を作り上げていく』という基本描写を別角度から掘るのは、野心的だし大成功だ。そこまでチアフルーツは来たのだ。
そうやって組み上げられたストーリーの中で、チアフルーツへの御前の個人的な感謝は物語となり、その場にいる人すべてを楽しませる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
同時に、殴り合える距離で物語を作る仲間への思いも、これ以上ないほどに伝わる。個人的な場所と公共の場所はその時、線引がない。
それは演者達のエゴイズムとストイシズムの同居と、単純な物語の仕上がりが可能にしている奇跡だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
非常に内向きの狭くて熱い感情と、公民館を超えて全国に広がる開放的な物語は同居しうるし、むしろ同居しなければ内にも外にも届かない。そういう真理を射抜いて、チアフルーツのステージは終わる。
と見せかけて、ゲンさんを最後の最後で板に上げる御前の心意気に、恥ずかしながら号泣。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
舞台裏で戦い続けることに誇りを持ちつつ、それをしっかり果たしつつ、やはりステージは元気の夢だった。勇気に託すだけでなく、自分でも昇りたかった。
なら、登ればいい。その道を用意してくれる女の侠気。
かくして舞台は終わり、物語は続く。少女たちの心がつながって、まだまだ一位は遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
ここまで効果的に使われてきた、台詞を入れずにパパっと努力をモンタージュするシーンが、クライマックス後の余韻づくりに活用されているのは素晴らしい。自分たちが選択した演出技法への信頼感を見て取れる。
少女達はとても偉大なことを成し遂げて、街を栄えさせた。でも、それが直接の目的ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
やってみたかったから。ヒロインになってみたかったから。胸のエンジンに火をつける個人的な思いから始まった物語は、常にそれを大事に進んでいく。同じ思いを抱く仲間と出会い、個性を噛み合わせながら。
かけがえのない己一人だからこそ出来ること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
自分一人ではやりきれないことを、頼れる仲間と補い合うこと。
直接手を触れ合わない観客と、だからこそ生まれる尊い距離感を守りつつステージングでつながっていくこと。
チアフルーツは創作の、人間の活動の様々な局面を、しっかり描いた。
人間と(己自身含む)人間には、遠近様々な距離感がある。それはどこがベストというわけではなく、それぞれに役割と意味がある、尊重されるべき大事な間合いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
その個別性を健全に守りつつ、遠近を渾然一体と混ぜ合わせることが、ステージ…物語るという行為には可能なのだ。
特撮や町おこしという色の強い題材を扱いつつ、チアフルーツは凄く広範な創作論を展開したと、僕は思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
モノを作るということ。それを届けるということ。行為の意味と対象への、おそらく制作陣の実体験を大量に含んだ思索が分厚い背骨となって、お気楽コメディを支えてきた。
ステージを生み出す個人的情熱が、何によって生まれるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
そうやって生まれたものを、みんなに届く形に仕上げるためには何をしなければいけないのか。
女の子の裸なんかもサービスしつつ、このアニメはずーっと、そこから目をそらさなかった。描き続けて、描き切った。凄いことだと思う。
そこには愛と友情と勇気と、プライドと根性がある。ストイックなプロフェッショナリズムと、いつまでも燃え続ける情熱のアマチュアリズムが同居している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
作品に描かれたものが、作者の胸の中にも実在しているかはわからないけども、僕はそう信じたいし、信じることにする。
この作品は、今正にフィクションの現場で戦っているオッサンやオバサン達が、少女達の青春に己の思いを託し、個人的なメッセージを皆の娯楽に変えた、とてもありふれた奇跡なのだ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
そういうところまで、特に声高に構えるでもなくたどり着けるってことは、本当に凄いことなのだ。
同時にこのアニメはチアフルーツの青春を瑞々しく切り取った、記録映像でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
キャラが活き活きと人生を楽しみ、仲間とふれあい、感情を豊かに育んでいく。それを見守り、共感し、動揺し、感動すること。それを描ききることもまた、滅多に起きないありふれた奇跡だ。
ローカルヒロインのサクセス・ストーリーとしても、トンチキ人間のドタバタコメディとしても、手応えと盛り上がりのある物語だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
ほんと色んな要素を貪欲に盛り込みつつ、綺麗にバランスを取ったアニメだったなぁ。キャラの出番含めて、過不足なくしっかりまとめ上げられている。
特撮ネタも表面なぞっただけのあっさいネタ自慢ではなく、状況に応じて的確に引用してくる、正しくマニアックな仕上がりだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
特オタはより楽しめるけども、別に知らなくても本筋が分厚すぎてガンガン盛り上がれる。面白い。マニアックにやりつつそこで落ち着くのは、本当に大変だと思う。
キャラクターたちも味濃いめの記号を背負いつつ、そこで足を止めない人格と図太さ、一生懸命さと可憐さをもっていて、好きになれる連中だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
必死な所が、凄く良い。よく練習するし、感情を出すし、頼って頼られ、ぶつかって変化していく。青春の熱い可塑性が見事に描かれていた。
脱力しているのに真面目で、都合がいいのにリアルで、面白くて感動できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
いろんなジャンルと味わいを貪欲に盛り込みつつ、生来の可愛げを失わずに最終話まで走りきってくれたこと、本当に感謝しています。そうとう目とアタマのいい話なんだが、それを感じさせないのが技芸か。
スカッと笑って、心から楽しんで、終わってみると余韻が残る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
エンターテインメントの理想形を、ストイック(と感じさせないストイックさ)に達成してくれるアニメでした。最後の舞台でフィクション全体、物語る人間の本性にまで到達たのは、本当に凄い
良いアニメでした、ありがとう。面白かった!
追記 恋に似た感情としての詩を扱う、二つのアニメ
チアフル追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月28日
『一個人へのラブレターが、あまりにも広く深くマスに届く創作となる』という意味では、アニメ映画史上に残る傑作”劇場版 アイカツ!”と今回、同じテーマか。
あちらでは事前に言語化され入念にステージングされた想いが、こっちではリアルタイムに処理される所が面白い。