メイドインアビスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
明かされるナナチとミーティの過去。去来する生と死。奈落の奥底で輪廻を描く運命の車輪が、あるいは子供を轢き潰し、あるいは祝福によって再誕させる。
閉ざされた場所の心地よさと恐怖、そこからの出発と帰還を焦らず描ききる、見事な一時間スペシャル最終回だった。
というわけで最終回、ここまでこのアニメを彩った夢ドキドキの冒険も、危険とロマンが隣り合わせの不思議生物も、今回はほとんど登場しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
今回の物語は過去と現在、二つの閉鎖空間で主に進んでいく。
ナナチとミーティーが囚われてしまった硝子の子宮。
そこから脱して作り出した緑の楽園。
アビスには女性器の意匠が発狂したかのように盛り込まれていて、今回もミーティの縦に裂けた口だとか、カーテンの配置だとか、リコが閉じ込められたウロだとか、ヴァシャイナのデザインがそこかしこに見られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
そこから生まれ、帰還して出さないもの。牙の生えた暴力的母性。それが子供を捕らえる。
アビスとは違う、雪の舞うもう一つの奈落。生きているのか死んでいるのかわからないまま、ただ餌を摂取するだけの生活から、ボンドルドが子供たちを引っ張り上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
それはリコが預けられた孤児院に似た、大人の優しさに満ちた世界だ。ナナチの服装はどんどんまともになり、食事も取れる。
が、しかし。ボンドルドは子供たちを人間ではなく、生体としてみる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
アビスの魔力に取り憑かれた白笛が、その代償をどうにかするべく選びだした生贄として、文字通り子供たちをすり潰し、再構築して、人間以外の形にしてしまう。
人間のやることじゃない。だが、人間のままアビスには潜れない。
理性、冷静、的確な判断力。あらゆる状況で穏やかに話すボンドルドは、人間の美徳を体現している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
それを保持したままアビスに適応すると、ああいう存在が生まれる。鎧の中に理想だけを詰め込んだ、極寒の炎。他人も自分もすり潰して前に進み続ける、アビスの光を追い求める巨大な魔蟲。
地の底から引き上げられ、孤児院の仲間に向かい入れられたレグ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
一度死に、大人たちの必死な努力で生き返り、人間性を日常に守られながら子供で居続けることを許されたリコ。
まだアビスに入る前の生活を思い出すと、あの光に満ちた生活がいかにボンドルド的な引力から守られていたかが、よく分かる
アビスに潜るということは、アビスになっていくということだ。具体的に身体が変容しているナナチとミーティが一番わかり易いが、まともな人間の形をしている分、ボンドルドが一番度し難い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
知恵という人間の武器を研ぎ澄まし、それで人間性を切り分ける。人類の夢のために。
ボンドルドが発する独特のオーラは、なかなか凄いものがある。オーゼンのような巨大過ぎる個人的感情に背骨を支えられるでも、リコやレグのような生前の宿命に引っ張られるでもなく、ただただ理性的にアビスと同化する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
あまりにも人間らしい怪物として、アビスを飼いならそうとすらする男。
ミーティがすり潰され、人間ではいられなくなってしまった負荷に、ボンドルドは耐えることが出来る。白笛なのだから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
しかしそれは、顔のある誰かの温もりを求める本能ではなく、あくまで人間の英知に導かれた、『みんな』のための冷たい炎が源泉だ。誰も愛さないまま、あまりに強くなった男。
子供を人間扱いせず、保護した顎で食いちぎってしまう地母神性という意味でも、ボンドルドは非常にアビス的な存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
かそけき人間が奈落に挑むためには、そういうふうにアビス化し、人間であることを捨てることが必要なのかもしれない。オーゼンも体に楔を刻み、ナナチも獣の身体に変貌した。
しかしどれだけアビスの引力に手を引かれても、手放してはいけないもの、手放せないものがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
レグもリコも、オーゼンもライザも、ナナチもミーティーも、それを手放せないからこそ苦しみ、切り刻まれ、再適応して再び歩き出す。
その一線を手放してしまうと、楽にはなる。ボンドルドのように。
ナナチとミーティーの子供時代が、リコとレグの出会いに重ねられているのは明白だ。同じように出会い、日常と幸福を共有し、お互いを宝物と思えるようになった子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
しあkしその末路はあまりに対象的で、鏡写しの双子のようだ。ボンドルドの過剰な/皆無な人間性も、また歪んだ鏡なのだろう。
ナナチは冷静な頭脳で、アビス信仰があまりに苛烈な現実に抵抗するための偽装であることを見抜いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
心の底から、命が輪廻し価値を高めていくのだと、魂が上向きの輪廻に乗って旅立っていくのだと信じられるのなら、どれだけ幸せだろう。
それを信じきれない冷静さが、どこかボンドルドに似てる
それでも、ナナチが語った慰みは死に向かうミーティーに笑顔を取り戻させ、全てをすり潰された後でも心に残って、リコの消えかけた魂を引っ張り上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
それが嘘でも、作り物でも、人のぬくもりを伝えてくれるのなら、それは良いものではないか。冷たい真実で人間をすり潰す行為と、どちらが良いのか
アビスは常にリアルに、ロマン無しで進行する。生き死にはただの現象で、殺して食って排泄してする輪廻に情は宿らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
しかし獣ならざる人間はそこに憧れを求め、どこか遠くへ向かう瞳の輝きを宿す。ロマンス文学的な人類と、リアリズム文学的なアビスとの折衝点が、奈落信仰なのかもしれない。
人間もまた動物…アビス的リアルであることは、重たい告白を受けた後しばらく進行するモラトリアムからもよく見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
地獄すら生易しい過去があっても、腹は減る。飯はマズいし、それでも喰わなきゃならん。どれだけ重い憂鬱が心に巣食っていても、人間生物は生きていかなければならない。
そして、たとえどん底の中でも何らかの生きがいを見つけてしまうのも人間で、奈落の底でも美味い飯は旨い。風呂は気持ちがいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
衣食住のクオリティを上げることで、生きることの尊厳を再獲得し、再適応していく。動物と人間の境界線を、じっくり焦らず絵に塗り込めていく筆が今回も元気だ。
その境界線を強制的に踏みにじられて、人間ではない生き物にされてしまったミーティーの尊厳は、どこにあるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
殺してやることだけが救いなどとは思いたくないが、しかしそれしか出来ることがない無力さに、レグは悩む。自分が火葬装置でしかない非人間性を突きつけられたら、それは当然迷う。
日々を繰り返す中で、共に生きる喜びが雪のように、花びらのように降り積もっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
自分は笑い、泣き、感情を感情と触れ合わせる生命体なのだと確認しながら、レグは葬送の覚悟を決める。道具としての自分を受け入れつつ、そこからはみ出した情との境界線を定め直す。
ナナチは道具的存在である自分を、どこか突き放した目で見ている。そのクレバーさがリコを救いもしたが、やっぱりそれは寂しいものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
ボンドルドが深く刻みつけた『お前は誰かの役に立つから、生きていても良いのだ』という呪い。レグはそれを全力で否定する。道具でなくても、人は生きていていいと
レグの感情的利害だけを見れば、ナナチをリコを助ける道具として扱っても構わないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
しかしレグは何かとナナチに触りたがり、抱きつきたがる。眼の前にいる存在が体温を持つ、暖かな一生命であると確認するように。それはミーティーがリコに覆いかぶさったのと同じ、人の本能なのだろう。
『ミーティーが死んだ(レグが道具としての有用性を発揮した)』後も、『リコが治った(ナナチが道具としての有用性を発揮した)』後も、リコもレグも生き続けなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
ツールとしての意味を失っても、白紙の世界で傷つきながら生存しなければいけない。そらナナチも『残酷だ』と言う。
大人たちが誰も助けてくれない、緑色のナナチのおうち。冷たい石/意思の城から抜け出して、必死に作り上げた楽園。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
そこで子供たちは食事を作り、傷を直し、長引く生の苦しみを終わらせ、生き直す。小さな身の丈を必死に伸ばし、残酷な奈落のなかで生き抜こうとする。
始まりにおいて脱出することが叶わなかった、硝子の子宮。強制的に押し付けられたそれを食い破ってナナチは外に飛び出し、ミーティーを葬って緑色のおうちを自分の意志で出ていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
子供たちはただ、大人の食い物にされるわけではない。母の腹から飛び出し、己自身の尊厳を、自分の腕で手繰り寄せる。
そしてそれは、一人ではけして達成不可能なのだ。一人でやろうと、自分以外の人間の尊厳を踏みつけにしても大丈夫なのだと思いこむと、ボンドルドのようになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月29日
だから、子供たちはスクラムを組んで地の底を目指す。そうせざるを得ない世界を組み上げたのは作者の悪趣味か、物語に向かい合う真摯さか
ミーティを殺す/贈る/開放する決断を果たし、精一杯の手向けとして花とぬいぐるみの寝床(女の子の喜ぶもの!)に寝かせて荼毘に付そうとする子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
子供が子供の成れの果てを必死に始末し、そこで渦を巻く感情まで子供同士で受け止めなければいけない状況は、非常に厳しい。
レグが必死に受け止めたもの。殺す以外に方法がないこと、殺した先にも人生があること、ミーティの死骸がナナチを自死に引っ張ることなどに、耐えられなくなった/耐えなかったのがボンドルドなのかな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
それを諦めることが白笛の条件でないことは、オーゼンが既に証明している。
だとすれば、ボンドルドの選択は彼個人のものであり、レグとナナチの決断もまた、子供たち自身のものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
戦闘力や発見の巨大さという、大人の価値基準は全て横に流して、人間が人間であろうとする苦しみの只中に身を投げた二人は、とんでもなく偉い。歴史の教科書に載るくらい立派だ。
ナナチはついに親友を燃やす段となって、謝りながら感情を爆発させる。そして冷静さを取り戻し、涙ながらに為すべきことを為す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
リコが死にかけた時は冷静だったナナチも、あのときのレグと同じように魂の奥底から号泣できる存在だ。魂がアビスに、完全に同化したわけではないから、泣けるのだ。
閉ざされた場所を壊すメタファー(それを再/出産と呼んでいいかは悩む)が連続する今回、火葬はミーティが肉体の檻から解き放たれ、輪廻の輪に戻るための儀礼である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
完全に入れ替わりで覚醒するリコは、ミーティが死者の国に入る代わりに、生者の仲間入りをする。
先週ミーティと共有した赤い瞳と涙の幻覚が巧く効いていて、あんな身体になれ果てた後でも、ミーティの尊厳はリコを助ける程度に残存していたのだと夢見ることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
その最後の残滓を、レグの炎が救った/開放したのなら、奈落の底で生きていくための子供のスクラムは、ちゃんと機能している。
常識的で情に厚い、フツーのレグが言えなかった『一緒に行こう』を、ある意味アビス・サイコなリコはサラッと言う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
緑色の楽園から飛び出すために、リハビリテーションが始まる。Re-Habitation。再適応。アビスに殺されない活力と、人間であり続ける温もりを再獲得していく。
ナナチも、あの緑色の場所で二人きり、再適応していたのではないか。ボンボルドによって砕かれた尊厳を、地面に落ちた人間性(ミーティの遺影が床に落ちる演出が暗示的)を獲得するために、奈落の影響力が少ない場所を探して。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
人間を道具のように解体する解剖学を、医術に変えるべくあがいて。
ボンドルドが今回代表し、これまでアビスそれ自体として幾度も描かれた、リアルで容赦のない非人間性。それは子どもの事情を一切考えず、嵐のように圧倒的に、急速に迫る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
そこに巻き込まれるのは必然で、弱い生物たちは逃げるすべを持たない。しかし、同化され切らず、再適応を試みることは可能だ。
同化の魔力は圧倒的だ。ナナチは獣の聖痕を刻まれ、リコは腕に麻痺が残り、ミーティは人の形を止める。誰も無傷ではいられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
しかし、子供たちはスクラムを組み、人でなしの領域に引き込む母の引力に抵抗する。壁をぶち壊し、外側に生まれ、憧れと開放を目指し動く。それは本能なのだろう。
『下』に向けての再適応と、『上』へ祈りを込めてメッセージが送られる描写を同時進行で描いて、このアニメは終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
引き返すことは出来ない不帰の旅だが、だからといって声が殺されているわけではない。人間性を保ったまま、手紙に込めて送り出すことだって出来る。
『上』へゆっくりと登っていく手紙は、ここまでの歩みを情感豊かに振り返りつつ、厳しいアビスの洗礼を受ける。でも、手紙は途絶えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
幸運で、己に宿った強靭さで、あるいは優しい人の手助けで。帰らないはずの摂理を超えて、手紙は上昇し、上昇し、家に帰る。人の魂があり得る場所へと。
竪穴への強制落下/強制上昇によってすり潰されてしまったミーティの過去と、決意を持って両肩を組み、あこがれを求めて奈落を降りていく子供たちの下降、その思いを込めた手紙の上昇は、やはり照応しているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
ミーティをすり潰す上下運動もあれば、今回ラストのような昇り降りもあると。
そのどちらもアビス(そこを超えた街、あるいは三次元の僕らの世界)では真実のことで、このアニメはずっとそのせめぎ合い、接触点での激しい運動を追い続けてきたように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
白笛・ボンボルドは強いだろう。精神の怪物性、逆位相の人間性においても、子供たちを圧倒するだろう。それが敵に回る。
ミーティの死はリコの意識を覚醒させる狼煙であると同時に、巨大な顎に存在を教える鏑矢にもなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
この先、子供たちが何と戦い、どう傷つき、いかな傷跡を叩き込まれ、どう生き延びるのか。先が見たい。このリッチで真剣で、目を背けたくなるほどにファンタジックなアニメーションの手法で、見たい
心の底からそう思わせる、見事な最終回であり、立派なアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
子供を暴力の渦に放り込む。そこには確かに悪趣味(Tastelessと書けば、味がしない飯を食い続けたナナチが何に苛まれてきたかも少し解ろう)があるが、同時に世界圧を高めて初めて成立する祈りもまた、あったように思う。
それを支えているのは、偏執的ですらある作品世界の作り込みであり、子供の身体や生理、生きて飯を食ってクソを垂れる場所のリアリズムへのこだわりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
兎にも角にも、彼らはあの異常な世界で生きている。生き続けようとあがき、人であり続けようと藻掻いている。そうしなければいけない何かがある。
死に接近することでしか、生が輝くことはないとまでは言わない。しかし、アビスという巨大な死の母を圧倒的な存在感で現出させることで、そこに飲み込まれる命、無造作に展開される生と死に作品独自の『肌理』が宿ったのは、間違いなかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
圧力を高めて初めて、物語は切迫感を持つ、というか。
何がどうあろうと、死の中心に飛び込まなければいけないリコの心象。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
その地獄行に付き合いつつ、失われていた己を取り戻していくレグのまともさ。
強制的に大人にされた寂しさを背負いつつ、賢く優しい人獣として己を保つナナチ。
子供たちは皆、飯食って血尿垂れ流すナマの存在だった。
ナマだからこそ、人間であり続けようという贅沢な努力にも光が宿る。かといって、ただの動物であることは無条件で悪ではない。アビスの残忍な動物たちの、深淵に適応した生き方には、不可思議な引力が確かにあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
恐れつつ、目を背けることが出来ない存在。牙をむき出しにした女陰から生まれた存在
『美しき悍ましさ』みたいなものを映像の端々に張り詰めさせながら、アニメは見事に走りきった。この先は見たい。凄く見たい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
しかしこの緊張感と、そこから否応なく溢れてしまう笑いを両立しながらアニメが走ってくれたことに、まず感謝したい。笑いがちゃんと面白いのは、生の切実を支える柱だ。
深刻な顔をしてても腹は減る。仲間の腕を切り落としても、親友を焼き殺しても、生き続けなければいけない。そんな残酷な世界でなんとか生きていけるのは、笑いがあるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
飯を食ったときの笑い。異性と触れ合ったときの意図しない勃起。治療と再適応。そういうものを大事に進むアニメだった。
異常な存在感を宿した、アビスという物語装置。黒い母に囚われ、アビスそれ自体となってしまったボンドルドが登場することで、主人公たちの立つ足場もより鮮明になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月30日
その先の物語を期待しつつ、今はありがとうを言いたい。
良いアニメでした。とても面白かったです。お疲れ様でした。