クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
道化の仮面をつけて、殺戮がやってくる。少年が待ち望んだ『世界』との接触は、血塗れのコミュニケーション。感情を殺し、記録と陰謀が冷たく横たわる殺しの暴風は、戯れのように去っていった。残されたのは、もう戻らない日常の残骸。鮮烈なる序章の終わり。
いやー…死んだなぁ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
飯塚晴子デザインの可愛い子らが、バッタバッタと色んな死に方する所は、"ギャシュリークラムのちびっ子たち"ぽさのある展開であった。
刺殺、銃殺、斬殺。死に方にバリエーションあるのがなんというか、悍ましい…恐ろしい、か。恐ろしかった。
死体になってしまったサミの肌色が、チャクロやスオウと完全に違う色なのがショックであり、それは多分、第1話冒頭からずっと描かれていたものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
血流を止めた死人は、生き延びたものたちとは違う存在になっている。その差異を当たり前のものとして流す、日常の延長上の葬礼と、今回の葬儀の差。
感情を抑圧するシステムを組み上げ、暴力を遠ざけて成立していた泥クジラ。閉鎖系の中で死のショックを和らげるために、『泣かない』ことが儀礼化されていたわけだが、泥クジラの閉じた肚を引き裂いて飛び込んできた暴力、その結果としての死を前に、人々は当たり前になく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
『今まで通り』の死人との付き合い方が破綻していることが、襲撃によって泥クジラの閉鎖システムが崩壊し(かかって)いるこのと証明にもなっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
殺し、殺され。楽園の外にある当たり前を原液で叩きつけられ、誰もが今まで通りではいられない。死体になるにせよ、生き延びるにせよ。
泥でできた揺り籠は、銃弾で破壊された。天敵がいなかったゆえに狩り殺されたドードー鳥のように、呆然と殺されていく人々の描写が恐ろしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
まるで弱いこと、知らないことが罪であるかのように、命を摘み取る仮面の兵士。『外』の恐ろしさの象徴を前に、少年たちは三者三様の対応を返す。
チャクロは目を閉じて、揺り籠で眠っていた時代に戻ろうとする。気恥ずかして抱っこしてあげられなかったサミを抱きしめ、彼女が生きているかのように振る舞う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
しかし時間は元に戻らないし、暴力的に『外』と接触したトラウマは不可逆だ。サミの土気色の肌、死人の眼が、チャクロの微睡みを否定する
オウニは待ち望んでいた『外』との接触で身内を殺され、殺し返す。必要悪としての暴力を積極的に背負い、敵を排除し、拷問によって情報を引き出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
『どうでもいい』と切り捨てた世界の中で、『どうでも良くない』仲間のために、クジラが捨ててきた殺戮の業を引き受ける。
スオウは祈りの姿勢で感情を押さえ込みながら、上級種らしく泥クジラのシステムを維持しようと務める。殺さず、話し合い。未知の暴力に混乱する衆愚を導き、生き延びさせようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
剣よりも鋤を握る彼の望みは、しかしどこにも届かない。老人は沈黙し、襲撃者は唐突に去る。到来と同じように。
否認、反発、穏当。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
仮面をつけて落下してきた『死』への対応は三様だが、それは孤立していない。
身内を守るためにサイミアを使ったのは、チャクロもオウニも同じだ。暴力を背負うことで、オウニはスオウと同じ政治装置として立つ。
泥クジラのシステムから排除されても、暴力は必要な当地機構だ。
こんなことは許されない。許されてはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
秩序の側に立つスオウ達はそう言って、あるいは祈り、あるいは拷問をしたオウニを殴るけども、それが状況を変えることはない。
泥クジラのアウトサイダーであるが故に、暴力のルールに手早く適応したオウニは、有用な情報を手に入れ、暴力で身内を守る
『外』…帝国は嵐のように訪れ、唐突に去っていく。泥クジラが保持してきた非暴力の倫理を一切気にかけず、仮面をつけて対話を拒否し、バスバス殺し、記録し、とっとと帰る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
徹底して身勝手で攻撃的な『他者』が世界にあることを、これ以上ないほど鮮明な形で刻みつけて、泥クジラは不帰点に立つ。
顔のない…仮面で顔を隠した『外』と接触可能な『内』が、リコスである。『リコスの32』と呼称される、人格のない暴力装置であることに反発する彼女は、泥クジラが人に及ぼす影響のサンプルとして、『内』に留まることを許容/強制される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
そこにどういう意図があるかは、まだ見えない。
32という番号が、『失われてしまったサミの代理品』という意味を含むのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
そういうのも今後を見ないと判別つかないが、リコスは感情を食う怪物から離れ、帝国のシステムから離れることで、アパテイアの仮面をつけて殺し、殺されるアイデンティティを拒否できるようになった。
『外』と接触して変化するのは、泥クジラの少年だけではなく、『帝国』の少女も同じ、ということだろう。それが幸福なのか不幸なのかは、七日後の襲撃が約束された泥クジラの今後を見ないと、やはり分からない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
クジラの子らも、ただ殺されるだけの子羊ではないというのは、オウニが身をもって示した
死体を冒涜する。女の子の髪を引っ張る。主役の悲しみを嘲る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
登場するなりヘイトアーツ黒帯の実力を見せてきた、ピンク髪のサイコ殺人鬼・リョダリ君は、今後どういう立ち回りをするのか。
ああいう生き物が『帝国』のオーソドックスではないことは、感情を剥奪されたアパテイアの存在で判るが。
どちらにせよ接触は果たされ、たくさん人が死んで、泥クジラという場所も、統治システムも、そこに抱かれていた長閑な人々の暮らしも傷ついた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
不可逆の傷を背負い動き出した時間の中で、少年たちとクジラはどう変化し、あるいは隠されていた過去が暴かれていくのか。次の戦闘は約束されている。
『システム化された平和』を守ってきた泥クジラと、『システム化された殺戮』を流し込んできた『帝国』がどういう関係なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
仮面をつけた殺戮を成立させてるシステム、実妹をサンプルとするオルカの野望、『帝国』の立ち位置。解かれるべきミステリはどんどん増え、状況は加熱を続ける。
沢山の命が奪われたショックに順応する余裕もなく、『外』は暴力のロジックを流し込む。さて、次回物語はどう転ぶか。楽しみ、というには、今胸が痛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月24日
サイミアで浮かんだたくさんの棺が、第2話の飛蝗と重なる綺麗さを持っていて、本当に残酷に絵作るねぇと思いました。
キツい。素晴らしい。