URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
バブルの国のアリスたちが、ポップ調の裏原宿で永遠のハレを生きるアニメ。
今回はスーパーナードなことこちゃんが、自分と他人の距離に悩むお話。相変わらず言葉で説明しすぎなToo Much感もあったが、ナイーブさを大げさと可愛いでくるんだ独特の青春食感はいい感じ
これまでは隔離された原宿のKAWAIIで殴り続ける、アニメの腕力勝負を挑んできたわけだが、今回はことこという個別のキャラクターにクローズアップし、過去の体験や人格を掘っていく展開に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
どれだけぶっ飛んだ異界だろうが、そこでドラマを担当するのは人間なわけで、その顔が見える話は大事だ
ことこはIQが高く、しかしその強みを巧く人間社会の中で生かせない。『何故髪の毛を抜くのか』『何故血を欲しがるのか』というりと&まりの疑問は、凡人の彼女ら視点では当然の疑問なんだが、見えてる世界がデカすぎて、そこをまず満たしてから自分の興味領域を説明・展開する気遣いは出来ないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
高校生の彼女は、そんな自分の異質性も、家族にも学校にも馴染めない痛みにも気づいてはいて、だからこそ自衛する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
常人が気づかない世界の複雑さ、『どうでもいい』と切り捨てられてしまう途中経過をかっ飛ばして、結果だけ伝えようとする処世術は、しかしまりとりとを不安にさせる。当たり前だ。
嫌われたくないから、他人に共有されない途中経過を飛ばし、結果だけ共有しようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
自分を嫌うと思っているし、それが嫌だから、自分にとっての大事な部分を預けることが出来ない。
ことこの行動とそれを生み出す思春期の心はアンビバレントで、その矛盾が不自然な動きを生み出す。
世間では通用しないことこの超天才主義だが、優しいりと&まりは受け入れる準備ができている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
それは彼女らがマブダチであるからだし、バブルで切り離された原宿の、さらにPARKという『場』で三人きりという特殊な状況が可能にしている、シェルターされた好意なのかもしれない。
ただ、ことこは二人の好意を信じきれないし、その怯えが更に距離を開ける。ここに風穴を開けるのが、PARKの外側にいる他人、クレープ屋さんのさゆみんだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
『嫌われたらどうしよう』と怯える必要のない人だからこそ、ことこは自分の気持ちを素直に伝えることが出来る。他人ってのは救いでもある。
さゆみんの包容力(彼女が『包み込む』クレープを扱っているのは、非常に分かりやすい配置だ)に導かれて自分語るうち、ことこは自分の中の矛盾を乗り越えて、正しい答えに接近していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
歩道橋をセンターで割った構図から、二人がゆらゆらと近づいていくレイアウトが、心理を反映して面白い。
そんなさゆみんも、三人だけの特別な空間=戦闘シーンになると、赤いフィルターに隠されてスパッと消える。あのシーンは、ショッキングでよかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
女の子を特別な主人公に変える戦いの空間は、他人だからこそ心のバランスを取ってくれたさゆみんを、世界から切り離してしまう、危ういものなのだ。
意図された異物のように、作中幾度もカットインするみさとエビフリャーの『観察する視点』のように、バブルの中の危うさは丁寧に示唆されるものの、さゆみんが背中を押してくれたことこの成長は、期待通りのコースを通って展開する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
彼女の知恵は的確な効果を出し、ふたりは全部を受け止めてくれる。
『好きだけど、怖い』『好きだから、怖い』というアンビバレントは、愛を信じて踏み込めば乗り越えられるものだ。少なくとも、ことこの異質な特性を認めてくれる、特別な友人相手には。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
それは柔らかいバブルの中の特殊な経験だけども、一度成功したことで別の場所でも挑んでみる勇気を育むだろう。
PARK以外の場所で、ことこが他者と適切な距離を作れるかは、原宿の外に出てみなければわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
今回の迷い路とそこからの脱出は、バブルの/PARKの/幾重にも重なったモラトリアム・シェルターに守られた、非常にコントロールされた試練だからだ。原宿の外には当たり前の冷遇が待っている
現状このアニメは永遠に続く祝祭の中にいるわけだが、その外側に出ていくことを視野に入れているのか。明言はされないものの、様々な暗喩がバブルの外、原宿の外、モラトリアムの外を示唆してはいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
何しろ、泡は割れるものだ。OPで繰り返し描写される金魚鉢のように、閉じた原宿は檻でもある。
ことこがこれまでの経験から学習し、自分なりに組み立てた処世術。それは自己防衛のための必死でなものであったが、大親友が相手であってすら機能しない、不全の処方箋でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
今回の事件を通じて、ことこは自分で作った思い込みを捨て、少し別種の成功を手に入れる。檻を壊して大きくなったのだ
こんな感じで、ちと頭が良すぎる子供が社会と自分に悩み、学ぶ物語として堅牢芳醇なエピソード…なんだが、やっぱちょっと喋りすぎてる感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
ことこが自分のイズムをようやく説明し、二人が当然のようにそれを受け入れるシーンは、内心を分かりやすく説明しなくても良かったんじゃないか、な。
まりちゃんの洋画吹き替え喋りをそう感じるように、Too Muchな語り口に僕もなれ始めていて、一種の魅力すら覚えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
しかし、テーマにしても構造にしても結構瑞々しいものを扱っているだけに、ロゴスで全部腑分けしてしまう筆致はちょっと惜しい気もする。やんなきゃ難しすぎるアニメだが
ここら辺のバランスは非常に難しいものだし、作品が描いているもの全てを台無しにするほどでもないので、そこまで目くじら立てるところでもないとは思うが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
ことこの過剰さとの付き合い方は、個人的に刺さる部分が多かっただけに、もうちょと視聴者の想像力に体重預けても良いんじゃないかと感じた。
話はことこの才能と自意識へのバトルが軸で進んだが、やっぱ枝葉の過剰な作り込みが異常な引力を生み出していて、とても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
まりちゃんの寝間着がむっちゃフリルバッチバチの乙女主義なのが、可愛くてよかった。三人で一番身長高くてガタイ良いのにガーリィなの好きな…だからこそ、か。
女の子のハッピーライフを切り取りつつ、カメラは原宿を覆うゴミや、アイスがどこにもない欠乏を抜け目なく描写する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
バブルに切り取られた原宿の中でも、ヒトが生きている限り老廃物は貯まる。それを排泄する都市的ホメオスタシスは、切り取られた原宿では機能していない。永遠に続く祭りの弊害だ。
祝祭…ハレの日が永遠に続けば、ケは帰ってこない。繰り返し、かけた部分を修復し、ゴミを捨てて維持される『日常』が、今の原宿からは消えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
PARKではお金の感情も、普通に見を養う食事も描かれない。それは永遠にハレの日を続ける原宿には似つかわしくないからだ。
原宿が永遠のハレの中にあるということは、第2話でキャラクターの口を通じて描写されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
正確に言えば、ハレの中にあるように見える、と。土地に足をつけて、日常を生き続けるつまらない舞台として、原宿は認識されていない。少なくとも、ここまでの段階では。
しかしあらゆる街がそうであるように、原宿も一つの生き物であり、ド派手な晴れ舞台には薄暗い舞台裏が付きまとう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
都市の排泄物であるゴミを処理できないまま、切り取られたバブルの中で踊り続ける今の原宿は、やはりどこか異常なのだ。ことことは別のアンビバレントに、原宿は囚われている。
今回のエピソードでことこが才覚と社会性のバランスを取り、PARKという小さな社会の中で居場所を見つけたように、物語全体の舞台(であり強烈なキャラクターでもある)原宿も、ハレとケ(その欠乏としてのケガレ)のバランスを見つけ、より良い己を再発見することになるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
そしてその歩みは、少女達にも関わってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
原宿に憧れ、自分の日常から切り離された晴れ舞台と見る彼女たちが、原宿にある日常を見つけ、獲得/帰還する物語。そうしなければならない危うさは、不穏な気配としてそこかしこに埋まっている。悪巧みするみさとエビフリャーとかね。
三人娘の楽しい狂騒からみさが距離をとり、冷たく監視している様子は非常に丁寧に描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
年齢的には下のはずなのに、閉鎖された金魚鉢で青春を泳ぐ高校生を冷たく見る眼は、どこか大人びている。その冷たさがどこから来るか、何を隠しているか。『好きだからこそ隠す』という心理があるのか。
今回ことこが打ち明けた過去の失敗、上手くいかない自分らしさ、親友を愛するがゆえに踏み出せない一歩を、露骨に怪しい二人が再演するか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
そこら辺は想像たくましく色々考えられるところで、非常に楽しい。語りきらない楽しさを、当然アニメから排除しているわけじゃないのよね、この作品。
全体の構図の話をすると、OPを飾る名曲"アンチテーゼ・エスケイプ"自体がかなり示唆的で面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
歌詞や映像もそうなんだが、転調や変拍子、BPM変化を駆使して大胆に切り替わる曲の構造自体が、『切り離された夢と現実の衝突、そこから自分と青春を再発見する旅路』にシンクロしている。
異常事態に巻き込まれ、晴れ舞台と一緒に日常から切り離されたここまでは"大好きだらけ 私のパーク"あたりのポップで楽しい調子に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
そこに差し込まれる不穏さは、この後来るだろう挫折、"逃げ出したって どうせ満たされない"未来への予感のような印象を受ける。
下げ調子の中盤を抜けて、少女は"嘘ついて生きるのは くだらない"という発見を経て一気に転調し、"カワイイだけじゃ もう足りない"と過去の自分を捨て"最高貫け"という境地に至って歌が終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
アニメ自体の展開、そこで描かれる少女達の青春も、まぁこういう足取りをたどるんではないか、と
"いつまでも 浮かんでいたかった""どこまでも 泳いでいたかった"と、地面から浮遊した魚に擬される女の子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
OPで幾度も描かれる金魚鉢を見ても判るように、切り取られた原宿は不健康な場所で、永遠には続かない。代謝なしでは捨てられないゴミが溜まって、綺麗な場所を破壊してしまう。
だが、外界と切り離され、バブルに守られ/閉鎖された原宿はただ弾けて消える場所ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
そこに行けば心がウキウキしてしまう晴れ舞台が、ちゃんと存在しているということ。その強さや素晴らしさ、楽しさも、カットあたりの幸福量が異常に高いこのアニメは、ちゃんと伝えてきてくれている。
永遠に続くハレの危うさと、それをケに落とし込んでいく過程の大切さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
青春期の淡い夢を否定するのではなく、地面に足をつけて走り出すエンジンとして大事に肯定すること。
身内の柔らかいシェルターの優しさと、そこから飛び出してはじめて産まれる化学反応の大切さ。
原宿と青春を特別な『聖地』として扱いつつも、それが持っている属性を冷静に見切り、戯画/寓話化してポップなアニメとして再配置する眼は、やっぱこのアニメにちゃんとあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
"カワイイだけじゃ もう足りない"批評性が、今後主役たちと原宿にどう降り注ぐのか。非情に楽しみだったりする。
そう思えるのは、ことこのありふれて個人的な悩みがちゃんと扱われて、親友の柔らかさに優しく抱きしめられつつも、あくまで突破口は『外部』との接触にあるというクレバーな描き方で今回のエピソードが終わったからでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
一個人を描く筆は別のキャラクターに及び、作品全体に敷衍するのだ。
ほんと、今回のことこの悩み方、自衛の仕方、間違え方は他人事とは思えず、そういうナイーブなとこ、トンチキペースに惑わされず書き切るの二億兆点ッ! て感じだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
恥ずかしながら俺もね、アニメの感想書くときに相当捨ててるの、そうは全く見えない、過剰な語りだと思うけども。
そういう僕のナイーブさはさておき、悩めるスーパーナードをしっかり受け止めてくれるマブの温かみ、柔らかさまでしっかりまとめてくれて、良い個別エピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
キャラデザの段階でふわふわ柔らかジューシーお肉って感じなの、マジ強いよな。まりちゃんがグラマラスなの、すげー良いと思います
浮ついているようで、変なとこ地面に脚ついているのはこのアニメの面白いところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
敵がぶっ殺されるとお菓子になるのは、聖別された原宿に血糊は似つかわしくないから検閲されているわけだけども、それで命を繋ぐしかない異常性、敵を体内に入れるヤバさが肌で伝わってくる道具立てでもある。
その弊害は確実に顔を出してきて、今回ことこがぎくしゃく一人相撲を取ったのも、その予兆に気づいたからだしね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
ふわ~っとバブルの中を泳いでいるだけでは、晴れ舞台の素晴らしさは内破していく。窒息寸前の浮かれ騒ぎの中で、少女達はどういう未来に飛び出していくのか。来週も楽しみです。
追記 ウラハラシック
URAHARA追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
ここまでずっとタイトルが国際化してるのは『裏原宿』だと思っていたが、『裏腹』でもあるのか。
『好きだから、怖い』ということこのアンビバレントを見ていると、本心と表面(あるいはもう一つの本心)との乖離と融和は、作品全体を貫く軸になりそうだ。
裏腹には『相反している』という意味と同時に、『背中合わせである』という意味もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
永遠の祝祭を否定する汚れは、排除できない程常に近くにある。永遠に夢の中にあり続けるのではなく、裏腹にある現実にいかにして、夢を侵入させていくか。そのためには、裏腹な心をどう乗りこなすか。
そういう感じの、すごーくベタ足な青春と世界認識の話が、このぶっ飛んでトンチキなアニメの背骨にはあんじゃねぇかなぁと、四話まで見た感じ思っております。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
そしてそういうベタ足は大事。死ぬほど大事なので、今後も青臭い青春力をブンブン振り回し、ガンガン進んでいってください。お願いします。
しかしまぁ、個人的興味に乗っかってハレ/ケで読解しとったけども、原宿表参道は明治神宮に繋がる道。東郷神社もあるし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月26日
神道(の背景にある日本的な精神世界観)は存外、スーパーポップシティ原宿と相性が良いのかもしれない
多分過剰な読みなので、『読める気持ちよさ』に支配されんようにせんと