Infini-T Forceを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケースを返し、父の盲愛に報いる選択をした笑。正しいはず、間違っていないはず。そう囁きながら、取り戻した日常に帰還する。だが、胸に谺する声が焦燥を煽る。
界堂親子の迷い路と、ケン達の確かな歩み。そして新しい道に踏み出した男、再登場のエピソード。
笑の時間を止めていた父への憎悪/愛情が、形になった先週。失ったからこそ価値が判るものに、ちょっとずつ寄り添っていく笑の描写が細やかだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
マリアたちと楽しく過ごし、『ここは私とパパの家』と断言する。その態度には心境の変化があるのだが、言葉で説明はしない。でも、十分感じ取れる。
少し優しくなった笑だが、世界と自分を切り離し、現状で満足するよう暗示をかけることは答えではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ダミーに襲われた神社を再登場させて、賽銭箱に願いが入らない描写を入れるのは、繊細でよかった。これで良いと言ってるけども、これじゃ善くないのは、自分が一番分かっているのだ。
今回のお話は『世界』という巨大なものと、『自分』という卑小なもの、マクロコスモスとミクロコスモスの照応関係を、様々な角度から抉ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
マリアという身近な人が帰ってきたのは、ケースを返して世界を犠牲に、この世界の安定を取り返したからこそだ。個体と全体は常に繋がっている。
父親といういちばん身近な他者との関係構築を、10年前に強制停止させられてしまった笑は、その延長線上にあるおおきな『世界』へ、どうアプローチしたらいいか判らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
でも、世界とつながっている実感はある。感覚と方法がマッチしない違和感が、道が見えないフラストレーションを加速させていく。
『正義』とか『世界』とか、でっかいお題目にリアリティを持つのは大変だ。それが大切なものだと判っていても、Zは娘の生存のために蹴り倒し、笑は関係ないと突っぱねる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
それは自分しか見えない人間の卑小さ、エゴの性質をより大きなものと接合する道筋が、巧く作れないからだろう。
ケンは今回、悪の親玉であるZを問い詰めにいく。『世界』を壊しているから、『正義』に反しているから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
そういう大きなものを背負いつつも、彼が一番気にしているのは笑個人だ。ケンは、様々に違いのある個人を適切に扱ってこそ、『』付きの大義が成立することを見落とさない。
あくまで個人の想いがあって、その集積がより大きなものになる。ケンが信じ、体を張る『正義』はそのような性質のものであり、逆ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
だから『勝てないぞ』というカーンの忠告に、『戦いに行くわけじゃない』と答える。Zもまた、ケンにとっては想いを持つ個人、正義の1ピースだからだ。
そしてエゴから始まる『正義』は、想いに近すぎると歪んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
自分のことが一番見えていない、見えているのに自己暗示をかける笑や、肉体を失った亡霊として、残された想いに凝り固まったZの姿は、孤独の弱さを戦闘とは別の形で示している。今週も、ケンが一人で戦うとピンチがやってくる形だったね
『全然楽しんでいるようには思えない』と、笑の日常を評するテツヤ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
そう言えるのは多分、初めて体験するボーリングやカラオケやクレープが、滅んだ世界からやってきたキャシャーンには、とても面白いものだからだ。
経験し、感覚し、個人単位で出発する。その道程は、善悪超俗皆に共通だ。
肉体を失い、ただ『笑の生存』という願いだけに支配されたZは、個人と世界の適切な距離を失っている。それだけではなく、笑という他者との距離も見失って、自己の延長として笑を守ろうとしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
それを己で正すことが出来ない閉鎖性が、ヒーローとヴィランを分ける分水嶺なのかもしれない。
そのためには、他人(自分とは別に存在する個人であり、世界への窓)に心を開き、対話する必要がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケンにしてもカーンにしても、今回は暴力を持ち出さずまず話す姿勢が強調されていた。対比として、対話を打ち切る/強要するための暴力も。
ケンが差し出した言葉は、実際に娘の死を体験し、そこに囚われたZには効果が薄い。(あるいは効きすぎる)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
『口ではなんとでも言える!』という反論に答えるために、ヒーローの力は存在しているのかもしれない。己が本気なのだと、拳で伝えるためのコミュニケーション・メディア。
ベル・リンが超かっこいいゴリラ・フォームで伝えてきたのも、『己は本気だ』というメッセージではあるが、それは笑にけじめを取らす…『Zの遺伝子を受け取る』という己の願いを砕かれた、ウサを晴らすためだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
一方的で強圧的で、暴力的。自分を譲る気のない対話は、『世界』には接合されない。
一方カーンはテツヤとの死闘を、そして自分と向き合う勾留生活を経て、個と世界との距離感を考え直していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケンにZの居場所を教えたのも、笑と対話し背中を預けたのも、テツヤが拳で打ち込んだ『生きるということは、ちっぽけでも自分の望みを持つということだ!』という言葉が、意味を持ったからだ
歪みを認識していながら、自分では正すことが出来ない。愚かな人間がどうしても背負う宿命を、あの戦いでカーンは吐き出していた。そして、彼と同じく置いてけぼりにされた子供である笑は、その叫びを聞いていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
だから、笑のコードはカーンの前に笑を連れて行ったのだろう。同じで、違う存在の前に
ヒーロー達は、家族として食事を共にし、親しいからこそ本心は言えない『家族』になっている。笑が己を見つめ直すための鏡としては、あまりに近すぎる存在に。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
『敵』だったカーンが、笑がヒーローとして、子供として自分だけの願いにたどり着く瞬間に居合わせるのは、遠いことの価値を大事にしている
笑が世界を気に欠けないアリバイとして、言っていた『私はヒーローじゃない』という言葉。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
しかし事実として、笑はケースに触れ、自分だけの特別な力を手に入れていた。そしてそれは、ヒーローを助けるものではあっても、ヒーローの絶対条件ではない。
最も身近な存在である自分の感覚から出発し、嘘のない願いにたどり着きつつ、それを鮮明にしてくれる客観的な他者を大切にすること。『世界』に対し開けていること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケースが世界移動装置としても機能しているのは、非常に面白い。一つに収斂する閉塞した願いも、他者に会いに行く旅も両方叶えるのだ
笑のヒロイズムの覚醒、父親との密着しすぎた距離感を再定義する成長は、カーンとの対話で生まれたものであるし、またカーンが自分の願いと希望に向き合い直すチャンスにもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ヒーローであることを一度は諦めてしまった子供たちが、お互いを照らし合わせ、より真摯な答えに歩んでいく姿が眩しい。
そしてカーンが過去の自分に囚われすぎず、それを思い直すことが出来たのは、テツヤが体を張って彼を止めたからだ。『言葉だけではなんとでも言える』という拒絶を乗り越えて、魂の暴走を止め、身勝手な破壊を制止する。ヒーローの戦いは、自衛であり対話であり治療であり、休養のチャンスを造ることだ
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケンとZの戦いは、その領域までまだ届かなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
鋼鉄の素顔を晒したZは、もう顔のない世界破壊者ではない。愛ゆえに歪み、もう一つの正義を選び取った個人だ。だからこそ、ゆずれない願いは強い。
五人の英雄たちがZに拳を届かせた時、彼にも休養と変化のチャンスが与えられるのだろうか。
世界も、個人の思いも、命も諦めない。不屈の正義で、全てを手に入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケンの宣言は強欲で正しい。そこにたどり着けず、娘だけを求めてしまったZは弱い…というには、ケンが求めているものは大きすぎる。
そのデカさ無茶さは、ケンも重々承知だろう。それでも、全てを手に入れると宣言するのだ。
大きすぎる願いを前に、何か方法がないか、諦めずに探し続ける。不屈と柔軟性を持ったまま、たとえ失敗しても摩耗しきらず、人間性を持ち続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ケンが歩もうとしている道は、とても険しい理想だ。でも、『もしかしたらやれそう』という希望が持てるのは、やっぱりそこにケン個人がいるからだろう。
飯を食い、ズカズカ踏み込んできて、暑苦しく叫ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
ここまで『一個人』としてのガッチャマンをちゃんと描いてきたことが、Zに突きつけた苛烈な正義に、痛みと説得力を与えているように思う。
彼だって傷つく。諦めもする。でもだからこそ、安全圏から他人事で言っているわけではないと、信じられる。
そしてそれは、現状言葉でしか無い。笑を生存させるワクチンが、世界破壊にしかないようにみえる状況を、ヒーロー達はひっくり返さないといけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
マリアを復活させることで、Zの行動が持つ一面の正義をしっかり復権させているのは、巧い運びだ。
『ゾンビロボットからじゃ、最高の遺伝子取れないじゃん! 私の夢かなわないじゃん!!』と暴れまくるベル・リンちゃんゴリラモードをどう止めるかも含めて、来週も楽しみである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
道を見つけ、父の呪縛を振り払ったWヒーローの活躍もな。いやー、カーンさんをこう使ってくるの、素晴らしいと思います
ヴィランが『変わりようのない悪』として描かれていない今作。すぐチョロリそうに見えて彼らは結構頑固で、ヒーローと同じ『ゆずれない願い』にしがみついて暴れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
その頑固さが、『個人の感情がまず出発点になる』というテーマを、影から照らしているように思う。心はなかなか、どうにもならんのだ
そういう重たいものが動き、生き様が変わる過程として、笑とカーン(その前景として、カーンとテツヤ、笑と二人の父)の交流は、説得力があった。カーンのオモシロ拘束黙考タイムも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月21日
暴走するリンちゃんに、言葉を届かせるのは誰か。言葉だけではないと、証明するのは誰か。ほんと面白いなこのアニメ