恥ずかしいほど青春ど真ん中、男たちの蒼い律動が炸裂するアイドルアニメの超王道、今週はHigh×Joker後編!
第7話で確認した青春力、結束力、そして隠しきれない陰りと不和をしっかり拾い上げ、『高校生』が観客を楽しませる『アイドルバンド』への第一歩を踏み出すお話でした。
SideMアニメの強みである爽やかさ、物分りの良さをフルに回転させつつ、デレアニ6話を演出した長町英樹による象徴性の高い演出、細やかなカット割りが感情を瑞々しく切り取ってきました。
それぞれ負い目を背負い、それでも光に向かって走り出す少年たちの、あまりに眩しい輝きが画面に満ち満ちていて、しかもそれは真っ直ぐにステージへと集約していく。
『学生』の物語として、『アイドル』の物語として、非常によくまとまり、表現力の高いエピソードでした。
というわけで、第7話の『出題編』を受けて『解答編』となる今回。
相変わらずHigh×Jokerの五人にカメラをしっかり寄せ、彼らの五角形がどう運動していくかを捕らえつつ、その外側にある『アイドル』としてのステージ、観客、そこに導いてくれる大人なプロデューサーも見据えた、横幅の広い回となっていました。
舞台となっているのは同じ『高校』なんですが、学園祭というオープンな祝祭を活かし、『アイドル』と『学生』が交わる舞台を巧く整えていました。
完全なアウェイに飛び込みプロとして厳しく審査されるでもなく、かといって完全に身内で閉じこもるでもない。
このステージセットは、第4話で描かれたBeitの初ステージに通じるものがありますね。
思春期という殻の中で微睡みつつ、段々と大人になりつつあるHigh×Jokerの子供たち。
一見同じ制服に身を包んでいるように見えて、その実個性と役割が個別にあるというのは、第7話でもしっかり掘り下げられたところです。
あの時描いた五角形を引き継ぐ形で、今回も四季と旬が主に凹み、それをリーダー隼人、兄貴分の春名、旬介護要因の夏来がフォローする物語が展開されます。
今回のお話はやろうと思えばいくらでも重く、暗く出来るエピソードです。
例えば作曲出来ない四季が自分の欠落を埋める手段をなかなか見つけられなかったり(それこそ、デレアニ第22話からの島村卯月のように)、旬が仲間と自分を認めるまでに時間がかかったり、あるいはフォロー役の力が足りずにHigh×Joker全体が地盤沈下したり。
『リアルでシリアス』な空気を重視して話全体を下げるチョイスはいくらでもできたと思うのですが、凹む場面、重たくなるシーンはあっても、フォローが即座に来て話の舵は常に上向きに調整されています。
これは1クールを心地よく走りきることを重視した、非常にSideMらしいストレス・コントロールだと思います。
例えば旬が『みんなを楽しませる事』に前向きになりきれず、結果High×Jokerにも溶け込みきれない理由(ワケ)は、具体的には語られません。
細かい事情はさておき、旬は空っぽな自分を何処かで遠くから見ていて、これを埋めれないでいる。
細かく語らないことで重さは分散されるし、説明のための、そして解決のための時間も省略できる。
あえて踏み込みすぎないことで、処理しきれるだけの重さをエピソードに取り込み、陰影をつけるテクニックを感じます。
そしてポーッとしているようにみえる夏来は、そんな旬の欠落によく気づいているし、それを言語化してちゃんと届けている。
その心配りがあって、段々と旬が自分を見つけ、High×Jokerに居場所を見出す物語が、視聴者の心をひっかく棘をむき出しにせず、コントロールされた状態で展開していきます。
あるいは旬に『絶対ってなんですか!』と叩きつけられた後の、四季のリカバーの速さと、仲間のフォローの分厚さ。
他者との距離感を掴みきれない浮かれポンチっぷりが四季の短所であり、長所でもあるわけですが、仲間はそれをしっかり判っていて、言葉ですぐさま伝える。
その後押しを受けて四季は自分に出来ることを見つけ、実際に行動に移す。
ビラ配りの中で、High×Jokerの劣等生であり最初で最強のファンでもある四季が、自分をHigh×Jokerだと信じきれない旬に決定的な変化を与え、High×Jokerが一つにまとまっていく。
High×Jokerという集団をまとめ上げている、同志愛という引力が非常にスムーズに作用して、物語とキャラクターがバラバラになる事態を回避しているわけです。
High×Jokerは高校生なので、旬と四季以外のメンバーも凹んだり、悩んだりして良い……はずなんですが、フォロー役に回った三人はとにかく堅牢な姿勢を崩さず、仲間を支えきります。
彼らまで凹んでしまえばHigh×Jokerは空中分解し、それをPちゃんがまとめ上げて再生させていく方向に舵を切るしかないわけで、隼人は頼もしいリーダーとして、Pちゃんの介入を蹴る。
あくまでHigh×Joker五人が、自分たちの引力で『バンド』になっていく物語として、今回の物語は精妙に調整されています。
それは何かと最年少の四季を気にかける春名や、旬にべったりマンマークしてその揺れを受け止めている夏来にも言えるでしょう。
フロントに飛び出して話を上下に乱す『悩み役』と、彼らをバックスで支えて調子を整える『まとめ役』の境界線を崩さないことが、お話全体を収まりよくすすめる足場になっているわけです。
これは今回のエピソードだけではなく、例えば第3話における翼と輝、あるいは第4話における恭二とみのりのように、SideMアニメ全体に言える作りだと思います。
SideM『らしい』手腕を活かしつつも、今回はこれまでのエピソードに比べると格段に抽象度が高い演出が多く、物言わぬはずの物質のクローズアップが物を言う、フェティシズム溢れるエピソードとなっています。
この場合の『フェティシズム』は物質への性的偏向でも、俗流の部位への好みでもなく、より原義に近い『物神信仰』としてのフェティです。
セリフに乗せてしまえば分厚すぎ、あるいはあからさま過ぎる信条や状況を、物言わぬ物質にかぶせることでより繊細に表現できるという、表現手段への信仰。
強力な『意味』を付与することでアイテムは物質以上の存在に変化し、特定のメッセージを強烈に放射し、物語を分厚く、多層に仕上げていく。
モノに込められた暗号(あるいは祈り)を読解するのはかなり体力がいる、難しい行為なので、あくまでライトに進むSideMアニメではメイン・メソッドとしては選択されてきませんでした。(それをチョイスしたのがデレアニです)
しかし随所にモノに喋らせる方法論は生きていて、例えばキャラクターの立ち位置、的確なタイミングでのクローズアップ(特に『踏み込む足元』)、ライティングなどで状況を語る手腕は、重くなりすぎないよう慎重に取り込まれ、このアニメの語り口を豊かにしてきました。
レイアウトが語る関係性は第3話の空港のシーンが一番わかり易いですが、今回も旬が部室で気持ちをぶちまけるシーンで、1+4に五人が切り分けられ、壁があることが示されます。
そこにあっても不自然ではないアイテムを的確に障壁に使い、絵としての緊迫感を維持し、そこに人間関係のメッセージを込めてくる手腕が冴えているからこそ、High×Jokerの中の旬、旬の中のHigh×Jokerがどのように孤立しているか(そしてこの後、それがどう補填されるか)が分かりやすくなる。
そして最も分かりやすいフェティシズムが『食事』です。
第3話で翼が『運命共同体として、一つになる儀式』と位置づけて以来、第4話のたこ焼き、第5話のおかゆ、第8話のカレーと酒、第9話のみかんとモツ鍋とカレーと、食料というアイテム、それを食べる行為(あるいは食べない行為)に強い意味をもたせ、物語は展開してきました。
今回もそのラインは健在で、部室で食べる昼食、あるいは夏来と春名が練習後に摘むドーナツなどが、画面に刻まれます。
第7話では同じ場所で食事を取らなかった五人ですが、今回は席を同じくし、しかし同じものは食べない。
四季は(ボーカルなのに喉に悪そうな)激辛ラーメン、春名はいつものドーナツ、旬と夏来はお行儀の良いお弁当(剥き出しではなく、包まれているモノ)、そして隼人は購買のご飯です。
そんなバラバラな彼らですがお互いに思いやってはいて、四季が似合わないラーメンにむせた時、夏来は自分のお茶を差し出し、のど飴と一緒に労っています。
四季もまた、そんな仲間の思いやりを受け取っている。
あのシーンには、なかなか混じり合わないけどもだからこそ面白い、五人のバンドの今が活写されているわけです。
あるいは冒頭、ジュースで乾杯しているシーンも『食事』の描写でしょう。
事務所の大人たちが、第5話で、あるいは第8話、第9話で見せていた『固めの盃』を子供である彼らは飲めないけども、同じように気持を一つにする儀式として、ジュースで乾杯する。
でもそれは、個別のパックに閉じ込められたバラバラの飲み物であって、一つの入れ物から分配された流体ではないわけです。
混じり合えない旬と四季を中心核に据えて今回の物語が展開する以上、それを象徴する『固めの盃・子供用』も完全に混ざり合ってはいけないわけです。
夏来と春名が口にしていたドーナツも、『固めの盃』の一種でしょう。
彼らは旬が提案した『とにかく練習する』というパスを真剣に受け止め、汗を流して一緒の音楽を作ろうとする同志。
ここまで春名を象徴するフェティッシュとして、また団結の象徴として第1話、あるいは第6話で使われてきた『箱入りのドーナツ』を、夏来が口に入れる瞬間、二人はわだかまりなく同じ世界を見れているのです。
そんなスムーズな団結をあの場で確認しているからこそ、後に表面化する四季と旬の過剰と欠落も、穏やかに補われ、High×Jokerは一つになっていく。
あの箱に入ったドーナツが『五つ』であることが、どのような暗喩を秘めているかは分かりやすいところですね。
また『食事』だけではなく、無機物の暗喩も今回強烈に乱打されていました。
例えば冒頭とラストの風船はとてもわかり易い。
ライブを依頼された段階では天井につかえていた一つの風船は、ライブを成功させたラストカットでは無限の大空へと、5つの夢を乗せて伸び上がっています。
飛べない孤独な風船と、無限へ旅立つ五つの風船が、衝突を経て一つになったHigh×Joker、彼らを一つにまとめあげたこのエピソード自体の象徴であるのは、論をまたないところでしょう。
夏来との帰り道、『五つ』の電灯がパパパッと灯って、最後の一つが煮え切らない点滅を繰り返す様子と、『みんなを楽しませること』『四季のパーソナリティを飲み込み見れないこと』に悩む旬との重ね合わせ。
仲間たちが徒歩で帰る中、たった一人『自転車』という特別な乗り物で駆け抜けていく四季。
空っぽのゴミ箱を抱えた旬が、何かを失った己の空疎に悩む様子(楽しそうに進む人々の流れに逆らい、苦しそうに歩く描写との相乗効果が見事です)と、悩んで見つけた自分の夢がみっしり詰まった、四季のダンボールとの対比。
『悩み役』である二人が何を抱え、何を失っているかをモノに語らせることで、視聴者がメッセージを読解する余地、視聴者を引き込んでいく豊かな詩情が次々に生まれていきます。
あるいは『風』や『光』といった現象も、強烈にモノを語る。
夏来が旬の空疎を見抜いて『何かあった?』と問いかけた瞬間、カーテンと心をゆらして吹き抜ける風は、四季があまりにもピュア過ぎるHigh×Jokerへの愛、その中で輝き笑う旬の真実を叩きつけた時、もう一度吹く。
怒鳴られて、悩んで、ようやく見つけた『自分だけが出来ること』としてビラを配る四季は光の中にいて、まだ自分の空疎を埋めきれない(が、眼の前にいる仲間にそれを運命的に充足されてしまうことを約束された)旬は、陰りの中で足を止めています。
四季があまりにも決定的な告白をして、心の中にわだかまっていた『理由(ワケ)』を乗り越えて、旬は光の側へと踏み出し、High×Jokerはようやく一つになる。
具象は常に心象であり、物言わぬモノは物語の中でものを言うわけです。
(ちょっと脇道にそれますが、デレアニ第1話での『出会い』の物語を、あのガード下でのロマンスに幻視した人は多いと思います(つーか、僕は見た。30回以上見直して脳髄に刻み込まれちゃってるあの詩的空間と、今回のガード下は同じ空気で構成されていた)。
春の公園、花咲き乱れる美しい季節に渋谷凛と島村卯月、そしてプロデューサーが果たした、圧倒的な運命の出会い。
瞳のアップ、風、光、飛び散るビラ=天使の羽、心の動きをそのままカメラが切り取るスローモーションと、デレアニが多用(あるいはもしかしたら濫用)していたエモい映像文法が、全力で振り回されていました。
今回四季が伝えるのは『一番側で一緒に戦う仲間が、実は一番最初にアイドルの光に貫かれたファンでもある』というメッセージです。
デレアニ第1話で渋谷凛が島村卯月に、あるいはプロデューサーが渋谷凛(と島村卯月)に感じた運命的出会いと同じインパルスが、あの時旬には走っている。
俺が見つけられなかった本当の俺が、お前の笑顔の中にあるという、劇的な衝動に出会うことで、人はステージへと導かれ、アイドルとして輝き、ユニットの仲間と一つになっていく。
それは先に己の物語を走り終えた少女たちの青春と呼応しつつ、High×Joker、あるいは冬美旬と伊瀬谷四季だけが持つ特別な物語として、フレッシュな輝きを放っています。
個人的に面白いのは、あの公園で生まれた『出会い』が時に呪いにすらなり、少女たちの歩みを支え縛る物語として25話展開したデレアニの長さと、その出会いをあくまで一話限りのの発火剤として活用しきり、ライブという形で最高潮に使い切ってしまうSideMアニメの、方法論の違いです。
無論あの運命の出会い(出会い直し)で生まれた変化は波紋となり、合同ライブや今後の315プロを支えていくわけだけども、生まれた波は物語全体を支配し切るほど巨大ではない。
渋谷凛が押し流された感情の波が巨大すぎることは、例えば第23話でクッッッッッッソ面倒くさい公園問答を生み、迸るパルスを島村さんに叩きつけて泣かせたりする結果を生むわけですが、四季と旬の間に生まれたレゾナンスは非常に収まりのいい音楽となり、ラスト・ステージへと繋がっていきます。
この物分りの良さ、残響を呪いに変えない穏やかさが、SideMの『色』なのかなぁと思いました。
同じ物分りの良さは演出ノートにも言えて、旬と仲間たちが思い描いた過大な妄想は、プロデューサーという『大人』の適切な助力によって一話内部で完遂され、ライブという現実になる。
自分たちの内側で閉じこもっていた巨大な思いのマグマは、しっかり方向づけされ具体化し、観客を喜ばせるべく外部へと飛び出していく。
デレアニ第5話で少女たちが拙く描いた企画書、形定かならぬ夢が実現するまで13話(完遂するには25話とその先に続く無限の物語)が必要だったのとは、大きく違います。
ここら辺の『夢の設計図』が形になるまでの時間は、例えば第5話で眠れない夜に語った曖昧な夢が未来への補助線になっている様子とも、強く呼応しているでしょう。
あるいは先週、Wセンターが空っぽのいライブ会場で見据えた未来とも。
アイドルは皆夢を見て、曖昧で誇大なその熱量を具体化していく歩みこそがアイマスという物語なのかもしれません。
ただ、今回のHigh×Jokerがノートに書いた夢が具体化する速度、物分りの良さは、圧倒的に速く鋭い。
その速度と整い方に、SideMアニメが『アイドルマスター』という巨大な物語の中で持っている特色、あるいはシリーズアニメーションとして物語を繋げていく中での強さが、鮮明に出ているのかなと思いました。)
象徴はHigh×Joker自体にも多層に織り込まれていて、例えばキャラクターの名前に季節が織り込まれていて、四季がそれを取りまとめるカテゴリーになっていたり。
スートもランクもバラバラでハイガードにしかならない四人が、ジョーカー・オールマイティを加えることで一役出来たり。
フォーシーズンズとトランプの暗喩は非常に強力に、High×Jokerの関係性を象徴しています。
第七話でHigh×Jokerに憧れつつそこに飛び込めない自信のなさ、カメラ越しの『客観』に閉じ込められいる様子を、こと細やかに描写されていた四季。
『自分には何もない』からこそ、『そんな自分を震わせてくれた』High×Jokerを愛おしく思い、同時に飛び込みきれない仮入部のミソッカス。
そんな彼が見つけた『自分だけが出来ること』は、空回りしていたテンションを舞台全体に拡大し、あるいは熱意をビラに結晶させて観客に届けることでした。
空っぽの大ぼらしか吹けないと自分を遠くに見ていた少年には、実は『道化(Joker)』としての才能がたくさんあって、大声で人を巻き込み、熱量を伝播させ、狂騒を掻き立てる仕事ができた。
最弱の札は実は、バンドに必須の最強の札だったということも含めて、四季はHigh×Jokerの要たる『道化師』なわけです。
そんな彼は第7話から引き続きフワフワと落ち着きがなく、実力も足りていません。
ランニングで行くども体力の無さを描写されていたように、重い荷物を運ぶと汗だくになって、凄く小さくなってしまう。
兄貴分の春名と『重たい荷物』を一緒に運んだ後も、旬と部室でぶつかるときも、彼は低い位置に体を折りたたんで、とても弱々しく描かれている。
憧れのHigh×Jokerに居場所を見つけられない、一番小さな末っ子だというのは、自己認識だけではなく客観的事実でもあるのでしょう。
ビラ配りのシーンは末っ子を飛び出して、完全に『女の子』として描かれています。
挑発的に肩をむき出しにした衣装はスカートにも見えるし、間接は内側に入って乙女チックです。
『ビラを押さえる』という合法的理由を抱えて、胸元に両手を寄せた乙女ポーズを捉えるところなど、犯罪的な計画性を感じさせます。
あのシーンは旬が運命と自分自身に出会う過剰にロマンチックな見せ場なので、王子様-お姫様類型のビジュアルを借景してきて、演出として使い倒す意図が見えますね。
プロはすげーなーやっぱ。
勝手に跳ね回って、断りなくハードルを上げて、でもその元気が可愛らしく、またメンバーの誰も背負えない四季の武器でもある。
第7話でも丁寧に切り取られた、四季が持っている明暗は今回、光の側面が強く出ます。
過大な妄想にすぎない演出ノートはPちゃんに拾われ、全て現実になるし、同じことを考えることでHigh×Jokerを一つにまとめあげる、かすがいの仕事もします。
皆がSD作画でバンッバンアイデア(あるいは妄言)を叩きつける中、旬だけが『練習しましょう』というマジレス投げてくるところは、彼のキャラクター性と孤立を巧く表現していました。
わだかまりが溶けたあとの自宅での集会では、『間奏でメンバー紹介をする』という演出を思いつき、他のメンバーと同じ土俵にようやく乗っかれたことを表す意味でも、あそこでの空回りは大事だ。
作曲も出来ない、体力もない、リーダーシップを発揮することも出来ない。
ないないづくしの四季が『自分だけが出来ること』に辿り着くためには、仲間のフォローが必須です。
旬に言葉を叩きつけられた後、すぐさま隼人と春名が言葉でカバーし、孤独に悩みながら帰宅する道すがら、ラインを送ってもくれる。
その言葉に助けられて、自分なりに考えて考えて壁を突破し、『ビラを配る』……道化としての才能を具体化し、世界に向かって交付し巻き込むことを思いつく流れは、なかなかスマートでした。
一人なら空回りして前に進めない車輪だけど、優しい仲間が地面につけてくれることで、前進のためのパワーに変わるんだね。
四季が『High×Joker最高の道化になろう』と思い切れた根本には、他のメンバーが持ち得ないファン目線があります。
最初二年生三人で始まった名前もないバンドに、圧倒的な輝きを見つけた遠い立場だからこそ、High×Jokerが持っている可能性を信じ、仲間たちの音楽と笑顔を信じられる。
アイドルは輝いている自分自身を存外認識できないものであり、それを教えてくれるファンもまた、アイドルに負けないくらいの輝きを持っている。
High×Jokerが『アイドル』としてのステージに辿り着くまでを描く今回、四季が持っているファン性が物語を良い方向に進めていくのは、非常に面白いと思います。
四季がビラを配り、High×Jokerの良さを世界に知ってもらおうと足掻いた行為は、悩める旬にも届きます。
失った『何か』との決着がつかず、アイドルの本分である『皆に楽しんでもらうこと』に素直に向き合えない(隼人がノーモーションでこの『正解』を握りしめているのは、さすがリーダーですね)旬は、High×Jokerによって救われ、人生を変えられた四季の光を目にすることで、自分も見つける。
ステージの上で確かに笑っていた、笑えていた自分、笑わせてくれていたHigh×Jokerを再発見する。
太陽と月が相照らすように、High×Jokerの仲間の光は共鳴し、あるいは増幅しあってお互いを照らす。
ラスト・ステージのメンバー紹介(他ならぬ旬の発案!)で、『ハイパーアゲアゲボーカル!』と紹介された瞬間四季が一瞬立ち止まるのは、『客観』のレンズの奥に閉じ込めていた自分を真実High×Jokerに溶け込ませる前の身震いを、丁寧に切り取ったからでしょう。
同じ場所を共有していても溶け込めきれず、ずっと遠くから眺めてきた遠い星が、グッと近寄ってきて自分の名前(旬が四季を呼び捨てにするのはこの瞬間が初めて)を、仲間として認めてくれる。
ずっと求めてきた『その一瞬』が胸に飛び込んできたからこそ、あの一瞬のタメがあって、そこから『ハイパーアゲアゲボーカル』として堂々と歌いきるステージに繋がるわけです。
それはガード下で旬に、旬が気づいていない真実を届けた時のスローモーションと同じく、膨れ上がった感情が運命と出会う瞬間独特の、特別な時間なのです。
今回の物語はHigh×Jokerが真実High×Jokerになる物語であり、ずっとHigh×Jokerの外部にいる自分を『客観』で見ていた四季が、『オレたちHigh×Joker!』と『主観』で言えるようになるまでの物語でもあります。
憧れのHigh×Jokerの一員として恥じない、『自分だけが出来ること』『最高の道化師』というポジションを見つけた結果、彼はようやく自分を肯定できるようになる。
そして最初からバンドメンバーとしてHigh×Jokerの内部にいた旬が気づき得ない輝きを、最も近くて最も強いファンとして指摘することで、旬にも受け入れられる。
High×Jokerの『外部』にいた四季との距離を詰めることで、旬は同じくHigh×Jokerに溶け込めきれなかった自分を肯定し、『四季のいるHigh×Joker』も肯定できるようになる。
それぞれ異なる立ち位置とあこがれは、少年たちの間で乱反射し、青春の一瞬にしかなし得ない生のきらめき、自己肯定の輝きを強く強く呼応させていく。
今回はそんな物語が非常に強く、真っ直ぐに語られていました。
四季がHigh×Jokerへの憧れ、道化としての才能を『過剰』に持ちすぎているのに対し、旬は『何か』が抜け落ちた穴を埋めきれない『欠落』に満ちています。
夕日の帰り道、輝く未来に向かって瞳を輝かせ、『誰かを楽しませる』というアイドル/バンドの本分を迷わず捉える正しさに、旬は立ちすくむ。
あるいは作曲に協力しつつ、ピアノを弾ききれずため息をつくシーンからも、『何か』が足らず、かといって同じ場所には帰れない中途半端さが見え隠れします。
妄想全開の演出ノートを前に『とにかく練習』というマジレス返したのも、尋常ならざる練習量が基本となるクラシック音楽をベースにしつつ、そこに戻るわけに行かない『理由(ワケ)』があるからかなぁ、とか思いました。
重厚なピアノを据え付けるのではなく、機動性のあるショルダーキーボードを抱えて引く今の自分を、旬は肯定しきれていなかった。
『絶対ってなんですか!』と声を荒げてしまうような挫折が、過去に横たわっているからこそ、気楽さを演じて戯ける四季を認めることができなかった。
その陰りが足かせになって飛び込めなかったHigh×Jokerに、夏来と四季が巻き起こした風に後押しされる形で真実体を浸し、彼もまた『オレたちHigh×Joker!』と叫べるまでの過程が、今回切り取られている気がしますね。
かつて同じ場所に在りつつ視線がすれ違っていた、旬の自宅。
今回思いが一つにまとまる場所として選ばれた場所に『時計』があるのも、デレアニの系譜を強く感じる演出でした。
12時に魔法が解ける”シンデレラ”をモチーフにしたデレアニでは、毎回一度は時計が切り取られ、一歩ずつ先に進むアイドルたちの時間を象徴していました。
そこから離れつつ法統を継ぐものとして、旬が『メンバー紹介をしたらどうでしょうか』と口にした後、カチリと針が進む一瞬が切り取られるのは、ある種の『流れ』を感じました。
アレは『道化師』の才能が一切ないマジレス人間の旬が、どうしてもノレなかった四季の『アゲアゲ』な気質を自分の中に取り込んで、自分なりに『皆に楽しんでもらうこと』を表出した瞬間です。
四季が旬に『絶対ってなんですか!』と怒鳴られ、兄ちゃん達にフォローされて色々考えて『ビラ配り』にたどり着いたように、そのビラを受け取った旬も自分なりに『皆に楽しんでもらうこと』に向き合い、伊瀬谷四季に向き合って、High×Jokerになろうとした。
その決定的な歩み寄りがHigh×Jokerを『バンド』に、『アイドル』に変えるからこそ、時計の針は動くのだろうなぁ、と思うわけです。
同時に旬の音楽的バックボーン、真面目な気質はHigh×Jokerに必要不可欠なもので。
穏やかに見守るもの、リーダーシップを取るもの、気さくに皆を鼓舞するもの、浮かれ騒いで巻き込むもの。
色んな表情、色んなスートが集まってひとつになるからこそ、バンドもアイドルも人間も面白い。
『道化師』と『笑わない少年』、二人の厄介な青春を丁寧に追いかけた結果、High×Jokerをはみ出し、アイドルをはみ出し、青春を経験するあらゆる人間に通じる真理に手をかけているから、今回のエピソードには力がある。
そう感じます。
陽と陰、方向性は真逆ながら同じように面倒くさい仲間を抱えて、High×Jokerの三人も非常に頑張っていました。
『悩み役』と『まとめ役』に分割されつつもも、『高校生』という区切りでまとまった青年として時に揺らぎ、時に健気に眩しい光を放ち、あくまで人間として彼らを描ききっていたのは、とても良かったと思います。
物分りが良いのがSideMの強みですが、だからといって人間が必然的に背負う弱さや脆さを捨て去り、過剰に『正しい』物語はやらない。
むしろソフトな筆先で真摯に弱さや陰りを切り取り、それを乗り越えるからこそ尊い人間の価値を丁寧に積み重ねていくことが、等身大の自分を乗り越え『アイドル』として『みんなを楽しませる』存在になる物語に必要な分厚さを、しっかり支えているように思います。
隼人くんはHigh×Jokerのリーダーとして、新曲を作り、Pちゃんに必要なだけ相談し、先頭を走る仕事をしっかり果たしていました。
頼りなさげに見えるんだけども、実はリーダーというポジションに誇りを持っていて、仲間のために、自分のために背筋を伸ばしてちゃんと戦おうという意志を見せてくれたのは、本当に素晴らしかった。
自分のことだけで精一杯な年頃のはずなのに、メンバーの曇り顔だけでなく『大人』なプロデューサーへの迷惑まで気にかける辺り、人間出来てるなぁ……。
その人格的完成度が凄くナイーブな感性と、仲間との絆をありがたく思える優しい心から生まれている所が、真実強いよね。
強くなろうと強張って強くなってるわけじゃなくて、柔らかくしなやかなに秋山隼人『らしく』強いというか。
春名は最年長として弟分の面倒を見つつ、かと言って肩肘張った関係を作るでもなく、ナチュラルにHigh×Jokerで在り続けました。
子供、あるいは女の子として描かれる四季の面倒をとにかくよく見て、お水(『口に入れるもの』)を買ってきてくれたり、戯れるように喧嘩したり、かと思えば春名とシリアスな距離感を確認したり、視力の良い立ち回りでした。
夏来と食べてるドーナッツがチョコファッジのかかったオールドファッションで、ちょうど明るい茶髪をバンドで止めてる春名の髪型とシンクロしてたの、象徴性高かったなぁ。
やっぱあそこの『五つ』のドーナツは、『五人』のHigh×Jokerの暗喩だよなぁ……。
そしてクッソ面倒くさいナイーブマジレス人間のお世話役、夏来くん。
自己主張少ないかと思いきや周辺視野が広いのは第7話から引き継ぎで、虚無を抱えて部室にやってきた旬に「なにかあったの?」と尋ねることで風を吹かすのは、まぁ彼の仕事だよね、という。
四季だけが旬の心に風を通す特権を持っているのではなく、夏来もまた心の鍵を預けられている描写になっていて、凄く良かったです。
Pちゃんが持ち出した『仕事』に他メンバーが驚く中、真っ先に喜ぶ描写は第7話でプールに飛び込んだときとリフレインしてて、好きな演出ですね。
ボーッとしているように見えて、一番コアな部分に積極的に飛び込んでいく勇気がある子なのだね。
そして高校生の健気さをしっかり受け止め、バカガキの夢をポーンと現実にしてしまう大人力を見せたプロデューサー。
基本High×Jokerの自主性に任せつつ、彼らが一番安心して『アイドル』出来るだろう『学校』での仕事を取ってきて、形にならない夢をキッチリまとめ上げて。
五人が『バンド』になる最高の瞬間を、最高に輝かせる縁の下の力持ちをしっかりやりきっていて、最高のプロデューサーだなと思いました。
思えばPちゃんも、高校生バンド選手権でHigh×Jokerを見てスカウトした、一番身近なファン。
ファン目線を共有する四季からのメッセージを受け取って、High×Jokerの輝きを寄り多くの人に届かせられるよう動いたのも、旬と四季の間にあるのとはまた別の乱反射なのかもしれません。
今週のお話はHigh×Jokerに焦点を合わせ、他のアイドルが顔を見せないクローズアップの物語です。
少年たちの瑞々しい心が、お互い触れ合ってどんな波紋を投げかけるかを、非常に繊細なカメラワークで追いかける。
しかしそこで足を止めず、『ステージ』という接触点を通じてファンと、他者と触れ合う形でも展開していることが、凄くリッチだと思いました。
第7話が『学校』を外部に開放されないシェルターとして描き続けたことが、学園祭で外側に解放される心地よさを、巧く高めている感じだ。
外に向かって開けていく『アイドル』が、ファンに与えるだけでなく、ファンからも与えられるのだということは、Pちゃんや四季が今回身をもって証明した部分です。
旬が膝を曲げ、目線を合わせてビラを配っていた子供たちは、お母さんに連れられてステージを見に来ていました。
与えて、受け取って、また与えるリフレインは、何もバンドメンバーとの緊密な間柄だけで発生するわけではない。
『誰かを楽しませる』行為、『アイドルバンド』である自分を肯定できる足場は、名前を知っている特定の個人との間だけに発生するわけではない。
セリフが一つもない静かな描写なんですが、ともすれば青春の心地よさに閉じて腐敗してしまいかねないHigh×Jokerと旬に風穴を開ける一手として、凄く鮮烈な描写でした。
膝を曲げて『子供』と意志を通じ合わせるってのは、バンド最年少で自分を制御しきれず、戯けて浮かれ続けてるガキンチョな四季とも、和解できたってことだし。
あのとき多分、旬はちょっとだけショルキー抱えた『今の自分』を認めることが、出来たんじゃないかなぁ。
『アイドル』として人を惹き付け、明日へ向かう活力と笑顔を与えるステージ。
High×Jokerの到達点(であり出発点でもある場所)に説得力を与えていたのは、やはり渾身のステージ描写でしょう。
バンドらしく運指と楽器にこだわった作画、学祭レベルを飛び越えたド派手な演出、『夕暮れ(Sunset)』というシチュエーションを活かした真っ赤なサイリウムの海。
全てが鮮烈で、High×Jokerが一つになった時生まれる圧倒的なパワーを、しっかり証明していました。
楽曲”Sunset★Colors”も高校生の泥臭さ、真っ直ぐさを残した詞曲を巧く形にして、『今のHigh×Joker』が歌う曲として素晴らしい仕上がりでした。
315プロはもっと洗練された歌が作れるのは、ここまで聞いてきた歌達が証明しているわけだけども、あえてゴツゴツと角のある『高校生っぽさ』を自然と感じさせる曲にしてきたのは、物語の展開、High×Jokerのキャラクター性としっかり噛み合った、良い演出でした。
言葉同士のかみ合わせ、物言わぬ物神による演出、ドラマとドラマの鬩ぎ合いでボルテージを極限まで上げておいて、ズドンとステージそのものをぶち込んで『ああ、こういう話なんだな』と納得させる。
百万の人とも音楽で繋がれる、『アイドル』『バンド』を扱うエピソードに相応しい、非常に豊かなクライマックスだったと思います。
『青春の黄昏(sunset of youth)』
その先に続く闇を予感させるサブタイトルの物語は、これまで通り光の中で基本展開し、一瞬の陰りを嘘なく取り込みつつも、前向きに進みました。
子供時代のまばゆい光と、大人だけが踏み込める夜闇の中間点にある『夕暮れ(Sunset)』の中で、High×Jokerは一つに溶け合い、ファンに恥じることない『アイドルバンド』としてのステージを成功させた。
オレンジと青が複雑に入り交じる青春の色合いに飛び立っていく、五つの風船は、今日彼らが成し遂げた成功と、無限に続いていく明日の高みを写しています。
いつか夕暮れが終わり、また闇が世界を覆ったとしても、時計は先に進んで朝が来る。
そしてまた、美しい夕暮れの中で、五つの個性は新しいステージに飛び込み、成功させていくのでしょう。
何しろHigh×Jokerは天下無双、ハイパーメガマックス最高のアイドルでありバンドなのですから。
そういう期待感を込めて、明日に続く空で終わった今回のエピソード、とても素晴らしかったです。
そして来週は、サブタイトルからしてビンビンに判る桜庭回。
クッソ面倒くさい高校生の揺らぎを丁寧に切り取ったエピソードの後だけに、乙女のごとく震える繊細ハートの描写に期待が持てます。
桜庭が何かを隠していて、そこに踏み込まれることを恐れつつ期待もしている様子は、ここまで非常に丁寧に描かれてきました。
素直になれない面倒くさい黒髪眼鏡だけど、根っこは熱くていいヤツで、助けてやらなきゃいけない可愛い仲間。
狙っても描ききれない難しいバランスで描かれてきたオレたちの桜庭薫が、一体どういう爆裂を見せるのか。
叩きつけられる激重感情を前に、オレたちの天道輝と柏木翼がどういう答えを見せるのか。
丁寧に仕掛けた演出地雷が連鎖爆発する妙技を確認する意味でも、来週非常に楽しみですね。