イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスター SideM:第12話『どんな理由も、どんな夢も、、、』感想

アイドル事務所という運命の船に乗り、夢の舞台へ漕ぎ出した理由(ワケ)ありボーイズたちの物語、最高の到達点直前の第12話です。
先週炸裂した桜庭爆弾の暴走を描きつつ、彼の孤独とプライドを暖かく見守る周囲の視線、差し伸べられる手、それによって自分を取り戻していく薫の表情を、丁寧に描く回でした。
前歴と『理由(ワケ)』を背負い込んだ一人の男のプライドを、最大限尊重できる『大人』の対応。
薫のエゴイズムを適切に暴走させつつ、リカバリーに余計な時間を取られないよう、的確にダメージをコントロールする技量。
すれ違い、分かり合っていく日々を柔らかく切り取りつつ、必要な意味を必要なだけ盛り込む映像の詩学
SideMアニメの強い部分がフル動員され、見事に桜庭薫の精神的遍歴、それに振り回されつつ『みんな』になっていく3115プロを、的確に切り取るエピソードでした。
最終回一個前として見ても、大きな断絶を乗り越えたことでカタルシスが生まれ、ファースト合同ライブへの期待感がいや増す、見事な構成でした。


というわけで、315プロのお姫様、桜庭薫が散々迷って、強がりな自分を少しだけ『みんな』に預けるまでの物語が描かれました。
SideM全体に言えることですが、今回は薫個人の心を縦に掘り下げる物語であると同時に、ユニットの仲間、事務所の仲間との繋がりを幅広く描いていく物語でもあります。
特に薫は『一人』であることに固執し、その檻に閉じこもることで辛い過去、弱い自分を守っているキャラクター。
『一人』が実は『みんな』の中で成立していて、自分勝手に『迷惑をかけていない』と思い込んでいても、暴走の波紋が仲間に動揺を広げる様子も、丁寧にかかれていました。
薫をディープに掘り下げることで、彼が所属している事務所やユニット、『みんな』のことも的確に描ける、バランスの良い筆は健在ですね。

薫は結局、自分を突き動かす『理由(ワケ)』を皆にさらけ出さず、クールでドライな自分のスタイルも、劇的に変えることはありません。
ここら辺の距離感は、旬を過去に縛り付ける『理由(ワケ)』にかすりつつも、深く踏み込まなかった筆によく似ていると思います。
踏み込みすぎれば大きくキャラクターが削れ、それを補い新しく生まれ直す物語を描くには、莫大なコストがかかる。
1クールという限定された時間で、キャラクターの陰影を掘り下げ、彼ら『らしさ』を維持したままドラマを作るために、SideMアニメは非常に適切な場所で『あえて止まる』選択をしているように思います。

それと同時に、心の深部に根っこを張った『理由(ワケ)』を引きちぎって表に出さなくても、ある程度以上察して判ってもらえる物分りの良い距離感を、大事に大事に造っても来ました。
年齢高めな『大人』たちも、年若い『子供』たちも、エゴを巧く押さえ込み、仲間が負っている傷の深さ、それを覆い隠す鎧の分厚さをなんとなく察し、踏み込みすぎない優しさと賢さを持っている。
剥き出しの魂を全てさらけ出し、解決に時間のかかる重たい感情を爆裂させるのではなく、それが炸裂しなくても『みんな』になれる距離を、大事に大事に守っていく感覚。
それがSideMアニメの、大きな特徴であり武器なのかもしれない。
エゴを暴走させ積極的に孤立していく薫を、何度も何度も庇い、理解のサインを言葉にしていく輝や翼を見ていると、そういう思いが強くなりました。


今回のお話はSideM初の回跨ぎであり、先週ラストの爆弾を引き継ぐ形で展開します。
あの時『医師』という前歴をかなぐり捨て、『自分の状況を把握できない、物分りの悪い患者』に変化してしまった薫は、事務所とプロデューサーを経由せず仕事を受ける。
これはプロデュサーの職分を侵す行為であり、前職という『過去』がアイドル活動の『未来』を輝かせるSideMにおいては、非常に危険な行為です。
これを咎める輝が『ルール違反だぞ!』と、法律家っぽいことを言っているのが面白いですね。

『金を稼ぐ』という目的に支配された薫は、自分を形作っているはずの前歴をかなぐり捨て、『アイドル』を目指した過去との距離感を、見事に見失っています。
SideMアニメは過去から繋がる現在、現在の先の未来という遠近法をとても大事にし、前歴を大事にすることがアイドルの輝きにも繋がることを、常時大事に描いてきました。
みな何かしらのわだかまりを心に抱え、それを輝きに変えてステージに立つ未来を、プロデューサーに見せられた。
だからこそ315プロに集ってアイドルになったはずなのに、薫は自分の初期衝動も、それが形作っている『みんな』の中の自分も、アイドルとしての未来も、見えなくなってしまっている。

そういう暴走の裏にあるものを、周囲の仲間は本人以上に明瞭に捕らえています。
プロデューサーにつっけんどんな態度を取る薫を見て、輝は『あんま気にしすぎんな』と言い、薫は『優しい人』と評する。
事務所の稼ぎ頭として、最ベテランとして『みんな』を代表した冬馬を相手に、輝は『止めるのが正しいことは分かっている。でも、アイツのプライドと個性を大事にしたい』と言葉にします。
ユニットの仲間として仲良く喧嘩しながら、輝が見つけた薫の輝き。
意地っ張りで、頑固で、賢くて、つっけんどんだけど熱くて優しい。

そんな個性は第8話の合宿で、あるいはじっくり積み上げられた日常の中で、事務所の『みんな』にも共有されている。
だから、彼らは夜闇の中で二人きり話すWセンターの対話に耳をそばだてつつ、光溢れる暖かい場所から踏み出して、輝の願いを『みんな』の望みなのだと、拡大していくのでしょう。
トゲトゲした見てくれの奥にあるとてもナイーブな部分、薫が怯えて露わにしようとしない柔らかい記憶は、人間・桜庭薫を生み出す原点です。
あらゆる人間が共有する、今生きてアイドルをやっている『理由(ワケ)』に理解を示し、仲間として受け止めようという態度は、(薫自身も含めた)315のアイドル共通の美点なのでしょう。


あの屋上のシーンは、『みんな』を大事にする輝が一個人として桜庭薫を守りたい気持ちを、『みんな』の先頭に立つ冬馬が代表して受け止め、待っていた『みんな』が共有することで、輝を正しさの権化ではなく、血肉の通った人間として描くシーンです。
シビアで大事なものを扱うので、暗い夜の闇の中で始まって、答えが出る中で段々と明かりが漏れていくライティングの制御が、非常に巧妙。。
そして事前の練習シーンで、薫が『みんな』にかけている迷惑は、しっかり描かれていています。
薫は狭い視野の中で『一人』で軋みを背負っているように感じているけども、事務所やユニット、アツい時間を共にした仲間と彼は既に繋がってしまっていて、『一人』の傷は『みんな』の痛みになってしまう。
そういう場所に飛び込んでしまったこと、つながってしまっていることへの責務にタダ乗りしつつ、本当の意味で『一人』(例えば事務所を辞めるとか)にはならない薫の身勝手さ、視野の狭さ。

これを是正していくことがエピソード全体のフレームになるわけですが、薫本人に先立って、薫の暴走を許し、波紋を止めようとしない輝自身を、公共性に晒していくシーンが、あの屋上なのだと思います。
そして『みんな』の代表として冬馬が寒空の下に立つのは、前歴:アイドルとして一日の長があり、皆のお手本、憧れとしてアドバンテージを持っていると繰り返し語ってきたことと、巧く符合しています。
Jupiter内部でも、冬馬が先頭であり中心であることはEoJ、あるいは第9話で丁寧に確認された以上、ここで『みんな』を代表して輝(と、彼が守りたい薫)のエゴイズムに接近していく役は、天ヶ瀬冬馬がベストなのでしょう。
運命共同体としての利益とルール……大きな『正しさ』を背負いつつ、年上への敬意と仲間への優しさを忘れない冬馬の姿勢が細かく描かれているのが、とても好きなシーンです。

薫の身勝手を、それと知りつつ守ってやりたい輝と、それに理解は示しつつ最古参兵として『みんな』を守らなければいけない冬馬。
交わりつつも立場を違える二人は最初、視線が交錯しないスタンスで隣り合っています。
そこから輝が自分の気持ちと願い、『みんな』を支える公益性と『正しさ』を(元法律家らしく!)見誤っていないことを伝え、冬馬との気持ちが繋がった時、夜景を眺めていた彼らの視線は90度回転し、お互いを捉える。
輝と冬馬、二人が感情と『正しさ』の適正距離を見つけたタイミングで、明るい光に満ち溢れた事務所の中から立ち聞きしていた『みんな』が出てきて、それに同意する。
みんなが薫るの身勝手を受け入れる理由を語り、隣りにいたはずの冬馬はスルッと『みんな』の一員として横幅広く、輝に相対するポジションに移動しています。
薫のエゴイズムを背負った輝のエゴイズムと、『みんな』を背負った冬馬の『正しさ』が和解する様を、立ち位置と相対の軸で丁寧に描くシーンです。

『一人』の感情をちゃんと説明し、受け入れてもらえる『みんな』に輝が踏み込む歩みを、やっぱり冬馬が真ん中に立ち、代表して受け入れる形で収まる……と思ったら、翼が横から滑り込んできて同じ結論を告げます。
ここが、凄く良い。
冬馬が背負う『みんな』は本当に大事で、それがあって『一人』は成立しているわけなんだけども、同時に身勝手に突っ張る桜庭薫個人もまた、ちゃんと見てあげなければいけない大事な存在。
輝が冬馬個人(であり『みんな』の代表でもあるもの)に向かい合っている裏で、翼が薫の努力を見つめ、それを守ってやらなきゃならないと決意する様も、コンパクトながら丁寧に切り取られています。
そこにわざわざ時間を使うこと、薫る個人のプライドを自分の目で確かめてきた翼が『みんな』と合流するシーケンスをちゃんと入れ込むことに、製作者が集団と個人を見つめる曇りない眼差しを、感じることが出来ます。

『一人は皆のために、皆は一人のために』という、ともすればカビの生えた綺麗事。
でもそれは何度だって語られるべき真実であり、視聴者の胸にみずみずしく『ああ、そのとおりだな』と思わせるためには、細やかな工夫で語り直す必要があります。
あの夜の屋上のシーンは、そういう配慮と野心をこのアニメがしっかり持っていること、またそれは無味乾燥な『正しさ』を振り回すのではなく、キャラクターの体温が感じられるドラマとして描かなければ届かないと見ていることを、しっかり示してきました。


961時代は周囲とのコミュニケーションが上手く行かず、夢の頂から転げ落ちてしまった経験を持っているからこそ、冬馬はあんま似合わない(けど冬馬が背負うしか無い)『正しさ』を背負って、輝と向かい合ったのだと思います。
そんな冬馬のさりげない覚悟と敬意を、輝は持ち前の視野の広さでしっかり受け止め、自分なりの思いを偽りなく返す。
冬馬が背負っている『正しさ』と、元弁護士である輝がちゃんと向き合い思いを伝えられたあの夜は、多分一種の法廷だったのでしょう。

弁護士という世界で『正しさ』に向き合いきれず、アイドルに居場所を変えた輝は、凄く個人的でナイーブな『正しさ』を体現する冬馬と、そしてそれと向かい合う自分自身と、背筋を伸ばして対話する。
そう出来るのは多分、アイドルという道で自分と向かい合い、仲間と支え合った経験合ってのことなんだと思います。
人生の年輪を様々に刻んだ男たちが、それぞれ個別の時間と経験を経て一箇所に集い、同じ星を目指す奇跡の中で、過去の失敗も痛みも糧になり、より善い未来へとつながっている。
そういうブッとい楽観主義が公平に描かれてて、凄くいいシーンだと思いました。
あの冬馬が『みんなの正しさ』を優しく、しかし的確に切り出せるようになってる所は、961社長に自分の正義を伝えられなかった過去と響き合ってて、しみじみ胸に刺さったなぁ。

第3話の空港にしても、今回の事務所と病院の屋上にしても、DRAMATIC STARSの問題が正しい道を見つけるときは、常に広々したオープンエアで語りが行われますね。
クローズで優しい身内の暖かさも当然大事(S.E.Mの家飲みとか、Beitの車内での会話とかね)なんですが、遮るもののない空の下、非常に広汎な問題に向かい合う方向が、DRAMATIC STARSには良い、ということなのでしょう。
SideMは緩やかな問題の発生とその解決が非常に明瞭なアニメなので、各話各ユニットごとにそれが屋根の下(ドメスティックな暖かさ、身内の心安さ)で描かれるか、晴天下(公平さの直下、さらけ出されていることの利点)で行われているか見てみるのは、ちょっと面白い視座かもしれません。


いろんな演出が刺さるSideMアニメですが、凄くコンパクトな描写が今回、特にグッと来ました。
それはWが『桜庭先生には世話になってるから』と言うシーンです。
選手生命を断ち切る傷の深さ、それを密着して支え合ってあるき直す姿が第6話で描かれた後、クローズな距離にスッと入って治療を行う桜庭の姿が、第8話で描かれていました。
『僕は一人だ』『君たちとは関係ない』とうそぶく桜庭は、過去にすでに『みんな』に自分の過去の経歴を活かして関わり、癒やしていた。
桜庭自身が忘れて(あるいは忘れたふりをして自分を守ろうとして)いるその優しさを、Wが忘れず今度は報いようとしてくれていることが、妙に嬉しかったのです。
オッサンはあの二人が妙に閉じていることが気になって気になって、余計な心配をずっと続けていたわけですが、そこから半歩踏み出して『みんな』にアプローチする運動としても、アレは良かった。

軸足はお互いに絡めたままで良いと思うし、Wは多分そういう在り方しか出来ないとも思うのだけども、その足場を保ったままでも『みんな』にはアプローチできる。
それは頑なに『クールで孤独な自分』に拘ろうとする薫が、この後歩く道を照らしてもいると思ったわけです。
年下でおんなじくらい歪な仲間が、こうも巧くやってんだから、お前だって絶対大丈夫だよ、みたいな。

自分らしく在ることと、『みんな』で巧くやることは相反してなくて、むしろ真実『自分一人で、迷惑をかけずに生きる』ことは『みんな』との適切な距離を見つけ、歪んだ自分を正していくことで成立しているのではないか。
ジワジワ事務所に馴染んできて、『みんな』の一員として自分の気持ちを言葉にしたW(に気を使われている桜庭)を見ていると、そういう気持ちが強くなったのです。
それって、つくづくホントの事だなぁと。
人間の真実のど真ん中をえぐりつつ、説教臭くなく素直に食える形でメッセージを出してくるのは、やっぱ凄く優れた語りの技法であり、キャラクターの人生への傾注だと思うのですよね。

そしてそれが可能なのは、細やかな心情を画面に切り取る丁寧な筆が、幾重にも積み重ねられているからこそ。
キャラクターがどんな状態から、何を積み重ねて変化しているか、そのグラデーションを細密に重ねてくれているからこそ、お互いの個性、その人生が混じり合う瞬間の驚きと喜びも、複雑な色合いで視聴者に届くと思うのです。
今回の話はずっと面倒くささと可愛げを積み重ねてきた桜庭薫の物語であると同時に、そういう複雑な人間をそれぞれのスタンスで受け入れる仲間の物語であり、『一人』が『みんな』になるまでの蓄積の物語でもある。
そういう人生の滋味をちゃんと描いて初めて、夢や生き方や共同体や正しさという大きなものへのアプローチも、ズシリと胸に届く重たさを手に入れているのだと、再確認する回であります。


さて、屋上で確認し接合した『みんな』の答えを、輝と翼が薫に叩きつける前に、薫が自分自身と向かい合う時間が挟まります。
自分の根本に在る『理由(ワケ)』を公表し、銀のイルカを『これが僕の心臓、僕の全てだ』と胸を切開してさらけ出さない以上、秘めたものと対話する権利は薫自身にしかない。
輝が薫の不器用なプライドを守りたいと宣言したように、Pちゃんも薫の『理由(ワケ)』は『自分の口から言うことではない』と守ってあげるので、薫は自分の根っこを非公開にしたまま、問題を解決するルートを踏んでいくことになります。

この前段階としてギスギスした練習、ドラマ撮影のシーンが入るわけですが、フィクションの台詞を現実にオーバーラップさせ、Pちゃん(と自分)への断罪に使ってくるのは、なかなかエモい演出でした。
蒼い手術着、『研修医』という熟しきらない立場からみても、あのドラマは現実の写図であり、『夢を語るなんて誰にだって出来る。僕は現実しか見ない』という言葉は、空間を飛び越えて(現実と作中両方の)プロデューサーたちを責め立てる。
実際、夢を語り夢に駆り立て夢を支えるプロデューサーの仕事は、アイドルという主体を前提にした補助業です。
あくまで夢を走るのはアイドル自身であり、プロデューサーはその背中を支える仕事しかしていない(出来ない)という指摘には、これまで薫るが担当してきた怜悧な批評性がある。

んですが、『アイドルがしなくていい仕事を背負うことで、アイドルが真実アイドルでいられる掛け替えなさ』ってのは、EoJで嫌ってほど描かれているわけで。
加えて、Pちゃんにだってエゴと夢があって、赤おる含めたアイドルが『自分』を保ちつつ、『みんな』で一つの場所を目指して全力疾走、夢の輝きに辿り着くことそれ自体が、Pちゃんの望みなわけです。
輝が幾度も口に出す『アイドルの一番星を、みんなで目指す』という理想は、アイドルだけではなくプロデューサー、またステージを見守るファンも巻き込んでいる。
『僕一人でやれる、迷惑はかけていない』と、エゴの檻に閉じこもる薫は、その実アイドルという新しい夢(また医師という過去の経歴)が『みんな』で叶える夢でしかありえないことを、走り出してしまったその夢が『みんな』を巻き込んでしまっている事実を、見落としているわけです。
Pちゃんを断罪する舌鋒は、かつての鋭さと公平さ、優しさを欠いており、こういう部分からも薫が過去と適切に向き合えていない状況が、巧く浮き彫りにされています。


そしてドラマは無事オールアップし、屋上で『みんな』の願いを確認し背負った輝が顔を見せる。
相変わらずメシのこと気にしてますが、ここで仕事が全て終わってからぶっ倒れるのは、凄くSideMっぽいな、と思います。
勝手に受けた仕事でぶっ倒れたら、315事務所とそこにいる仲間との亀裂はかなり深くなってただろうし、色んな人を巻き込み、銭金が関わるリアルな問題もボコボコ湧き出していたでしょう。
そういう傷の深さ、それを修復する手順の厄介さを描いていては、SideMのただでさえ少ない時間は出血し続けるし、ストレスは過剰に拡大していく。
なので、あくまで仕事は仕事としてしっかり終えてから、医者の不養生が襲いかかる展開にする、と。
少なくともドラマの仕事仲間には泥が跳ねないぶっ倒れ方にすることで、『迷惑はかけてない』という薫の言葉を一応真実にして、口だけトンガリ人間にはさせない作用もありますね。
社会人に必要な責任を、ギリギリ最低のラインで果たしてはいる、というか。

ドラマのシーンは夕日の只中、オレンジの色彩で展開しますが、薫がぶっ倒れてからの過去回想もオレンジが支配しています。
かつて歌を褒めてくれた姉との温かい思い出、そんな優しい女神が去っていった瞬間、その病を倒すという『正しさ』が現実の前に挫折した経験。
例えば第6話で、あるいは第10話で、夕日のオレンジは過去を追想しつつその先の未来を見る色彩として、印象的に使われました。
今回薫の思い出がオレンジに染まっているのは、その色を継承した感じかなぁ。

ここで薫がベットで一人過去と対話し、『自分は一人でやれる。迷惑はかけていない』という言動の嘘を噛み締め、己を改めているのも、SideMっぽいと思います。
ボタンの掛け違えで暴走していたけども、ぶっ倒れることで休息し、自分のオリジンを見つめ直す余裕を作る。
硲先生が何時ものド正論っぷりで言葉にしていた『冷静に自分を見つめ直し、修正点を洗い直す時間』を強制的に与えられることで、その通りの効果を自分の中から引き出すことが、薫には出来るわけです。

このワンクッションがあるから、意固地になっていた自分に輝と翼、彼らが背負う『みんな』の思いが染み渡る隙間も創れるわけですが、それは薫に急に生まれたわけではない。
第3話で翼に、あるいは第8話でWに見せたような『みんな』への視線は元々彼の中にあって、そういう『近い過去』を、オレンジ色の『遠い過去』を思い返すうちに、彼は再獲得したのです。
姉の略奪に復讐するべく医師を志し、必要な知識と情念を重ねるうちに、当然彼も一人の人間として、能力と尊厳を獲得している。
輝が見つけ信じた『アイツなりの頑張り』にはそういう土台があって、薫はその信頼を裏切らず、過去の自分と和解する準備を、病床で整えているわけです。

夢と戯れるシーンも印象的ですが、現実でワチャワチャするシーンも面白くて。
薫が目覚めた時、健が『りんご』を剥いていること、それを食べた描写がその後に挟まれるのは、このアニメの『食物』が運命共同体をつなぎ合わせる供物として描かれ続けることを考えると、とても重要です。
『一人』にこだわりすぎてぶっ倒れた薫ですが、自分が一番自分をわかっていなかった事実を叩きつけられ、強制的な休養の中で過去と対話し、心の何処かで『みんなの一部である自分』を認めている。
だから、健が労りを込めて剥いたりんごに口づけし、315事務所という船に乗ることを、自分に許したんじゃないでしょうか。
全部食べず、半分だけしか口にしない辺りに、体重を預けきれない彼の臆病さとためらいが出てて、好きなカットですね。

『いたわりとしての食料』はピエールの差し出したペットボトルにも現れているし、これもまた、過去のエピソードと呼応する描写です。
第3話、第6話、第9話などで『瓶に閉じ込めた潤い』は仲間の間でやり取りされ、レッスンや孤独で乾いた唇を癒やしてきました。
『自分』に閉じこもりすぎた薫は、最年少のピエールが差し出した無垢なる気遣いを荒々しく跳ね除けてしまう(が、一応手には取る所に、暴走させきらないSideMの制御力を感じますね)。
屋上での対話が終わり、自分を改めた事務所への帰還で、薫はあの時受け取れなかった労りに謝意を述べ、しっかり謝る。
ピエールのイノセントな強さと、水が持つフェティッシュの力をうまく融合させて、薫の心境がどう変化したかを表す巧い運びだなぁと感心しました。
直接語り合ったDRAMATIC STARSだけでなく、少し遠い場所にいる仲間も薫のことを思っていて、薫もそれを受け取れるんだと見せれてるのが、横幅広がって良い。


演出の継承という意味では、第10話で旬の心理を表すのに活用されていた『風に揺れるカーテン』が、薫にも適応されていました。
病気の兄妹(そこに姉と自分を投影する視線は、自分とPちゃんにも投影されているわけですが)が歌う『きらきら星』を聞いた時、挫折に苦しむ彼の心は一瞬、幸福だった少年期を思い出す。
自分の歌を褒めてくれた姉の優しい言葉を思い出し、思わず口から『きらきら星』が漏れる。
それはステージで歌い踊る『アイドル』へと、そこに導いてくれるプロデューサーとの邂逅へと繋がる決定的な音の揺らぎであり、そのときもまた、風が吹いて髪がなびいています。

この『なびき』はオレンジから青、追憶から現実へと場面が移り変わったときにも継承されていて、輝と翼の言葉が薫に届く度に、握りしめた銀のイルカが、あるいは屋上を覆い尽くすシーツもたなびく。
その時揺れているのは具象物であるけども、当然心象の反映でもある。
薄曇りの空が言葉と心が通うに従って晴れていって、薫の弱さやズルさ、身勝手さもひっくるめて全部受け止める『みんな』の姿勢を伝えきったら抜けるように明るくなるのも、同じラインにある演出でしょう。

ライティングとフェティッシュ心理主義は、キャラクターの心理を障壁とその開放で切り取る、レイアウトの描写にもつながっています。
遠く遠く離れた世界で、鉄の冷たい柵が三人を遠ざける状況から始まった会話は、段々と熱量と接触点を増やしていき、風がシーツを、言葉が心を揺らしていきます。
薫の心にあまりに深く刻まれた姉の喪失は、『みんな』になったからといってさらけ出せない。
『君たちには関係ない!』と薫が叫ぶのは、あまりにも美しく脆い思い出に踏み込んでほしくない、自衛のサイレンみたいなものでもあるのでしょう。
それは、今回全て解除されるわけではない。(している時間もないし、そのためのストレスを物語に背負わせる設計でもない)


でも、それでいいんだと、翼は言う。
大人の男が集う315事務所には、それぞれ踏み込まれたくない『理由(ワケ)』が沢山あって、それを露わにするのも隠すのもひっくるめて、俺達は仲間なんだと、輝は言う。
薫が『みんな』の中に(一方的に)感じていただろう暴力性、ズケズケと過去に踏み込まれオレンジの追憶を踏み荒らされる恐怖が、この時フッと和らぐ。
心のなかで『きらきら星』を歌い続けている小さな少年が、孤独に突っ立ってるのを止めて、『みんな』に片足を預け始める。

それに重なるようにカメラがグルっと回って、鉄の柵で冷たく切り取られていた世界が、柔らかく揺らぐシーツの境界線に切り替わる。
堅く揺るがない境界線から、あやふやで柔らかく、それでも距離がある間合いへと変化する。
それは薫の心が、頑なな警戒を説いて『みんな』を、目の前の二人を受け入れた、決定的回頭なわけです。
輝と冬馬の対話シーンで、姿勢の変化が心の変化であることを事前に示唆していることが、この演出がズバッと刺さる、良い伏線になっています。
ひらひらと揺れる世界の中で、それでもまっすぐに目を見せられない薫は、輝がプロデューサーの話題を出した瞬間世界を見て、二人を本当の意味で視る。
その視線には、自分の根本に深く突き刺さった永遠の女性と、それによく似た男の残影が重なっている。

幼い僕を褒めてくれた人。
優しく未来を示してくれた人。
もしかすると315事務所の中で、一番プロデューサーに依存し、欠けたものを補填されていたのは薫なのかもしれません。
それを奪われたと誤解したから、『僕には君は必要ない』と強い言葉で突き放して、これ以上傷つくのを避けた。
あーマッジ面倒くせぇな! って感じですけども、それだけお姉さんとの思い出と、それを一切知らないままに砕けそうな自分を救済してくれたプロデューサーのことが、薫は好きなんだろうなぁ、と思います。


そんな震えを切り取りつつ、輝の圧倒的な間合いの巧さが光るシーンでもありました。
翼と空港で向き合った時は、全てをさらけ出してくれた翼に報いるように強く踏み込み、がっしり支える。
未だ全てを露わにする勇気がない薫相手には、ギリギリまで踏み込んで言葉に体温を宿し、伝わったと確信した瞬間ヒョイと背中を向けて、安全圏を確保してあげる。
輝さんは熱血漢に見えて、他人が心の中に引いてるナイーブな線を敏感に感じ取り、それを踏みつけにしない優しさがあるのだと、これまでの描写は幾度も示してきました。
あの最高のタイミングでの撤退は、そういう彼の本性がしっかり生きた、良い演出だと思います。

あと迂闊にも元弁護士に『処罰』を言い出した薫に、『俺たちを頼れ!』という『ペナルティー』を言い渡すところが、過去と巧く付き合ってるなぁ、と思いました。
法と正義を執行し、正しい裁きを適切に貸す法蔵の世界は、今の輝からは遠くなってしまった。
でもそれは掛け替えのない過去で、今でも輝の個性と未来に生き続けているんだなぁって、ちょっとギャグっぽいやり取りの中で見せてくるの、上品で好きです。

過去の再獲得は薫も凄く叙情的な方法でやってて、心の震えが宿ったシーツがふわっとたなびいて、『白衣』として薫を包む瞬間、彼は完全に『医者』の自分を再獲得する。
思い出を閉じ込めた銀のイルカ、『アイドル』を自分に届けてくれたプロデューサーとの出会い、全ての原点である姉の言葉。
それともう一度向き合って、剥き出しの自分の心臓をもう一度抱きしめて、『元・医師』として白い衣の幻影を自分のものにする演出は、凄くロマンティックで良かったです。
あるいは白いヴェールに彩られた麗しの姫か、本当の愛の証を取り戻した花嫁か。
今回、全体的に薫の顔が良すぎて、完全に『女』の描き方だからなぁ……そこら辺の越境犯罪をさり気なくやって、挑発の魔力を引っ張り出してくるのも、SideMの方法論だと思う。


かくして薫は315のホームに帰還し、『自分』を暴走させ巻き起こした波紋をしっかり謝罪する。
『みんな』に繋がる扉の前でモジモジしてるのも、それを輝が引き開けて引っ張り込むのも、ここまで描かれた薫と世界の距離感を的確に反映していて、とてもいいと思います。
あえて砕けた態度で接する『みんな』を前に、自分の心を平らにする表情をさり気なく、細やかに切り取るところも良い。
そういうふうにクソ真面目にやることしか、桜庭薫には出来ないのだから。

前回と合わせて色々キッツい圧力かけられたPちゃんですが、最後に二人っきりのプライベートタイムを貰ってました。
全開ラストの、幾重にも障壁が立ちふさがる空間での対話とは違い、フラットで開け広げな距離感での対話は、彼らが凸凹道の末にたどり着いた関係をうまく示しています。
勝手に期待して、勝ってい裏切られたと思いこんで、薫姫の大暴走はマジナイーブすぎると思いますが、Pちゃんは文句も言わず信頼して待ち続け、整え続け、立派なもんだ。
その揺るぎのなさが、SideM全体の物分りの良い快楽を支えているのは、間違いないんでしょうね。

薫の心にはまず姉がいて、その投影としてのPちゃんがいて、その先にDRAMATIC STARSの仲間、事務所の仲間がいると、僕は思います。
心理的距離としては輝よりクリティカルな場所に潜んでいるPちゃんですが、あくまで一歩下がったサポーターに徹し、問題解決の舳先には輝が立つ。
『あくまでアイドルが主で、プロデューサーは従』というスタンスは、プロデューサーがかなり重要なキャラだった前二作との差別化を狙う、SideMらしい徹底ぶりだと思います。
その上でPちゃんもまた、かけがえない夢を持つ一人の人間であり、心のゆらぎを封じ込めて必死にアイドルを支え、信じていることを細やかに描写しているところが、とても良い。
都合の良い舞台装置でも、全てを受け入れてくれる万能の聖人でもなく、あくまで一人間としての範疇で話を安定させ続けている所に、絶妙なバランス感覚を見て取ります。

EDの一枚絵でも油断なく、物語を補完してくるのがSideMの手練です。
さんざん焦らされた『運命共同体としての食事シーン』を、真っ向から捉えるラーメン屋の描写。
ずっと笑わなかった薫が、『みんな』の中で笑いをこらえつつ、でも笑顔を共有している様子。
DRAMATIC STARSの三人で青い世界の中、『アイドルの一番星』を一緒に見ている姿。
エピソード内で語られていた希望の未来を、しっかりねじ込んで来て、油断がないなぁ、と感心しました。
橋桁のシーン、ぶっとく画面を縦に割る欄干に分割されず、三人が一つに収まってるところとか、レイアウトの哲学を完全に本編と共有してる。
こういう演出意識の高さを、スッとソフトに調理して前面に出さない自然さも、SideMの強さよな、やっぱ。


というわけで、世界で一番お姫様・桜庭薫の小さな一歩でありました。
『自分』『自分』って言うくせに、自分が一番自分のことを判っていないし、大事にも出来ない拗れた人格。
でもその物分りの悪さは、画面のこっち側で見ている僕らにもどこかしら共通するところであり、薫の面倒くささと臆病者をしっかり描くことで、パズル最後のピースがしっかりハマった感じがあります。
こういう人間的な凹みを一回も書かないで走ってしまうと、どこか嘘っぽさが残るというか、都合のいい上澄みだけをすくい取った感じが、どうしても漂ったと思う。
でも、こうして悩み惑う役割を薫が担当してくれたこと、そのための下準備をそれこそキャラ登場の瞬間からしっかり整えたことで、絶妙のバランスで人間が必ず持つ『弱さ』が、作品全体に内包された感じがあります。

そういうデカい視点だけでなく、ミクロな人間劇場としても、自分勝手人間の薫を鷹揚に受け入れ、『みんな』にしていく315事務所の温かみと賢さが、巧く際立ちました。
その舳先に立つ輝の人間性を、事前に冬馬とぶつかり合わすことでちゃんと確認したことで、薫を『みんな』に引き入れ、引き戻す運動が過剰な『正しさ』に支配されず、体温を宿せたと思う。
どういうシーンで何を掘り下げ、どう繋げば何が生まれるか。
そういう構成をしっかり把握していればこそだし、そこにキャラ一人一人の感情を埋め込み、ドラマを躍動させているのも、本当に凄い。

かくして、長らく埋めてたSideMアニメ最大の地雷は穏当に処理され、進路はクリアーです。
これまでの物語の到達点であり、同時に新たなスタートでもあると繰り返し言明されてきた、初の合同ライブ。
星のような個性が寄り集まり、美しい星座を創るだろう315のステージが、どういう色で輝くのか。
来週最終回、非常に楽しみです。