アニメガタリズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
ナレーションで説明される裏設定、揺らぐ現実とアニメの境界、メタメタにぶっ込みまくる超☆展★開☠
かなり凄い所まで飛んでいったが、自分で書いた大事な部分はきっちり守って、希望が膨らむ良い終わり方をしたと思う。いいアニメだった。
というわけで、じんわり青春オタク物語から始まったこの物語、メタメタな世界系へとかっ飛んで、世界を再生して終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
超展開と言えばそのとおり。ただ、飛ばす準備はそれなりにやってきたし、ぶっ飛んだ後の着地点はやっぱり、土の匂いのするフツーの青春だったと思う。
青春物語としては第8話をピークに一つの決着がついている中で、なんで世界の枠を(文字通り)ぶっ壊して、世界書き換えホラーSFに走っていったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
そこら辺の事情は一視聴者には察し得ないが、セカイ系なメタメタ演出のなかで、結構コアなルールが直球で投げつけられる。
アニメと現実が交錯する中で、ミノアは『アニメになっちゃいなよ』という誘惑を受け、それを拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
それは多分、アニメになってしまえばもう語り得ないからだと思う。何かを語るためにはある程度の距離と客体化が必要で、一切の客観視が不可能なほどの当然化は、語りの余地を奪うのだ。
物語内部の存在は、自分が物語のキャラクターである(でしかない)ことを疑わない。疑えば、その瞬間に物語は別の領域にシフトし、別の語に変化していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
逆に言えば、何らかの差異と合同を批評的に見つめ、その意味を語っていく行為は、主体と客体を切り話すところから生まれる。
神林長平なら『あなたがいて、わたしがいる』と表現するだろう断絶があって初めて、アニメガタリズは可能になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
みのあはアニメを内部化し全肯定するのではなく、親しみつつも異質な娯楽として、自分の物語の外に置くことを決断した。多分、彼女が触れ合ったオタクたちにも同じ運動が投射されている
アニメを知らなかったからこそ、アニメが好きになれた。アニメを好きなあなたが、アニメを好きでいる姿に憧れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
みのあは異質なものに、断絶ではなく興味を掻き立てられる稀有な資質を持っている。そしてそれは、アニメ(に限らず何かを)好きでいる時、とても大事なことなのだろう。
僕はこのアニメの、カウンター・アニメガタリ的なところが好きだった。オタクを特権化せず、かと言って卑下(マイナス方向の特権化)もせず、世間へのルサンチマンも薄く、テキトーにあるがままに、一趣味として楽しくオタクする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
部活動なあっけらかんとした空気で、アニメを捉える眼が好きだった。
その健全なるアウトサイダー感覚が、どこから生まれたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
DMMと中国資本、短編アニメ監督に学習塾のグループ企業。
ちょっと『普通』じゃない座組で生まれたからこそなのか、はたまた別の要因があったのかは、関係者ではない僕には判らない。
ただ、そこに吹く風がちょっとヘンテコで好きだった。
中野先輩がセカイをグチャグチャにする動機はズッコケモンだし、それが可能になる設定周辺の説明は腰砕けだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
ただ、そういう次元に物語を飛ばして語りたかったものは、薄っすらと、しかしかなり明瞭に見える気がする。電波系の原作から僕が勝手に受信した、気のせいかもしれんけども。
そしてトンチキな展開の中で、積んできた友情をちゃんと回収する所は、ベタ足だからこそ好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
みのあがアニ研との出会い、アニメとの出会いを大声で叫び、最後はみんなで闘う所。セカイで唯一残ったアニメノチカラが、ヘボい自主制作アニメな所。みんな好きだ。
中野先輩が最後に手を差し伸べるのも、そうやって積んできた日常が結構悪くなかったからだ。みのあとみんなで過ごした当たり前の日々に吹く風が、気持ちが良かったからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
それは他人だからこそ出来る、語り合いの風なのだろう。ベタベタしてないけど、強くつながってる感覚。
リセットされた『アニメじゃないセカイ』に、中野先輩はいない。代わりに変な猫耳が何の説明もなく居座っているが、みんなで作るアニメの主人公として、オーロラ先輩はもう一度存在し直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
無言で展開するあのエピローグは、なんか全部が繋がった感じがして好きだ。
趣味でねじ込まれているだけと思っていた、陸上部ちゃんのサービスカットが『もう一度始まる』ための合図として、有効に機能していたのも良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
世界はリセットされて、みのあは最初からアニオタとしてあそこにいる。生徒会は廃部廃部やかましくなくて、アニ研は普通に部活として認められている。
騒々しい戦いの日々は別世界に隔離されて、当たり前にアニメを語り、創る物語が、あそこでは展開されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
そこにもまた、僕がこのアニメに見てきた泥臭い友情と、他人との交流と、アニメへの愛が、騒々しく詰まっているのだろう。それもまた、一つのアニメーションだ。
アニメを創作する内部にすら、アニメとの距離感がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
自分たちが何を造っているのか、時に距離を置いて確認する批評眼があって初めて、創作は他人に届く形にシェイプされる。
アニメ。私が見るアニメ。私が創るアニメ。私が見たアニメを土台に私が創るアニメ。アニメの中で語られるアニメ。
私。あなたと向かい合う私。あなたの中の私。あなたの中の私を見る私。あなたと語り合う私。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
万華鏡のように、あるいはマトリョシカのように、主体と客体は不可分に結び合いつつ、百万の顔を見せる。それを接合するのが『好き』という感情で、それを媒に通じ合うのが『語り』なのだろう。
ドタバタ走り回りつつ、このアニメはそういう多層的な自他境界線を、結構真面目に書いてきた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
あるいは僕が見たいものを、ドタバタ喜劇の中に錯覚したのか。でもそういう投影がなければ、語る材料も生まれてこない。誤解と理解が奏でる意味ある雑音が、語りで繋がるための大事な素材だ。
みのあ達魅力あるキャラクターの物語を足場に、そういう投影が可能なくらいに、僕はこのアニメが好きになっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
メタメタな批評論理を展開しつつも、ごくごく普通で強靭な青春の話、みのあ個人の優しさと強さに世界の命運を託したのは、とても良かったと思う。多分それが、このアニメの根源だ
アニメが生まれつき好きな、生まれ変わった世界のみのあ。彼女は相変わらず、色んな人と出会って、素直に『好き』を叩きつけて、自分も変わり相手も変えていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
それはアニメが主題でも、そうでなくても変わらない、彼女の個人的な美点だ。そういうものに接続できる普遍性が、アニメにはある。
一応Web上で、アニメを語ったり、アニメを語る自分を語ったりしている人間として、色々構えて見るアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
そういうガードをスルッとすり抜けて、まずみのあのニンの良さと、彼女が好きになったアニ研との青春が入ってきた。それを受け入れてみると、この変なアニメは結構俺に良しなアニメだった
ベタ足の青春をドタバタ走る彼らが好きになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
第8話でそういう路線のピークを迎えたあと、アニメに飲み込まれていく世界がイヤだった。あえてそういう世界を作り出して、何かを語ろうとする制作陣のメッセージが、妙に心に残った。
いろんなことを考えて、余計なことを書き残した。
ガハハと笑い飛ばしつつ、スッと真顔で考え直す。そういうお付き合いが出来るアニメって、結構貴重でありがたいことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
いいアニメだったと、僕は思う。癖は強いし、ネタは滑ってる部分もあるし、拾ってないネタは多いし、最後はどこまでもぶっ飛んでいく。
でも、嘘のないいいアニメだったと思う。
オーロラ先輩を主役にした、当たり前に作られていくアニ研のアニメ。アニメが最初から好きなみのあの、新しい世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
その先がなんか楽しそうな躍動に満ちて見えるのは、子のアニメがちゃんと自分の物語を語り、走りきった証明だろう。物語とキャラクターをアニメイト出来るのは、良いことだ。
これまでも、これからも、そして今真っ最中にアニメを語ってる自分に、不思議なエールを貰えるような、そんなアニメでした。ありがとう、面白かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月25日
みのあの素直な『好き』の表明、巻き込んで変えていくエネルギー。羨ましいし、自分もそうなりたいと思ったよ。それって、とてもいいことだ。