アイドルタイムプリパラを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
美しい少女が死んだ。永遠の眠りを打ち破るべく、現実主義者が理想を語る。積み上げた虹色の夢の橋が、勝利と想いを繋ぐ時、ときはさかしまに渦を巻く。あなたとわたしとみんなの物語。
夢河ゆいから始まった物語の、一つのピークとなるエピソード。
というわけで、ゆいしゅう最終決戦である。かなり駆け足…というか要素が多く乗っかっているので、個別のパーツを磨ききれない部分もあったが、夢河ゆいというキャラクター、彼女が支えたアイドルタイムについて、しっかり一つの答えを出すエピソードだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
例によって例のごとく、女児アニフィルターを掛けつつ、ガァララの『死』はガチで『死』である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
取り残された人々の悲嘆の描写、死人の寂しさを代弁するガァルルの言葉、美しい花で飾られた美しいもがりの床。『眠り』というのは重たすぎるそれは、明言されない、不可逆の重たい『死』だ。
ガァララの死体をその腕で抱いて、寝台まで運んだしゅうかは文字通り、非常に重たいものを背負っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
運命を塗り替え、死人を生者に変える。奇跡を起こして、もう一度愛を取り戻す。自分しか見ていなかった女は今、自分以外の誰かと果たした、かつての約束のために歌おうとしている。
まさに主人公。その決意は清廉で、必死で、個人的であるがゆえに熱い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
その個人的な愛の熱量を、一切茶化さずちゃんと書いたのはとても良かったと思う。
ガァララと出会うことでしゅうかは変わったし、しゅうかと出会うことでガァララも変わった。あなたとわたしという、みんなに還元されない私達。
最終的に、プリパラのテーゼたる『みんな』をゆいが背負うことで今回の戦い(運命を逆転させる特権の振り分け)は決着するわけだが、しゅうかが見つけた個人的な繋がりは、三年九ヶ月肯定され続けた『みんな』と同じくらいに強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
それはそういう個別の繋がりなしで、『みんな』など生まれないからだ
今回しゅうかは、メイキングドラマをしない。『アイドルタイムイズマネー!』と吠えないし、可愛いアホ面しない。金で買える現実よりも、手に入れたいものを見つけてしまったから、過去の自分を象徴する行動を取れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
彼女は新しく生まれ変わる現在に足場を置いて、理想主義者な自分に向かう。
それはまだ形がない(ガァララを復活させていない以上、あってはいけない)夢なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
夢を見るなり現実≒金に変えてきた彼女にとって、死者の蘇生と愛の復活はスタイルが違いすぎる夢で、それを形にできる足場はない。それでいい、変わっていいと受け入れて、彼女はあの舞台に立った。
強く思い込んでいた『現実的理想主義者としての華園しゅうか』を捨てて、死人を蘇らせる大ボラに本気で全てを張る『理想的理想主義者としての華園しゅうか』の形の無さを、しゅうかは今の自分と誇った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
そういう変化を肯定できるのは、やっぱりガァララとの出会いがあってこそだろう。
そしてその変化は、ゆい(が体現する形のない、虹色の夢)に破れたことが生み出したものでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
初めての敗北に傷つき、それが生み出せるものを見つめざるを得ない状況に追い込まれることで、しゅうかは自分の中の理想主義者を、ようやく肯定できるようになったのだと思う。
別に現実主義者の、ゼニ稼ぎまくりのしゅうかが悪い、というわけではない。その強さは、ハシビロコウから運命の鍵を買い取る時、溜め込んだゼニ≒現実が決め手になることからも判る
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
(ここはサラッと流すのではなく、もうちょい濃口でやって欲しかったポイントだった。しゅうかだけが出来る事だから)
ゼニで解決できる範囲のこと。夢でしか叶えられないこと。夢を超えて理想になったものでしかすくい上げられないもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
色んなスケールの正しさがあって、それは個別の機能をもちつつ、個別に意味を持っている。それぞれに強く、それぞれに尊い。
しゅうかはガァララと出会い、現実と夢の間に橋をかけた
それは一つの理想に凝り固まって、生き方を固定するより難しく、恐ろしく、だからこそ勇気の必要な難事で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
そういうものに向かい合う足場になるからこそ、あなたとわたしが特別に繋がること、そこから湧き出るパワーには大きな意味がある。
しゅうかの決意とパフォーマンスは、そういうものを描いた。
しゅうかが現実と夢に橋をかけえたのは、ガァララという他者に出会い、その身勝手さに傷つけられ、それでもなお『私はそれは、よくないことだと思う』と自分の理想を、しっかり伝えたからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
自分と違う他人と出会うのも、これまでの自分ではない自分と出会うのも、全部怖い。足踏みしたくなる。
しかししゅうかは、姉やミミ子やガァルルやポワンに助けられつつ、その足踏みを前に進め、橋をかけた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
そこで受け渡しされた約束が、運命を変える戦いに挑む理由となり、誰かの為にわざわざ傷ついていく意味になる。そういうカタチでしか、形のない夢は生まれ得ない。
そして約束と夢は、悪を妨げ善を為す理由にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
『パックのガァララ』という独占欲に支配され、『ガァララの代わりにお前が死ね!』と、これまた女児アニフィルターで隠しきれない悪意をファララに投げつけたパック。
彼も女の子の夢を食べ、現実を踏みつける悪事を、ガァララとの約束で戸惑う。
孤独で閉鎖されていれば、パックもガァララも他人を踏みにじる行為が悪であると認識すら出来ないまま、ずっと起き続けただろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
でも、ガァララはそれを止めて死に、パックも約束に縛られて足踏みをしている。
それは『みんな』のためではなく、顔の見える『あなた』との約束だからだ。
ガァララの遺骸を背負って、定型化されたメイキングドラマではなく、形のない夢への決意を歌ったしゅうかは、『わたし』を乗り越えて『あなた』のために歌った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
それは新しい華園しゅうかの勇姿で、凄く強い意味を持っている。そして、彼女はゆいに負ける。
『あなた』を背負うしゅうかに、なぜゆいは勝つのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
『あなた』も含めて『みんな』を背負いうる、非常に巨大な理想を持ちうるからだ、というのは、しゅうかがやらなかったメイキングドラマの中でも、舞台上のモノローグとしても、これまでの物語でも語られている。
ゆいは『わたし』の夢だけを見る虹色でパワフルな視界を突っ走って、アイドル不毛の地にプリパラを復興させ、現実主義者の中の理想主義を復活させ、女の子の夢が叶う理想郷を作り上げた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
それは『みんな』を最初から見た歩みでは、けしてない。『わたし』がアイドル好きだから。あるのはそれだけだ。
ひどく身勝手で、世界から一億回バカにされた、ゆいの虹色の妄想。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
しかしそれは実は、バカにしたみんなの胸の中にある理想で、ゆいが『わたし』のために走ることが、にのやみちるやしゅうかやガァララの、顔の見える『あなた』の夢を解放する戦いに、結果としてつながっていた。
それは狙った勝利ではなく、結果として果たされた偶然…でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
ゆい(だけでなくこのアニメに出てくる子はみんな)は基本優しい子なので、『わたし』に突っ走りつつ『あなた』を無視することは、ずっと出来なかった。『わたし』の夢が『あなた』の夢になると良いな、という思いは常にあったはずだ
しかし彼女はそういう自覚も、実際『あなた』達を変化させ、胸の奥に閉じ込められていた夢を自由にする奇跡の価値も、見えずにいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
世界を変化させ、理想を打ち立て、人を救う。相当大したことを、トンチキオバカコメディの中でちゃんとやってきたことを、主役の虹色視界は認識していない。
その世界の狭さ、『わたし』が強くありすぎる弊害こそが、ゆいの個性であり強さなのだから、気づかないのは当然だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
それを決定的に気づかせるのが、彼女に救われた少女アイドル…だけではなく、異性であり気に食わない相手であるショウゴお兄ちゃんであることが、俺は凄く嬉しかった。
ショウゴが妹を、顔のある『あなた』として生まれたときから見守ってきたことは、第20話(というか物語開始時)から描かれてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
アイドルへの憧れを共有しつつ、社会制度に助けられ、苦労しつつも順当に『男性トップアイドル』になったショウゴは常に、ゆいが歩いている道の先にいる。
WITHとして、ステージ越しに出会うファンの『あなた』に、あるいは底を超えて『みんな』に向かい合う経験値が高いショウゴは、夢が理想に生まれ変わるために何が必要かを、既に体得している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
でもそれは、あくまでショウゴの…『わたし』の経験だ。そのまま妹に貸し与えることは出来ない。
自分がもう、いつか夢見た大したアイドルで、『みんな』のためにデカいことをやってのけた、尊敬に値する人間であること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
その歩みの果てに未来があり、それが無限に広がっていくこと。
ゆめが見つけた、小さな夢のパッチワークで『みんな』を包むドラマを、ショウゴは本人より先に見ていたと思う。
それは過去、お兄ちゃんに憧れた時ゆいが祈った未来を、ゆい自身が自分の手で引き寄せた、ということでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
ここでも、顔のある『あなた』との約束は夢と理想を引き寄せている。そういう具体的なもの…こう言って良ければ『血』でしか、非常に大きなモノは掴みきれないのだ。
お兄ちゃんと仲間、ライバルに施してきた全て、芽吹いた夢を集めることで、ゆいはしゅうかに勝つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
『わたし』から始まった小さな夢は、それを飛び出して『あなた』に届き、実際には会うこともない、顔も見えない『みんな』へと伸びていく。そこにはしゅうかもガァララも、当然含まれる。
しゅうかは、ゆいにとって『なりたい私』ではない。ガァララは、ゆいにとって時計塔で出会った運命の女の子じゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
そういう『あなた』への特別な繋がりがなくても(あっても)、非常に公平な原則として、『みんな』を背負いたい。夢と幸福をステージに載せたい。
ゆいがトンチキ虹色人間のまま、社会にとって都合の『いい子』に矯正されないまま、そういう境地にたどり着けたことは、僕は凄く良いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
ありのまま、自分のまま。それは『わたし』と異なる『あなた』を排除して、清潔で空疎な世界に閉じこもることではないのだ。
時に衝突することも当然含みながら、『わたし』から『あなた』へと橋をかけ、対話し、約束する。その集積が質的変化を起こし、『あなた』は『みんな』へと、約束は原則へと繋がるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
その広大な理想に魅せられてしまったから、しゅうかはゆいに負ける。でも、それは悲しいことじゃない。
誰よりも大事なガァララの死を、システムを書き換える特権を、移譲出来るだけの巨大な理想を、しゅうかはゆいの『みんな』に見た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
それは顔のある『あなた』を見捨てる、冷たいシステムではない。『みんな』は『あなた』の集合であり、そこには常に『わたし』がいる。個人の思いも、身勝手さも。
(それは、プリパラ二期でらぁらがひびきの苦しみを理解できないまま、『みんな』の内側にある種暴力的に取り込んで、物語を終わらせてしまった流れの、ある種のリベンジなような気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
『みんな』が持つ倫理的強制力を外し、もう一度語り直すために。アイドルタイムが必要だったのかもしれない。
この結末は、物分りが悪い夢バカのゆいにしかたどり着けないものだと思う。らぁらが持っていた正しさへの志向は、プリパラを二年九ヶ月駆動させるエンジンであり、道を間違えないハンドルでもあった。しかし、それでは拾いきれないものがある。完璧はどこにもないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
一年間のアイドルタイムを迎えて、主役と舞台を変え、ゼロからプリパラを作り、反映させ、その意味を問う物語を走ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
違う主人公からは違う物語が生まれ、らぁらが背負ったのとはまた違う『みんな』を、ゆいは世界に問うことになる。それは大きく意味のある物語だと、僕は本当に思うのだ)
かくして、ゆいはしゅうかに勝った。ステージの評価、個人の星取りを超えた所に、彼女達の戦いはあり、負けたものも勝ったものも、非常に大きなものを手に入れて先に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
そういう決戦が描けたのは、あの子達にとっても、それを見守る仲間にとっても、作品自体にとっても、良かったと思う。
そして、そういう戦いを生み出せるプリパラを、パラ宿から背負ってゆいに託したらぁらがいてこそ、彼女が主役として引っ張った物語があってこそ、この戦いと旅立ちはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
本当に、アイドルタイムのらぁらは良いメンターであり、ただの小学六年生でもあった。これも、彼女が主役では描けないだろう。
響き合う『わたし』と『あなた』の先に、未来へと繋がる過去がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年2月14日
運命を書き換え、『みんな』が笑える世界を掴み取るために、マイ・ドリームは『わたしの夢』を追い、時間を超える。
プリパラ最後の一ヶ月が、何を描くのか。今回で、かなり語りきっている感じもある。もう、期待しかない。