イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ヴァイオレット・エヴァーガーデン:第11話『もう、誰も死なせたくない』感想

胸の火傷が疼いて、少女を死地に赴かせる。
死を知り生を知った機械の地獄めぐりも第11話目、白い雪が世界を覆うエピソードです。
かつてディートフリートに『人を殺したその手で、人を結ぶ手紙を書くのか?』と問いかけられた呪いに、話数をまたいで答えを返すような。
あるいは第8話の過去回想を支配していた暗い闇に、もう一度潜っていくような、過去設定へのアンサーとなるお話でした。

冷たく重苦しい雪景色と、ひび割れた死者の唇のクローズアップ。
輝かしい想い出は過去にしかなく、そこに辿り着けるのは生身の人間ではなく、死者の思いを込めた『手紙』と、血の滲んだハンカチだけ。
『戦場』の重苦しいコードが全面に出る今回は、『戦後』を主に描いてきたこれまでとは色合いが異なりますが、あの世界、そしてヴァイオレットに刻まれた傷が未だ疼いていることを、容赦なく切開するような厳しい風合いでした。


かつてホッジンズは、戦病兵であるヴァイオレット(そして多分自分)が『気づかないまま、炎に焼かれている』と指摘しました。
第9話までの物語を経て、自分が薄暗い『戦場』をくぐり抜けて、光と花に満ちた『戦後』に、今まさに生きていることを実感し、肯定できたヴァイオレット。
しかしその傷も過去も完全に消え去ったわけではなく、再び『戦場』を甦らせることでしか生き延びられない亡者たちが、遠い北の国で銃を撃っています。

火傷と凍傷。
心を焼く熱源は真逆ですが、寒い国で今まさに起きている戦争は、生きる実感を取り戻してしまった今の彼女にとってこそ他人事ではなく、胸を焼く痛みを少しでも紛らわすためには、銃弾飛び交う『戦場』へと、自費で飛び込まなければいけない。
そういう切実さ、自分を突き動かす実感は、少佐の死を認識する前、生き死にの闇をくぐって生まれ直す前のヴァイオレットには、なかった感覚です。

今生き延びてしまっている自分を認めればこそ、それと切り離せない過去の自分、未だ『戦場』の炎に置き去りにされた欠片を、回収せずにはいられない。
『会社』が優しく、『戦後』を生きるドールから遠ざけようとした依頼をわざわざ拾い上げて、白い地獄に身を投げたのは、そういう思いがあったからでしょう。

少佐の喪失という痛みを受け入れても、というか受け入れたからこそ、自分が果たしてきた殺戮にもう一度飛び込んで、今度は兵士ではなく『良きドール』として出来ることを見つけたい。
それは銀の腕の別の役割を実地で確認する、かなりキツめのリハビリテーションです。
ホッジンズや仲間に相談すれば即座に止めたであろう雪国行に、あえて飛び込んだのは、第1話では他人事だった『火傷』が傷んで傷んで、じっとしてはいられないから。
そういう感受性、心を殺して歩いた『戦場』を、甦った(蘇ってしまった)人間の目線で見つめ直し、再定義するためにも、ヴァイオレットは北へと向かうわけです。


今回のお話は分厚い死が支配し、色彩や花は過去、あるいは遠い『戦後』にしかありません。
無味乾燥な白い地獄は、色合いこそ正反対ですが、第8話を強く支配していた『死』の黒と、同じ役割を持っています。
ヴァイオレットは『会社』の光(友愛を宿したいつものオレンジ色)が及ばない暗い闇の中で、北国の地獄を聞き、依頼を盗んで死地に赴く。
それは彼女が『戦場』に、生の実感を取り戻した今遠い『死』、あるいは『過去』に、再び潜っていく、ということでしょう。

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<『会社』に宿るオレンジと『戦場』の薄暗い過去。ヴァイオレットを包む疎外>

 

オレンジの光、幸福な世界は扉の向こう、エイダンの回想、あるいは彼が死んだ後の『戦後』にしかありません。
ヴァイオレットがエイダンを保護した小屋は闇に包まれ、焚き火の炎はすべてを照らすほど強くない。
それでも、光と闇が明瞭に区切られていた冒頭とは違う、生と死、『戦場』と『戦後』が混じり合う明暗が、あの小屋にはあります。
それは『良きドール』となったヴァイオレットが放つ光であり、彼女を未だ焼く炎とはまた違う、温もりの色合いをしている。

それは同時にエイダンの命のほむらでもあって、彼の視界が塞がれ、死が訪れると同時に火も消える。
それでも、燃えさしは赤く光り、希望の光を弱々しく伸ばす……と同時に、後悔でヴァイオレットも焼きます。
生き延びてしまった後悔、殺してしまった命が持っていたかも知れない物語への申し訳無さは、『良きドール』としての勤めを立派に果たしても、癒やされることはない。
ヴァイオレットのサバイバーズ・ギルトは、感情を取り戻した今だからこそ強く強くうずき、『戦後』から彼女を遠ざけていきます。

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<同居する生と死、過去と現在。無力にして雄弁な銀腕。消えゆく命のほむら>


これが巧く表現されているのが、遺書を持って両親とマリアを訪れるシーンです。
カバンとあぜ道の垂直の線はしっかりと重なり、悲嘆に暮れる家族と、生き延びてしまった他人を明瞭に分けている。
それは社会的に立派な勤めを果たしてなお、全く飲み込めない火傷を抱えたヴァイオレットが、世界に対して引いている一線なわけです。
しかしそれを踏み越え、母は息子の遺志を届けてくれたドールに礼を言う。
ヴァイオレットの疚しさを、エイダンの死を共有する仲間として乗り越えて、彼女の私的な領域に飛び込んでくる。
火傷を癒そうとする。

f:id:Lastbreath:20180326164719j:plain f:id:Lastbreath:20180326164724j:plain<境界線の存在と不在。同ポジを活用した変化と侵犯の演出>

 

その反応に、ヴァイオレットは堪えていた涙を流し、謝罪を繰り返す。
それはエイダンと目の前の家族だけでなく、遠い過去、取り返しのつかない罪への謝罪なのだと思います。
戦争継続派のリアクションを見ると、クリトガルはあの戦争において敵国であり、仮に戦争が継続しヴァイオレットが兵器のままであったら、エイダンの生命を奪っていたのはヴァイオレット自身かもしれない。
そうでなくとも、あの時無感情に刈り取った命にも、数多の物語があり、帰りたい場所があり、叶えたい未来があった。
それを奪ってしまった後悔が胸を焼いても、時間は巻き戻らないし、命は帰らない。
そのどうしようもなさが、ヴァイオレットに『ごめんなさい』を言わせているのだと、僕は思います。

ヴァイオレットにとってエイダンは顔の見える一人の顧客であり、死に向かう命であり、自分も含めた百億の兵士の代表でもある。
そういう存在に出会い直して、あえて心の凍傷を切開することでしか、彼女の火傷は治らない。
切開してもなお、彼女は自分を許しきれない。
そういう思いがあっての『守れなくてごめんなさい』であり、それでもなお『良きドール』としての行いが尊いからこそ、母は傷ついたヴァイオレットを抱きしめたのだと思います。


第9話で己の名前と感受性を取り戻し、現在を肯定したヴァイオレットは、もう傷つかない人形でも、言葉を知らない猛犬でもありません。
受け取り、傷つく主体として、かつての自分が引き起こしてきたような反応を、随所で見せます。
前回のお話は『感受性を我慢すること』が大オチに繋がるため、ナイーブなリアクションはラストまで抑えめでしたが、今回のヴァイオレットは何かを見て、そこに自分の感情を反射させ、自分自身を見つける一連の反応を、幾度も繰り返します。

飛行機の上から死体(そうなっていたかも知れないかつての自分)を見た時、あるいは傷つき血にまみれた兵士(欠損を銀腕に換装した今の自分)を見た時。
死にゆくエイダンの言葉を受け取る時、あるいは『生の切断』としての『死』しか遺族に届けられなかった時。
ヴァイオレットの表情は複雑に歪み、押し殺した痛みを顕にする。
それはこれまで彼女の銀碗が反射してきた、『戦後』の人々のリアクションであり、火傷に苛まれてなお彼女が『戦後』の人間的感性を快復させつつある証明なのでしょう。

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<消えゆく命へのリ・アクション。そのクローズアップ。物語が生んだ兵器の変化>

 

今回のお話は銃弾飛び交う戦場が舞台で、切羽詰まったシーンが多いです。
しかし郵便屋のオッサンは『兵器』としてではなく『輸送具』として飛行機を使い、あの内戦の国にまだ残っている『戦後』に足場を置いている。
ヴァイオレットに銃弾ではなく紅茶を出し、寒かろうとコートを投げ渡す彼は、エイダンを抜きにすれば唯一、ヴァイオレットに人間的な反射を見て取る人物でしょう。

彼の飛行機操縦技術がどこで培われたかは語られませんが、その技量と度胸を考えると、彼もまた兵士であり、ホッジンズやヴァイオレットと同じく、火傷を負いながら何とか『戦後』に適応しようと頑張る、リハビリ仲間な気がします。
回収に来る時、彼は戦場の塵が届かない高い場所からヴァイオレットを見て、凄くいたましそうな表情をする。
光を反射していたゴーグルは、声もなく立ち尽くすヴァイオレットを認めた時透明度を上げて、『心の窓』たる眼を顕にする。
それは戦場で何かをもぎ取られ、それでも生き延びようと前に進んできた共感を、ヴァイオレットに抱いているからではないか。
かなり過剰な想像ですが、そういうことを思わされました。

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<防寒着と紅茶。心遣いと共鳴。『死』に取り残される少女を見守る眼差し> 

 

そのような同情の視線を跳ね除けるような、『死』の冷たいリアリティも、今回のエピソードには満ちています。
状況は真っ白で冷たい雪の中で進行し、死亡フラグを積めるだけ積んだ兵士たちは、七面鳥のように撃たれて死ぬ。
狙撃兵の立ち回りが、まず指揮官を殺して混乱を引き起こし、判断能力を奪ってなお反撃してくる戦士を殺し、仲間を見捨てない勇者を殺しと、非常に的確に殺している所が、『戦場』の身も蓋もない合理性を表しているように思います。
突然乱入し、怪物的な戦闘能力で状況を制圧したヴァイオレットに対し、手早く撤退を決めているところからも、あの部隊はかなり優秀で冷静な人殺しなのでしょう
そういう怜悧さは、かつて感情を麻痺させ戦場を駆け抜けたヴァイオレットが持っていたものであり、未だ『戦争』から抜け出せない彼らは、歪んだ鏡に反射したヴァイオレット自身、とも言えます。

今回のお話は、これまで抜け出すべき過去として描かれてきた『戦場』のコードが、ヴァイオレットを助ける流れになっています。
HALO降下技術、足場の悪い雪上での高速移動、人智を超えた速度での無力化。
『ライデンシャフトリフの少女兵』としての悪名が、撤退の判断を引き出してもいる。
『戦場』での経験はヴァイオレットの心を焼き続けていますが、それとは裏腹に『役に立つ』わけです。

それは第3話でお兄ちゃんの杖を受け止めたり、第4話でアイリスの落下を堰き止めたりしたように、今回急に出てきた描写ではない。
人殺しの罪、過去への後悔が焼き付けられているのと同じように、兵器としての経験と技量は、ヴァイオレットの『戦後』を助けもするわけです。
そして同時に、それはもう過去と同じ形をしていない。
ヴァイオレットの銀の腕は、敵兵士のみぞおちに深々と突き刺さりはするけども、命は奪わない。
それは『良きドール」として思いを綴り、届けるために今はあるわけです。

『死』に向かい合い殺されない技術と、失われる『命』からせめて思いを救い出す技術。
あくまで兵器としての適性しかないヴァイオレットは、今回エイダンの救命を行えません。
人殺しとドールの鍛錬しか積んでこなかった彼女には、看護師のスキル、命を繋ぐ技術は持っていないわけです。
だから、『死』が間近にある白い地獄で生き延びて、せめて思いだけでも『手紙』に残すことしか出来ない。


それは家族にとって、死にゆくエイダンにとっては『助け』なのですが、『戦場』の凍傷に苛まれるヴァイオレットにとっては、解消されることのない後悔となります。
『助けてくれてありがとう』という他者の言葉を、ヴァイオレットの火傷/凍傷は全力で弾いて、生存者の後悔に沈めていく。
何百人救っても、かつて兵器として殺した何百人の代わりにはならない。
死にゆくエイダンが求めたマリアのキスを、代わりにまぶたに落としても、死人がよみがえるわけでもない。

それでも、どうしもなく胸が傷んで仕方がないから、ヴァイオレットは船に乗り、北の国を訪れた。
『良きドール』としてのヴァイオレット・エヴァーガーデンが、その名前に込められた祈りを実現できる存在だと証明するべく、依頼書を握りしめて戦場に駆けつけた。
『手紙』を求める人がいれば、どこでも駆けつけるのが『良きドール』だから。
そして『戦場』で殺されない強靭さは、他ならぬ戦場での経験、取り返しがつかないほどに命を奪った事実が、鍛え上げたものでもある。

なんとも割り切れない生き死にの難しさが、ヴァイオレットを苛み続けていること。
安易な『物語』を拒絶する生々しさに苛まれつつ、ヴァイオレットが果たした勤めは、それでもやはり意味があること。
遺族の抱擁を受けてなお、『助けられなかった』兵士(それは現在のエイダンであり、過去奪った敵の命、守りきれなかった味方の命、死んでいった少佐、全てを含むのでしょう)に謝罪し続けなければならないこと。
過去との断絶と克服が、複雑に渦を巻き、簡単に答えを出してくれないこのエピソードを以て、このアニメは第5話ラストで投げかけられた問に、一つの答えを出したのでしょう。


このアニメにおいて、『花』は今まさに咲き誇る命の証明、過去を振り捨てて現在を肯定する『戦後』にあふれています。
『戦場』が舞台となる今回は、とにかく『花』がない(第8話、第9話Aパートに通じる徹底ぶりです)わけですが、一瞬だけ『花』が映る。
それはエイダンの記憶の中、もう取り返せない美しい黄金の世界に、マリアと共に咲く青い野花です。
聖母マリアの象徴色が『青』なのと、ちと響くカラーリングですね。

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<青の野花。マリアの純朴に相応しいが、同時に死を孕んで陰鬱(Blue)な色彩>

 

内戦を続ける世界にとって、平和な『戦後』は遠い場所にあり、未だ極寒の地獄の中で人間性は傷つき、人は死んでいる。
そういう状況でも、人は『花』を忘れられないし、夢見てしまう。
それを残酷に刈り取る『死』を、無表情のまま操っていた過去と、『戦場』のコードとヴァイオレットは、やっぱりひどく近い位置にいます。

そして、『花』を自分の目で確かめることも、マリアのキスを受け取ることも出来なかったエイダンとは違って、ヴァイオレットは生き延びる。
理由もなく与えられた怪物的な戦闘能力、忌まわしい戦場で鍛え上げられた『死』の技芸が、凡人と超人の生死を分かつ。
そういう冷たさと、思い出の中にしかもう無い、恋人ともいえない想い人の抱擁を演じてあげる優しさは、矛盾しつつも同居して、ヴァイオレットとしてそこにあるわけです。

『死』というむき出しのリアルに少しでも対抗するべく、『嘘』あるいは『物語』を持ち出して苦しみを和らげる技芸は、例えば第6話の妖精譚との邂逅を経て、マジレス人間ヴァイオレットの身に付いたわけです。
嘘偽りのない、余裕も遊びもない『戦場』のコード(その極北としての銃弾が、今回はよく飛びます)以外知らなかったヴァイオレットは、言葉を操るドールになって、優しい嘘を覚えた。
それが、なかなか自分を許せない少女にとって、少しでも救いだと良いなと僕は思います。
そういう意味では、『会社』からの任務もなしに、自発的にミッションを定めて北に赴く姿勢も、人形からの脱却を思わせますね。


なんとも割り切れない、答えの出ないエピソードですが、しかしその不鮮明さこそがヴァイオレットの根源にあり、作品を貫いている。
だから、やらなければならない。
そういう意思を感じる話運びでした。

『世界のすべて』を喪失してなお存在するヴァイオレット・エヴァーガーデンを、第9話で肯定してもなお、火傷は感知しないし、無視することも出来ない。
それでも、『良きドール』として他人の、そして自分の痛みに真正面から向き合うことの意味を、まだまだ問わなければならない。
それを厳しく問うたからこそ、『もう、誰も死なせたくない』という一つの答えが、ヴァイオレットの新たな傷となった。
それは古い毒を絞り出す窓に、もしかしてなるかも知れない願いで、同時に銃弾のリアリズム、『死』の陰りの前に、非常に幽き思い。
それでも、それはヴァイオレットだけが手に入れた、たった一つの答えなのです。

そういう物語を経て、次回はどんな世界、どんな物語がヴァイオレットを待つか。
来週も楽しみですね。

 

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