ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
実験室のフラスコを揺らすように、恋が踊る。ミツルの指数低下、それに伴うパートナーシャッフル。ズルい女、砕ける恋。クローゼットと約束。
傷つきながら大人になる子供たちと、そこから切り離された大人のダンスは、そろそろ次の曲へ。
というわけで、ミツルとココロとフトシとイクノの、青春が混ざりあう話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
話の真ん中にはミツルがいて、構図としては前回と同じである。夢で始まり、現実を学んで、少年は少し大人になる。その先行で、遠い影絵のように、ゼロツーの隠蔽が浮かび上がる。
キャラを掘り下げる個別エピといった所か
ゾロメが現状と未来に目を向け、子供たちのサークルから離れた場所に飛び込んだのに対し、ミツルたちはサークルの内部、それを生み出す過去に埋没していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
かつて、『一緒に乗ろう』と誓った幼い約束。それは砕けて散って、ミツルの魂を捻じくれさせた。
ミツルがヒロに向ける視線が、幼少期のあこがれが反転したアンチ/ヒロイズムなのか、はたまたホモセクシュアルの匂いを残した幼少期の残響なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そこの判別は明瞭につかないまま、ミツルはイクノに煽られ、フトシに殴りかかられ、ココロと繋がって、少し大人になる。
クローゼット。密室、あるいは性指向の隠蔽を意味する言葉を軸足に、今回の物語は踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
硝子張りの温室、あるいは通信を遮断したコックピット。ミツルとココロの関係は、常に密室の中で隠微に加速していく。自分が幼い、イイコなんかじゃないと打ち明けられる、特別な関係性。湿って暖かい闇。
温室でココロは『子供の人形』をあやし、母を演じる。生殖の意味を知らない子供が、家族と家庭に憧れて遊ぶおままごと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
それはあの世界においては『子供らしく』ない。子供は従順で、分別と義務感に満ち、命をかけて大人を守るというのが、あの世界のスタンダードだ。
生殖においても、パートナーシップにおいても、生物学的人類のスタンダードを変奏し、常識化した逆転世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そこで行われる無邪気なおままごとと、セックスを模したロボット操縦。どちらも、無邪気なグロテスクに満ちていることに変わりはない。
冒頭、リーダーぶるヒロの透明過ぎる眼と同じだ。
『一緒に乗ろうよ』と同性に語りかけ、失敗する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
かつてミツルが約束だけして失敗し、イクノとイチゴが試みて失敗した、不明瞭なカムアウト。
イチゴにとっては苦笑いですまして、ヘテロセクシュアルな常識に逃避できる出来事は、イクノにとっては魂をちぎられる敗北だ。
そこにセクシュアルな意味合いがあるのか。生殖、あるいは性交の意味合いがねじれる極限世界において、『好き』という言葉はナチュラルにも、(非常に偏狭な意味合いを含んだ意味での)ストレートにも成立しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
己の性器の使い道を、彼らは当然教育されない。それは夾雑物なのだ。
しかしどれだけセックスから遠ざけられ、あるいは捻じ曲げられ、軽んじられていても。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
子供たちの背はミリミリと伸びて、二次性徴はセックスの準備を体に強いる。旧弊な人類の形を捨てない子供たちに伴う、『ストレート』ではない生臭い性。それはフラスコの中で踊って、幾度も衝突する。
戦闘時、薄暗い密室の中でココロは頭部から血を流す。それが『女』の機能に覚醒し、あるいは世界と他者の真相に少し目が行く、『大人』の痛みに目覚めた証明…初潮/破瓜の血であることは、ちと露骨過ぎるメタファーだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ミツルもまた、ヒロとの幼少期トラウマ、あるいは失敗したセックスの残影に囚われるのを止めて、目の前の新たなパートナーを体を張って守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
乱れたオールバックは、彼の心の乱れそのもの、あるいは『子供』っぽかった過去へのタイムマシンだろう。そして、彼もまた出血する。それは新たな契約の血だ
自分が傷つくのが怖いから、他人に期待しない。他人に期待/失望されないように、体重を預けない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
その賢さは、こずるい『子供』の属性であって、痛みを覚悟して体重を預け、預けられるパートナーシップへ、ミツルは歩き出す。
だから、フトシの一回目のパンチは避けて、二回目のパンチで鼻血を出す。
血。傷口を顕にし、出血をいとわないこと。隠蔽の剥奪。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ココロは『イイコ』ではない自分を闇の中で肯定して、フトシとの約束を破る。
ミツルは鼻と頭から血を流して、約束を守ってくれなかったヒロ(もしかすると、自分の中のゲイ・セクシュアリティ)に一つの区切りをつける。熱はもう出ない。
そんな歩みの外部(あるいは内部)に、かつてのパートナーたちが配置されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
フトシ。ミツルの悪夢を推測すらせず、『良い夢見たの?』と無邪気に問うてしまう、優しいだけの少年。無様で、キモくて、一生懸命な勘違いボーイ。
ココロちゃんのナイトになれなかったデブ。
僕はどうしても、彼を笑う気にはならない。このエピソードが、彼を道化と騎士、ドン・キホーテのどちらの顔で描いているかを、判別しきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
恋に関わるとき、彼は生理的にキモく描かれ続ける。ぶくぶくと膨れ上がり、距離感を見間違い、鈍感で魯鈍だ。恋の相手にはふさわしくない。
しかし闘争(立方体を画面に撒き散らしたい欲望が、スタードライバー方面からビュンビュン飛んでくる仕上がりだった)の場面では、彼は勇猛な獣のようだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
俊敏で、献身的で、破れた恋に心囚われることなく、必死に戦う。歯を食いしばり、為すべき責務を果たすために、必死でバックからズコズコする。
ミツルの不能と対比されるような、イクノとの高シンクロ。クローゼットを閉じたままでも動かせてしまうのは、フトシが感情の赴くままに鈍感で、純情な『子供』だからか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
男子を恋の対象には取れなくても、素直な子のほうが好き。イクノの好みはそんな感じなのかな。
ヒロへの屈折を抱え込んだまま、それを腐らせた熱に苛まれるミツルは、自己防衛策としての『大人っぽさ』に自家中毒している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
歪んだ鏡に写った自分を見るようで、イクノはミツルを嫌っていた。恥ずかしげもなくココロへの思いを公言し、失恋に泣き、それでも戦うフトシのほうが、イクノも俺も好きか
本当に好きな相手以外とも、何とか巧く乗れてしまう(が、限界はある)イクノ。本当に好きだった相手に打ち捨てられても、未だ戦い続けられるフトシ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
みなやすりで削られるように、狭いサークルの中で恋だの愛だの性だの交換しながら、己の地金に気付いていく。あるいは、それを隠蔽し直す。
ミツルとヒロが遥か過去に失敗した同性性交を、イチゴとイクノも失敗する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
試しに寝てみて、やっぱダメだった。そんな意識すらないイチゴの残酷は、かつてヒロがイチゴを犯した『試しのキス』と、全く同じ残酷さに満ちている。そしてイチゴは、それに気づかぬまま、残虐を再演する。
フトシは約束を破られ、『僕は傷ついている!』と大声で泣けた。それは『子供』の特権で、同時に誰かを守れる立派な『大人』であり続けるためには、ちゃんと排泄しないといけない感情だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ミツルはようやく、ココロを相手にそれを排泄できた。ココロもまた、自分がずるい女だと認めることで変化した。
クローゼットを最初から持たないもの。そこから出るもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
イクノは未だ、クローゼットの中にいる。触れ合って、でも気付いてくれなくて、自分からは言えない。それがプライド故か優しさ故かは、未だにクローゼットの中だ。
ただ、扉を開けて欲しい相手に背中を向けられた惨めさだけが、残酷に名残る。
かき混ぜられ、傷ついていくカップルの中で、ゾロメとミクが例外的に平和なのが、なかなか面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
先週一足先に胎児の夢を忘れて、一歩先に進んでしまったゾロメは、ミクを大事に思う気持ちが、フランキスを駆動させる事実にもう気づいている。だから、シャッフルもクローゼットもいらない。
一方ヒロとゼロツーは、おそらくゼロツーの体の不調/変質によって作られた新しいクローゼットを前に、ギクシャクとぶつかり合っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
大地に対して激しくピストンする、謎の機械。その行動原理も、搾取するアイテムも、子供たちにとっては不明なるクローゼットの中だ。ゼロツーだけが眉をしかめる。
牙の生えた自分が、世界と仲間にどう受け止められるのか。心地よさを感じてきたサークルから弾き出される恐怖が、体重を預けて裏切られる予感が、ゼロツーの手足を縛る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ヒロもパートナーを気遣っているものの、クローゼットの開け方はわからない。しばらく、フラストレーションは続く。
ミツルを傷つけ、決定的に方向づけてしまったヒロの忘却。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
それはヒロの自意識によるものなのか、何らかの外的操作によるものなのか。彼はなぜ、名前をつける洗礼者、魂の救済者から転げ落ちて、無能で不要な不能者(ミツルが今回一時的に陥る/帰還する存在)になったのか。
これもまた、クローゼットの中にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
冒頭の悪夢/回想において、ヒロは凄く気持ち悪い。笑顔の仮面を貼り付け、『大人のために死にましょう』というあの世界の倫理を垂れ流しにするスピーカー。
その『正しい』在り方と、今の屈折したロボアニメ主人公の立ち姿は、あまりに繋がらない。
そこに何か、ねじれがあるのだろう。それが解けたとき、ミツルのコンプレックスはより精密に解け、少年少女の関係性もまた位相を変えるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
しかしそれは、今はあくまでクローゼットの中だ。それに触れることなく、ミツルはココロをパートナーに選んで、幼年期を乗り越える。
Pruning。数値の低下したミツルに対し、ハチが予期していた処理は、日本語で言えば『剪定』だ。つまり、殺処分を意味するのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
英語、日本語、ぶっちゃけた意味。三重の箱に入れてきれいに飾られる、あの世界の常識。
『ロボットを動かせない子供は殺す』
反吐が出る。
僕らの(EDよろしく、制服を着てアイドルのPVに出れるような)『恵まれた』現実から見ると、非常に子供っぽい無軌道と個性、痛みと変化、傷と痂の思春期は、あの世界では特例だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
『子供』は量産規格品であり、『大人』にはなれない。
しかしその常識から外れたほうが、当然結果は出る。
子供を子供らしく、人間を人間らしく扱え。無軌道と混沌の中で意味を見つけていく、生き物としての試行錯誤に立ち返れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
フランクス博士が、凸凹な13都市部隊で証明しようとしているのが、そんな当たり前で貴重な観点であるとしたら、あのクソみたいな世界にも一人、『マトモ』な大人がいる。
その真意はおそらく、APEが推進するグレートクレバスにたどり着いた時に、その一端を見せるのだろう。多分その時、ゼロツーのクローゼットも開くし、ぶつかり合って転がるサークル内部の恋愛も、別の側面を見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ここ最近のお話は、その為の滑走路を整えている感じがある。
それはつまり、セックスの真似事だの洗脳教育だの人体の異質化だの、根本的に気持ちの悪いお話だと僕が理解していたお話が、その地金を飾ることなく、キャラクターもそれに出会う、というお話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
その方が、色んな意味で気楽である。こんな腐ったクローゼットで、『子供』であり続けるより。
生々しく切開されて、胸の中で腐っている、あるいは未成熟なままの心を引きずり出した方が、ぜんぜん善いと、僕は身勝手に感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
それを仲間に癒やされたり、涙まみれで自力で立ち上がったりして、大人が手助けすらしてくれない孤独の中で、子供たちはタフに性徴していく。
それはとても寂しくて間違っている光景だが、そもそも間違えまくっているあの世界で、あの子達が唯一選び取れる変化の階段なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ガラスの天井に閉じ込められた花たちは、世界の広さも知らされないまま、腐ってきたら切り落とされる。なら、勝手に根を伸ばし、地面から力を吸い上げて。
勝手に大きくなるしかなかろう。『大人』の規範では醜く、間違っているとしても、生物種としての人体が『自然の成り行き』としてそれを望むのであれば。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
子供は勝手に、子供っぽくなくなるのだ。
約束を破ったり、人を殴ったり、血を流したりしながら、『』なしの大人になるのだ。
約束をキータームに、幾つものクローゼットを開けたり閉めたりしながら、複数のパートナーが痛みを伴う成長を果たし、あるいは上手くいかないお話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
クローゼットを閉めっぱなしのイクノと、彼女を傷つけたことに気づけないイチゴの距離感が、なんとも恐ろしい。
フランクス適正を妨げる、コンプレックスの檻。ミツルはココロと/ココロはミツルと交流することで、それを開けることが出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
無遠慮でキモいフトシは、ココロとの約束を破られることで、失恋を知り少し大人になった。それは、ミツルが幼い時に既に経験した地点を、フトシも歩いた、ということだ。
そんな感じで、殴り合いつつ血を流しつつ、サークルの中の子どもたちは理解り合い、育ちあう。そこから少し離れたイクノの、けして開けられないクローゼットと、そこに閉じ込められた惨めさを、誰かが開けてやってほしいと、僕は思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
以下、客観性から離れた個人的感覚(もしくは愚痴)の、それなりに長い記載。
とまぁ、ここまで書いたところで、やっぱり横たわる不信感を語らないほうが嘘になるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
今回の話は(も)とてもナイーブな要素を扱っている。ゲイ、あるいはヘテロ・セクシュアリティ。美と醜。惨めさと受容。クローゼット。
フトシの泣き顔は、『笑える』ように戯画化されて描かれる。惨めなデブだから、恋に負けても良い。それを嘲笑うことで快楽を得る特権を、視聴者に与えてあげよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
創作は、確かにそういう歪み(あるいは『ストレート』)を必ず孕む。自分と違った誰かをショーアップして笑い飛ばすのは、気持ちがいい
そういうデフォルメの笑いは、ポップで受けがいい。大真面目にど真ん中に投げ込む頑なさは、客を引き剥がす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そんな固くなんなよ。セックスもプリアドも惨めさも憎悪も、全部笑い飛ばしてネタにしちまおうぜ。
そういう柔軟さが、より多くの人に受け入れられる創作には必要だ。
そういう薄暗いポップさを、真正なものを受け入れさせるツールとして使いこなしているのか、はたまたツールに振り回されているのか、僕は三ヶ月このアニメを見続けてきて、未だ判別しきれずにいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
嘲笑を孕んだ軽快で切り取るには、挑むネタ、触る要素は危うく、重い。僕はずっとそう思っているし、
時折耐えきれなくなって、グダグダとこう個人的な違和感を文字にもしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
セックスも、孤立も、融和も、不能も、トラウマも。このアニメが触っているものは僕にとってとても大事で、ナイーブに扱って欲しいものばかりだ。土足で踏んでほしくないものなのだ。
そこで『いや、靴は脱ぐよ』と言ってくれるのか『硬いこというなよ、そういうもんだろ? 皆も楽しいだろ?』と踏み荒らすのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
深夜アニメというメディアに、幾度か踏み荒らされた視聴体験を(もしかしたら貴方と同じように)持つ身としては、どうしても警戒度が上がる。
ナイーブで大切なものは、ナイーブで大切に扱って欲しいのだ、僕は。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
しかしそうしないこと、乱雑に扱い倒すことでポップに振る舞う傾向を(僕の視界では)どうしても持つエンターテイメント(こと『深夜アニメ』はその色合いが強いと、個人的に思う)が踏み入ってきたとき、僕は体重を預けきれない
ここら辺の臆病者がミツルと綺麗にシンクロしていることに、また腹立たしさと作品への接近を加速させるわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
僕が欲しいナイーブさ(貴方は求めていないかも知れないもの)が最近は強く出ていて、見ていて楽ではある。しかしそれがストンと消えてしまうかもという怯えが、なかなか消えない。
なまじっか、ひどくシンプルで強烈な『ロボアニメの快楽』を的確に作れる分、そっちで押し流してしまうのではないか、とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
キモいデブとゲイとレズビアンの困惑は、恋と社会の負け役として嘲笑っても良いと吐き捨てられるんじゃないか、とか。
そういう警戒シフトが、なかなか消えてくれないのだ。
ヒロとゼロツー、ゾロメとミク、(ストレートターンした?)ミツルとココロ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
ポジティブなパートナーシップとして描かれるのは、どうも『マトモな男女恋愛』ばかりで、そのくせゲイネスに接近もしていて、その是非は未だクローゼットの中だ。
だから、余り物でくっつく形になって、でも戦闘においては高いパフォーマンスを見せたフトシとイクノがどうなるかは、とても気になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
キモいデブだろうが、カム・アウトしきれない同性愛者だろうが、選ばれた子供より力強く、自分の生き方を掴み取って生き抜いて欲しいから。
そういう子供を阻害して、特別な主人公様だけをおっ立てるお話の類型に、乗っかられたらたまったもんじゃないから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
あのアニメとかあのアニメとかあのアニメとかと同じ道程を歩かれると、結構なダメージだから。
僕はまだ、クローゼットの鍵をダリフラには、預けられない。
その鍵を開けて、ホントの意味でのパートナーシップを作れる(あるいは作れないと判る)のがいつになるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
それはさっぱり不明だ。次回かも知れないし、最終話を見終わったときかも知れないし、見終わってうだうだ考えて五年か六年たった後かもしれない。
しかしここまで見て、こうもグダグダ言わんでも良いことを文字にしているということ、文字にしないと収まらないということは、心のどこかで鍵を預けたい気持ちがある、からなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そういう意味でも、作中の子供たちの臆病さと、僕のシンクロ率は高い、のかもしれない。それはナイーブすぎか。
終盤、余計なことを書いた。第二話の感想といい、どーもこのアニメは僕の感覚を撹拌して、黙ってられない気分にしてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そういう作品との出会いは得難いものだと頭では理解しつつ、やっぱり早いとこ道を定めたい。鍵を引っ込めるか預けるか、判断したいのだ。
キモチワルイ世界と、気持ち悪いサークル内部を隠さないようになって、ココロのずるい成熟とかもガンガン前に出てきて、最近はちょっと居心地がいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
このまま、スカッとアガる王道ロボットアクションに全力で砂をかけて、分かり難く湿った場所にズカズカ踏み込んでいてくれると、僕好みだ。
第6話以降、世界とキャラへの解像度を上げてじっくり語ることで、子供らへの愛着と作品への理解は、着実に深まっていると思う。これは個人的な感覚だけでなく、客観的な評価としてもだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月26日
そうやって培った土台を、どう切開し事件を起こすか。二度目のクライマックスが近い。来週も楽しみだ。