ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
桜の花が咲く頃は、桜の花が散る頃で。約束された終わりを前に、せめてもの証と誓いを刻まんと欲す子供たち。
真心めいた至誠の儀式を、無慈悲な腕達が蹂躙する。限られた生命の中で、せめて人間らしくあろうとする試みすらも汚されるのならば。
というわけで、子供たちの休暇が終わる回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
先週イクノがモノローグしていたように、花が散ることは子供たちにも判っている。ならば散り様くらいは自分の好きにさせてくれ、というのが子供たちの願いであり、それに従ってフトシは神父をやり、イクノはイチゴに本心を吐露する。結婚式もする。
そんなせめてもの矜持を略奪され、記憶を書き換えられ、大事なものを奪われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
第13話の結末を、ミツルとココロを主役に再演されたわけで、そらヒロも『限界だ』と言うわけだ。
もはや俺たちは、無力でも無邪気でもなく、背丈は伸び女の抱き方も知ってしまった。言われるまま去勢される訳にはいかない
そんな叛逆の決意へと、主人公にして救世主を導く楽園の喪失である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
花は枯れ、水は濁り、人工都市を維持するエコシステムは限界に達している。楽しかった子供だけの時間が終わる中で、濃厚なセピア色の『死』が世界を覆いだす。
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パパの暴力的介入という、政治的終局。約束された破局を示すように、世界は薄暗く、活気はどこかに逃げ去った。晩秋の気配が画面に漂い、ミツルの寝床に愛する女はいない。空床に人形、ダリフラらしい暗示だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
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それでも、我々は人であり、人の記憶と儀礼を受け継ぐものであるという矜持が、ヒロを筆頭とした第13部隊の子供たちにはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
『物語』という方舟に運ばれて、終局を生き延びた婚姻儀礼の残滓を、ヒロはその真意を汲み取り、サークルの仲間たちに拡散させていく。
ヒロたちの婚姻の儀礼は、それを支える伝統も、あるべき『正しい』人類と性の形もない、一種のママゴトだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
しかしそれは、彼らの思いによって選び取られ、自分たちらしく飾られていく。針金から指輪を作り、カーテンからドレスを作り、枯れない花と飛べない鳥を、永遠に壁に刻む。我ら此処に在りきと
9αはそれを『人間の真似事』と侮蔑するが、では『オトナ』は『正しい人間』か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
最も身近なツールである身体を否定し、旧社会の記憶や尊厳を消し去り、情報化されたデータとなることが『真似事ではない人間』なのか。
物語はここ三話で、そういう問いかけをより強くしている。
ロボットに乗らない第三部の物語は、『パラサイト』というパパの用意した生き方から、コドモたちを遠ざけた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
記憶とともにヒロが取り戻した、生き方を自分で選び取る意味。身を養う食事を、守る住居を、身を包む衣服を、己達の手で作り上げていく、厳しくも尊厳に満ちた生き方。
その集大成が今回の手作りのウェディングであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
それは何処か歪で間違っていて、幼く拙い。しかしそこに込められた思いは圧倒的に本物で、祝福と喜びに満ちた儀礼であった。
コドモたちの必死さと真摯さが見えればこそ、蹂躙するオトナへの反発も強くなる。ジェネリックカヲルくん本気許さねぇ。
祝福された新郎新婦だけでなく、彼らを寿ぐ儀礼(最小単位の社会)を自分でつくろうと頑張る子供たち、終わりに向けて自分なりの決着をつけようとする敗残者達の姿が、丁寧に切り取られて良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
フトシ…オマエは偉いし強い。未練をちゃんと自覚して、それでもなおより善い自分であろうとする。
そのために、神との契約を代行する『神父』たろうとする。祈るべき神は、もうパパではない。都合よくコドモたちを使い潰すことも、我欲を律法と偽ることもない、子供たちだけの真実に向かい合うために、フトシはナベを頭に被る。メシを食べるための道具を、別の装いで使いこなす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
あの滑稽な姿が、『食べる存在』だったフトシが己を乗り越え、もっと強い存在に生まれ変わろうとする産着に見えたのは、彼が好きな僕の贔屓目だろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
どっちにしても、彼の新生は果たされることなく、新たな神への祈りは許容されない。飛び立つ日は、未だ遠い。
男女の性別/生殖を寿ぐサークルの中に、コドモたちはまとまる。しかしそこからはじき出されてしまう存在もあって、一人は前回『生殖能力がない』と告白したゼロツー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
そしてもう一人は、『ノーマル』なセクシュアリティを内面化できないイクノである。
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彼女は髪を解く、蝶の形をした髪留めを開放し、秘めていた己の心をイチゴに叩きつけていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
その情熱は奔流であるが、荒々しく対象(手鏡に写った私以外の私)を傷つけるのではなく、自分をよく見た内省を、涙と一緒にたっぷり含んでいる。
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イクノは男/女に分割された性を当然視し、それ以外をはじき出すフランクスシステムに、強い違和感を持っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
性と生殖と性差は気持ち悪い。それは、自分の属性ではない。
そんなイクノのアイデンティティは、一見新人類を自認する9Sと同じであるが、決定的に異なっている。
イクノは性差への違和感、『イチゴと抱き合いたい』という内的欲求を抱え、『ノーマル』を押し付ける世界に違和感を抱える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
しかしそれと同時に、性差があって成立する世界のあり方そのものを、否定しているわけではない。真っ白な無性の色で、人類のあり方を塗り固めたいと思っているわけではない。
ノーマルな色合いではなくとも、自分らしく咲く花の色を認めて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
自分の胸の中で暴れるマグマを、受け止められなくとも確認して欲しい。
そういう思いに突き動かされたイクノは、イチゴを押し倒しつつ蹂躙はしない。欲しいのは『そういうことじゃない』のだ。
ヒロが過去にたどり着いた他者の尊重。性行為に頼らずとも、相手を尊重できる方法をイクノも学び取り、己の中の竜を制していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
クローゼットの中でずっと、自分と他人、世界と私に向き合ってきたイクノは、少し荒々しいやり方だが、適切にイチゴにメッセージを伝えていく。
イクノがイチゴに惹かれたのは、自分の名前≒アイデンティティを与えてくれたからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
それはヒロの英雄性を真似する、無邪気なミミクリーであった。(ミツルやゴローと、全く同じ行動をイチゴも取っていた、ということだ。そしてそれは、呪いと祝福の拡散となる)
みんなと同じになれない、『ノーマル』で色という圧力に耐えられなかったイチゴが、ヒロによって救われたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
イチゴが抱えるヒロへの憧れ、その無邪気な再生産は196を『イクノ』にし、あの世界の『ノーマル』なセクシュアリティからはみ出させる。
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その傷も痛みも、喜びも確たる自我も。面倒くささも醜さも全てひっくるめて、ワタシはアナタに似ていて、アナタはワタシに似ているね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
イチゴは『ノーマル』であることから出ないまま、しっかりイクノを抱擁する。
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そこに物理としての手鏡はなくとも、これまでゼロツーが己を写し、苦しみ、自己と他者と世界の像を手に入れてきた投影と反射が共有されているのは、明白であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
たとえばそれが恋とは違うとも。子をなさない友情の抱擁だったとしても。イクノの告白とイチゴの受容は、魂をあるべき場所に導く。
僕は個人的にイクノとフトシに共感しながらこのアニメを見てきたので、彼らの無様な生き方がなんらか、落ち着く場所を見つけられたのは良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
その兆しが見えたところで、ゴミクズみたいな圧力で押し流されたのはマジ許せねぇが、散った花は実をつけ、必ず再び芽吹くだろう。
イクノにしてもフトシにしても、『自分は愛されない』という想い/事実を抱え、それに押し流されることなく、皆や自分が幸福になるにはどうしたら良いか、必死に考えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
そのためのモラトリアムとして、三話に渡る子供たちだけの世界は、かなり大事だったのだろうと思う。
イクノが鏡を抱え、幸福な番となったゼロツーの表情を見た時、彼女は番になれない自分のことを、ゼロツーの角を反射板に考えたのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
それが、今回彼女が己を律し、二人にとって幸福な決着にたどり着けた原因となっているのなら、ゼロツーはサークルの一員としてとても大事なことをしたのだ
そんなゼロツーは、己の幸福を絵本に刻みつつ、過去に苛まれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
サークルの一員として認められ、竜混じりの自己像を肯定できるようになったゼロツーは、人間の幸福を知った。
それはつまり、スラットな毒婦として食いつぶしてきた男たちもまた、人間であったという事実を思い知ることだ。
赤い罪悪感は加速し、幻影となって襲いかかる。伸びる手は暴力的に肌を這い回り、露骨に性暴力を匂わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
(ミツルがココロに指輪を挿入するシーンが、省略されたヴァージンブレイクの露骨な暗喩だったのと、面白い対象だと思う。幸福な性、暴力の性)
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膝を折りに、屈服させる。押さえつけられ、のしかかられる。これまでフランクス内部で演じられてきた図式は、ロボに乗らない今回、男女関わりなく襲いかかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
銃を突きつけて意志を奪い、尊厳を泥まみれにする強制。屈辱はいつでも、泥と血の味がする。
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ゼロツーは赤いいつもの服ではなく、灰色の『みんなと同じ服』を来たことを無邪気に喜ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
イクノが苦しんだ『ノーマル』への重圧は、同時に共同体に帰属する安心感、その中でしか発露しない私自身を照らしもする。灰色であることの喜びと、苦しみと。
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同じ服を着たサークルを、遠巻きに見つめて羨ましがっていた少女と、灰色の『ノーマル』に苦しんでいた少女。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
先週冒頭二人が、手鏡をなかだちにお互いを見ていたのは、やっぱりとても大事なシーンであったと、僕は思う。
正反対でも共存できる。ワタシの苦しみがアタナの喜びでもある。
そんな可能性と多様性を見つめ、許容すればこそ、ゼロツーは角を晒して手鏡を預けたし、イクノはそれを受け止めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
イチゴが今回、イクノの劇場を受け止める立場になることも合わせて、女たちには女たちの繋がりがある。それは、男と女の繋がりと同じくらい、とても大事なことなのだ。
男の子たちのサークルもまた、ボールを無邪気にやり取りする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
第2話ではヒロを交えず、孤独なリフティングでイジられていたサッカーボールは、軽快な脚さばきに乗っかって、『男の子らしく』爽やかに行き交う。
フトシが一番、鮮やかにボールを蹴っていたように見えたのは、ファンの贔屓目だろうか?
ボールと真心を同時にやり取りするのは、”少女革命”第37話のバドミントンシーンを思わせて、少し懐かしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
あの時は、世界の果てを越えようとする少女を、檻に残されるものが祝福するやり取りだったわけだが、ダリフラでは皆世界の果てに追い込まれ、世界の果てを突破しそうだ。
せめてもの真心を踏みにじられ、楽園は唐突に終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
瑞々しかった温室の花達は枯れ果て、死者たちの部屋を飾る弔花は衰え、ゼロツーは灰色の『ノーマル』を脱ぎ捨てる。
コドモたちが脱皮できるかもしれなかった婚礼の儀式は、志半ばでへし折られたのだ。
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その後押し込まれるのが『トリノス』であって『トリカゴ』ではないところが、APEの偽善を色濃く写して吐き気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
『ここは『巣=ホーム』であって、自由を奪う『籠』ではない。お前らは何処にも飛べない鳥のまま、この『巣』で飼い殺されていくのだ』という、相変わらずのメッセージ。
楽園を追い立てられたココロとミツルは、記憶を奪われサークルに帰還する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
指輪を奪わなかったのは、契約のフェティッシュがどれだけ重たいものか、『オトナ』達から完全に消え去ってしまっているからか。
だとしても、ヒロも子供も、その意味を忘れはしない。
APE達はゼーレごっこに夢中すぎて、いろいろツメが甘い気がする。人間の底力を舐め腐っているからこそ、身体を『殻』と蔑むのだろうが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
目的までゼーレじみてるが、このまま素直に黒幕装置を続けるのだろうか。まぁ人間味を出されても困るし、仮面の奥は空っぽでいいけども。
ミツルたちに施された記憶処理が、ゼロツーとヒロと同じものであるなら、それは気合と根性で乗り越えられるものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
ゼロツーが『物語』を食うことで記憶を繋いだように、ヒロが13話かけて過去を取り戻したように、二人もまた、己の始原と至誠に戻ってくるだろう。戻ってこいマジ。
ココロのお腹に宿った(だろう。文法的に、セックスシーンをちゃんと描いたのはその結果を見せたいからだろうし)子供は、一体どうなったのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
普通に考えれば堕胎されてるだろうが、APEの間抜け力だと見逃している気もする。まぁそもそも出来てないって可能性もあるけどさ…。
オトナが教えなくても、コドモの体は勝手に大きくなり、本能を吠え始める。その叛逆を追いかけてきた物語が、ココロの忘却された記憶と、体に刻まれた愛の証明をリンクさせる筋立ては、容易に想像できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
つーか単純に、ベイビーいるんなら生きててほしいわけよ僕は。ああ。
忘却の現状と、奮起の可能性は、ハチとナナの過去を通じても描写されていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
元パラサイトであり、パートナーの喪失によって暴走した感情を『調整』されたナナ。ハチは『オトナ』になって、あの時聞いた慟哭も凍りつかせてしまったのだろうか?
フランクス博士の狙い含めて、ハチナナの今後は気になるところだ。感情という病(あるいは犯罪)を根絶すべく、心を蹂躙する世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
忘却にホワイトアウトされたとしても、心の奥底から叫ぶ感情は、幾度も蘇る。散っては咲き、咲いては散る桜の花びらのように、人間の証明は図太く生き延びていく。
その延長線上に、ゼロツーの後悔もあるのかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
正直ゼロツーの枯殺は『そういうキャラだったし。ダーリンの貞淑なヒロインになったし』でノーカンにするかと思っていたので、ちゃんと問題視してくれて嬉しい。
まぁ罪悪感に苛まれる当人としては、嬉しいばかりの話じゃなかろうが。
彼女の蕩尽が、なんらか取り返しのつくものであって欲しいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
罪には罰がつきまとう。それは世の習いであるし、『人間』となってしまったゼロツー自身が、その重たさに向き合うことを望んでいるとも思うが。
地下からの呼び声含め、さてはてどう転ぶかな、というところだ。
鳥は巣に帰り、天は再び塞がれた。楽園の日々はつかの間に終わり、せめてもの祈りは踏みにじられ、交わした約束は砕けて散る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月21日
ホワイトアウトした世界の中で、怒りだけが己の位置を指し示すのなら、さあ少年よ、武器を取れ…となるかどうか。来週も楽しみですね。